銚子市
千葉県の市 ウィキペディアから
銚子市(ちょうしし)は、千葉県北東部の市。関東最東端に位置し、日本列島で最も早く初日の出が昇る[注 1]。日本屈指の水揚量を誇る銚子漁港を擁する国内最大規模の水産都市である[1]。江戸時代元和年間より続く醤油の銘醸地でもあり[2]、ヤマサ醤油・ヒゲタ醤油を中心に醤油産業の一大集積地を形成している。1933年(昭和8年)に市制を施行した東総地域の中核都市である。
概要
要約
視点

太平洋に突き出した半島状の地形をなし、三方を海に囲まれており、日本列島で最も早く初日の出が昇る街である[注 1]。関東地方の最東端であり、江戸時代には「ほととぎす銚子は国のとっぱずれ」の句が詠まれた[3]。北側には日本最大の流域面積を持つ大河利根川が流れ、銚子市から太平洋に注いでいる[4]。沖合は黒潮と親潮が交わる好漁場であり[5]、世界三大漁場の一つに数えられている[6]。太平洋に臨む巨大な外港を備える銚子漁港(特定第3種漁港)は、全国各地から多数の漁船が入港して活況を呈し、水産物流通基地として揺るぎない地位を確立しており[7]、日本屈指の水揚量を誇っている[8]。広大な後背地には、水産会社、水産加工場、水産缶詰工場、冷凍冷蔵施設、製氷貯氷施設、関連運送業者・鉄工所・造船所、水産物・加工品販売施設等が集積し、国内最大規模の冷凍・冷蔵能力を有しており[1]、全国の消費地と直結可能な地理的優位性もあって[7]、名実共に日本随一の水産都市として発展している。銚子沖で手釣りによって漁獲される「銚子つりきんめ」は、千葉ブランド水産物第1号に認定された銚子を代表する高級魚である[9]。魚市場周辺の商店街には、鮮魚店や老舗寿司店が点在している[10]。江戸時代元和年間に創始され、関東風濃口醤油が発祥した醤油の銘醸地でもあり[11]、街の中心部には、全国トップクラスの大手醤油メーカーであるヤマサ醤油(業界2位[12])、ヒゲタ醤油(業界4位[12])の主力工場が立地操業し、製造品出荷額800億円を超える醤油産業の一大集積地を形成している[13]。各社では、蓄積されたバイオテクノロジー技術を応用し、核酸関連物質を利用した医薬品・化成品等の研究開発を進めている[14]。こうした高い産業集積を背景に千葉県東総地域の中核都市として発展しており、公共交通ネットワークの拠点である銚子駅を中心として、国・県の出先機関、金融機関、商業・業務施設等の高次都市機能が集積し、千葉県東部で最大規模の人口集中地区・商業集積地区を形成している[15][16]。銚子市の財政力指数は0.61であり、県東部において最も高い財政力を有している[17]。
銚子は江戸時代、東廻海運と利根川水運の中継港となったことで、海運関連業を中心に、紀州移民によって上方から伝えられた鰯漁や醤油醸造、各種商工業が盛んとなり、東国屈指の港湾都市として発展した[18]。坂東三十三観音札所である飯沼観音を中心として、花街や興行街も発達した。幕末には、豊漁を祝う民謡「銚子大漁節」が川口明神に奉納されている[19]。明治以降は、犬吠埼灯台や銚子測候所、日本初の無線局である銚子無線電信局等、近代化を担う重要施設の建設とあわせて、利根川の蒸気船就航、総武本線・成田線・銚子遊覧鉄道の開通等、交通網の整備も進んだ[18]。また、図書館・映画館・カフェー等の文化娯楽施設も充実し、モダンな地域性が形成された。大正末期から近代的漁港の建設が進む中で、1933年(昭和8年)には、銚子町・本銚子町・西銚子町・豊浦村が合併して市制を施行し、千葉市に次ぐ千葉県第2の市として銚子市が発足した[20]。1936年(昭和12年)には、高神村・海上村の合併が実現した[18]。
太平洋戦争中、数度の空襲で市街地は焦土と化し、戦後の戦災復興事業により、幹線道路を軸とした近代都市として再建された。また、船木村・椎柴村・豊里村・豊岡村の編入により、市域・人口規模は大幅に拡大した。高度経済成長期には、銚子大橋の開通、銚子漁港の大型基地化、名洗港臨海工業地域・小浜工業団地の造成、食品加工産業の発展、海岸地域の観光開発、豊里ニュータウンの建設等が進み、各種の都市基盤施設も整えられた。平成に入ってからは「総合保養地域整備法」に基づく「房総リゾート地域整備構想」の重点整備地区として[21]、観光施設や広域幹線道路の整備、市街中心部の景観整備が実施された。名洗港は国の「海洋性レクリエーション拠点港湾」の指定を受け、県内最大の収容能力を有する[22]マリーナを中心とした外洋マリンリゾート拠点として開発されている[23]。近年は、子育て支援サービスの拡充に加え、多極ネットワーク型コンパクトシティの構築による持続可能なまちづくりが推進されている[24]。
銚子半島の海岸一帯は水郷筑波国定公園の中心地域であり、太平洋の怒濤を背景に白亜の灯台が屹立する犬吠埼、英国のドーバー海峡になぞらえて「東洋のドーバー」と称される[25]断崖絶壁が続く屏風ヶ浦、日本の渚百選に選定された君ヶ浜、地球の丸く見える丘展望館が建つ下総最高峰の愛宕山等、風光明媚な景勝地を数多く有する観光都市である。江戸期港町の面影を色濃く残し、外川の町並みや伝統工芸品、漁業者の祭祀・信仰は「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」として日本遺産に登録されている[26]。犬吠埼には化石海水の源泉が湧出し[27]、海岸沿いに温泉宿が建ち並んで犬吠埼温泉郷を形成している。毎年8月には、銚子の夏の風物詩である「銚子みなとまつり」が開催され、利根川河畔に約5000発の花火が打ち上げられる花火大会[28]、銚子銀座通りの神輿渡御、伝統芸能「はね太鼓」の演舞が行われて銚子の街は祭り一色となる。年間約250万人の観光客が訪れ、東京・銚子間には特急列車「しおさい」が運行されている。港町の佇まいや海岸風景は多くの映画・ドラマのロケ地となっており、「銚子フィルムコミッション」による支援活動が行われている[29]。銚子市では、豊富な地域資源や立地条件を活用したシティプロモーションの展開により、移住・定住や長期滞在・交流型ワーケーションを促進している[30]。
英国人技師リチャード・ブラントンの設計により、19世紀中頃の1874年(明治7年)に初点灯した犬吠埼灯台は、現役の第1等灯台としては国内最古の西洋式灯台であり、北太平洋航路のための最初の灯台として近代海上交通史上価値が高く、国の重要文化財・近代化産業遺産に指定されている[31]。日本の灯台50選・世界灯台100選にも選ばれており、参観者数は国内の灯台の中で最多である[32]。造営にあたっては国産煉瓦約19万枚が使用され、耐震性を高めるため世界的に珍しい二重壁構造が採用された[31]。1910年(明治43年)に建設された霧信号所は、鉄造ヴォールト屋根の霧笛舎としては当時最大規模を誇り、国産鉄材を使用した建造物としては国内最古である[31]。
断崖絶壁や奇岩怪石等、変化に富んだ力強い自然景観から、江戸時代には数々の浮世絵師や文人墨客が東国三社参詣と合わせて銚子の磯巡りに訪れ、多くの文学作品や絵画が残されている[33]。明治時代に鉄道が開通して以降は避暑客や海水浴客が増加し、東京近郊の別荘地として発展を遂げた。1905年(明治38年)には、宮内省により犬吠埼に伏見宮貞愛親王御用邸「瑞鶴荘」が造営された。著名な知識人や国内外の文学者も避暑に訪れ、海辺の旅館や貸別荘に滞在して執筆活動を行っており、竹久夢二の代表詩「宵待草」の詩想は明治末期の海鹿島海岸で生まれている[34]。作家・国木田独歩の出生地であり[35]、海鹿島海岸の松林には「なつかしき わが故郷は 何処ぞや 彼処にわれは 山林の児なりき」を刻んだ碑が建てられている[36]。
銚子は古くから野球が盛んであり、木樽正明や篠塚和典をはじめ、数多くのプロ野球選手を輩出している。1900年(明治33年)創立の千葉県立銚子商業高等学校は春8回、夏12回という千葉県最多の甲子園出場記録を保持する高校野球の名門校であり[37]、1965年(昭和40年)と1995年(平成7年)に準優勝、1974年(昭和49年)に全国優勝を果たしている[38]。
銚子半島は千葉県唯一のジオパーク認定地であり、日本列島の地質構造を大きく二分する東北日本と西南日本の境界断層付近に位置している。銚子半島は愛宕山を中心として局所的に隆起しており、東関東で唯一、古生界基盤岩が露出している。愛宕山・犬岩・千騎ヶ岩を構成する愛宕山層群は、中生代ジュラ紀に形成された千葉県最古の地層である。愛宕山層群の上部には白亜系の銚子層群があり、アンモナイト等の恐竜時代の化石を多産する[39]。犬吠埼の白亜紀浅海堆積物は約1億2000万年前に形成された地層であり、この時代の浅い海の海底の痕跡を数多くみることができる学術的に貴重な地層として、国の天然記念物に指定されている[40]。銚子半島南側の海岸線に広がる屏風ヶ浦の海食崖は、地質学上、また観賞上の価値が高く、国の名勝及び天然記念物に指定されている[41]。
銚子の年間平均気温は15度、最高気温と最低気温の差は6度前後であり、夏涼しく冬暖かい快適な気候である。近海には20種を超える野生のイルカやクジラが生息しているほか、利根川河口付近は世界有数のカモメ探鳥地となっている[42]。ミネラルを豊富に含んだ土壌と温暖な気候を生かした農業も盛んであり、主にキャベツやダイコン等の露地野菜が栽培され、首都圏における生鮮野菜の供給基地となっている。銚子の春キャベツは「灯台キャベツ」と名付けられたブランド野菜であり、生産量は全国1位である[43]。近年は銚子メロンの栽培も盛んになっている[43]。
2020年(令和2年)7月、「再エネ海域利用法」に基づき、銚子市沖が洋上風力発電事業を推進するための促進区域に指定され、2021年(令和3年)12月には促進区域における洋上風力発電事業者として三菱商事等の共同事業体「千葉銚子オフショアウィンド」が選定された[44]。銚子市は2021年(令和3年)2月、2050年(令和32年)までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにすることを目指す「ゼロカーボンシティ」を表明し、官民協働で再生可能エネルギーの導入を促進している。市では、「銚子市ゼロカーボンビジョン」に基づき、地域新電力「銚子電力株式会社」と連携した再生可能エネルギーの地産地消システム(マイクログリッド)の構築、ICTを活用した漁場の可視化や藻場の育成による海洋環境の保全、AI(人工知能)やロボットを活用したスマート農業の推進、災害時の移動電源としても活用されるEV・PHEV・FCVの市内導入、都市緑化やブルーカーボン生態系による二酸化炭素吸収源対策等を進め、豊かな自然環境と共生したエネルギー産業の先端都市の実現を目指している[45]。
地理
要約
視点
→「銚子半島」も参照

千葉県北東部に位置し、県庁所在地である千葉市から約65キロメートルの距離である。東京都の都心から90 - 100キロメートル圏内である。
犬吠埼は関東地方および関東平野の最東端に位置し、市の東部と南部は太平洋に面する。市の北部には利根川が流れており、銚子市で太平洋に注ぐ。
利根川沿いの低地と北総台地(下総台地)からなり、表層は関東ローム層に覆われている。高神愛宕山(標高73.6メートル)は北総台地最高峰となっている。水田は台地山間の谷津田と利根川沿いに広がっており、畑地帯は台地の平坦部に位置し、農業に適している。
- 山岳:高神愛宕山
- 河川:利根川(利根川が太平洋に注ぐ河口である)
- 湖沼:小畑池
- 海岸:太平洋側 - 銚子海岸、長崎海岸、君ヶ浜海岸(日本の渚百選)
- 岬:犬吠埼、長崎鼻
- 島:一ノ島、三ノ島、海鹿島、沖ノ海老島、茅刈島
- 浦:西明浦
- 崖:屏風ヶ浦
- 屏風ヶ浦
- 君ヶ浜
- 犬吠埼
- 利根川
地質

銚子市は愛宕山を中心に局所的に隆起しており、東関東で唯一、古生界の基盤岩が露出している。また銚子地域は日本の地質体を大きく2分する「東北日本」「西南日本」の境界付近に位置すると考えられ、この境界の東端はまだ確定していないため銚子市の地層がその解明を担うものとして学術的に注目されている。
銚子市は太平洋に突き出た半島状の独特の地形、そして犬吠埼や屏風ヶ浦などの地質資産を核として大地の成り立ちが比較的容易に、そして安全に学べる場所であることから、2012年(平成24年)9月に日本ジオパークに認定され、市域全体を活動のエリアとして「銚子ジオパーク」活動を推進している。
東部地域
愛宕山や犬岩、千騎ケ岩は愛宕山層群と呼ばれ、約2億年前に形成された付加体と考えられる。愛宕山(標高73.6メートル)は北総台地最高峰となっており、硬く侵食されにくいため海に突出するような高台が形成されている。
東海岸に露出する白亜系の銚子層群は礫岩、砂岩、泥岩からなる約1億年前の地層であり、アンモナイトなどの化石を多産している。犬吠埼付近は浅い海の堆積構造や生痕化石がよく観察できるため「犬吠埼の白亜紀浅海堆積物」として国の天然記念物に指定されている[46][47]。この銚子層群の砂岩は古くから「銚子石」と呼ばれ、古くから建材などに利用されてきた。
銚子地域の中新統は火山礫凝灰岩からなる安山岩の溶岩流を含む千人塚層と海成シルト岩からなる夫婦ケ鼻層に二分される。いずれも日本海が形成された時代の地層である。千人塚層の安山岩は利根川河口の川口、黒生、長崎に露出しており、銚子漁港整備に伴い取り除かれた安山岩はその一部が古銅輝石安山岩公園に保存展示されている。また、かつて夫婦ケ鼻層は銚子地域の北東端の夫婦ケ鼻から海岸沿いに黒生付近まで連続して露出していたが、現在は銚子漁港後背地開発により銚子ポートタワー下にわずか6m程度が露出するのみとなっている。
西部地域
下総台地の平坦面はかつての海岸近くの海底面で、隆起と汎世界的な海水準変動の結果、基本的に4段面の後期更新統の海成段丘が分布する現在の形となった。この台地には谷がいくつも刻まれており平坦面は農業や畜産業に利用されている。
市域の南の海岸線は、犬若から緩やかに湾曲し、屏風ヶ浦と呼ばれる海食崖が広がっている。この崖は下総台地の東端にあたり、常に波浪によって侵食が続いている。屏風ヶ浦では下総台地の地下断面が観察でき、地層は下位から犬吠層群、香取層、関東ローム 層の3つに区分することができる。屏風ヶ浦は江戸時代後期以降、景勝地として著名となり、国指定名勝及び天然記念物として指定された。
土地利用
銚子市の主要な市街地は2020年(令和2年)国勢調査による人口集中地区がほぼこれにあたり、利根川沿いに銚子駅・飯沼観音・銚子漁港を中心として形成された地区で、面積9.6平方キロメートル、人口31947人(総人口の約50パーセント)、人口密度1平方キロメートル当たり3338.2人となっている[48]。市南部の外川漁港を中心とした地区にも人口が集中している。この2地区を連絡する主要道路・鉄道の沿線には、市街地の周辺部及び高神地区等の集落があり、国道356号沿いとその南側の台地の一部には、海上・船木・椎柴・豊里の各地区の集落が形成されている。また、国道126号沿いには市街地の周辺部を経て豊里地区の集落がある。
商業地は市街地内に住居地と混在しているほか、郊外の国道126号沿いに大型商業施設(イオンモール銚子)が立地している。工業地は醤油製造等の工場が内陸部に、造船・機械製造修理・缶詰製造・水産加工等の工場が利根川沿岸及び銚子漁港周辺に立地しているほか、名洗港臨海工業地域、銚子漁港域内の水産物産地流通加工センター及び小浜工業団地等がある。高度経済成長期以降、市街地、特に利根川沿岸の中心市街地が世帯の細分化、産業活動の進展、地価の高騰等を背景に、主に国道126号、国道356号、県道銚子公園線、県道外川港線及び銚子電気鉄道線沿線等に沿って拡大している。農業地は、利根川沿岸の平地水田地帯と東部及び南西部の丘陵性台地畑地帯からなり、その面積は2540ヘクタールで、市域面積の約30パーセントを占めている。このうち農振法に基づく農業振興地域は6868ヘクタール、農用地区域は2109ヘクタールである[48]。
銚子市では、2019年(令和元年)策定の「銚子市総合計画基本構想」に土地・周辺海域利用方針を示しており、基本方針は「まちの賑わいを育み、人や自然にやさしいコンパクトな都市構造への展開と地域の特性を生かした土地利用の推進」としている[49]。
気候
1.黒潮 2.黒潮続流 3.黒潮再循環流 4.対馬暖流 5.津軽暖流 6.宗谷暖流 7.親潮 8.リマン寒流
本市は太平洋に突出し三方を海と河に囲まれ、また、沖合が黒潮と親潮が交わる寒暖流の交錯地点であることにより、日夜の気温差は僅少であり、年間平均気温は15度、最高気温と最低気温の差は6度前後と夏涼しく冬暖かい気候である。湿度は夏に高く冬は低いが、年平均75パーセント前後と内陸方面に比べて相当高い。いわゆる海洋性気候の土地であり、降雪も降霜も少なく、極めて僅かの量である。年間降水量は1700ミリメートル以上あり、冬は晴天が続く。年間の晴曇は相半ばし、降雨日数は平均約127日であり、千葉県内でも雨が多く、雨と黒潮の影響により濃霧の発生する日が多い地域である。この気候が良質の醤油を生んだ素因であり、また、寒暖流の交錯地点である沖合は全国屈指の好漁場となっている。年間を通して比較的風が強く、無風の日は僅かであり、一日の中でも風向の変転が急激である。
銚子市川口町(銚子地方気象台、標高20m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 23.6 (74.5) |
24.0 (75.2) |
23.3 (73.9) |
25.9 (78.6) |
29.5 (85.1) |
32.0 (89.6) |
34.8 (94.6) |
35.9 (96.6) |
33.7 (92.7) |
30.6 (87.1) |
25.4 (77.7) |
23.4 (74.1) |
35.9 (96.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 10.1 (50.2) |
10.3 (50.5) |
12.8 (55) |
17.0 (62.6) |
20.5 (68.9) |
23.0 (73.4) |
26.6 (79.9) |
28.6 (83.5) |
25.9 (78.6) |
21.5 (70.7) |
17.3 (63.1) |
12.7 (54.9) |
18.9 (66) |
日平均気温 °C (°F) | 6.6 (43.9) |
6.9 (44.4) |
9.7 (49.5) |
13.8 (56.8) |
17.4 (63.3) |
20.2 (68.4) |
23.5 (74.3) |
25.5 (77.9) |
23.4 (74.1) |
19.2 (66.6) |
14.4 (57.9) |
9.3 (48.7) |
15.8 (60.4) |
平均最低気温 °C (°F) | 2.9 (37.2) |
3.3 (37.9) |
6.4 (43.5) |
10.7 (51.3) |
14.8 (58.6) |
17.9 (64.2) |
21.2 (70.2) |
23.3 (73.9) |
21.3 (70.3) |
16.8 (62.2) |
11.1 (52) |
5.7 (42.3) |
13.0 (55.4) |
最低気温記録 °C (°F) | −6.2 (20.8) |
−7.3 (18.9) |
−4.3 (24.3) |
−0.2 (31.6) |
4.3 (39.7) |
10.2 (50.4) |
13.0 (55.4) |
15.9 (60.6) |
11.2 (52.2) |
4.5 (40.1) |
−1.3 (29.7) |
−4.6 (23.7) |
−7.3 (18.9) |
降水量 mm (inch) | 105.5 (4.154) |
90.5 (3.563) |
149.1 (5.87) |
127.3 (5.012) |
135.8 (5.346) |
166.2 (6.543) |
128.3 (5.051) |
94.9 (3.736) |
216.3 (8.516) |
272.5 (10.728) |
133.2 (5.244) |
92.9 (3.657) |
1,712.4 (67.417) |
降雪量 cm (inch) | 0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 8.2 | 9.1 | 13.0 | 12.3 | 11.3 | 12.3 | 10.4 | 7.4 | 11.8 | 13.3 | 10.6 | 8.7 | 128.4 |
平均降雪日数 | 4.5 | 6.0 | 1.7 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.9 | 13.1 |
% 湿度 | 62 | 64 | 68 | 74 | 82 | 88 | 90 | 87 | 84 | 77 | 72 | 66 | 76 |
平均月間日照時間 | 179.8 | 159.0 | 168.9 | 183.0 | 188.9 | 142.3 | 174.0 | 221.3 | 159.0 | 137.9 | 140.1 | 163.7 | 2,017.8 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1887年-現在)[50][51] |
市域
- 広袤:東西16.2キロメートル、南北12.8キロメートル
人口
2020年(令和2年)10月1日現在における銚子市国勢調査人口は58431人、世帯数は25544世帯である。千葉県東部における事業所や工場等の就業の場や学校等が集中することから、昼間人口比率は県内5位と高く[52]、2022年(令和4年)度における銚子市への通勤通学者は、茨城県神栖市、千葉県旭市、東庄町、香取市の順で多い[53]。
銚子市では「銚子市しごと・ひと・まち創生総合戦略」を策定し、生産基盤の整備、人材育成、創業支援、洋上風力発電施設の誘致、シティプロモーションの推進、移住・定住の促進、子育てサービスの充実、地域包含ケアシステムの構築、長期滞在・交流型ワーケーション推進等の施策を進めており、取組にあたっては銚子市総合戦略検証委員会を設置して効果検証を行っている[54]。また、「銚子市地域公共交通計画」及び「銚子市立地適正化計画」を策定し、人口減少社会に対応した多極ネットワーク型コンパクトシティの構築を目指している[24]。
- 年齢区分別人口(令和2年国勢調査)
- 総数(年齢不詳を含む) 58431人
- 世帯数 25544世帯
- 年少人口(0〜14歳) 4470人(7.7%)
- 生産年齢人口(15〜64歳) 31241人(53.5%)
- 老年人口(65歳以上) 22053人(37.7%)
- 不詳 667人(1.1%)
- 15歳以上就業人口(平成27年国勢調査)
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銚子市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 銚子市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 銚子市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
銚子市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
隣接自治体
歴史
要約
視点
地名の由来

