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徳島県板野郡の町 ウィキペディアから
町名のとおり染料の阿波藍の一大産地としての歴史を持つ[1]。阿波国の藍は戦国時代には阿波国の特産品とされ、江戸時代には徳島藩によってその生産や保護が奨励された[1]。明治時代には徳島県の藍生産は作付面積も生産量も日本全国の過半数を占めたが、その後は化学染料の大量輸入などによって衰退した[1]。しかし、天然染料の藍が見直されるようになり、藍住町では藍のワークショップ、幼稚園や小学校での藍学習が行われているほか、 町内には藍染めの普及や阿波藍の復興の拠点となる「あいずみ藍工房」、藍の博物館である「藍の館」などが整備されている[1]。
2019年(令和元年)には日本遺産「藍のあるさと 阿波~日本中を染め上げた至高の青を訪ねて」を構成する自治体の一つとなっている[1]。また、かおり風景100選「吉野川流域の藍染めのかおり」にも選ばれている。町制施行60周年にあたっては町のマスコットキャラクターの「あいのすけ」が誕生した[1]。
室町時代の阿波国守護細川氏と三好氏が本拠地とした「勝瑞城跡」や、徳島県第一号店である大型ショッピングモール「ゆめタウン徳島」なども主な名所である。
徳島市の中心駅でもあるJR徳島駅より車で約30分(約12km)という立地の比較的な良さ、そして町内全域が平地となっていることからの宅地開発のしやすさから徳島市や鳴門市のベッドタウンとして宅地開発が進んでいる。3万5千人という人口を有し、徳島県内では徳島市、阿南市、鳴門市、吉野川市に次いで5番目に人口の大きい自治体である。 なお、町名の由来は前身の藍園村と住吉村が合併した際にそれぞれの頭文字を取ったことに起因する。
吉野川に沿って東西に細長く広がる徳島平野の下流域のうち、吉野川の左岸(北岸)に位置している[2]。町の南端を吉野川が流れる[2](藍住町の南に位置する徳島市との境界は吉野川上にある)。また、町の西端から北端にかけて吉野川の支流となっている旧吉野川が流れている[2](北側の板野町、鳴門市との境界は旧吉野川上にある)。
吉野川は「四国三郎」の異名を持ち、日本三大暴れ川に数え上げられている。江戸時代以前から町内でも度々洪水を起こしてきたということが知られており、高地蔵などが見られる。
町は吉野川と旧吉野川の二つの河川に挟まれたデルタ地帯にある。町内には正法寺川を除いて大きな河川なく、標高は河川堤防や高速道路の盛土部分などを除いて5メートル以下であり、特に東部付近では2.5メートル程度しかない[2]。
元々は農業地域で田園が広がっていたが、高速道路やバイパスが整備されて以降、宅地開発が大きく進んだ。 藍住町は町であるにもかかわらず、徳島県内の市町村では鳴門市、吉野川市に次いで5番目に多い3万5千人という人口を有している。この人口は、町村に限れば四国で最も多い。また、町民の平均年齢は44.8歳(2019年7月)と全国の市区町村と比較してもかなり低く、若い世代の割合が高いベッドタウンである。 過去10年の人口増加率は10%と、北島町や石井町と並び徳島県でもっとも発展している町の一つでもある。四国地方で2035年まで人口増加が予測されている市町村は、藍住町と香川県の宇多津町のみである[10]。2045年には吉野川市を追い抜き徳島県で4位の人口をもつ自治体になると予想されている。
藍園村、住吉村の合併後の最初の1955年の国勢調査では、人口は10,544人であったがその後は減少し続け1万人を割った。1965年の国勢調査では最低人口の9,726人を記録したが、その後は徳島市のベッドタウンとして宅地開発された結果、増加に転じ1985年の国勢調査では22,619人、2000年国勢調査では3万人を突破して30,368人、2015年国勢調査では34,626人を記録している。[11] [12][8]。今後も2035年頃まで藍住町の人口は増加し続け、3万6千人弱まで上ると予測されている。町民の平均年齢は44.8歳(2019年7月)。
藍住町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 藍住町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 藍住町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
藍住町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
郵便番号 | 大字名 | 読み |
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771-1201 | 奥野 字猪熊・字東中須・字前川・字和田は771-1202、字矢上前は771-1203 |
おくの |
771-1210 | 徳命 字元村・字元村東は771-1211、字前須東・字前須西は771-1212 |
とくめい |
771-1220 | 東中富 字長江傍示は771-1221、字北傍示は771-1222、字敷地傍示・字天王傍示は771-1223、字大塚傍示・字慶長・字東安永・西安永・鑓場傍示は771-1224 |
ひがしなかとみ |
771-1230 | 富吉 字須崎・字富吉・字豊吉は771-1231、字地神・字穂実は771-1232 |
とみよし |
771-1240 | 乙瀬 | おとぜ |
771-1250 | 矢上 字西、字原は771-1251・春日、北分は771-1252・江ノ口、安任は771-1253 |
やかみ |
771-1260 | 笠木 字東野は771-1261・字中野、字西野は771-1262 |
かさぎ |
771-1264 | 住吉 字逆藤、字神蔵、字千鳥ケ浜は771-1265・字藤ノ木、字若宮は771-1266・乾、江端は771-1267 |
すみよし |
771-1270 | 勝瑞 字幸島は771-1271・字成長は771-1272・字正喜地、東勝地は771-1273 |
しょうずい |
町内には警察署はなく、北島町にある徳島板野警察署が管轄し消防署も北島町にある板野東部消防組合が管轄している。
産業人口は15,060人。
洋ニンジンの全国有数の産地で、一方で「愛住ねぎ」など新作物の栽培にも取り組んでいる[1]。
中堅企業が多く立地しており、藍染めの生産をしている[8][15]。
かつては大豆の産地として知られ、それを原料として味噌の醸造が盛んに行われており、全国的にも知られるようになった[15]。
町内には若年層の人口が多く、町立中学校は2つ、町立小学校は4つ設置されている。
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