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鎌田 敏夫(かまた としお、1937年8月1日 - )は、日本の脚本家・小説家。日本脚本家連盟理事長。日本統治時代の朝鮮の京城府(現・大韓民国ソウル特別市)生まれで、徳島県育ち。
徳島県立城東高等学校、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。
大学卒業後、シナリオ作家協会の主催するシナリオ研究所(現在のシナリオ講座)で学び、井手俊郎に弟子入りする。1967年、『でっかい青春』にて脚本家デビュー。以降、『飛び出せ!青春』『俺たちの旅』など一連の“青春ドラマシリーズ”をメインライターとして支えた。
千葉真一主演のテレビドラマ『十字路』(1978年)と千葉主演の映画『戦国自衛隊』(1979年)の脚本を担当。『戦国自衛隊』は配給収入13億円5千万円のヒットを記録した[1]。1980年、角川映画のオリジナル脚本を自らノベライズした『ニッポン警視庁の恥といわれた二人組 刑事珍道中』にて小説に進出。誰に遠慮することもない自作脚本ということで地の文のギャグをのびのびと展開し、映画がシリーズ化されなかったにもかかわらず続編も執筆した。以後、自作ノベライズを中心に小説もコンスタントに手がけている。
映画『探偵物語』の脚本としてクレジットされているが、実際の脚本は荒井晴彦と高田純が書いたという情報もある[2]。
1983年、『金曜日の妻たちへ』が大きな反響を呼ぶ。不倫ブームが巻き起こり、“金妻”は不倫の代名詞と言われた。
1986年、『男女7人夏物語』を大ヒットさせる。翌1987年の続編『男女7人秋物語』は36.8パーセントの最高視聴率を記録した。
1994年、『29歳のクリスマス』により芸術選奨文部大臣賞、第13回向田邦子賞受賞。
2003年、大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』の脚本を手がけるが(大河ドラマの脚本を初めて手がける執筆者としては最年長)視聴率は低迷し、評価は芳しいものではなかった。終了後に黒澤明監督の映画『七人の侍』(1954年)に酷似している部分があるとして黒澤プロから著作権侵害などを理由に訴えられたが、2005年に東京地方裁判所は請求を棄却している。
1994年
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