元は「銚子口」と呼ばれていた。「銚子」は、小さな注ぎ口を持つ酒器で、元々は生薬を煎じるのに使われた土瓶ややかんの類[注 2]。入口が狭く、中に入るとより広い空間が拡がる利根川河口の地形がよく似ているため、この地名がついたとされる。
「銚子」という名が使われるようになったのは江戸時代(1700年頃)以降であり、それ以前は「飯沼」あるいは「三前」と呼ばれていた。「銚子」が行政区画名として町名に使われたのは、1889年(明治22年)4月1日に市制町村制が施行されてからである。
先史時代の銚子
銚子半島に人間が暮らし始めたのは、約1万5千~2万3千年前の旧石器時代といわれている。水域や下総台地に近く、それぞれの場所の豊かな恵みを得やすい環境にあり、数千年もの長い間狩猟と漁労を中心とした生活が営まれていた。粟島台遺跡や余山貝塚の出土品から当時の様子が伺い知ることができ、出土する縄文土器や石器から、東北地方や西関東等をはじめとする他地域との交易も読み取れる。
中世海上氏と都市の起源
古墳時代の銚子周辺は、現在の霞ケ浦一帯に香取の海と呼ばれる内海が広がり、「古事記」などに記されている下海上国造の支配下で、海上郡に属していた。当地域を治める支配者たちは、香取の海を眼下に望む沿岸に古墳を造営した。現在、市内で把握されている最も規模が大きな古墳は、全長約35m、高さ約4mを測る前方後円墳の野尻1号墳で、この古墳を含む野尻古墳群には前方後円墳1基、円墳8基、方墳3基が確認されている。
平安時代に入り、武士が勃興するころになると、平忠常の子孫である豪族千葉氏の庶流である東氏(庶家、千葉六党)及び海上氏(庶家)が銚子地方を領有するようになり、建久年間に千葉常衡が海上与市を名のり、銚子地方の支配拠点として船木郷に中島城を築城したといわれている。室町時代になると、関東では新興勢力の後北条氏が覇を唱えるようになり、千葉氏とその一門である海上氏もこれに服属するに至った。そして安土桃山時代、後北条氏は天下統一を志す豊臣秀吉によって小田原城に滅亡し、千葉氏一門も共に滅亡した。
飯沼観音の名前で親しまれている円福寺は、728年(神亀5年)に漁夫が海中から引き揚げた十一面観音像を安置したのが始まりといわれ、海上氏の帰依も厚く、坂東三十三箇所二十七番札所に指定された。巡礼者や納経者が諸国から集まるようになると次第に門前町が形成され、室町時代末期になると旅籠や茶屋、遊女屋等が立ち並ぶようになり、現在の銚子の都市的起源となった[55]。
374年(応安7年)の「海夫注文」(香取文書)には香取の海の南に位置した飯沼・荒野・垣根・野尻・森戸・笹本の津が書上げられている。津(船舶の停泊地)には地頭の支配下に海夫が居住し、魚介を供菜物として香取神宮に納めていた。また津は商品の積み下ろし地でもあり、1560年(永禄3年)には 九十九里方面からの塩荷が船木・野尻宿に下ろされるなど、船木や高田にも津ができ香取の海を舞台とする人々が活動していた。
銚子の海岸には、源義経が兄頼朝に追われ奥州に逃れる途中、一千騎を引き連れて洞窟にこもったと伝えられている千騎ヶ岩や外川浦から船で奥州へ逃れた後、浜に残された愛犬が義経を慕って7日7晩吠え続け、最後は岩になってしまったという犬岩、馬糞池等、義経にまつわる伝説が残されている。
利根川東遷と銚子の発展

1590年(天正18年)、徳川家康の関東入国に伴い、松平伊昌が飯沼2000石を与えられ、銚子地域に知行した。江戸時代には現在の銚子市域は香取郡6村と海上郡35村から成り、その土地の多くは幕府領や旗本知行地であった。1709年(宝永6年)には高崎藩領に、1717年(享保2年)には幕府領となり、再び高崎藩領となった。その後、銚子は江戸の発展に伴い交通の要地として経済上・軍事上重要度を増していき、明治に至るまで幕府直系の親藩である高崎藩の手に委ねられた。飯沼には陣屋が置かれ、郡奉行1名と代官2名が駐在した。
徳川家康は江戸市中を水害から守り、新田開発を行うため1621年(元和7年)から利根川の東遷事業を命じた。幾度もの改修工事を経て寛永年間(1624年~1643年)に現在の流路に整えられ、江戸と銚子を結ぶ内陸水運路が開けた。1670年(寛文10年)、江戸幕府は河村瑞軒に命じて奥州の幕府直轄領から城米を江戸に輸送する東廻り航路を開発し、太平洋沿岸の主要な湊を立務場に指定、銚子もその一つとなった。これが契機となり、銚子は東廻り海運で運ばれてきた東北諸藩の産米や北海道の海産物を高瀬船に積み換え、利根川水運で江戸へ運ぶ物流基地となった。東北方面からの廻船の多くが利根川水運を利用したのは、従来の外海回り(房州回り)航路より安全で迅速であったためである。外洋利用者の寄港もあり、銚子は「東国一の港」と称され、江戸の外港として繁栄した。銚子湊は飯沼、新生、荒野、今宮、松本、本城、長塚、 松岸の8ケ村に渡り、その中心を担っていたのは飯沼から今宮の4ケ村である。特に荒野村には幕府や諸藩公認の御穀宿、各藩直系の藩蔵、民間船の世話をする船問屋、それより小規模な船宿等が整備され、幕末期には仙台、米沢、笠間等各藩の米蔵が7棟建ち並び、仙台河岸と称されていた。利根川を上下する高瀬船は飯沼49、高田38、野尻41の128隻を数え、飯沼村の廻船問屋は10軒余に及んだ。
陸上交通としては多古銚子道と銚子道があった。多古銚子道は銚子街道とも呼ばれ、延宝期までには成立し、商いの道として銚子地域と江戸を結んでいた。銚子道は木下河岸から飯沼村まで利根川に沿って走り、利根川水運の補助的な交通路として発達しつつ、沿線の村々とを結ぶ生活道路でもあったと考えられ、飯沼観音までの道程を示す石柱の道標も見られる。
地場産業の発達

徳川家康の関東入国は、西と東の経済的交流を大幅に促進した。銚子にも諸国から人々が入り込むようになるが、その主要勢力の一つが紀州漁民である。漁業の新天地を求めていた彼らは、正保年代から新漁法を携えてこの地に来、半農半漁的な地元漁業を開拓し、漁業を銚子の主要産業にまで成長させた。始めは季節的な出稼ぎであったが、次第に定住するようになり、あるいはまた漁業から商工業に転ずる者もあって、銚子の商工業の発展に寄与することとなった。1656年(明暦2年)に銚子へ渡った﨑山治郎右衛門は、1658年(万治元年)に外川浦に移住し、築港や碁盤目状の街区整備、「紀州堀」と称される大井戸掘削等、画期的な都市計画事業を実施し、僅か20年で「外川千軒大繁盛」といわれるほどの繁栄を築いた。漁法は正保・慶安期の間に任せ網から八手網に代わり、漁獲された鰯は食用にされるよりも、そのまま乾燥させた干鰯や煮て圧搾した〆粕へと加工された。干鰯は近世農業における最高の金肥であり、関西地方で栽培される綿花の肥料として需要が増大していた。川口神社から東側の浜辺一帯には干鰯場が広がっていたという。また〆粕の製造過程では灯火用の魚油がとれた。これらの流通の過程では仲買・問屋が生まれ、漁業生産に関連して造船業や漁網製造業も発達した。
紀州からは漁業だけではなく、醤油醸造の技術ももたらされた。1616年(元和2年)に銚子の豪農で干鰯生産に携わっていた3代田中玄蕃が西宮の海産物問屋である真宜九郎右衛門から醤油醸造の技術を伝授され、銚子の地で醤油醸造を開始した。現在のヒゲタ醤油である。また、1645年(正保2年)には紀州広村出身の濱口儀兵衛がヤマサ醤油の前身である広屋を創業している。温暖湿潤な気候であり、原料の大豆・麦・塩の生産地が近く、更に大消費地である江戸と利根川水運により結びついたこと等、好条件に恵まれた銚子の醤油は「地廻り醤油」と呼ばれ、味も江戸庶民の嗜好に合わせた関東風の濃口醤油へと改良したことで需要を高め、元禄期に銚子の主要産業へと成長した。醸造業者はいずれも富裕で豪商というべき者も多く、文政年間には20軒があった。幕末期の1864年(元治元年)には銚子のヤマサ、山十、ヒゲタ、ジガミサを含む関東醤油7印が江戸幕府から最上醤油として認められた[56]。
犬吠埼周辺や長崎海岸を中心に愛宕山中腹で採掘された砂岩は「銚子石」と呼ばれて古くは砥石や墓石、供養塔に用いられた。1856年(安政3年)には江戸へ3万斤送られた記録が残っている。
正保・寛文期に海運関連業と漁業が勃興した銚子は、元禄期に入ると醤油醸造の産業化という新しい要素を加えて、享保年間(1716年〜1736年)に至るまでに農村から東国屈指の港湾都市へと急速な発展を遂げた。人口についても飯沼・新生・荒野・今宮の4村だけで1万3千余を擁し、一般の農村の人口とは1桁違っていた。戦前の旧市域でみれば優に2万人を超える人々が生活していたと思われる。文化・文政期にはその他商工業も盛んになり、これらの人々の衣食住や健康・娯楽あるいは教養・文化を支える様々な業種も発達した。医療について見ると、1752年(宝暦2年)の飯沼村の医師数は13人で、医師1人当たりの人口は570人である。1956年(昭和31年)の全国統計では人口834人に対して医師1人の割合であるから、当時の銚子における都市化の進展が窺える。1841年(天保12年)銚子に遊んだ漢学者安川柳渓は今宮付近から飯沼観音に至る道筋を「市中の賑ひ、あきびとの見世棚、すき間もなくうちつづき、十まちばかりも来つらんが」と描写している。江戸末期の銚子の人口は江戸、水戸に次いで関東3位であり、下総・上総を合わせた中では第1位であった。
文人墨客の来遊

経済力を蓄えた銚子の有力商人は、利根川を通じた江戸との商いの中で江戸に支店を構え頻繁に江戸と銚子を往来し、文化人と交流した。海産物問屋・御殻宿として巨富を成した行方屋の大里庄治郎は自ら俳諧に親しんで俳号を桂丸とし、夏目成美や小林一茶を銚子の自邸に招いて句会を開いた。江戸の豪商古帳庵も銚子を訪れ「ほととぎす銚子は国のとっぱずれ」という有名な句を残している。このような交流の中で次第に銚子は江戸で流布していき、更に旅行案内書も出版されたことで文化・文政期には江戸からの身近な旅行先として多くの学者や文人墨客、江戸庶民が物見遊山に訪れた。木下河岸から出航する木下茶船は東国三社詣の遊覧船として人気を博し、乗客は東国三社詣の後利根川を下り、銚子の磯巡りと称して飯沼観音を始めとした寺社や海岸の奇岩、断崖、白砂、青松、怒涛等変化に富んだ明媚な風光を賞で清遊した。利根川河畔の松岸、本城、田中は花街として盛況を極めた。歌川広重作「六十余州名所図会」には「下総銚子の濱 外浦」と題して名洗濱が富士見の名所として描かれている。来銚した人々と在郷の知識人や経済人との交流によって銚子への江戸文化の流入と地域文化の醸成がもたらされた。銚子では宮内嘉長開創の「守学塾」等、幕末から明治にかけて私塾が相次いで立ち、各村には寺子屋も開かれ、市内には筆子塚が見られる。
信仰と祭祀
かつての利根川河口は付近は川幅が狭いうえに水面下に岩礁が多く、波高の高い三角波により、当時の船頭歌で「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良子渡合が恐ろしや」とうたわれ日本三大難所の一つに数えられていた。1614年(慶長19年)には鹿島灘方面へ出漁中であった漁師の多くが溺死した[57]。利根川河口付近に築かれた「千人塚」は水難で命を落とした人々の慰霊の場所で、かつてはこの塚の上で焚火をして帰りが遅い漁師の目印にしたと言われる。銚子には「銚子の川口てんでんしのぎ」という言葉もあり、川口の難所では自分の船を守るだけで精一杯という厳しい状況であった。出船入船を望む高台にある川口神社は銚子港の守り神として漁業者からの信仰が篤く、毎年旧暦6月15日には大漁と航行の安全を祈願して大潮祭りが行われる。
銚子大漁節
1864年(元治元年)春、銚子では未曾有の豊漁が続き、港はイワシの銀鱗で埋め尽くされた。この豊漁を祝うため大漁祭を催すことになり、飯貝根の網元網代久三郎と飯沼の松本旭江と俳諧師石毛利兵衛の三人が、松本家の離れ座敷・夏蔭庵に集って歌詞を合作し、常磐津師匠遊蝶が作曲、清元師匠きん子が振付して「銚子大漁節」が作られ、川口神社に奉納された。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は「漁師の数え歌」として英訳し、海外に紹介している。
- 銚子大漁節
- 一つとせ 一番ずつに積み立てて 川口押し込む大矢声 この大漁船
- 二つとせ 二間の沖から外川まで 続いて寄り来る大鰯 この大漁船
- 三つとせ 皆一同に招をあげ 通わせ船の賑やかさ この大漁船
- 四つとせ 夜昼焚いても焚き余る 三杯一丁の大鰯 この大漁船
- 五つとせ いつ来てみても干鰯場は あき間もすき間も更になし この大漁船
- 六つとせ 六つから六つまで粕割が 大割小割で手に追われ この大漁船
- 七つとせ 名高き利根川高瀬船 粕や油を積み送る この大漁船
- 八つとせ 八手の沖合若衆が 万祝揃えて宮参り この大漁船
- 九つとせ この浦守る川口の 明神ご利益あらわせる この大漁船
- 十とせ 十を重ねて百となり 千を飛びこす万漁年 この大漁船
文明開化と犬吠埼灯台

幕末、銚子には異国船打払令による海岸防備のため、川口、長崎、高神に砲台が設置された。1864年(元治元年)には水戸藩士による天狗党事件が起こり、1868年(慶応4年)、榎本武揚が率いる旧幕府軍の艦隊8隻が函館に向かう途中で暴風雨にあい、その内の1隻である美加保丸が黒生沖で座礁・沈没、13名が死亡する等、幕末の銚子は騒然たる様相を呈した。ヤマサ醤油7代目当主濱口梧陵は銚子で開業していた医師関寛斎と共に銚子でのコレラ防疫と治療に尽力した他、佐久間象山、勝海舟、福澤諭吉らと活発に交流した。自分の田に火を放って津波の襲来を村人に知らせた「稲むらの火」の逸話でも知られる。1869年(明治2年)に銚子は宮谷県の管轄となり、県庁は大網白里に置かれ、飯沼陣屋に支庁が置かれた。1872年(明治5年)に新治県に編入されたが、1875年(明治8年)に廃されて千葉県となった。
新政府が推進する文明開化の波は銚子にも及び、西洋文明を採り入れた新施設の建設が相次いだが、その先駆けとなったのが犬吠埼灯台であった。日本における西洋式灯台の建設は江戸幕府が西欧4ケ国と締結した改税約書第11条に始まる。明治に入り条約灯台が次々に稼働するようになると、新政府は灯台は船舶の航海安全のため、条約に取り決めた数にかかわらず外国人と協議の上で灯台を建設することとした。これにより横浜・北米航路間の貿易船に対して必要な箇所として、犬吠埼の断崖に西洋型第1等灯台を建設することが決定した。建設はイギリス人技師のリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計・監督の下に進められた。建材中最も多量に必要とした煉瓦は、 ブラントンは日本製は品質粗悪であるとしてイギリス製を使用すべきとしたが、 当時イギリス製の煉瓦は非常に高価であった。このため日本人技師の中沢孝政は日本製の使用を主張、良質の粘土を求めて利根川を遡り、新治県香取郡高岡村に良質の土を発見し、日本製煉瓦の完成に腐心した結果、 外国製に遜色のない優良な煉瓦を完成させた。灯台・付属舎・宿舎には19万3千枚の煉瓦が使用された。地震が多い日本において煉瓦構造を支えるため二重壁構造や帯鉄を挿入するなど、当時の先進的技術が取り入れられて1874年(明治7年)に初点灯し、新時代の到来を告げた。犬吠埼灯台には毎日のように200人ほどの見物人が各地から訪れたと伝えられている。同時に濃霧時や降雪で灯台の光が遠方まで届かない折に音で船舶に灯台の位置を伝える霧信号所も設置され、30秒毎に5秒の霧笛を鳴らしていた。かまぼこ型屋根の霧笛舎には創業間もない官営八幡製鉄所製の鉄が使用されている。
1886年(明治19年)には地元有志が私立銚子測候所を開設。1908年(明治41年)には逓信省が日本最初の無線交信基地である銚子無線電信局を開局し、横浜からシアトルへ向けて航行中の丹後丸が受信した。これが海岸局と船舶局との間における日本最初の無線電報とされている。敷地内には約70mの鉄製の柱が聳え、犬吠埼灯台と共に銚子の誇りとなっていた。
交通・産業の近代化

明治維新により幕藩体制は崩壊し、その上に成り立っていた東北地方と江戸を結ぶ海運は急速に衰退、東北諸藩からの廻船やそれに関係する物資船舶の往来は途絶した。一方、利根川水運は明治以降も残り、1874年(明治7年)に高瀬船に代わり蒸気船がいち早く導入され、利根川水運の一層の利便化が図られた。1881年(明治14年)には銚子汽船株式会社が設立され、蒸気船による銚子-東京間の定期航路が開かれ、銚子丸を始めとする7隻の外輪船が利根川を上下するようになった。そして1897年(明治30年)に佐倉-銚子間の総武本線が開通して東京の本所と結ばれた。1900年(明治33年)には駅東側に新生貨物駅が新設された。
鉄道網の整備は鮮魚消費市場の飛躍的な拡大をもたらし、明治末期には漁船の動力化が始まり、その後大型化や漁具・漁船等の改善も加わって漁業の近代化が進んだ。いわし漁は八手網からあぐり網での漁となり、さんま漁やかつお漁、まぐろ漁も盛んとなった。また、漁業に関連して造船業・鉄工業・製網業・撚糸業・漁船用発動機製作・水産加工業も発展し、銚子は水産業を基幹産業として再び発展の道を歩み出した。
当時国内最大規模にあった醤油醸造業では、1893年(明治26年)にヤマサ醤油10代目当主濱口梧洞が国内初の醤油研究所を開設し、手工業的な要素が強かった製造方法の近代化に取り組んだ。また市内の各醤油醸造業者も機械化・工業化に取り組み、生産の効率化が図られた。
銚子では江戸時代中頃から甘藷栽培が盛んとなっていたが、1889年(明治22年)に本銚子町の石橋重兵衛が蘇我町から講師を招き、澱粉作りを習得して以降は、甘藷を原材料とした澱粉生産が増加していった。当初は小規模で農業の副業という程度であったが、有力な農家によって製造工場が相次いで建設され、1907年(明治40年)に27軒であった澱粉製造業者は1914年(大正3年)には67軒と急増し、大正時代前期までに醤油醸造業に次ぐ一大産業へと成長した。
こうした産業の発展に伴って大手銀行支店の進出、地元銀行の設立等、金融機関の開設も多くなり、1914年(大正3年)には8行を数えるに至った。国や県の出先諸官庁も設置され、銚子は千葉県東部における政治・経済の中心都市としての機能を備えていった。1889年(明治22年)、町村制にともない、飯沼村が本銚子町と改称、荒野、新生、今宮の3村が合併し銚子町に、また、長塚、松本、本城の3村が合併し伊豆原村と改称したのち1891年(明治24年)に西銚子町となった。
避暑地としての歴史

犬吠埼周辺は景勝地として古くから著名であったが、明治初期、西洋から健康増進のために海水浴が効果的であるという考え方が導入されて酉明浦一帯が海水浴場として開かれ、灯台見物と相俟って犬吠埼は一大観光地へと発展した。1885年(明治18年)には銚子の有力者が潮湯治客を相手にした海水浴旅館として暁雞館を創業した。以来銚子の迎賓館として皇族や政治家、財界人、文人墨客が数多く宿泊した。
1912年(大正元年)夏には、暁雞館に宿泊していた高村光太郎が長沼智恵子と出会った。光太郎は智恵子を以前から知っており、この夏の犬吠埼で2人の間に強い繋がりが生まれた。詩集「智恵子抄」に付されている「智恵子の半生」にこの夏のことが書かれている。
丁度明治天皇様崩御の後、私は犬吠へ写生に出かけた。その時別の宿に彼女が妹さんと一人の親友と一緒に来ていて又会った。後に彼女は私の宿へ来て滞在し、一緒に散歩したり食事したり写生したりした。様子が変に見えたものか、宿の女中が一人必ず私達二人の散歩を監視するためついて来た。心中しかねないと見たらしい。智恵子が後日語る所によると、その時若もし私が何か無理な事でも言い出すような事があったら、彼女は即座に入水して死ぬつもりだったという事であった。私はそんな事は知らなかったが、此の宿の滞在中に見た彼女の清純な態度と、無欲な素朴な気質と、限りなきその自然への愛とに強く打たれた。君が浜の浜防風を喜ぶ彼女はまったく子供であった。しかし又私は入浴の時、隣の風呂場に居る彼女を偶然に目にして、何だか運命のつながりが二人の間にあるのではないかという予感をふと感じた。
この出会いの後智恵子は熱烈な手紙を書き送り、光太郎も「此の人の外に心を託すべき女性は無いと思ふやうに」なって、やがて結婚した。
暁雞館の南側にはかつて海水浴旅館の「水明楼」があり、明治を風靡した文豪の一人、徳富蘆花は「枕を撼かす濤声に夢を破られ、起って戸を開きぬ。時は明治二十九年十一月四日の早暁、場所は銚子の水明楼にして、楼下は直ちに大東洋なり。」に始まる「自然と人生」の一編「大海の出日」において、水明楼から見た太平洋に昇る日の出を、華麗で緊迫した文語体で微細に描き出した。「自然と人生」は当時のベストセラーとなり、自然を見る新しい目は旧来の花鳥風月の美意識を覆した。特に「雑木林」と「大海の出日」は明治の青年に衝撃を与え、犬吠埼の日の出へと人々を誘った。
こうした状況の中、伏見宮家別邸の用地として犬吠埼の地が選定され、1904年(明治37年)に瑞鶴荘が建設されている。敷地には主屋、茶室、潮見亭、撞球場などの建物があり、これらの建物や庭園は海岸の風景を借景とした設計がなされていた。伏見宮貞愛親王は66歳で没するまで毎年避暑や避寒のため銚子を訪れ、瑞鶴荘に滞在したとされる。
総武鉄道株式会社は銚子から外川への路線延長を計画し、1901年(明治34年)に免許を取得したが、用地取得の失敗により敷設を断念し、1904年(明治37年)に工事は中止された。その後、1909年(明治42年)に濱口吉兵衛、13代田中玄蕃、小野田周斎ら地元財界人が銚子人車鉄道の計画を申請したが、1912年(明治45年)には人車よりも輸送力の大きい、銚子・犬吠埼間を結ぶ本格的な蒸気鉄道敷設の申請へと転換した。この申請は政府の免許を受け、1913年(大正2年)に銚子遊覧鉄道株式会社が設立され、同年12月に銚子—犬吠間が開業した。しかし収支は毎年度赤字が続き、政府補助金の交付を受けて辛うじて黒字経営を保っていた。1914年(大正3年)に勃発した第一次世界大戦の影響で鉄鋼類の価格が高騰すると、遊覧鉄道はレールや車両を売却して利益を得る方針を採り、1917年(大正6年)に開業から僅か4年で廃止された。残った旧線路用地は暁雞館自動車部の宿泊客送迎用バスの専用道路として利用された。
その後、1921年(大正10年)に旧遊覧鉄道発起人により再度、銚子鉄道の敷設願いが提出され、1922年(大正11年)に免許を取得、1923年(大正12年)に外川まで延伸、開通した。銚子鉄道の路線のうち銚子・犬吠間は遊覧鉄道の旧路線をそのまま使用し、犬吠・外川間は新たに延長したものである。当初使用していたガソリン機関車は故障続きであったため1925年(大正14年)には電化開業している。
このように犬吠埼周辺の観光開発の気運が盛り上がっていた中、銚子鉄道の出資者で、仙台出身の資本家であった武田辰之助は銚子に移住後、1921年(大正10年)頃、海鹿島を保健別荘地区として開発造成して売り出した。海鹿島の名は沖の岩礁に明治時代まで見られたというアシカに由来し、大小無数の岩礁が作り出す明媚な風光が文人を魅了した。
大正浪漫を代表する叙情画家である竹久夢二は、海鹿島を訪れた際に次の詩を作っている。
- 宵待草
- 待てど暮せど来ぬ人を
- 宵待草のやるせなさ
- 今宵は月も出ぬさうな
竹久夢二は1910年(明治43年)夏に海鹿島を訪れ、宮下旅館に間借りをした。夢二はそのとき隣家の次女であった長谷川賢を見そめ、彼女を散歩に誘い出すことに成功した。海鹿島の松林の中には犬吠埼灯台へ行く白い路が延びており、夢二はここを通い路と名付け、逢瀬を重ねた。夢二は翌年再び海鹿島を訪れたが、賢はすでに鹿児島の教師のもとへ嫁入りをしていた。この詩は、夢二が失望のあまり当てもなく海鹿島海岸をさまよっていた時、海岸に咲き乱れる宵待草によせてわが身の悲恋をうたったものである。原詩は今の3行詩の形に改められて、1923年(大正12年)発行の「どんたく」に掲載された。これにヴァイオリン奏者・多忠亮がメロディーをつけて、一世を風靡した。
河童の絵で有名な日本画家の小川芋銭は、1923年(大正12年)、後援者であった篠目八郎兵衛の勧めにより、海鹿島海岸の高台にある篠目別荘で休息した。芋銭は逗留中に「樹間如水人如魚」や「水魅戯」を描き、海鹿島海岸に魅せられた。翌年、海鹿島を再度訪れた芋銭は篠目別荘を「潮光庵」と名付けて半年間逗留し、その後も毎年のように来て、多くの名作を描いた。1933年(昭和8年)、芋銭は皇太子明仁親王の誕生を賀して、次の句を詠んでいる。
- 大海を飛び出づる如と初日乃出
- 銚子灘朝暾
女流作家平林たい子は大正末期に短い期間であったが文学仲間と銚子で流浪の日々を送ったことがあり、そのときのことを自伝小説「砂漠の花」に書いている。銚子に流れてきたときの平林たい子はプロレタリア文学を志しており、同行の仲間はアナーキスト・グループの仲間で、海鹿島の別荘を借りて滞在していた。彼女は銚子のレストラン「巽軒」で働いていたが、これと前後して、同じ女流作家の林芙美子も近くの「第二仙松軒」というカフェーで女給をしていたことがあった。林芙美子は1940年(昭和15年)に君ヶ浜の杉山平助別荘に泊まり、潮騒に眠りを妨げられるまま壁面に「激しく寝がへを打ちてかへりゆく波のうねり、犬吠の岬に来て何も忘れ果てたり」と鉛筆で書きつけたと伝えるが、建物は失われた。
この他、銚子には明治から昭和にかけて、島崎藤村、与謝野晶子、若山牧水、佐藤晴夫、高浜虚子、久米正雄、前田夕暮、田山花袋、尾崎紅葉、吉田絃二郎、窪田空穂、大町桂月、斎藤茂吉、岡倉天心、中里介山、内田百閒、ノーマン・メイラーら数多くの文人、歌人が訪れている。
また、銚子は国木田独歩を始め、「大日本国語辞典」を刊行した国語学者の松井簡治、画家で詩人の宮崎丈二、講談社専務取締役を勤めた尾張真之介らの文学者を輩出している。
財団法人公正会
1925年(大正14年)、ヤマサ醤油10代目当主濱口梧桐は学校教育における人物養成の不完全性に目を注ぎ、人物養成のために、私財30万円を投じて財団法人公正会を設立した。「公正」という名前には、私事を捨て大衆を基とし、最も公平に正しく運営するという理念が込められているとされた。翌年には住民のための図書館、勤労青少年を対象とする補修的な夜間学校及び集会場を併せ持つ公益的な施設として、公正会館を開館した。鉄筋コンクリート2階建ての瀟洒な建物で、低い石の柵に囲まれた植込みのある前庭がゆっくりと取られ、銚子における文化の殿堂として、市中の盛り場とは違った香り高い雰囲気をかもし出した。 1階は図書館・教室・事務室、2階は約500人収容のステージ付き大ホールになっており、会館では講堂と呼んだ。
図書館は閲覧室が3室あり、蔵書は開館時400冊で、文学書の他「国史大系」や「続群書類従」「広文庫」「史料綜覧」等の学術書も多くあった。その他、開架式の閲覧方法や館外貸出しも利用者に大きな利便を提供し、銚子の文化の向上に裨益するところが大であった。公正学院は働く青少年に中等学校程度の教育を施そうというもので、今日の定時制高校に相当した。公正会主催の事業は講演会、講座、展覧会、音楽会、芸能会その他多数で、講演会には各界一流の人々が中央から招かれた。当時の講師の揮毫帖を見ると、作家でいえば巖谷小波・菊池寛・舟橋聖一等のクラスが来銚している。会場は常にほとんど満員で、銚子にも知的に飢えた人々が多かったと見ることができ、その欲求にこたえた事業の意義は大きかった。こうした催しの他に、公正文化会や公正母の会、あるいは子供会・読書会というような会員制グループ活動も推進していた。このような活動を創意し展開できたのは、東京帝国大学出身の文学士であった初代館長兼学院長の小山文太郎の功績によるところが大きい。
1945年(昭和20年)3月の銚子空襲により街は壊滅的な被害を受けたが、この建物は奇跡的に残り、臨時病院として使用された。1948年(昭和23年)、公正会は施設一切を市に寄付して解散し、20年余にわたる歴史に終止符を打った。寄付後の公正会館は銚子市公正市民館及び銚子市公正図書館となった。「公正」の名をとどめたのは、財団法人公正会とその創立者濱口梧桐を永く記念するためである。
近代漁港の建設

江戸時代の銚子港は主として商港として興り商港として発展したもので、漁業根拠地たることは二次的なものでしかなかった。明治維新によって幕藩体制が崩壊すると、従来の藩を中心にした物資の流通に大きな変化が起こって東廻り海運は急速に衰退した。また、鉄道が発達すると河川を利用していた運輸も衰え、昭和初期までに銚子港の商港機能は全く失われることとなった。この頃我が国の漁業は漁船の動力化・大型化と漁法の改良によって沿岸漁業から沖合漁業への発展期にあり、銚子港は全面的にその根拠地として大きく機能するようになった。しかし大正期に入っても銚子港の形態はほとんど天然のままの河口港であり、僅かに沿岸の海岸のところどころに防波用の合掌枠や桟橋が設けられていた程度であった。港口の出入りには危険が伴い、漁船の遭難が繰り返されていた。そのうえ港といっても接岸できる岸壁はなく、漁船は岸を離れた深みに停泊し、陸とは伝馬船で連絡する状態であった。その陸上にも漁港施設はあまりなかった。そこで近代的な漁港を建設して航行の危険を除くとともに、施設の整備により地元船ばかりでなく廻船を誘致し、銚子の新たな発展の基盤にしようとしたのである。折しも銚子沖が全国屈指の漁場であることが分かり、岩手県・宮城県・和歌山県にいたる各地から多くの漁船が集まるようになり、銚子港は東部太平洋岸の主要漁業基地として認識されつつあった。
このため築港事業は漁業関係者の一致した認識となり、1919年(大正8年)には具体的な実現運動に発展した。その結果政府も銚子港の重要性を認め、我が国の水産業の発展という大局的な見地から一大整備を行うこととなった。銚子醤油株式会社社長の濱口吉兵衛[58]は、代議士の立場から築港の促進を図るため衆議院議員選挙に立候補して当選し、在任中、政党を動かして議会や政府に働きかけた。当初の計画による銚子漁港の規模は外港・中港・内港を有する壮大なもので、外港は夫婦ヶ鼻東方に突き出す北防波堤と黒生北方に建設する南防波堤で囲み、これと河口側の内港は運河を掘って結ぶというものであった。工事は1923年(大正12年)度から10か年継続とし、総工事費1千万円を千葉県の他に将来銚子漁港を利用する東京・神奈川・静岡・愛知・三重・宮城・福島・茨城の各府県で分担することとなった。しかし各府県の財政事情によりこの案は廃され、国庫補助金500万円に県下の寄付金、魚市場の売上等を合わせて、千葉県単独で実施することとなった。これに至るまでには、銚子町選出の県会議員小野田周斎の努力があった。
だが予想外の問題が起こって、事態は頓挫してしまった。起債の許可と工事施行の認可が容易に下りようとしなかったのである。これらの許認可は内務省の所管であったが、利根川河口の沿岸を埋め立てたり、河中に堤防等を構築することは治水上重大な影響を及ぼすとして、農商務省の設計による築港工事を認めようとしなかった。両省の意見の食い違いは、事が科学的・技術的な問題であるだけに容易に解決を見ることができず、折から1923年(大正12年)に関東大震災が発生して国はその対策に追われ、事業開始は遅れるばかりであった。銚子はその将来に関わる重大な問題であるだけに、衆議院議員選挙に再出馬して当選した濱口吉兵衛や香取郡から再選された今井健彦を動かし、内務省や農商務省に働きかけた。その労が実り、1925年(大正14年)、部分的に第二船溜まりの工事が認可された。
起工式は1925年(大正14年)11月21日に飯沼魚市場において挙行され、全市挙げての祝賀提灯行列が開催された。ここに銚子近代化の最初の槌音が高く鳴り響いたのである。工事には当時としては新鋭のドイツ製の浚渫船や杭打ち船が配置されて、新生・飯沼町地先のさざ波が寄せる天然の岸辺は広大な埋立地に生まれ変わっていった。だが他の工事は依然として認可に至らず、県は大幅に計画を変更して外港・中港・航路の建設を取り止め、その代わりに龍ノ口と一の島間に防波堤を構築し、内港に新たに第三船溜まりを設けることとした。この計画変更と工事施行は1932年(昭和7年)にほぼ全面的に認可され、銚子の長年の宿願が果たされた。そしてこの年から、工事は第一船溜まり・外港へと延びていった。なお、この年には既に埋め立ての成った第二船溜まり後背地に東洋一を誇る新魚市場が完成した。この魚市場は戦後の1965年(昭和40年)まで、銚子漁港の中心施設として大きな役割を果たした。1934年(昭和9年)度からは埋立地を貫通する延長5500mに及ぶ臨港道路の建設が始まり、銚子漁港の大動脈となった。これらの築港工事により、かつてさざ波が打ち寄せる砂浜であった利根川河畔は、車や人が激しく行き交い、岸壁には大小無数の漁船がマストを林立させる近代的な漁港へと変貌していった。
沿革
海上郡銚子町 | C | 銚子市 | ||||||||||||
海上郡本銚子町 | ||||||||||||||
海上郡伊豆原村 | B | 海上郡西銚子町 | ||||||||||||
海上郡豊浦村 | ||||||||||||||
海上郡高神村 | D | |||||||||||||
海上郡海上村 | ||||||||||||||
海上郡船木村 | E | |||||||||||||
海上郡椎芝村 | A | 海上郡椎柴村 | ||||||||||||
香取郡豊里村 | F | |||||||||||||
海上郡豊岡村 | G | |||||||||||||
市制施行前
銚子市政の歩み
- 1933年(昭和8年)
- 1937年(昭和12年)
- 1938年(昭和13年)
- 11月1日 - 市上水道給水開始。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 銚子市立銚子高等学校、銚子市立銚子女子高等学校開校。
- 1950年(昭和25年)
- 6月17日 - 市営野球場開場。
- 1952年(昭和27年)
- 6月27日 - 名洗避難港工事開始。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 7月27日 - 酉明浦に長崎海水浴場開場。
- 1959年(昭和34年)
- 4月1日 - 銚子市立わかば学園開設。
- 1960年(昭和35年)
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 8月3日 - 銚子漁港修築工事起工。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 8月13日 - 銚子市体育館開館。
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 11月6日 - 銚子漁港新航路開通。
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 10月1日 - 銚子本通郵便局開局。
- 8月19日 - 千葉県立銚子商業高等学校野球部、夏の全国高等学校野球選手権大会で全国優勝。
- 11月1日 - 日本国有鉄道総武本線・成田線電化。
- 12月1日 - 銚子有料道路全線開通。
- 1975年(昭和50年)
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 11月12日 - 第一回東総サミット開催。
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)
- 4月22日 - 芦崎高齢者いこいセンター開設。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 1999年 (平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 3月25日 - 銚子市ワークセンター完成。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 4月1日 - 千葉科学大学マリーナキャンパス供用開始。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震発生。銚子市では、震度5強の揺れと最大波2.5メートルの津波を観測。
- 5月6日 - 河岸公園全面供用開始。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
- 2015年(平成27年)
- 2016年 (平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 1月24日 - 新消防庁舎完成。
- 2018年 (平成30年)
- 2019年(平成31年)
- 2020年 (令和2年)
- 2021年(令和3年)
- 4月1日 - 銚子市立銚子西中学校開校。
行政区域変遷
- 変遷の年表
銚子市市域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 現銚子市町域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の町村がそれぞれ発足。[59] |
1891年(明治24年) | 1月26日 | 椎芝村は改称し椎柴村になる。 |
8月14日 | 伊豆原村は町制施行・改称し西銚子町になる。 | |
1933年(昭和8年) | 2月11日 | 銚子町・本銚子町・西銚子町・豊浦村が合併し銚子市が発足。 |
1937年(昭和12年) | 2月11日 | 高神村・海上村は銚子市に編入。 |
1954年(昭和29年) | 3月31日 | 豊岡村の一部(塙と八木の一部)が飯岡町と三川村と合併し、飯岡町が発足。 |
4月1日 | 船木村・椎柴村は銚子市に編入。 | |
1955年(昭和30年) | 2月11日 | 香取郡豊里村は銚子市に編入。 |
1956年(昭和31年) | 4月10日[矛盾][矛盾] | 豊岡村は銚子市に編入。 |
1958年(昭和33年) | 飯岡町の一部(三川の一部)は銚子市に編入。 |
- 変遷表
銚子市市域の変遷表(※細かな境界の変遷は省略) | |||||||
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1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
海上郡 | 新生村 | 銚子町 | 銚子町 | 昭和8年2月11日 銚子市 |
銚子市 | 銚子市 | |
荒野村 | |||||||
今宮村 | |||||||
飯沼村 | 本銚子町 | 本銚子町 | |||||
松本村 | 伊豆原村 | 明治24年8月14日 西銚子町に 町制改称 | |||||
本城村 | |||||||
長塚村 | |||||||
小川戸村 | 豊浦村 | 豊浦村 | |||||
辺田村 | |||||||
三崎村 | |||||||
高神村 | 高神村 | 高神村 | 昭和12年2月11日 銚子市に編入 | ||||
松岸村 | 海上村 | 海上村 | |||||
垣根村 | |||||||
四日市場村 | |||||||
余山村 | |||||||
柴崎村 | |||||||
高野村 | |||||||
三宅村 | |||||||
赤塚村 | |||||||
高田村 | 船木村 | 船木村 | 昭和29年4月1日 銚子市に編入 | ||||
芦崎村 | |||||||
岡野台村 | |||||||
船木台村 | |||||||
三門村 | |||||||
中島村 | |||||||
正明寺村 | |||||||
野尻村 | 椎芝村 | 明治24年1月26日 椎柴村に改称 | |||||
小船木村 | |||||||
塚本村 | |||||||
忍村 | |||||||
猿田村 | |||||||
小浜村 | 豊岡村 の一部 |
豊岡村の一部 | 昭和31年7月1日 銚子市に編入 | ||||
親田村 | |||||||
常世田村 | |||||||
八木村の一部 | |||||||
香取郡 | 下桜井村 | 豊里村 | 豊里村 | 昭和30年2月11日 銚子市に編入 | |||
富川村 | |||||||
下森戸村 | |||||||
諸持村 | |||||||
宮原村 | |||||||
東笹本村 |
政治
要約
視点
施策
次世代エネルギー産業

銚子市沖は、年平均風速7.0メートル毎秒以上と風況に恵まれているほか、水深20〜30メートルの遠浅の海が続き、着床式洋上風力発電の導入に適した自然環境となっている。2020年(令和2年)7月21日、銚子市南沖合の海域(3948.7ヘクタール)が「海洋再生可能エネルギー発電設備の整備に係る海域の利用の促進に関する法律」(再エネ海域利用法)に基づく促進区域に指定され、2021年(令和3年)12月には、促進区域における洋上風力発電事業者として、三菱商事株式会社等のコンソーシアム「千葉銚子オフショアウィンド」が選定された。促進区域に隣接する名洗港について、港湾管理者である千葉県は、洋上風力発電事業の建設補助・維持管理の拠点港湾としての活用に加え、風車景観とジオパークが調和したエコツーリズム拠点の形成等を目指し、港湾計画の改訂を行った。銚子市、銚子市漁業協同組合及び銚子商工会議所では、2020年(令和2年)9月16日に「銚子協同事業オフショアウインドサービス株式会社」(C-COWS)を共同設立し、洋上風力発電による経済波及効果を長期間にわたって地域に還元するための体制構築を進めている。こうした中、銚子市は2021年(令和3年)2月16日、2050年(令和32年)までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロとする「ゼロカーボンシティ」を表明し、取組の方針や地域の特性を活かした実効性の高い再生可能エネルギーの導入目標、カーボンニュートラルの構築につながる取組を盛り込んだ「銚子市ゼロカーボンビジョン」を策定した。市はこの計画に基づき、地域新電力「銚子電力株式会社」と連携した再生可能エネルギーの地産地消システム(マイクログリッド)の構築、ICTを活用した漁場の可視化や藻場の育成による海洋環境の保全、AI(人工知能)やロボットを活用したスマート農業の推進、災害時の移動電源としても活用されるEV・PHEV・FCVの市内導入、都市緑化やブルーカーボン生態系による二酸化炭素吸収源対策等を進め、豊かな自然環境と共生したエネルギー産業の先端都市の実現を目指している[60]。
子育て支援サービス

銚子市では、2020年(令和2年)度に「銚子で生まれ育ち良かったと思えるような地域で支える『子育てのまちづくり』」を基本理念とした「第2期銚子市子ども・子育て支援事業計画」を策定し、子育てファーストのまちづくりを推進している。銚子市子育て世代包括支援センター「すくサポ」は、妊娠時から子育て期にわたるまでの相談・支援等を提供する場として、銚子市保健福祉センター・すこやかなまなびの城に設置されている。「すくサポ」では、保健師・母子保健コーディネーター・子育てコンシェルジュ等の専門職が妊娠・出産・産後・子育てに関する相談等に応じるほか、家庭相談員が家庭における適切な児童の養育や児童福祉に関する相談に応じている[61]。また、市では生後4か月までの乳児のいる全家庭を訪問し、子育ての情報提供・不安や悩み等の相談を行う「こんにちは赤ちゃん訪問事業」(家庭訪問)を実施し、乳児の成長と育児の支援を図っている。銚子市保健福祉センター・すこやかなまなびの城では、3か月児、9か月児、1歳6か月児、3歳児を対象とした健康診査等を実施しているほか、予防接種や離乳食教室、虫歯予防教室等を開催している。市内では、子育て広場(1か所)、地域子育て支援センター(4か所)において保護者の相談や交流の支援を行うとともに、保育所(11か所)、放課後児童クラブ(11か所)等で働く保護者のサポートを実施している。このほか、銚子市では「ふるさと納税」受入額を活用して「銚子市子ども未来基金」を創設し、18歳までを対象とした子ども医療費助成、インフルエンザ予防接種助成、ファミリー・サポート・センター事業、産後ケア事業、出産・子育て応援ギフト(給付金)支給等を実施している。2024年(令和6年)度からは学校給食費の無償化を開始し、さらなる子育て支援サービスの充実を進めている[62]。
ワーケーション

銚子市は2017年(平成29年)度から、総務省委託事業として「お試しサテライトオフィスモデル事業」を実施した。豊富な観光資源・食資源・地場産業と都心からのアクセス利便性を活かしたサテライト・オフィス環境の整備、勤務形態に係る多様なニーズに応えるための多種多様なお試し勤務地の整備、地域事業者・人材との交流や観光・開発合宿による地域の魅力体験等により、産業・経済の活性化と若者のための「しごとづくり」を推進するものであった。行政担当職員、地元事業者、再委託事業者が個別に有する都市部企業とのネットワーク等を最大限に活用したことで、順調にお試し勤務企業数を伸ばし、企業数は計48件と目標値を大幅に上回った。IT系・コンサルティング系企業のほか、シェアオフィス運営、流通業、製造業、音楽・アニメ製作等、その業種は多岐にわたった。SNSを駆使したお試し勤務状況のリアルタイム配信のほか、地元事業UJIターンのマッチングを促す特設サイト「Seeゴトバ」の構築等、デジタル的なアプローチの充実も、多くのお試し勤務企業の確保につながった。銚子市では、お試し勤務企業を通じて2社のサテライト・オフィス進出企業を確保した。東京から電車で1本というアクセス利便性に加え、銚子市が有する独自の地域資源、さらにはそれを運営・管理する地元団体を巻き込んでお試し勤務の誘引を行ったことが、これらの企業確保の大きな要因であった[63]。また、市独自の企業誘致の施策として、2017年(平成29年)3月から「銚子市企業立地等促進事業補助金制度」を実施し、銚子市に進出する企業に対し、固定資産税相当額の補助や雇用創出に応じた補助金を交付している。また、工場の建替等、一定規模以上の規模の再投資を行う既存企業に対しても補助金の交付を実施している。
市役所

- 銚子市役所:銚子市若宮町1番地の1
銚子市庁舎は、1973年(昭和48年)11月19日に着工し、1975年(昭和50年)に竣工した。新市庁舎の建設に当たっては、市庁舎は住民自治の本拠であるとの考え方から、市民の利益を本位とする市民サービスセンターとして、市民から親しみをもって利用されることが建設の重点に置かれた。庁舎は鉄筋コンクリート造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造)地上8階、地下1階建で、庁舎棟、議会棟、付属棟の3棟から構成されている。市民窓口は庁舎棟の下層階に配置され、模写電送装置、コンピュータの導入により、窓口事務処理の合理化とスピード化が図られた。また、庁舎棟1階には各種相談の窓口としての市民相談センターが設置され、議会棟1階には市民との対話の場として市民ホール、展示ホールが設けられた。議場をはじめ議会関係の室は議会棟の2・3階に配置され、傍聴席のほかに、市民ホールにモニターテレビを設置して市議会の傍聴者が多数の場合の便宜を図っている。2022年(令和4年)度には、災害発生時の拠点施設としての機能維持を図るため、SRF工法による耐震補強工事が実施された。
出張所
出張所は、市町村がその権限に属する事務を分掌させるため、必要な地に設ける出先機関であり、銚子市では2か所の出張所を設けている。
- 銚子市役所豊里出張所
- 銚子市役所豊岡出張所
行政計画
銚子市においては、1961年(昭和36年)に実施した「市勢振興調査」が、既存産業の一層の発展とあわせて大工業化、新産業創設を提起し、これを受けて「銚子市長期計画」が策定された。その後、「地方自治法」の改正にあわせて、1973年(昭和48年)6月に「銚子市基本構想」を定めて以後、様々な地域発展策を盛り込んだ基本構想を数次にわたって策定してきた。
- 銚子市長期計画:1966年(昭和41年)3月策定
- 銚子市基本構想「住みよい豊かな文化・産業都市」:1973年(昭和48年)6月策定
- 銚子市基本計画:1973年(昭和48年)6月策定
- 銚子市第2次基本計画:1978年(昭和53年)3月策定
- 銚子市総合計画基本構想「活力と魅力ある東総の中核都市」:1985年(昭和60年)6月策定
- 銚子市総合計画基本構想「銚子ルネッサンス2025」「ひとがときめき 海がきらめき 未来輝く都市(まち)」:2000年(平成12年)12月策定
- 銚子市総合計画基本構想・基本計画「握手~つながる まちづくりのちから~」:2019年(平成31年)3月策定
2015年(平成27年)10月には、国の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を踏まえた銚子版総合戦略として、5か年の基本戦略と具体的施策をまとめた「銚子市しごと・ひと・まち創生総合戦略」が策定された。「しごとづくり」を第1の目標とし、官民連携、異業種間連携、政策間連携を進めながら、市民をはじめとした多様な主体によるまちづくりを目指すものであった。また、人口ビジョンに掲げた成長戦略を実現し、人口の将来展望を達成するため、「稼ぐ力」所得アップ産業創出プロジェクト、郷土定着・移住促進プロジェクト、「まちの宝」子ども育成・高齢者健康活躍プロジェクト、地域力・市民力応援プロジェクトの4つの基本戦略が総合戦略の柱とされた[64]。
2019年(平成31年)3月には、総合戦略を含めた一体的な計画として「銚子市総合計画」が策定された。策定にあたっては、5回にわたる市民ワークショップが開催され、市民参加型の総合計画づくりが進められた。「握手~つながるまちづくりのちから~」が全体を貫くビジョンとされ、市民自治と協働の視点を強く盛り込んだ計画となった。また、生活者である市民の目線に立ち、生活と時間(ライフステージ)、生活と空間(コミュニティ)という2つの視点からまちづくりが捉えられた。重点プロジェクトとしては、銚子の強みを生かした雇用の創出、自然(再生可能)エネルギーの活用促進、質の高い子育て支援と文教都市の形成、多様な主体が支え合いながら安心して生活できる地域づくりの推進、広域幹線道路網の開通による道路ネットワークの確立が掲げられた。計画の期間は2019年(平成31年)度から2028年(令和10年)度までの10年間とされた[65]。
市長
市長は市の執行機関として、市を統轄代表し、市の事務を管理執行する地位にある。市長は住民の直接選挙により選出され、任期は4年である。市制施行以来の歴代銚子市長は以下の通りである。

- 歴代市長
- 川村芳次:1933年(昭和8年)5月14日 - 1945年(昭和20年)5月13日
- 大里庄治郎:1945年(昭和20年)5月14日 - 1946年(昭和21年)1月7日
- 加瀬道之助:1946年(昭和21年)2月12日 - 1951年(昭和26年)4月4日
- 嶋田隆:1951年(昭和26年)4月23日 - 1978年(昭和53年)8月19日
- 大内恭平:1978年(昭和53年)8月20日 - 1986年(昭和61年)8月19日
- 佐藤幹彦:1986年(昭和61年)8月20日 - 1994年(平成6年)8月19日
- 大川政武:1994年(平成6年)8月20日 - 2002年(平成14年)8月19日
- 野平匡邦:2002年(平成14年)8月20日 - 2006年(平成18年)8月19日
- 岡野俊昭:2006年(平成18年)8月20日 - 2009年(平成21年)3月29日
- 野平匡邦:2009年(平成21年)5月17日 - 2013年(平成25年)5月16日
- 越川信一:2013年(平成25年)5月17日 - 現職
行政組織
2024年(令和6年)4月1日現在の行政組織は以下の通りである[66]。
- 市長
- 副市長
- 秘書広報課
- 秘書広報室 - 秘書班 広報公聴班
- 公民事業連携室 - 公民連携事業班
- 企画課
- 企画室 - 企画調整班 政策推進班
- 情報政策室 - 情報政策班 情報システム班
- 洋上風力推進室 - 洋上風力推進班
- 財政課
- 財政室 - 財政改革班
- 管財室 - 資産管理班 契約検査班
- 総務課
- 行政民事暴力対策監
- 総務室 - 政策法務班 協働推進班
- 人事室 - 人事研修班 給与公正班
- 施設管理室 - 施設管理班
- 危機管理室 - 危機管理班
- 市民課
- 市民室 - 戸籍班 市民班
- 豊里出張所 豊岡出張所
- 保険年金室 - 国保給付班 後期高齢者医療班 国民年金班
- 税務課
- 課税室 - 市民税班 固定資産税班
- 債権管理室 - 債権管理班
- 社会福祉課
- 社会福祉室 - 社会班 保護班
- 障害支援室 - 給付管理班 給付事業班 相談支援班
- 子育て支援課 - 子育て支援班 保育班
- 第二保育所
- 第三保育所
- 高齢者福祉課 - 資格給付班 認定審査班 高齢者福祉班
- 健康づくり課
- 健康・地域医療推進室 - 保健総務班 病院事業班
- 保健事業室 - 健康づくり支援班 食の健康推進班 子ども家庭支援班
- 観光商工課
- 観光プロモーション室 - 観光振興班 ふるさと納税推進班
- 産業振興室 - 商工労政班 消費生活班
- 消費生活センター
- 水産課 - 水産班 漁政班
- 農産課 - 農業振興班 基盤整備班
- 都市整備課
- 都市整備室 - 都市計画班 建築住宅班 空家対策班
- 土木室 - 土木管理班 土木工務藩
- 生活環境課 - 清掃美化班 環境衛生班 施設班
- 秘書広報課
- 会計管理者(会計課) 会計班
- 消防長(消防本部)
- 消防総務課 - 総務班 警防班
- 予防課 - 予防班
- 消防署 - 庶務班 予防班 警防班 機械班 救助班 救急班 通信情報班
- 東部分署
- 西部分署
- 水道局
- 管理室 - 管理班 経理班
- 工務室 - 配水班 給与装置班 建設班
- 本城浄水場 - 浄水班 水質班
- 下水道室 - 下水道管理班 下水道工務班
- 芦崎終末処理場
- 副市長
- 市議会 - 事務局 - 庶務班 議事班
- 教育委員会
- 選挙管理委員会 - 事務局 - 選挙班
- 監査委員 - 事務局 - 監査班
- 農業委員会 - 事務局 - 農地農政班
- 固定資産評価審査委員会
財政
銚子市一般会計の歳入決算額において、費目別比率の大きい順にみると、市税、地方交付税、国県支出金又は市債の順である。2021年(令和3年)度では、自主財源の多くを占める市税が78.4億円であるのに対し、依存財源は地方交付税57.4億円、国庫支出金51.7億円、市債22.1億円、県支出金15.7億円となっている。銚子市一般会計歳出決算額における費目別比率は、民生費、総務費、教育費、公債費、衛生費、消防費、土木費の順となっている。歳出の性質別分類は、行政経費の性質に従った分類で、財政運営の状況や特色を判断するために用いられる。2021年(令和3年)度においては、扶助費56.4億円、人件費54.4億円、公債費30億円である。義務的経費は140.7億円であり、物件費、維持補修費、補助費等を加えた経常的経費は195.4億円となっている。物件費は業務委託料等、維持補修費は学校施設、廃棄物処理施設、市営住宅、道路、河川の補修・維持等の費用、補助費等では公営企業会計補助等がその主な内容である。投資的経費は21.3億円である。特別会計は、2021年(令和3年)度においては、国民健康保険事業、介護保険事業及び後期高齢者医療事業の3会計となっている。地方公営企業は、2021年(令和3年)度において、水道事業及び病院事業の2事業で、それぞれ事業ごとに特別会計を設置している[67]。なお、銚子市の財政力指数は0.61(令和3年度)であり、千葉県東部地域において最も高い財政力を有している[68]。
- 銚子市の財政(令和5年度当初予算)
名誉市民

銚子市名誉市民は、1956年(昭和31年)1月12日公布・施行の「銚子市名誉市民条例」に基づき、本市の市民又は本市の関係者で広く社会文化の興隆に功績が卓絶であった者の功績をたたえるとともに市民の社会文化興隆に対する意欲の高揚を図るための顕彰制度である。
銚子市民憲章
1970年(昭和45年)3月市議会定例会において、市民から募集した草案98点からの入賞作品を基に作成した「銚子市民憲章」が市長から提案された。この議案は満場一致をもって可決され、同年4月1日からの施行となった。提案理由は、銚子市民であることの誇りと自覚を持ち、銚子市将来の目標をかかげ、これを実践し、健康で明るい文化都市をきづくため、というものであった。
- 銚子市民憲章
洋々とした大海原、雄大な流れの利根川。漁業の町として、祖先のたゆまぬ努力によって栄えてきたわが銚子市は、あらたに近代都市として、力強くはばたこうとしています。わたくしたちは、この美しい郷土を守り育て、市民として誇りをもって生活できるようにするために、わたくしたちの願いをこめて、この憲章を定めます。
一 仕事をたいせつにし、明るく元気に働きます。
一 老人やこどもをいたわり、人に親切にします。
一 自然を愛し、町をきれいにします。
一 教養を高め、心を豊かにします。
一 力を合わせ、交通安全につとめます。
都市宣言
銚子市においては、1962年(昭和37年)以降、7つの都市宣言を行ってきた。
銚子市紋章
銚子市紋章は市制施行を記念して、紋章図案を懸賞募集し、応募総数1127点の中から最終決定し、1934年(昭和9年)1月15日に市会の議決を経て、同日告示された。制定にあたっては、銚子市は本邦東端に位置し、旭日仰ぐは最も早く、即ち市の発展性は旭日と共に力強く、その増大を意味して紋章は之を象徴することとし、旭日を中心にその周囲を丁四(銚子)にて輪郭図案化せるものなり、とされた。
銚子市歌
銚子市歌は懸賞募集し応募総数267点の中から三軒町山崎晋道作詞を一等として採用し、1936年(昭和11年)1月27日に市会議決のうえ、同日告示第2号をもって告示された。
- 銚子市歌
一 阪東太郎洋々と 太平洋にそそぐところ 四季に絶えせぬ海の幸 市民の意気はさかんなり 銚子、銚子、吾等の銚子
二 潮花咲く磯つづき 観光の美に富めるところ 犬吠埼の灯台は 文化の光世を照らす 銚子、銚子、吾等の銚子
三 遠く元和の昔より 醤油の香の匂ふところ 水産業の発展は 伸びゆく力世に示す 銚子、銚子、吾等の銚子
銚子市の木・花・魚
1983年(昭和58年)2月11日、市制施行50周年を記念して、銚子市の木に「さざんか」、銚子市の花に「おおまつよいぐさ」が指定された。いずれも銚子市の風土に適し、市のシンボルにふさわしく、市民に愛され、まちの美化緑化にも役立つような木と花として、市民投票を経て選ばれたものである。2003年(平成15年)2月11日には、市制施行70周年を記念して、銚子市の魚に「いわし」が指定された。
- 銚子市の木「さざんか」 : 1983年(昭和58年)2月11日指定
- 銚子市の花「おおまつよいぐさ」 : 1983年(昭和58年)2月11日指定
- 銚子市の魚「いわし」 : 2003年(平成15年)2月11日指定
議会
銚子市議会
- 定数:18名
- 2023年(令和5年)5月1日〜2027年(令和9年)4月30日
- 議長:広野恭代(ひろのやすよ)みらい、1期
- 副議長:石上友寛(いしがみ ともひろ)新風、1期
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表) |
---|---|---|
市民クラブ | 4 | ◎地下誠幸、鎌倉金、石上允康、岩井文男 |
新和会 | 4 | ◎野平仁人、宮崎光子、桶谷範幸、石神嘉明 |
新風 | 3 | ◎池田健一、石上友寛、高根一芳 |
みらい | 2 | ◎釜谷藤男、広野恭代 |
公明党 | 2 | ◎加瀬栄子、塙保 |
立憲民主党 | 1 | ◎加瀬庫藏 |
日本共産党 | 1 | ◎笠原幸子 |
緑の会 | 1 | ◎工藤忠男 |
※2025年(令和7年)1月31日現在
千葉県議会
→詳細は「千葉県議会」を参照
- 選挙区:銚子市・香取郡東庄町で一つの選挙区をなす。
- 定数:2名
- 任期:2023年(令和5年)5月1日 - 2027年(令和9年)4月29日
- 2015年(平成27年)、2019年(令和元年)、2023年(令和5年)と無投票。
※2025年(令和7年)1月31日現在
国政
国家機関
国家機関
- 法務省
- 財務省
- 厚生労働省
- 千葉労働局銚子労働基準監督署
- 千葉労働局銚子公共職業安定所
- 国土交通省
- 海上保安庁第三管区海上保安本部銚子海上保安部
- 気象庁銚子地方気象台
- 利根川下流河川事務所銚子出張所
- 裁判所
- 銚子労働総合庁舎
県機関
- 千葉県海匝保健所(海匝健康福祉センター)
- 千葉県銚子児童相談所
- 千葉県銚子土木事務所
- 千葉県銚子水産事務所
- 千葉県銚子漁港事務所
- 千葉県水産総合研究センター流通加工研究室銚子分室
- 千葉県旭県税事務所銚子支所
- 千葉県北総教育事務所東総研修所
経済
要約
視点
産業

銚子市は豊かな自然環境と首都圏に位置する立地条件を活かし、水揚数量と水産物流通加工機能によって国内最大規模の水産業を中心として、生鮮野菜の一大供給基地となった農業、長い歴史と高度な技術力を有する水産加工業と醤油製造業、東総地域の中核としての役割を果たす商業、そして犬吠埼や屏風ヶ浦等の景勝地に恵まれた観光業等の複合産業都市として発展している。多角的でバランスの取れた産業構造が特徴であり、日本経済の好況・不況の影響を直ちに受ける度合いが少ない安定成長型の経済基盤を有している。2018年(平成30年)度の産業別就業者の割合を見ると、第一次産業に10.7パーセント、第二次産業に28.5パーセント、第三次産業に58.4パーセントが従事しており、1965年(昭和40年)と比較して第三次産業の割合が大きく拡大している[69]。
企業・組織
|
漁業
漁業は銚子市の経済を根本的に支える基幹産業である。銚子沖には水深200メートルの大陸棚が広がり、北からの親潮(寒流)、南からの黒潮(暖流)が交錯し、また、利根川からの有機物を含んだ真水の流入等により、全国屈指の好漁場が形成され、世界三大漁場の一つに数えられている。その漁業種類も網漁業・延縄漁業・釣り漁業と多種類で、銚子漁港は水産物の一大物流加工拠点である総合漁業基地として大きく飛躍してきた。戦後の銚子市における水場高は、イワシ、サンマ、サバの漁獲がその大半を占め、タイやヒラメ等の高級魚も漁獲されている。代表的漁業は、旋網漁業をはじめ、沖合底曳網漁業、カツオ・マグロ延縄漁業、大目流し網漁業、小型機船底曳網漁業、雑延縄漁業であり、銚子沖合を主漁場として沿岸・沖合漁業が周年操業されている。
2022年(令和4年)度の銚子漁港の水揚高は、数量23万7028トン(全国1位)、金額228億4840万円(全国4位)である。主要な魚種としては、マイワシ18万8105トン、サバ3万633トン、ブリ類5777トン、カツオ1824トン、ビンナガ1419トンとなっている[70]。特に、5月から7月にかけて水揚げされるマイワシは「入梅イワシ」と呼ばれている[71]。また、小型船による立縄漁業で漁獲されるキンメダイは「銚子つりきんめ」として千葉ブランド水産物第1号に認定され、ブランド力の向上と資源管理が図られている[72]。水揚量の約90パーセントが大中型の旋網漁業によるもので、これらの漁船の多くは他の漁港に属する廻船である。地元船以外の多くの廻船による銚子漁港への水揚げは、銚子市の経済にとって重要であることから、銚子市漁業協同組合は、市から補助を受けて、廻船誘致対策事業として船籍漁協訪問、新規漁船の入港誘致、入港漁船や廻船乗組員へのサービス提供等に努めている。銚子市では、2023年(令和5年)3月に策定された「銚子市ゼロカーボンビジョン」において、ICTを活用した漁場の可視化と漁業への活用、藻場の育成、船舶の脱炭素化の推進等を掲げている[60]。
海面漁業

銚子市の漁業種類は、海域で行われる海面漁業と河川・湖沼で行われる内水面漁業とに大別されるが、銚子市の漁業は海面漁業が主である。2018年(平成30年)の漁業センサスにおいては、海面漁業経営体が106経営体で、うち個人経営が97経営体、会社経営が8経営体、漁業生産組合経営が1経営体である。漁業種類別経営体を見ると、沖合底網漁業が3経営体、小型底網漁業が6経営体、大中型旋網漁業が6経営体、刺し網漁業3経営体、サンマ棒受網漁業4経営体、その他の網漁業4経営体、延縄漁業13経営体、釣り漁業70経営体、採貝・採藻4経営体、その他の漁業9経営体である[70]。
内水面漁業
銚子市における内水面漁業は主に利根川における漁業である。内水面漁業のほとんどが12月から4月を漁期とするシラスウナギ漁で、水揚量は全国有数である[70]。
漁港

銚子漁港は近世において東廻海運と利根川水運の中継港として発展した銚子港すなわち商港に始まり、明治期に入り、商港の機能が失われて漁港へと転換していった。この利根川の河口港を近代的な漁港として整備し、銚子における水産業発展の基盤とするため、銚子漁港修築促進運動が台頭し、1925年(大正14年)11月に第1期の漁港修築工事が開始された。以来、戦後の第3次漁港整備計画からは毎年継続して銚子漁港整備事業が実施され、銚子漁港は、国内最大の規模と機能を有する特定第3種漁港となっている。1969年(昭和44年)度からの国の第4次漁港整備計画においては、漁港機能施設として公共施設用地の埋立造成が盛り込まれ、その後の第5次以降の漁港整備計画においても引き続き実施されてきた。2022年(令和4年)度からは、千葉県による圏域総合水産基盤整備事業計画が進められている[73]。川口・黒生地区には、銚子漁港整備の進展と連動しながら、国庫補助事業として、計画的に漁港機能施設である水産物産地流通加工関係施設が建設されている。同地区には、水産加工団地、観光施設、水産物販売施設等も立地し、銚子市における漁業と関連産業の拠点となっている。
外川漁港は、江戸時代明暦年間に銚子に移住した紀州人崎山次郎右衛門によって開発された。大正時代に至るまでこの漁港は外川地区の漁業基地として大きな役割を果たしてきたが、漁船が動力化し大型化してきたことから、1922年(大正11年)以後、高神村が、のちに銚子市が漁港改修を重ねた。1969年(昭和44年)6月には、県営移管と第4次漁港整備計画への組み入れが実現した。外川漁港後育地の公共用地の埋立造成は1977年(昭和52年)度からの第6次漁港整備計画で着手され、その後、第8次、第9次の整備計画において実施された。この公共用地には、漁港機能施設としての水揚荷捌施設、製氷貯氷施設、漁村センター、漁船漁具保全施設等が整備されている。2002年(平成14年)度からは「漁港漁場整備法」に基づく広域漁港整備計画が進められている。
- 外川漁港
水産物流通と魚市場
銚子漁港に水揚げされた水産物のうち、マイワシは水場数量の36パーセントが生鮮、缶詰、その他食用加工品として、64パーセントが養殖用または漁業用飼料として出荷されている。サバは文化干し、フィレ、開干し、青切りが関東を中心に販売されている一方、塩蔵サバは関西の大都市への販売が多い。また、近年は、エジプト、ロシア、東アジア、東南アジア等へのサバの輸出が拡大している[70]。
- 銚子漁港魚市場
銚子漁港魚市場は、銚子漁港の築港に伴い、1924年(大正13年)1月に千葉県が従来の生魚商組合による10か所の魚市場と本銚子漁業組合による共同販売所を改修統合して開設され、千葉県水産株式会社がこれを借り受けて魚市場を開設した。当初は県有民営方式であったが、1972年(昭和47年)2月、千葉県が銚子漁港魚市場を銚子市漁業協同組合に払い下げたことで、民有民営方式が実現し、千葉県知事許可により「卸売市場法」に基づく地方卸売市場となった。午前7時から午後5時まで開市し、取引方法は入札方式で、市場手数料は3パーセントである。買受人は、鮮魚出荷業者、一般加工業者、冷凍業者、缶詰業者、練り製品業者、鮮魚小売業者の合計205人が登録されている。2014年(平成26年)度には、市場食堂、女性部活動拠点施設等を備えた高度衛生管理型の第1卸売市場が完成した[70]。さらに、2024年(令和6年)度には、高度衛生管理型の第3卸売市場の完成にあわせて、スマートフォンを使用した電子入札システムが導入された[73]。
- 銚子漁港 簡易荷捌場
- 外川漁港魚市場
外川漁港においては、戦前から、旋網漁業によるイワシの水揚げが行われていた。1950年(昭和25年)7月、千葉県が新設した新生魚市場の開設者として銚子市外川漁業協同組合を承認し、外川漁港を基地とする旋網漁船のイワシ、サンマがこの魚市場に水揚げされるようになった。その後、外川漁港修築の進展に伴って、銚子市外川漁業協同組合地方卸売市場の開設と卸売業務の知事許可を得て、1980年(昭和55年)4月にイワシ市場業務が開始されることとなった。その他の魚種については、戦前は魚商との直接取引、戦後は外川漁業協同組合による共同出荷で、ほとんどがタイ、ヒラメ等の活魚の市外出荷であった。その輸送は、酸素補給の活魚槽の専用トラックによる運送業者委託である。
- 銚子市漁業協同組合外川支所
銚子市漁業協同組合

漁業協同組合は、市町村やその内の一定地区を単位とする一般通常の組合を地区漁業協同組合と称し、銚子市では、沿海地区漁業協同組合として銚子市・銚子市外川・銚子市黒生・銚子市西の4漁業協同組合が、内水面漁業協同組合として下利根・中利根の2漁業協同組合があった。漁業を取り巻く環境変化のもとで、漁協合併による人的基盤の強化と組織の合理化、体質改善を目指すことが必要となり、1996年(平成8年)8月、銚子地区6漁協が対等合併した銚子市漁業協同組合が発足した。漁業協同組合が行う主な事業は、組合員への資金貸付、貯金等の受入、物資の供給、共同利用施設の経営、漁獲物の運搬・加工・保管・販売等である。また、漁業権の管理も主要な漁業協同組合の事業であり、知事の許可を受けた漁業権行使規則又は入漁権行使規則によってその管理を行う。
水産ポートセンター

水産ポートセンターは、千葉県を代表する水産都市銚子にふさわしい水産と観光を結びつけた新施設として、1991年(平成3年)6月23日にオープンした。千葉県の「ふるさと千葉五か年計画」に基づいて、千葉県が事業主体となる銚子ポートタワーと水産関係公共施設、第三セクターによる水産物卸売センターの3種の施設が銚子漁港を展望する高台に建設された。水産物卸売センター(ウオッセ21)は、銚子ポートタワーから空中歩道で連絡し、地元の専門業者による水産物、水産食品、地元産品の販売を行っている。なお、「ウオッセ21」の愛称は市民から公募したもので、ウオ(魚)+メッセ(市場)+21世紀の造語である。
農業

銚子市は肥沃な土壌と夏涼しく冬暖かい海洋性気候、京浜市場に近接する恵まれた立地条件を活用した各種野菜の生産と畜産が盛んで、県内有数の農業都市となっている。伸び続けている高い農業生産を支えているのは、560戸の専業農家を中心とした担い手と銚子野菜連合会をはじめとした各生産出荷組織である。毎年10人前後が新規就農者として就農して担い手も確保されており、露地野菜を中心に規模拡大が進む中、今後も首都圏等への食糧供給基地としての発展が見込まれている。
2015年(平成27年)において、銚子市の総耕地面積は2540ヘクタールで、うち水田面積は545ヘクタール、畑地面積は1990ヘクタールと約80パーセント近くが畑地であり、畑作中心の営農が展開されている。水田は利根川沿いの低地に住宅地と混在しながら、また台地間の谷津田として分布している。畑は平坦な台地地帯に形成されている。販売農家戸数は1007戸で、うち専業農家が560戸、第1種兼業農家が300戸、第2種兼業農家が147戸となっており、専業農家率は55.6パーセントと千葉県平均の30.6パーセントを大きく上回り、千葉県内トップとなっている。農家1戸当たりの経営耕地面積は230ヘクタールで、経営耕地面積別経営体数では300戸以上の農家が全体の24パーセントに相当する245戸を占め、年々1戸当たりの経営耕地面積規模は拡大している。土地改良事業等により畑が増加傾向にあり、また、灌漑排水事業により施設園芸が増加し、安定した農業経営の条件が整っている。こうした農業を支えるために、野菜予冷貯蔵施設や地域農業総合管理施設等が建設されてきた。
2014年(平成26年)における農業産出額は、県内トップクラスの268億円で、その内訳は野菜が152億円で全体の57パーセントを占め、次いで畜産が110億円、米が4億円となっている。産出額の高い主な品目としては、キャベツ、鶏卵、ダイコン、豚、トマト等が挙げられる。その他にも、メロン、スイカ、イチゴ、ニンジン、エダマメ等多品目の野菜が栽培され、2015年(平成27年)からは夏秋期の収入確保に青パパイヤの産地化へ向けた取り組みがなされている。農業は6次産業化による付加価値生産事業者が少なく、今後期待される食品加工産業分野である。
銚子市、JAちばみどり、海匝農業事務所、農林総合研究センターで構成する銚子市農業振興会議では、適切な栽培管理・病害虫防除の徹底等により、農産物の生産物・品質の向上に取り組んでいる。また、3ヘクタール以上の農家数が大幅に増加していることから、経営規模拡大に対応した農業経営の効率化、労働力の確保、ICTの活用等による農業振興を図っている。銚子市では、「銚子市ゼロカーボンビジョン」において、AI(人工知能)やロボットを活用したスマート農業の推進により、従業者の身体的負担を軽減し、経営の安定・効率化を図ることとしているほか、耕地・荒廃農地へのソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)の導入、農機具の脱炭素化の推進等を示している[60]。
主要農産物
キャベツ
銚子市では、1954年(昭和29年)、冬期の温暖な地区を対象にキャベツの早生品種の「富士早生新一号」の栽培を始めた。その後、各地区で栽培意欲が高まり、1957年(昭和32年)に「灯台印」銚子市蔬菜出荷組合連合会を結成し、集団栽培を開始した。その後、千葉県特産地、国の園芸特産地の指定を受け、続いて春キャベツと冬キャベツが国の産地指定を受けて、全国を代表する春系品種のキャベツ産地を形成している。当初は4月中旬から5月の収穫を目標とした作型であったが、3月から4月収穫の前進栽培が試みられるようになった。また、栽培が難しい厳寒期収穫には、耐寒性の強い品種が作付けされ、1月下旬から6月まで切れ目のない長期間の安定出荷をしている。冬の温暖な気候を利用して栽培されるため、主に市域東南部の海岸に面した台地上に作付けされている。春キャベツの生産量は日本一であり、銚子を代表するブランド野菜である[43]。
ダイコン
銚子地方では、明治初め頃から自家漬物用のダイコンの栽培が行われていた。1966年(昭和41年)に秋冬ダイコンが国の産地指定を受け、1977年(昭和52年)にはトンネル栽培が導入され、他産地も少なく有利性も高いために作付面積が増加した。また、1986年(昭和61年)2月に春ダイコンが国の産地指定を受け、温暖な気候により厳寒期でも栽培が可能で市場性も高いことから、露地栽培から集約的なトンネル栽培へと変わった。作付けは利根川沿いの内陸部に多く、全国屈指のダイコン産地となっている。
メロン
銚子市のメロン栽培は、品種比較試験の結果からアムスメロンが有望とされ、1977年(昭和52年)からトマトの裏作としてパイプハウス栽培が始められた。その後、作付面積の増加と作付けの分化により、ハウス栽培の早期出荷とトンネル栽培に二分されていった。品種構成では、アムス、クインシー、タカミの3品種となっている。銚子メロンは、組織活動、品質、栽培方法の統一等が市場や消費者から評価され、1987年(昭和62年)に「日本農業賞」を受賞している。
農業生産基盤
- 東総用水事業
東総用水事業は、利根川を水源として、下総台地の銚子市はじめ1市4町の農地2800ヘクタールへの灌漑用水と、銚子市はじめ2市4町の約20万人への水道用水の安定供給を行う多目的利水事業として構想された。1978年(昭和53年)3月に東庄町地内の幹線水路工事が着手され、東庄揚水機場工事、導水路工事、ファームポンド工事が進められた。あわせて、1980年(昭和55年)4月からは県営事業である灌漑排水事業、畑地帯総合土地改良事業が実施された。1984年(昭和59年)8月に通水開始され、最初に銚子市桜井地区31ヘクタールに通水された。公団営事業は1989年(平成元年)3月に竣工し、事業を完了した。
銚子市全域、東庄町南部、飯岡町、海上町東部における基幹農道の整備による生産流通の合理化が必要とされ、1994年(平成6年)2月に工事が着手し、2024年(令和6年)3月に全線開通した。千葉県の主体により整備され、銚子市長塚町を起点に新町を経由し、東庄町小南地先の主要地方道多古笹本線に接続する。
営農センター
- グリーンホーム銚子
1994年(平成6年)度からの2か年で新町に建設された。農業センター構想に基づく地域農業活動拠点の一つとして、特産物の鮮度保持と調整機能をあわせもつ国内最大級の予冷貯蔵施設を建設し、集出荷の効率化と有利な販売促進を図るものである。
- アグリタウン銚子
1996年(平成8年)度にグリーンホーム銚子と道路を隔てて建設された。農業生産から生産物販売までを1か所に集中した総合管理施設で、野菜生産地としての将来発展を展望して、営農生産指導・農業経営指導の充実、土壌分析による健全な土づくり、農業情報ネットワーク構築による情報発信、蓄積データによる営農指導、各種研修・講習会に活用される。
農業協同組合

戦前の農業団体としては「農業団体法」に基づく銚子市農業会があったが、戦後の1948年(昭和23年)4月に「農業協同組合法」等によって、銚子市農業会の財産を継承して新たに銚子市農業協同組合が設立された。1965年(昭和40年)2月には、銚子・船木・椎柴・豊里・豊岡農協が合併し、1968年(昭和43年)3月に銚子農業協同組合と改称した。その後、2001年(平成13年)1月に銚子、海上、旭、干潟、そうさの東総地区の5農業協同組合が合併した「ちばみどり農業協同組合」が発足し、正・准組合員数2万6548人、青果物販売高は日本一、年間総販売額330億円の大規模農協となっている。
工業
銚子市は事業所数、従業員数、現金給与額、原材料使用額、製造品出荷額等の総体において、東総地域最大の工業都市である[74]。銚子市の製造業の中で最も市の経済を支える重要な位置を占めるのは、水産加工業と醤油製造業を双璧とする食品製造業である。2018年(平成30年)においては、事業所数の約59.6パーセント、従業員数の77.8パーセント、製造品出荷額等の89.5パーセントと大きな比率を占め、食品工業都市の特色を反映している[48]。いずれも地域産業の域を脱し、全国的産業として発展している。食品製造業に続く業種は、飲料・たばこ・飼料、金属製品、鉄鋼、生産用機械、輸送用機械、繊維、汎用機械、印刷、ゴム、その他である[48]。工業用地としては、国道126号沿いの内陸部の小浜工業団地18.2ヘクタール、名洗港域内の臨海工業用地28.3ヘクタールが整備されているほか、銚子漁港外港部の川口・黒生地区で埋立造成が行われている。
醤油製造業

銚子市の醤油製造業は江戸時代の前期に始まる古い歴史を有し、銚子市における最も主要な産業の一つである。銚子市内の醤油製造業の全国シェアはヤマサ醤油、ヒゲタ醤油の大手2社を主に約2割を占め、銚子市内における企業としては別格の地位にある。2021年(令和3年)において、市内の150の製造業事業所による出荷額等の約14.6パーセントが醤油・食用アミノ酸を製造している5事業所によって生産され、市内全出荷額等の約36パーセントを占める水産加工関係とともに銚子市工業の基幹をなしている[48]。
関連加工品が多い醤油製造業では、特に近年、つゆ・たれ等の醤油加工調味料の開発・改良が進められるとともに、旨味調味料や出汁類が製造されている。国民の食品嗜好や需要の変化に対応して、醤油製造業から発展して関連企業を独立させ、主につゆ・たれ類や水産物佃煮(瓶詰・パック詰)等を製造販売している。また、醤油の付加価値商品化が図られており、多様多種な製品が生産されている。銚子市内で生産される醤油は、主として濃口醤油と薄口醤油であるが、その商品は多種多様で、特に濃口醤油は家庭用に限ってみてもヤマサ醤油、ヒゲタ醤油の2社の商品は20種類を超えている。
なお、ヤマサ醤油株式会社は1992年(平成4年)、アメリカ合衆国オレゴン州セーラム市に関連会社である「YAMASA CORPORATION U.S.A.」を設立し、1994年(平成6年)7月に工場を完成させ、アメリカ、カナダ、メキシコ等に製品を出荷している。
このほか、醤油製造会社では、蓄積された研究開発技術により核酸関連物質を利用した医薬品原料、食品添加物、化粧品原料、医薬品合成原料、研究用試薬、体外診断用医薬品、また、動物医薬用ワクチン、抗がん活性物質、抗ウイルス性物質、臨床検査薬、動物薬等の研究開発を進めている。
- ヒゲタ醤油銚子事務所
水産加工業
銚子市における水産加工業は、全市の製造業のうち最も主要な位置を占めて、醤油製造業とともに銚子市工業の基幹をなしている。2021年(令和3年)における銚子市の水産加工品の製造品出荷額等は607億7265万円で、冷凍水産食品278億8164万円、冷凍水産物259億5846円、塩干・塩蔵品30億1457万円、水産練製品13億1507万円が主要なものである[70]。
江戸期に肥料のイワシ搾粕生産を中心として発展した銚子市の水産加工業は、戦後、その主力が養殖飼料用の冷凍イワシに替わった。また、サンマ・サバ漁の発展に伴って、食用の一般加工品の原料が、イワシからサンマ、サバ、アジへと推移した。冷凍・冷蔵施設の普及・発展によって、市外・県外・国外からの移入・輸入による原料の長期保存が年間均等操業を可能とし、さらに最適時期の出荷までの製品の保存が可能となった。そして、このことが水産加工業者による原料売買という新しい流通形態を生じさせて、製造業経営における商業的要素が大きくなった。
原料の安定供給による年間均等操業と経営規模拡大に伴って、従業者の常時雇用制度に移るとともに、機械導入による省力化が進み、コンベア、フォークリフト、自動選別機、自動軽量機、自動割裁機等が導入された。また、1970年代から水産加工機器の発達は著しく、大型加工場が多かった銚子地域では冷凍・冷蔵施設の大型化が競って進められた。銚子市の水産加工業は、施設整備、経営近代化と原材料の移入・輸入等により、水産加工機能の集積度では日本有数の存在となり、銚子市製造業の首座にある。
原料として輸入魚のウエイトが高まってきた中で、1990年(平成2年)4月、銚子市の冷凍施設の保税上屋許可が得られて、原料の入手流通の合理化がさらに進められた。銚子市での水産加工原料としての冷凍サバ・冷凍サンマ等の輸入魚の量は増加傾向にある。また、水産関連事業者における工場設備では、独立行政法人日本貿易振興機構(JETRO)、独立行政法人中小企業基盤整備機構等の積極的な海外輸出に対応するため、HACCP認証加工設備を建設し、販路拡大を目指している。
冷凍冷蔵業・製氷業
銚子市における冷凍冷蔵業は、1924年(大正13年)、銚子製氷株式会社が製氷専門工場として生まれ、その後冷凍冷蔵工場として、1938年(昭和13年)に千葉県水産株式会社冷凍庫部が冷蔵10トンの能力をもって操業を開始したのを最初とする。戦後は水産加工業者による冷蔵庫の増設が進み、飛躍的な普及拡大を遂げた。
この中で、新しい営業形態としての冷凍業が盛んとなってきた。専業業者はなく、一般加工業者による兼業業務として行われている。主としてイワシ・サバ・サンマを加工原料・飼料用に自家の冷凍冷蔵庫に保存し、そのままの形で冷凍加工原料魚、冷凍飼料として出荷する。自家で冷凍するもののみでなく、他業者の冷蔵庫を利用する場合、既に冷凍済みのものを移入する場合、市内の他業者が冷凍したもの等を買入れる場合がある。出荷先は、加工原料については多くが市内業者で、市外でも銚子市近隣地であり、飼料については県外の養殖漁業者である。2018年(平成30年)における銚子市の冷凍冷蔵工場数は69、冷凍能力3402トン、冷蔵能力18万170トンと全国有数の規模となっている[70]。
氷は船積み用・鮮魚出荷用その他、水産業における必需品である。製氷は冷凍・冷蔵業務とは別個のもので、専門業者、漁業協同組合、水産業者の製氷工場で行われている。銚子市で最初に製氷を行ったのは日銚製氷株式会社の工場であった。2018年(平成30年)現在の銚子市の製氷工場数は7工場、製氷能力日産778トン、貯氷能力8150トンである[70]。製氷工場については、銚子市漁業協同組合が2001年(平成13年)度と2017年(平成29年)度に建設した製氷工場がある。
缶詰製造業
銚子市における缶詰製造の歴史は1879年(明治12年)に行われたイワシ油漬缶詰の試験製造に始まったが、企業としての缶詰生産は明治後期に本格化した。1906年(明治39年)のクジラ大漁に刺激されたクジラ大和煮缶詰製造を経て、昭和初期のイワシ豊漁に伴うイワシの大和煮・トマト漬、油漬製造の増加によって、銚子の缶詰事業は急激な発展を遂げた。戦後は、サバの豊漁と国内他地からの移入増加、イワシ水揚量の増加によって、輸出向けのサバ缶詰と多種多様な国内向け缶詰の生産が進んだ。1980年代以降は円高傾向が強まり、輸出向けから国内向けへと販路の転換を迫られることとなり、国内向け缶詰重視、他種兼業等の経営多角化が目指され、国内向けが約70パーセントとなった。近年は輸出量が増加し、2013年(平成25年)には国内約50パーセント、輸出約50パーセントとなっている。原料魚は、サバ、イワシ、サンマ、サケ等で、ほとんどを海外や他港からの移入によっている[70]。
肥飼料製造業
練製品製造業
銚子市における練製品製造業は、明治中葉から始まった。1930年代には業者数も増え、新製品開発も行われたが、終戦直後は統制経済と食糧事情の悪化により練製品需要が高まったため、さつま揚げを主にその生産は急増した。2021年(令和3年)における事業所数は4、製造品出荷額等は13億1507万円である[70]。種類としては半片、蒲鉾、鳴門、小魚を使った揚蒲鉾、イワシ・サバ等を原料とするつみれ等である。これら練製品は関東・東北を中心とする静岡以北に出荷されている。おでん種としての利用が多いため、冬期の生産量が増加する[70]。
その他の加工業
- ふかひれ
ふかひれはサメのひれを煮干しにしたものである。これを原料として中華料理の材料である金糸・銀糸が製造されている。
- 佃煮
佃煮類は、小規模な食料品加工業者によって製造されている。主なものはカツオ角煮である。
鉄工業
銚子市の鉄工業は、戦前、漁船用の内燃機関、澱粉製造機械、醤油工場関係の機械及び農機具等を製作していた。このうち最も主要部分を占めていたのは漁船用の内燃機関であった。戦後も製作や修理の中心となったのは漁船用の内燃機関で、ほとんどが焼玉エンジンであった。戦前の需要はほとんど地元の需要であったが、戦後は漁船用以外の需要がおき、市外へも出荷されるようになった。1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発すると、日本経済は特需景気により焼玉エンジンを使用する運搬船が急増し、銚子市の鉄工業界は好況を呈した。その後まもなく漁船のエンジンが焼玉エンジンからディーゼルエンジンへと変わったことで、大手機械メーカーへの系列化が進んだ。1970年(昭和45年)には、銚子市と千葉県開発公社の共同事業により、小浜工業団地(分譲面積6万7640平方メートル)の造成が行われ、41社が進出した。
造船業
造船業は銚子市の地場産業の一つである。江戸時代から明治初年までは、10トン未満の手漕ぎ漁船が盛んに造られていた。船大工の多くは関西出身者、特に紀州や伊勢の船大工によって占められていた。明治中期頃からは、機械船と称される大型漁船(20トンから100トン)の建造が盛んとなった。造船所は各所にあり、作業場は猪木船や伝馬船のような小舟を除いては、川岸や海岸の野天の砂浜であった。1970年代になると、銚子市にも鋼船の造船所が見られるようになり、従来の木船の造船所も強化プラスチック船に転換した。2021年(令和3年)における銚子市の造船所は松本町の2工場である[75]。
製網業
日本有数の漁港銚子には、それに附帯して漁務用の網や網の製造が発展してきた。1884年(明治17年)に漁業の副業として事業化され、大正期には大小の製縄業者が設立された。戦後はオートメーション化が進んでいる[76]。
籐製品
銚子で籐製品が製造されるようになったのは明治後期からで、大正から昭和にかけて主要な地場産業に成長した。籐製品の産地は全国でも少なく、銚子独特の産業であった。主なものは履物の籐表で、出荷先は中部地方や関西地方であった。籐表を編む作業は多く内職に出されたが、内職に従事したのは漁民家庭の主婦たちが多く、不漁時の生計の支えとした。戦後は伝統的な籐表のほかに、バックレスト、乳母車、スリッパ、椅子等も作られるようになった。その後、国民の生活様式が変わったことで籐表の需要は減少し、1970年代から布団叩き・枕・脱衣かご等、小物類への転換が始められた。また、三つ折り寝台や応接セット等も製造されている。
銚子縮
銚子縮は、綿糸に通常の何倍もの探りをかけて糊で固めた右撚りと左燃りの2種類の横糸を交互に織り込み、織り上がってから湯揉みすると、表面に細かなシボが表われ、独特の肌触りのよい丈夫な織物である。漁村波崎の家内手工業に端を発し、江戸時代から明治年中にかけて、その生地の堅牢さと染色の優雅さが好評を博して、広く一般に愛用された。「はやり糸銚子縮を着てお酌」という俳句も残る[70]。明治に入って新しい紡績機を装備して時勢に順応したが、昭和初期に生産が絶えた。戦後、常世田眞次郎が撚糸機械を導入して再興させ、1954年(昭和29年)12月に技術保持者として認定された。その後2代目の常世田秀雄を経て、2001年(平成13年)3月に3代目眞壱郎がその製作技術を継承している。1954年(昭和29年)には千葉県無形文化財に、1984年(昭和59年)には千葉県指定伝統的工芸品に指定された[77]。
瓦製造業
黒生海岸一帯には、数軒の瓦窯工場がある。これらの瓦製造は、江戸末期に越前(福井県)から移住した柳屋が最初であった。黒生に瓦製造が発達したのは、この地の粘土が良質で瓦に最適であったためである。黒生は古生代二畳紀に属する頁岩・硬砂岩・角岩・珪岩の露出地で、その内の頁岩が地下水の浸透と風化によって黒色粘土となっている。この粘土が焼成されると、極めて良質の瓦となり、かつて銚子瓦は三州瓦(三河国産出)に比肩するとうたわれた。戦後は原土が欠乏し、埼玉県等の他地方から取寄せるようになっている。
風力発電

銚子市内では、2001年(平成13年)9月に銚子屏風ヶ浦風力開発株式会社が風力発電機の運転を開始した。以後、市内には34基(銚子屏風ヶ浦風力開発6基、エムウインズ2基、銚子風力開発15基、くろしお風力発電2基、堀江商店1基、台町自然環境工ネルギー研究所1基、銚子ウインドファーム7基)の風力発電機が設置されている。その多くは1000キロワット以上の大型風車で、総出力は53560キロワットである。また、独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)と東京電力株式会社の共同により、日本初の洋上風力発電実証研究設備として、銚子市の南沖合3.1キロメートル、水深約11メートルの海域に着床式風力発電設備1基(出力2400キロワット・高さ126メートル)が設置されている。銚子市域で風力発電が進められるようになったのは、地域における平均風速や風向等の風況が風力発電に適していること、台地上には工作物建築の規制が強い自然公園区域指定がないこと、既存の送・配電線との系統連系がよいこと等によるものである。
- 銚子屏風ヶ浦風力開発
- 銚子屏風ヶ浦風力発電所 1500キロワット機(1基)
- 銚子小浜風力発電所 1500キロワット機(1基)
- 銚子風力開発
- 銚子風力発電所 1500キロワット機(9基)
- 八木風力発電所 1500キロワット機(6基)
- くろしお風力発電
- 銚子高田町風力発電所 1990キロワット機(1基)
- 椎柴風力発電所 1990キロワット機(5基)
- エムウインズ
- 銚子しおさい風力発電所 1500キロワット機(2基)
- 堀江商店
- 銚子新町風力発電所 1980キロワット機(1基)
- 台町自然環境エネルギー研究所
- 台町風力発電事業 640キロワット機(1基)
- 銚子ウィンドファーム
- 銚子ウィンドファーム 1500キロワット機(7基)
商業
銚子市は東総地域最大の商業都市であり、銚子商圏を形成する単独商圏都市である[78]。銚子市に住む消費者の地元購買率は75.5パーセント、他の市町村から銚子市への吸引人口は約6万3000人である[79]。卸売業はこれらの小売業に対する卸売り、あるいは市内の業者に業務用の原材料を売る卸売りであり、市外の小売業をも対象とする卸売業は醤油その他の食料品について少数である。銚子市の商業の特徴の一つは人口に比較して商店数が多いことである。このことは戦後一貫して変わっておらず、2019年(令和元年)においても、人口1000人あたりの銚子市の小売店数は千葉県内1位、飲食店数は同3位となっている[80]。
銚子は江戸時代に東廻海運と利根川水運の中継港となったことで、漁業・水産加工業や醤油醸造業等の生産活動とともに商業活動が盛んとなり、下総の中心都市として発展した。銚子の商圏は近隣農村から利根川対岸の茨城県鹿島郡に及び、江戸時代から銚子と東下村(波崎町)とを結ぶ渡船連絡が行われてきた。銚子市において、おおむね100店以上の小売店・飲食店が機能的に一体化している商業集積地区、いわゆる繁華街は銚子駅前、銚子銀座、田中町の3地区で、商業集積地区の事業所数が小売業全体に占める割合は58.3パーセントと県内3位の集積度である[81]。毎年8月に開催される「銚子みなとまつり」は、50年以上の歴史がある銚子の夏の風物詩であり、周辺地域からも多くの観客を集め、中心商店街は賑わいを見せる[82]。
2010年(平成22年)3月に開店したイオンモール銚子は、13万人、4万4000世帯を商圏とし、核店舗「イオン銚子店」、準核店舗「イオンシネマ銚子」、100の専門店で構成する東総地域最大規模の大型ショッピングセンターである。銚子市は、国道126号から県道愛宕山公園線が分岐する交差点の周辺地区を広域交流拠点として位置づけ、広域的な商圏を対象とした商業施設や良質なアミューズメント施設等の集積を促進している[83]。また、市とイオン株式会社は2010年(平成22年)に地域振興に関する包括提携協定を締結しており、その取組の一つとして、地域循環型電子マネー「WAON」を通じた地域貢献型カード「犬吠WAON」が発行されている[84]。
大規模小売店
銚子市においては、平成年代に入ってから郊外型店舗等の機能集積が進んだ。市内における大規模小売店舗立地法に基づく大規模小売店は以下の通りで、市外からのいわゆる外部資本がほとんどである[85]。
商店街
各地域の商店街振興の基盤となる主要道路整備は、平成に入ってから重点的に進められ、魅力ある商業空間の創出が図られた。また、道路整備事業にあわせて、安全快適な通行空間の確保、都市景観の向上、都市災害の防止等の観点から、電線管理者である東京電力株式会社による電線地中化計画が実施されている。
- 銚子駅前通りシンボルロード
銚子駅前通りは、戦災復興土地区画整理事業によって建設された、幅員36メートル、延長610メートルの地方都市としては例の少ない広幅員道路である。この道路をリゾート都市銚子の玄関口にふさわしく、海・黒潮・港をイメージした「シンボルロード」として整備することとなり、1989年(平成元年)度から駅前・ポケット広場の整備、歩道の青海波模様の舗装、電線類等の地中化、濃青の黒潮カラーのストリートファーニチャー設置、駅前モニュメントの設置等を進めて、1993年(平成5年)度に完成した。1997年(平成9年)3月にはアーチ型の商店街アーケードが新設された。銚子駅前商店街振興組合では、シンボルロードを利用したフリーマーケットを1994年(平成6年)4月以来定期的に開催している。銚子駅前には、銚子商工会議所青年部が1999年(平成11年)12月からイルミネーションの設置を開始し、毎年クリスマスの時期に点灯している。2014年(平成26年)12月19日には、経済産業省の地域商業自立促進事業の補助を受け、十字屋跡地に「銚子セレクト市場」がオープンした。
- JR銚子駅
- 銚子銀座通りココロード
銚子銀座通りは、漁港近く飯沼観音の門前町として、古くから銚子の中心的な商業地を形成してきた。1990年(平成2年)度・1991年(平成3年)度の2か年継続で、銚子銀座商店街振興組合が事業主体となって、県・市の補助によるふれあい商店街近代化事業が進められ、老朽化したアーケードの撤去、各店ごとのシェード設置、電線・電話線等の地下埋設、車・歩道の新装整備、側溝新設、ストリートファーニチャーの設置、セーフティスペースの設置等が実施された。通りの愛称は市民から公募して「ココロード銚子」と決められた。坂東三十三観音札所の門前町の賑わいを復活させるため、銚子銀座商店街振興組合では、毎週金曜日に「金曜市」を開催し、干物、惣菜、花等を販売している。また、2011年(平成23年)6月からは、毎月第4日曜日に軽トラックでの販売を中心とした「門前軽トラ市」を実施し、飲食、惣菜、雑貨、骨董品等を販売している。また、民間の「わくわく門前町プロジェクト」の一環として、商店街の空き店舗を活用した飲食店がオープンしている[86]。
- 飯沼観音仁王門
- 本通りマイロード
マイロード事業は、市道本通馬場町線のうち、既に整備済みの銚子銀座通りココロードと銚子駅前通りシンボルロードに接する460メートルについて、銚子市街の中心エリアを貫く交通軸としての道路整備を企図したものであった。工事着手は1993年(平成5年)度、道路歩道の擬石平板・自然石舗装、車道舗装、街路灯・信号街路灯の新設、植栽、電線類等の地中化を進め、1997年(平成9年)3月に完了した。この道路はかつて利根川に面した河岸道路で飯沼観音に通じ、銚子みなとまつりのみこしパレードの巡路となることから、みなと銚子のお祭り通りとして、特性を活かした個性ある道路整備が目指された。
銚子商工会議所

地域的な総合経済団体である銚子商工会議所は、千葉県で最初の商工会議所として1936年(昭和11年)12月1日に設立認可されたが、戦時中の「商工経済会法」によって解散し、銚子市には千葉県で唯一の商工経済会支部が置かれた。戦後、1946年(昭和21年)12月10日に民法法人である社団法人銚子商工会議所が設立され、1954年(昭和29年)2月1日に商工会議所法に基づく法人として改組された。銚子商工会議所では、2012年(平成24年)度から「ちょうしブランド推奨品」認定事業を実施している[87]。また、2014年(平成26年)度からは、同会議所の主催による「銚子創業スクール」を毎年開催し、独立開業に対する支援を行っている。
- ちょうしブランド推奨品
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金融機関
銚子市内の金融機関は、銀行支店5、中小企業等金融業である信用金庫本店・6支店、商工信用組合本店・6支店のほか、政府関係金融機関である郵便局、農林水産金融業である農業協同組合及び信用漁業協同組合連合会、貸金業、質屋等があり、千葉県東部から茨城県南部を含めた経済圏の中核を担っている。銀行については普通銀行が増加し、信用金庫及び信用組合の支店が増設され、また、貸金業等が昭和から平成にかけての時期に増加している。
- 銚子信用金庫本店
- 市内支店6店舗(外川支店・本城支店・橋本支店・松岸支店・船木椎柴支店・清川町支店)
- 市外支店21店舗(八日市場支店・飯岡支店・松尾支店・波崎支店・大原支店・勝浦支店・大多喜支店・茂原支店・鹿島支店・神栖支店・東金支店・東庄支店・土合支店・旭中央支店・横芝支店・海上支店・干潟支店・山田支店・千葉支店・佐倉支店・蓮沼支店)
- 銚子信用金庫外川支店
- 銚子信用金庫松岸支店
- 銚子商工信用組合本店
- 市内支店6店舗(新生支店・三崎支店・川口支店・愛宕支店・松岸支店・椎柴支店)
- 市外支店14店舗(東庄支店・小見川支店・佐原支店・飯岡支店・海上支店・旭支店・干潟支店・横芝支店・東金支店・九十九里支店・富里支店・八街支店・柏支店・松戸支店)
- 銚子商工信用組合松岸支店
- 銚子商工信用組合椎柴支店
- 千葉銀行銚子支店
- 常陽銀行銚子支店
- 千葉興業銀行銚子支店
- 京葉銀行銚子支店
- 中央労働金庫銚子支店
- ちばみどり農業協同組合(銚子支店・海上支店・椎柴支店・豊岡支店・船木出張所・豊里出張所)
- 東日本信用漁業協同組合連合会銚子営業所
対外関係
- 姉妹都市・提携都市
施設
要約
視点
警察
銚子市警察は「警察法」施行前の1947年(昭和22年)11月から試験的に発足し、翌年から警察署の機構・施設等が警備されたが、6年半後の1954年(昭和29年)6月30日をもって廃止され、千葉県警察に移管となった。1954年(昭和29年)7月施行の新「警察法」により、千葉県銚子警察署が発足した。管轄区域は銚子市全域、職員定数は合計約100人である[88]。
警察署
交番・駐在所
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- 銚子駅前交番
- 犬吠埼駐在所
- 外川駐在所
消防

消防組織法により、消防事務については市町村の責任とされ、これを処理するための機関として、常備消防である消防本部・消防署及び非常備の消防団を設置している。消防事務の責任者である消防長のもと、消防本部と消防署(分遣所含む)に大別され、職員113人、20台の消防車両をもって消防事務に携わっている。なお、消防本部・消防署の庁舎は、2017年(平成29年)1月、唐子町の鉄筋コンクリート造3階建ての新庁舎に移転した。
消防本部
銚子市消防本部は、1949年(昭和29年)1月1日施行の「銚子市消防組織条例」に基づいて銚子市役所内に設置された。千葉市、市川市に続き県内3番目の消防本部であった。消防本部は、消防総務課及び予防課の2課15人で構成され、主に予算、人事、施設管理等の総務事務に加え、消防団事務や教急業務高度化推進に係る消防事務、並びに消防関係法令に基づく危険物規制事務や消防設備関係事務をはじめ火災予防に関する専門的な事務を担当している。
消防署
銚子市消防署は、消防本部とともに1949年(昭和29年)1月1日から設置された。本署に消防隊、教助隊、救急隊を配置して、常時14人から17人程度の人員を確保して災害対応の中枢的な役割を果たしている。2018年(平成30年)9月25日からは、「銚子市消防署所再編計画」に基づき、本署・東部分署・西部分署からなる1署2分署体制に移行した。なお、東部分署は2018年(平成30年)度に新築され、西部分署も2023年(令和5年)度に大規模改修工事が実施された。
消防団
消防団は市町村に設けられる消防機関の一つであり、設置、名称、区域は条例で、その組織は規則で定める。消防団員は非常勤特別職の地方公務員で、消防長又は消防署長の所轄の下に行動する。消防団の長は消防団長で、消防団の推薦に基づき市町村長が任命する。最高責任者である消防団長のもと、11分団510人、ポンプ自動車等の車両39台を配備した体制となっている。
医療
銚子市医師会
銚子市医師会は5病院29診療所からなる会員数64名の一般社団法人である。診療所では外来を主とする一般診療や在宅診療を、病院は外来診療に加え入院を要する急性期医療、リハビリや療養に関わる医療のほか、老人保健施設等の介護事業を行っている。医師会はそのほかにも休日当番医、夜間小児急病診療所、特定検診、行政との各事業への参加等、銚子市における医療保健活動の中心的存在となっている。銚子市における急変時医療救急体制は、主に平日昼間は市内診療所・病院のかかりつけ医、夜間はかかりつけ医または島田総合病院・たむら記念病院・銚子市立病院等の病院、日曜・休日昼間は休日当番医、夜間はかかりつけ医、島田総合病院、たむら記念病院で行っている[89]。
銚子市立病院
銚子市立病院は、1951年(昭和26年) 9月、前年に設置した銚子市立診療所を前身として発足した。1984年(昭和59年)3月には新館で診療を開始し、同年7月に銚子市立総合病院と改称した。その後、管理棟と一般病棟が完成、さらに、精神科病棟、リハビリテーション施設、駐車場等の整備も順次実施された。一時運営休止を経て2010年(平成22年)5月6日に銚子市立病院として診療を再開した[89]。2015年(平成27年)4月1日からは「一般財団法人銚子市医療公社」が指定管理者となり[90]、地域包括ケアシステムの一翼を担う公立病院として、診療体制の充実を推進している。2023年(令和5年)12月14日には、院内に県内初の省人化店舗である「ローソン銚子市立病院店」がオープンした[91]。
郵便局
直営郵便局
- 銚子郵便局
- 野尻郵便局
- 外川郵便局
- 銚子植松郵便局
- 銚子本町郵便局
- 銚子南町郵便局
- 銚子愛宕町郵便局
- 銚子本通郵便局
- 銚子清川町郵便局
- 銚子本城郵便局
- 銚子松岸郵便局
- 諸持郵便局
- 外川郵便局
- 銚子本通郵便局
- 銚子松岸郵便局
簡易郵便局
- 銚子余山簡易郵便局
- 銚子小浜簡易郵便局
図書館

- 銚子市公正図書館
銚子市公正図書館の前身は、1925年(大正14年)4月17日設立の財団法人公正会の活動拠点であった公正会館に開設されていた図書館であった。この公正会館が1948年(昭和23年)3月1日に銚子市に寄附された後、その1階にあった書庫・閲覧室が、1948年(昭和23年)9月22日に「銚子市公正図書館」として開館した。その後、銚子市では蔵書数の増加に対応するため、市制施行50周年記念事業の一環として図書館の新築事業を企図し、1982年(昭和57年)度中に建設工事を完了、1983年(昭和58年)5月1日に開館した。2022年(令和4年)1月には「銚子市電子図書館」がサービス開始した[92]。2021年(令和3年)における蔵書冊数は約15万6000冊であり、市内最大の図書館施設である。
- 千葉科学大学図書館
2005年(平成17年)4月に開館した千葉科学大学の図書館新館。学生及び教職員のほか、一般市民も利用可能である。
博物館
- 犬吠埼灯台資料展示館
犬吠埼灯台敷地内の灯台資料展示館。社団法人燈光会が日本財団及び銚子市の支援を受けて建設し、2002年(平成14年)3月にオープンした。主な展示資料は、国産第1号の第1等レンズのほか、同灯台設計建設指揮者の英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの資料、灯台の歴史、航路標識事業の紹介資料等である。
- 浜口陽三作品展示室
版画家・浜口陽三は、1909年(明治42年)3月ヤマサ醤油株式会社創立者濱口儀兵衛・恭子氏の三男として和歌山県有田郡広村に生まれたが、1916年(大正5年)に銚子に移住し、末広町の濱口家別荘で幼少時を過ごし、銚子とはゆかりが深い芸術家である。1982年(昭和57年)12月、ヤマサ醤油株式会社から版画作品等16点が銚子市に寄附され、同年11月に銚子市公正市民館内に常設展示室がオープンした。その後、この版画作品は、2001年(平成13年)11月開館の市民センター内の常設展示室に移された。
- 渡邊學作品展示室
日本画家渡邊學(本名富男)は1916年(大正5年)1月海上郡本銚子町に生まれ、銚子の漁場を素材に海に働く人々を多数描いた。2001年(平成13年)8月、渡邊家から日本画作品12点が銚子市に寄贈された。銚子市は、これらの作品を銚子市小畑新町に建設した市民センター内に濱口陽三作品とあわせて常設展示することとした。
- 新国立劇場舞台美術センター資料館
新国立劇場で主催公演したオペラ・バレエ・現代舞踊・演劇等の舞台美術を保管・活用する目的で建設され、1997年(平成9年)11月にオープンした。特殊法人日本芸術文化振興会がその設置・管理に当たっている。センター内には、舞台装置・衣裳の保管棟、組立補修のための美術工作棟、展示公開のための資料館がある。資料館の1・2階に舞台模型・舞台衣裳、小道具等の舞台関係資料の展示スペース、2・3階に図書・映像資料保管の資料庫を備えている。
- ヤマサ醤油「しょうゆ味わい体験館」
ヤマサ醤油株式会社が2016年(平成28年)4月27日にオープンした工場見学者用施設。歴史資料・道具類の見学、煎餅焼き体験、映像によるバーチャル体験「タップトーク」等ができる。
- ヒゲタ史料館
1985年(昭和60年)4月にヒゲタ醤油株式会社が第二工場内に開設した。醤油醸造の設備・道具・容器、博覧会受賞メダル、会社年表、製品200点を展示。醸造蔵内に描かれたフレスコ画の大壁画「天地人」が見学できる。
- 外川ミニ郷土資料館
銚子市外川の歴史、方言、民話資料のほか、昔の漁師が使用した漁具、銚子で発掘された化石、万祝、絵葉書等を展示している[93]。
- 渡邊學ミュージアム
銚子出身の日本画家渡邊學の自宅跡地に建設された美術館。代表的作品10点余りを展示するほか、生前のアトリエを再現したエリアも備える[94]。
- ヤマサ醤油工場に展示されている機関車「オットー」
文化施設
- 銚子市市民センター
市民から「小畑無線」と呼ばれてきた銚子無線電報サービスセンターは、1996年(平成8年)3月に廃止となり、1909年(明治41年)以来88年の日本最初の無線電信局はその任務を終えた。銚子市は、銚子無線が古く明治後期から市の歴史と深く関わってきたことを踏まえ、この跡地の有効活用を図るため、生涯学習・コミュニティ活動拠点となる市民センターとして、2000年(平成12年)度からの2か年継続で整備工事を進めた。旧事務棟を公民館棟とし、会議室、和室、調理実習室、企画展示室、常設展示室、プレイルーム等、公正市民館機能を中心とした施設に改修された。その南側の旧機械棟はホール棟とし、約300人収容の多目的ホール、防音の音楽広場、スタジオ、マルチメディアスペース等に改修整備された。加えて、陶芸等ができる木造平家建の創作棟が新設された。
- 銚子市ジオパーク・芸術センター
旧第八中学校を活用し、地域の交流拠点、子育て支援、高齢者の健康増進、芸術村等の複合的な機能を持った施設として、2019年(平成31年)4月に開設された[95]。2022年(令和4年)度からは、銚子資産を活かした「学び」の拠点としての再整備が実施されている。
交流施設

- 地区コミュニティセンター - 銚子市におけるコミュニティ振興対策の中心となったのは、地区コミュニティセンターの整備である。会議室、集会室、多目的ホール、調理室、和室等を備えており、地域住民の自主的な学習や地域活動の拠点として利用しやすいように、地元に管理の一部を委託している。
- 銚子市中央地区コミュニティセンター
- 銚子市東部地区コミュニティセンター
- 銚子市海上地区コミュニティセンター
- 銚子市豊里地区コミュニティセンター
- 銚子市勤労コミュニティセンター
市内一円の勤労者の福祉とあわせて近隣住民の利便に供する共同施設として、市役所敷地内に1982年(昭和57年)2月17日に設置された。事務室、和室、集会場を備えている。
- 銚子市森戸農村広場やすらぎの家
- 銚子市親田農村広場やすらぎの家
- 青年館
銚子市においては、1964年(昭和39年)から千葉県からの補助金、市費、地元寄附金を財源として市立青年館の設置が進められた。2023年(令和5年)4月現在で24館を有し[96]、そのすべてについて管理の一部を地元町内会等に委託して円滑・有効な運営を図っている。いずれの青年館についても、青少年健全育成のための施設としての設置当初の利用に加え、町内会、老人会、婦人会等、町内単位のコミュニティ活動の場として利用されている。
スポーツ施設
- 銚子市体育館
- 銚子市野球場
- 銚子市庭球場
- 銚子市スポーツコミュニティセンター
- 豊里台多目的スポーツ広場
- 銚子市野球場
公園
銚子市の都市公園等は、都市計画公園13園、都市公園11園、公園等施設10園である。都市計画公園は、戦災復興都市計画による街区公園8園及び近隣公園3園並びにその後都市計画決定された運動公園2園である。都市公園は、豊里台第一公園をはじめ街区公園9園、近隣公園1園、都市緑地1園及び風致公園1園で、都市計画決定しなかった都市公園である。また、その他の公園等施設としては、1ヘクタール未満の小規模公園・広場7か所、夫婦ヶ鼻公園及び君ヶ浜しおさい公園がある。
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- 中央みどり公園
- 本通公園
保健・福祉施設

保健施設
- 銚子市保健福祉センター・すこやかな学びの城
銚子市における保健福祉活動の拠点として、2004年(平成16年)度からの2か年継続事業により建設工事が進められ、2006年(平成18年)4月に開館した。1階には銚子市子育て世代包括支援センター「すくさぽ」が設置され、保健師、社会福祉士、母子保健コーディネーター、子育てコンシェルジュ、家庭相談員等の専門職が妊娠・出産・産後・子育てに関する相談に応じている。2階プレイルームには、0歳から3歳を中心とした乳幼児と保護者の交流の場として「子育て広場」が常設されており、保育士資格を持つ職員が育児に関する相談に当たっている。
児童福祉施設
銚子市では、次世代育成支援対策行動計画に基づき、地域子育て支援センターへの支援や放課後児童クラブの運営等を実施するとともに、乳幼児医療費助成、ひとり親家庭等医療費助成事業、子育て広場の開設等により、子育ての支援の充実を進めてきた。2015年(平成27年)度には「銚子市子ども・子育て支援事業計画」を策定し、子育て支援課を新設して組織体制を強化した。2018年(平成30年)度には、銚子市子育て世代包括支援センター「すくサポ」を開設するとともに、子ども医療費助成の拡充を実施した。2024年(令和6年)度には、「銚子で生まれ育ち良かったと思えるような地域で支える『子育てのまちづくり』」を基本理念とした「第3期銚子市子ども・子育て支援事業計画」を策定した[97]。
- 保育園・保育所

銚子市は「児童福祉法」施行後の1950年代から、市立保育所の設置を進めた。その後、核家族化の進行や母親の就業機会の増加等に対応し、乳幼児保育・時間外保育・一時的保育・障害児保育といった特別保育事業内容の充実が図られてきた。近年は、地域における世代交流事業、異年齢児交流保育、子育て支援事業等が行われている。
- 銚子市第二保育所
- 銚子市第三保育所
- 銚子市第四保育所
- 銚子保育園
- 外川保育園
- 松岸保育園
- 聖母保育園
- 銚子中央保育園
- 東光保育園
- 萌保育園
- 認定こども園
- 銚子幼稚園
- 企業主導型保育事業
- あおの杜保育園
- 子育て支援センター
- マンマ子育て支援センター
- ひまわり子育て支援センター
- えがお子育て支援センター
- 聖母マリア子育て支援センター
障害者福祉施設
銚子市では、2024年(令和6年)度に「障害のある方もない方も自分らしく暮らせるまち・銚子」を基本理念とした「銚子市障害者福祉計画・第7期銚子市障害福祉計画・第3期銚子市障害児福祉計画」を策定し、障害の有無にかかわらず、多様な人々が住み慣れた地域でともに支え合いながら暮らせる社会の実現を目指している[98]。
- 就労継続支援B型事業所のぞみ
- 就労継続支援B型事業所しおさい春日
- 就労継続支援B型事業所しおさい三崎
- 銚子市地域活動支援センターかんらん
- 銚子市児童発達支援センターわかば
1959年(昭和34年)4月、全国で13番目の精神薄弱児通園施設として、銚子市立わかば学園が設置された。2012年(平成24年)4月には、知的障害児通園施設から児童発達支援センターとなり、児童発達支援、保育所等訪問支援、相談支援を開始した。2018年(平成30年)4月には「銚子市児童発達支援センターわかば」に名称を変更し、同年8月から居宅訪問型児童発達支援を開始した。2022年(令和4年)4月からは、指定管理者による運営に移行している[99]。
高齢者福祉施設
銚子市では、高齢者施策を総合的に計画・推進するとともに介護保険事業の円滑な実施を図るため、2024年(令和6年)3月に「銚子市高齢者福祉計画・第9期介護保険事業計画」を策定した。「みんなが支えあい すこやかに暮らせる 福祉のまちづくり」を目指し、さらなる地域包括ケアシステムの深化・推進を図るとともに、中長期的な視点から、「地域共生社会の実現」等も踏まえて位置づける計画としている[100]。
- 介護保険サービス
- 特別養護老人ホーム松籟の丘
- 特別養護老人ホームさざんか園
- 特別養護老人ホームシオン銚子
- 介護老人保健施設慈風園
- 介護老人保健施設なぎさ
- 介護老人保健施設とよさと
- 高齢者福祉サービス
- 猿田の丘なでしこ
- ケアハウスマリンピア銚子
- ケアハウスかすが苑
- ケアハウス第2かすが苑
- 銚子市老人憩の家・地域福祉センター(こも浦荘)
- 銚子市芦崎高齢者いこいセンター
- 地域包括支援センター
銚子市では、高齢者の総合的な支援を行う拠点として、市内4か所に地域包括支援センターを設置している。地域包括支援センターは、地域包括ケアシステムの中核として、保健師、社会福祉士、主任介護支援専門員(主任ケアマネージャー)等が中心となり、生活、介護、福祉、認知症対策、権利擁護等の高齢者支援を行っている。
- 銚子市地域包括支援センター
- 銚子市東部地域包括支援センター
- 銚子市中央地域包括支援センター
- 銚子市西部地域包括支援センター
- その他
- 千葉県生涯大学校東総学園
千葉県生涯大学校は、高齢者に社会環境の変化に順応できる能力を再開発し、社会活動への参加を通じて生きがいに満ちた充実した生活が営めるよう、地域における高齢者福祉の増進を図るために千葉県が設置している。銚子市には北総学園として1975年(昭和50年)に設置された。東総学園の課程としては、健康・生活学部70人、造形学部園芸まちづくりコース35人、陶芸コース25人の2学部130人である。入学資格は、県内在住の満60歳以上で、学習の成果を地域活動で役立てる等意欲のある者とされる[101]。
教育
大学
高等学校
中学校
- 銚子市立第一中学校
- 銚子市立第二中学校
- 銚子市立第三中学校
- 銚子市立銚子中学校
- 銚子市立銚子西中学校
小学校
- 銚子市立飯沼小学校
- 銚子市立清水小学校
- 銚子市立明神小学校
- 銚子市立双葉小学校
- 銚子市立本城小学校
- 銚子市立春日小学校
- 銚子市立高神小学校
- 銚子市立海上小学校
- 銚子市立船木小学校
- 銚子市立椎柴小学校
- 銚子市立豊里小学校
- 銚子市立清水小学校
幼稚園
- 銚子幼稚園
- 飯沼幼稚園
- 銚子幼稚園
特別支援学校
- 千葉県立銚子特別支援学校
教育関係機関
- 千葉大学理学部海洋バイオシステム研究センター
情報・通信
マスメディア
新聞
市内に通信部・支局を置く日刊の全国紙等は3紙、市内に本社のある日刊の地元新聞は1紙がある。
放送局

生活基盤
ライフライン
電力
- 東京電力パワーグリッド株式会社成田支社銚子事務所
都市ガス
- 銚子瓦斯株式会社 - 1913年(大正2年)7月設立。供給区域は川口町から市内中心地、清川町、台町、春日町の一部までの市街地で、ガス管網の総延長は本支管合わせて約49キロメートルである。
水道
- 銚子市水道局
- 取水場
- 新宿取水場(黒部川表流水)
- 生物活性炭処理施設
- 白石取水場(高田川表流水)
- 新宿取水場(黒部川表流水)
- 取水管
- 白石取水場〜白石貯水場間(1418.5メートル)
- 貯水場
- 白石貯水場
- 導水管
- 白石貯水池〜本城浄水場間
- 第1導水管(6822.24メートル)
- 第2導水管(7060.3メートル)
- 新宿取水場〜本城浄水場間(19309.98メートル)
- 白石貯水池〜本城浄水場間
- 浄水場
- 本城浄水場
- 送水管
- 本城浄水場〜春日台配水場間(941.58メートル)
- 本城浄水場〜上野町配水場間(458.54メートル)
- 本城浄水場〜南小川町間(3023.6メートル)
- 配水場
- 上野町配水場(1号配水池、2号配水池)
- 高田町配水場
- 笠上町高区配水場
- 愛宕山高区配水場
- 三崎町高区配水場
- 豊里台配水場
- 諸持町受水配水場
- ポンプ所
- 後飯町増圧ポンプ所
- 名洗増圧ポンプ所
- 上野町増圧ポンプ所(三崎・春日系、豊岡系)
- 野尻町増圧ポンプ所
- 春日町増圧ポンプ所
- 笹本町増圧ポンプ所
- 配水管(399272メートル)
- 取水場
下水道
- 銚子市水道局下水道室
- 終末処理場
- 芦崎終末処理場
- 豊里住宅団地地下水道終末処理場
- ポンプ施設
- 唐子ポンプ場
- 大谷津住宅団地ポンプ所
- 管渠等(14万5287.36メートル)
- 終末処理場
電話
- 市外局番
銚子市の市外局番は市内全域で0479(銚子MA)である。なお、銚子市外において銚子MAが使用されるのは、千葉県旭市・匝瑳市・山武市松尾町・香取郡多古町・山武郡芝山町・横芝光町・茨城県神栖市 (太田・太田新町・須田・砂山・土合北・土合中央・土合西・土合東・土合本町・土合南・波崎・波崎新港・矢田部・柳川・柳川中央・若松中央)である。
交通
要約
視点
鉄道路線
銚子市と市外を結ぶ鉄道は東日本旅客鉄道(JR東日本)の総武本線と成田線である。銚子市を起点として、市内に銚子駅・松岸駅・猿田駅・椎柴駅・下総豊里駅の5駅が設けられている。総武本線には、銚子発・東京駅直行の特急電車「しおさい」が運転されている。銚子駅からは、私鉄の銚子電気鉄道線が外川駅まで通じている。
銚子駅舎は1948年(昭和23年)に建築され、その後改修が重ねられたが、2016年(平成28年)10月から全面的な駅舎建替えが行われた。新駅舎は2018年(平成30年)4月に開業した。銚子の人々が生み出す「にぎわい」をテーマに、外装は犬吠埼灯台、内装は醤油蔵をイメージしてデザインされ、地場産の山武杉が使用される等、地域の特色を取り入れた新しい都市交流拠点として整備された[103]。駅構内には木製の「駅ピアノ」が設置され、地元住民や県内外のピアニストに親しまれている[104]。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
※ 銚子運輸区 - 銚子運輸区は、2012年(平成24年)5月に設立された乗務員の運用、車両検査等を業務とする現業機関であり、職員数は約100人である[105]。
- 特急しおさい(E259系、グリーン車連結)
- 総武本線(209系2000番台・2100番台)
- JR銚子駅1・2番線ホーム
- 銚子運輸区
- 銚子電気鉄道(銚子電鉄)
銚子市内唯一の私鉄である銚子電気鉄道は、1923年(大正12年)に銚子鉄道株式会社として設立開業し、戦後の1948年(昭和23年)に企業再建整備法により、新旧勘定合併のため銚子電気鉄道株式会社と改称し、設立登記を行った。平成に入ってからは、ワンマン化車両購入・重軌条交換等の近代化設備整備事業、各駅舎のヨーロッパ風の改良整備、植栽による沿線風景の美化等が進んでいる。営業キロ数は銚子駅構内から外川まで全長6.4キロである。
- 犬吠駅(関東の駅百選)
- 観音駅
- 外川駅
- デハ801
バス路線
高速バス
銚子市においては、1991年(平成3年)6月から首都方面との都市間高速バスの運行が開始された。東京駅直行の高速バスが3ルートあり、1日43往復86本運行している。
- 横芝光・旭ルート(京成バス千葉イースト、京成バス)
- バスターミナル東京八重洲 - 横芝光IC - 旭 - イオンモール銚子 - 銚子駅 - 犬吠埼太陽の里
- 大栄・旭ルート(京成バス千葉イースト、京成バス)
- バスターミナル東京八重洲 - 酒々井プレミアム・アウトレット - 旭 - 銚子駅
- 佐原ルート(京成バス千葉イースト)
- バスターミナル東京八重洲 - 酒々井プレミアム・アウトレット - 佐原駅 - 四日市場パーキング - 銚子駅
- 佐原・小見川ルート(京成バス千葉イースト)
- バスターミナル東京八重洲 - 香取市役所前 - 小見川支所 - 四日市場パーキング - 銚子駅
- 小見川ルート(京成バス千葉イースト)
- バスターミナル東京八重洲 - 酒々井プレミアム・アウトレット - 小見川 - 四日市場パーキング - 銚子駅 - 陣屋町
- バスターミナル東京八重洲
路線バス
3系統の鉄道網を補完する形で、民間2社が銚子駅を発着点として8系統の路線バスを市内各地区及び周辺地区で運行しており、東総地域におけるバス交通の拠点的地位を占めている。
- 京成バス千葉イースト(銚子営業所)
- 豊里ニュータウン線(陣屋町 - 銚子駅 - 豊里ニュータウン第四)
- 旭銚子線・イオンシャトルバス(陣屋町 - 双葉町 - 銚子駅 - イオンモール銚子 - 玉崎神社 - 旭駅)
- 長崎線(銚子駅 - 市立病院・国民宿舎前)
- 名洗・千葉科学大学線(銚子駅 - 千葉科学大学本部前)
- ちばこうバス(京成タクシーイースト)
- 春日台線(銚子駅 - 市立高校・春日台循環)
- 川口線(銚子駅 - 川口・ポートセンター)
- 外川線(銚子駅 - 外川車庫)
- 海鹿島線(海鹿島循環)
- 関東鉄道(関東鉄道潮来営業所・波崎車庫)
- 利根川線(銚子駅 - 波崎営業所 - 矢田部公民館 - 鹿島神宮駅)
- 海岸線(銚子駅 - 土合東電社宅 - 鹿島神宮駅)
- 海水浴場線(銚子駅 - 波崎海水浴場)
タクシー
銚子市内のタクシー事業者は4事業者があり、合計の保有台数は約86台となっている[106]。
- 大丸タクシー
- ミナトミタカタクシー
- 平和タクシー
- アステル交通
道路
銚子市の主要な幹線道路としては、国道126号(銚子市ー東金市ー千葉市)と国道356号(銚子市ー印西市ー我孫子市)がある。この2線が中心市街地で合流して銚子市道路網の骨格を形成しており、銚子大橋で国道124号(銚子市ー茨城県水戸市)と合流して茨城県に通じている。県道としては、外川港線が中心市街地と外川漁港を結び内陸部を南北に縦断し、銚子公園線が中心部から海岸沿いを循環している。また、市の南西部には愛宕山公園線が屏風ヶ浦沿いに延びて銚子公園線及び外川港線と結ばれている。
広域幹線道路については、国道356号線銚子バイパス、県道銚子海上線清滝バイパス、東総台地地区広域営農団地農道、利根かもめ大橋有料道路等が整備されており、2013年(平成25年)には銚子大橋の架替工事が完了した。今後は山武方面との高規格道路である銚子連絡道路の延伸開通が期待されている。また、市内においては、県道愛宕山公園線バイパスの開通、県道銚子公園線長崎周遊道路の開通、銚子駅前シンボルロード・本通りマイロード・銚子銀座ココロードの整備等により、観光都市としての交通体系の整備が進められてきた。銚子市から和歌山県和歌山市に至る太平洋岸自転車道は、ナショナルサイクルルートに指定されている[107]。
- 銚子新大橋有料道路(利根かもめ大橋有料道路)
- 国道126号
- 国道356号
- 県道銚子停車場線
- 県道銚子波崎線
- 県道飯岡猿田停車場線
- 県道外川港線
- 県道銚子公園線
- 県道愛宕山公園線
空港
千葉県成田市の成田国際空港(成田空港)が最寄りとなり、約40キロメートルの距離に位置する。また、東京都大田区の東京国際空港(羽田空港)は約95キロメートルの距離に位置する。
- 成田国際空港(成田国際空港へのアクセスも参照)
- 東京国際空港(東京国際空港へのアクセスを参照)
- バス:銚子駅と東京駅を結ぶ高速バスが運行されている。
- 成田国際空港
船舶

- 名洗港(避難港・地方港湾)
- 銚子マリーナ
- 計画収容隻数 1000隻(海面440、陸上560)
- 整備状況 450隻(海面160、海面ディンギー20、陸上90、陸上ディンギー180)※海面:県施行、陸上:市施行
- 銚子マリーナ
名洗港は、銚子市の東南端に位置し、1951年(昭和26年)に避難港に指定され、1965年(昭和40年)から地方港湾としての整備が進められた。1991年(平成3年)2月には、運輸省から海洋性レクリエーション拠点港湾の指定(港計第29号)を受け、マリーナを中心としたマリンリゾート拠点の整備が行われた。1999年(平成11年)4月に銚子マリーナとして供用開始し、株式会社銚子マリーナが銚子市から業務委託を受けて管理運営に当たっている。
2020年(令和2年)7月に、名洗港港湾区域の前面海域(約40キロ平方メートル)が「再エネ海域利用法」に基づく促進区域として国から指定を受けた。これを受けて、千葉県は2022年(令和4年)3月に港湾計画の改訂を行い、洋上風力発電設備の建設補助や維持管理拠点の形成、豊かな自然と風車が調和する緑地空間の形成等に取り組むこととした[108]。2024年(令和6年)3月に策定された「銚子市南海岸エリアビジョン」においては、「マリーナリゾートゾーン」として、商業施設・飲食施設、宿泊滞在、エコツーリズム体験、陸上アクティビティ等の整備を示している[109]。
観光・文化
要約
視点
銚子は三方を海に囲まれた東端の地であり、沖合を流れる黒潮により豊かな漁場と気候風土が形成され、古くから漁港・醤油醸造地として栄えてきた[110]。こうした歴史の中で、万祝式大漁旗や銚子縮のような伝統工芸品が継承されている[110]。祭りの盛んな地でもあり、豪快な神輿担ぎと早打ち太鼓が特徴である。太平洋の怒濤が大小の岩礁に砕ける犬吠埼や断崖絶壁が連なる屏風ヶ浦は景勝地として知られ、数々の文人墨客が来遊してきた[42]。
銚子市では、2017年(平成29年)度から、銚子市観光協会を中心とした銚子版DMO(Destination Management Organization)構築による観光まちづくり事業を推進しており、2022年(令和4年)4月に登録DMOとして観光庁の指定を受けた[111]。
観光名所
- 犬吠埼 - 銚子半島の最先端の岬。太平洋の怒濤を背景に白亜の灯台が屹立する。日本列島で最も早く初日の出を拝む。中生代白亜紀の地層が露出し、琥珀やアンモナイトの化石を産出する。
- 犬吠埼灯台 - 英国人リチャード・ブラントンの設計により、1874年(明治7年)に初点灯した国産煉瓦造りの第1等灯台。国の重要文化財・近代化産業遺産。
- 犬吠埼灯台資料展示館 - 犬吠埼灯台敷地内の資料展示館。国産第1号の1等レンズ、ブラントンの資料、航路標識の歴史等を紹介展示する。
- 犬吠埼温泉郷 - 犬吠埼灯台を望む海岸には約2万年前の化石海水が湧出し、温泉宿が建ち並んでいる。塩化物等を多く含む強塩温泉で、保湿効果が高い。
- 君ヶ浜 - 犬吠埼北側の白砂青松の海岸。関東舞子の愛称があり、日本の渚百選に認定されている。夜は漁火とともに月の出を鑑賞できる。
- 屏風ヶ浦 - 銚子半島南岸に連なる断崖絶壁。東洋のドーバーと称され、国の名勝・天然記念物に指定されている。
- 銚子マリーナ - 屏風ヶ浦に隣接する外洋マリンリゾート拠点。周辺には海水浴場や海浜公園が整備され、様々なマリンスポーツ大会が開催される。
- イルカウォッチング - 銚子沖では、沿岸から沖合海域で1年を通してイルカ・クジラ類の遊泳を見ることができる。
- 地球の丸く見える丘展望館 - 北総最高峰である愛宕山山頂の展望館。北は鹿島灘から筑波山、東と南は太平洋、西は屏風ヶ浦から九十九里浜までを一望する。
- 黒生・海鹿島海岸 - 黒生は江戸時代から銚子瓦の産地として知られていた。かつて海鹿島にはアシカが生息していた。黒生、海鹿島海岸ともに大小無数の岩礁群があり、鳶岩、鯨岩等の名前がある。
- 長崎海岸 - 海岸近くにある「宝満」は、大宝満と小宝満の2つの島。九郎判官義経がなまって「ほうまん」になったといわれる。
- 千騎ヶ岩 - 外川海岸の標高17.4メートルの岩礁。源義経が千騎の兵を擁して立て籠った伝説がある。千葉県最古の地質時代の硬質砂岩。
- 犬岩 - 犬若海岸の海中に浮かぶ巨岩。奥州に逃れた義経がここに残した愛犬が主人を慕って7日7晩鳴いて岩と化したという伝説がある。
- 利根川河口 - 日本最大の流域面積があり、坂東太郎の異名を持つ大河利根川が太平洋に注ぐ河口。一の島灯台は、出入港する漁船のため1934年(昭和9年)に設置された。
- 銚子漁港 - 黒潮と親潮が交錯する好漁場の銚子沖を控え、国内最大規模の特定第3種漁港。魚市場では入札を見学できる。周辺には鮮魚店や老舗寿司店が点在する。
- 銚子ポートタワー - 高さ57.7メートルのツインタワー。水産都市銚子のシンボルであり、漁船の出入港風景、太平洋、利根川に沈む夕日を一望する。
- ウオッセ21 - 銚子ポートタワーに隣接する水産物即売センター。地元の専門業者が漁港直送の海産物を販売する。2階はシーフードレストランうおっせ。
- 外川漁港 - 江戸時代に紀州移民である崎山治郎右衛門が築いた漁港。沿岸・沖合漁業基地であり、銚子つりきんめの漁獲を行う外川キンメ船団が所属する。
- 外川の町並み - 銚子電鉄終着の漁業集落。かつて「外川千軒大繁盛」と称された碁盤目状の町並み。港へ下る坂道には石畳が残り、日本遺産の構成文化財に指定されている。
- 外川ミニ郷土資料館 - 外川の歴史を紹介する資料館。昔の漁具、万祝、古写真、化石、民話・方言資料等を展示する。
- ヤマサ醤油・ヒゲタ醤油工場 - 銚子は江戸時代元和年間に創始した関東最古の醤油の銘醸地であり、濃口醤油発祥の地。大手2社の醤油工場を見学できる。
- 銚子電気鉄道線 - 1923年(大正12年)創業のローカル線。ノスタルジックな車両や駅舎、車窓に広がるキャベツ畑の風景で知られる。沿線には四季折々の花が植えられている。
- ハーブガーデンポケット - カフェやツリーハウス、ドッグランを併設した海のそばのハーブ庭園。
- 浜口陽三・渡邊學常設展示室 - 銚子にゆかりの深いメゾチント版画家浜口陽三の作品16点と銚子出身の日本画家渡邊學の作品12点を市民センターに常設展示する。
- 銚子大橋 - 銚子市と利根川対岸の茨城県を結ぶ全長約1.5キロメートルの長大橋。2013年(平成25年)に架替が完了した。旧渡船場跡には河岸公園が整備されている。
- 利根かもめ大橋 - 2000年(平成12年)に銚子大橋上流で茨城県と結んで開通した有料道路。カモメの羽ばたきをイメージしてデザインされた。
- 新国立劇場舞台美術センター - 新国立劇場で主催公演海行ったオペラ、バレエ、現代舞踊、演劇等の舞台美術を保管する。
- 犬吠埼灯台
- 旧霧笛舎
- 国産第1号1等レンズ
- 犬吠埼温泉郷
- 地球の丸く見える丘展望館
- 千騎ヶ岩
- 犬岩
- 銚子漁港
- 銚子ポートタワー
- 外川漁港
- 外川の町並み
- 銚子電気鉄道線
- 銚子大橋
社寺
- 川口神社 - 986年(寛和2年)に創建され、速秋津姫命を祀る。銚子漁港の出船入船を一望する丘上にあり、漁業関係者の守り神として信仰が篤い。古くは安部晴明と延命姫の伝説から白紙明神と称された。
- 猿田神社 - 平安時代の807年(大同2年)に社殿が建立され、猿田彦大神、天鈿女命、菊理媛命を祀る。樹齢数百年の森に囲まれ、毎年11月には七五三祝いの多数の参詣客がある。
- 渡海神社 - 大綿津見命を祭神として709年(和銅2年)に創建された。神社の森は陽樹林から陰樹林へと変わった極相林で、千葉県指定天然記念物。
- 浅間神社 - 祭神は木花咲耶姫命。浅間山と称される小高い丘の上にある。「浅間様」の名で親しまれ、毎年7月には例祭「初山参り」が行われる。
- 白幡神社 - 祭神は味耜高彦根命。源義経が残した白旗を祀って白幡明神としたという伝説がある。毎年7月に神輿渡御が行われる。
- 海上八幡宮 - 平安時代の807年(大同2年)に創建され、祭神は譽田別尊、大帯姫命、比賣神。江戸時代は海上郡六十余郷の総鎮守であった。
- 円福寺(飯沼観音) - 728年(神亀5年)開基。坂東三十三観音第二十七番札所の名刹で、ここを中心として門前町が繁盛した。境内には観音堂のほか、五重塔、大仏等がある。堂の下の今川焼が名物。
- 妙福寺 - 妙見様と称される古刹。境内の臥龍の藤は平安時代に京都から移植され、樹齢は750年と伝えられる。毎年5月には藤祭りが開かれる。
- 和田不動尊 - 「田場の不動様」と呼ばれ、円福寺の修行道場として漁業者の信仰を集めてきた。毎年8月に「不動様まつり」が開かれる。
- 満願寺 - 本尊と西国・坂東・秩父霊場や四国八十八か所霊場の本尊を勧請して奉安されている。金色の大塔上層からは太平洋を一望する。
- 東光寺 - 1232年(貞永元年)開創。徳川家康から寺領を寄進され、真言密教の道場として発展した。境内を取り囲むようにイヌマキの群落が形成されている。
- 等覚寺 - 1390年(明徳元年)頃に創始され、成就院と称した。江戸時代初期に銚子地方を統治した松平外記(伊昌)の菩提寺である。
- 常灯寺 - 目の病に利益があるとされ、常世田薬師の名で深く信仰されている。木造薬師如来坐像は国の重要文化財で、毎年1月に一般公開される。
- 川口神社
- 猿田神社
- 白幡神社
- 円福寺
- 妙福寺
- 常灯寺
史跡・旧跡

- 粟島台遺跡 - 銚子市南部に位置する縄文時代前期から後期の遺跡。銚子半島の海岸から産出する砂岩、硬砂岩等を使用した石器製造道跡であり、現珀や漆器等も出土する。
- 余山貝塚 - 高田川東岸、縄文時代後期から晩期の遺跡。多量の人骨や遺物が出土し、吉野長太郎が建立した「コロボックル喰ひ残したり四千年」の石碑がある。
- 中島城跡 - 戦国時代に築かれた千葉氏一族海上宗家の居城で、1590年(天正18年)に落城した。大手門・水堀・土塁等の遺構が残る。
- 千人塚 - 日本三大難所の一つであった銚子沖・川口での遭難者供養のために築かれた塚。海難漁民慰霊塔は漁民等の浄財で1960年(昭和35年)に建立された。
- 紀国人移住碑 - 紀州移民の子孫が結成した「銚子木国会」が1903年(明治36年)に建立した碑。毎年5月に慰霊祭を行っている。
- 旧西廣家住宅 - 江戸時代末期に紀州から移住した銚子を代表する船主の住宅及び作業所。本館・総檜・洋館からなる主屋、缶詰工場、漁網倉庫が保存されている。国の登録有形文化財。
- 七ツ池 - 江戸時代享保から寛保年間に干魃対策として掘られた農業用溜池。市民有志により、桜の名所としての再整備が進んでいる。県立九十九里自然公園指定区域。
- 銚子陣屋跡 - 銚子地方が高崎藩領となった1717年(享保2年)に陣屋が設けられ、明治まで存続した。陣屋町の地名を残し、児童公園入口に陣屋跡碑がある。
- 庄川杢左衛門公徳碑 - 天明の大飢饉の際、高崎藩の代官であった庄川杢左衛門は、藩の米倉を開放して住民を飢饉から救った。彼を偲んだ民謡として「じょうかんよ節」が伝わる。
- 一里塚道標 - 神明神社入口に1783年(天明3年)の飢饉の際に建立された道標。上部に仏像を配し、その下に「飯沼観音江一里」と書かれている。このほかに二里塚、三里塚、四里塚がある。
- 滑川家住宅長屋門 - 滑川家は野尻河岸で代々名主を務め、海運業に従事した。長屋門は、天保年間に飢饉の救い普請として建てられた。
- 美加保丸遭難者墓碑 - 1868年(慶応4年)8月、榎本武揚率いる幕府艦隊8隻中の1隻が黒生沖で座礁沈没し、1882年(明治15年)に死亡した乗組員13人を悼む墓碑が建立された。
- 飯沼水準原標 - 1872年(明治5年)にオランダの土木技師であるリンドが設置した水準原標。河川工事の水準基準面となるもので、日本最初の水準原標である。
- 濱口梧陵紀徳碑 - 濱口梧陵はヤマサ醤油7代当主で、関寛斎とともに銚子でのコレラ防疫に活躍した。「稲むらの火」の主人公にもなっている。
- 竜の井(玄蕃井戸) - 玄蕃山の北側に11代田中玄蕃によって掘られ、醤油醸造用水として用いられた。煉瓦造りの遺構や祀られた竜神が残る。国の近代化産業遺産。
- 無線電信創業之地碑 - 1908年(明治41年)、この地に日本初の無線電信局が設置され、太平洋上の丹後丸と無線交信に成功した。その後、受信所は小畑、送信所は野尻に移転し、全世界の船舶や南極昭和基地と交信した。
- 涙痕の碑 - 1917年(大正6年)8月に君ヶ浜で遊泳中に溺死した早稲田大学出身の青年詩人・三富朽葉と今井白楊を追悼するため、両人の父が建立した。
- ヤマサ醤油煉瓦蔵 - 1915年(大正4年)から1923年(大正12年)にかけての仕込蔵増設時、ヤマサ醤油本社西側に造られた煉瓦塀。旧公正会館に隣接するヤマサ醤油社長宅東側にも煉瓦塀が残っている。
- 旧公正会館 - ヤマサ醤油10代当主濱口梧洞が財団法人公正会の活動拠点として1925年(大正14年)に開館した社会教育施設。図書館や公正学院を備え、銚子の文化の殿堂であった。国の登録有形文化財。
- 磯角商店主屋 - 磯角商店は銚子港の廻船問屋で、1953年(昭和28年)建築の主屋には屋内外に廻船問屋を意識した意匠を用いている。国の登録有形文化財。
- 日比友愛の碑 - 第二次世界大戦で戦火を交えた日本とフィリピンが永く世界の平和を祈念するために建立された碑。地球の丸く見える丘展望館の敷地内にある。
- 飯沼水準原票
- 涙痕の碑
- 旧公正会館
- 磯角商店主屋
文学碑

- 松尾芭蕉「枯れ枝にからすのとまりけり秋の暮」
- 小林一茶「ほととぎす爰をさること遠からず」
- 古帳庵「ほととぎす銚子は国の とっぱずれ」
- 国木田独歩「なつかしき わが故郷は 何処ぞや 彼処にわれは 山林の児なりき」
- 小川芋銭「大海を飛びいづる如と初日の出」
- 竹久夢二「待てどくらせどこぬひとを 宵待草のやるせなさ 今宵は月もでぬそうな」
- 尾崎咢堂「朝まだき彼方の岸はアメリカと 聞きて爪立つ おばしまのはし」
- 尾張穂草「わかれても故郷の海のあゐいろが 目にあり秋よさびしくあるかな」
- 佐藤春夫「ここに来て をみなにならひ 名も知らぬ草花をつむ みづからの影踏むわれは 仰がねば 灯台の高きを知らず 波のうねゝ ふる里のそれには如かず ただ思ふ 荒磯に生ひて松のいろ 錆びて黝きを わがこころ 錆びて黝きを」
- 高浜虚子「犬吠の今宵の朧待つとせん」
- 若山牧水「ひさしくも見ざりしかもと遠く来て けさ見る海は荒れすさびたり 遠く来てこよい宿れる海岸の ぬくとき夜半を雨降りそそぐ まともなる海より昇る朝の日に机のちりのあらわなるかな」
- 源俊頼「磐はしる外川の滝のむすぶ手も しばしはよどむ淀むせもあれ」
海水浴場
- 海鹿島海水浴場
- 長崎海水浴場
- 銚子マリーナ海水浴場
- 海の家(長崎海水浴場)
釣り

- 利根川 - ハゼ・セイゴ・カレイ (6~10月)、ハゼ・マルタ・ボラ・セイゴ(10~11月)、ハゼ・セイゴ(11~2月)
- 港町堤防 - ボラ・マルタ・セイゴ(5~11月)
- 川口付近 - アイナメ・カサゴ(11〜1月)、タイ・イシモチ・スズキ・アナゴ・アイナメ・カサゴ(5~11月)
- 黒生付近 - タイ・セイゴ・アイナメ・カサゴ(4~11月)
- 海鹿島付近 - タイ・アナゴ・アイナメ・カサゴ(4~10月)
- 君ヶ浜付近 - タイ・イシモチ・アナゴ・スズキ・アイナメ・カサゴ(4~11月)
- 犬吠埼付近 - イシモチ・スズキ(4~10月)
- 外川堤防 - タイ・イシモチ・アイナメ・カサゴ(4〜11月)
- 犬若付近 - イシモチ・セイゴ・アナゴ・スズキ・アイナメ・カサゴ(4~11月)
- 名洗付近 - セイゴ・タイ・アイナメ・カサゴ(4~10月)
- 屏風ヶ浦 - イシモチ・セイゴ・タイ・アナゴ(4~10月)
宿泊施設

- ホテル - 犬吠埼ホテル・犬吠埼観光ホテル・ホテルニュー大新・スパ&リゾート犬吠埼太陽の里・別邸海と森
- 旅館 - 大新旅館・藤田屋旅館・あけぼの旅館・木内旅館・喜久家旅館・あしか荘・あかつきの宿 大徳
- ビジネスホテル - 銚子プラザホテル・ホテルサンライズ銚子・ホテルサンサニー・ビジネスホテルいずや・ホテル近江屋・かもめホテル・ホテルルートイン銚子駅西
- 民宿 - 民宿 五十嵐館・犬吠館・民宿 文治・民宿 ねぎどん・犬若・漁村一棟貸宿「和泉屋」・moyai・awai
- ペンション - ペンションヴィラコモンズ・ペンションヘルシーウイング・銚子スポーツタウン
- 銚子プラザホテル
- ホテルサンライズ銚子
土産・民芸品

- 醤油 - 銚子は夏涼しく冬暖かく湿度が安定しているため、醤油醸造に最適で、江戸時代から一大産地。市内にはヤマサ醤油、ヒゲタ醤油、宝醤油、小倉醤油がある。
- ひしお - 大豆と大麦から造られる発酵調味料。2千年以上の歴史を持ち、醤油のルーツである。銚子では1630年(寛永7年)創業の山十商店が製造している。
- 地酒 - 銚子では1844年(弘化元年)創業の石上酒造と1874年(明治7年)創業の小林酒造場が地酒を製造している。
- 銚子つりきんめ - 銚子沖はキンメダイ漁の北限で、外川の小型船約40隻が立縄漁業により漁獲している。千葉県ブランド水産物認定第1号。
- 伊達巻鮨 - 半月状の玉子焼を太巻き鮨の上に乗せた鮨。鮨店「大久保」が明治初期に細工鮨として考案したもので、「漁夫のプリン」と称される。
- 入梅イワシ - 梅雨の時期に水揚げされるマイワシ。1年のうち最も脂が乗る。銚子漁港のイワシ水揚量は日本一。
- ほお刺し - イワシを天日干しにしたもの。カルシウムと栄養を豊富に含む。
- なめろう - おろしたイワシに味噌、長ネギ、青じそ、生姜を混ぜ、包丁でたたき合わせて作る漁師料理。
- さんが焼き - イワシのたたきに味噌、生姜、タマネギ等を加え、小判型に焼いた料理。
- 佃煮 - 銚子漁港に水揚げされたカツオ、イワシ、サンマ等を銚子産の醤油で煮たもの。篠田食料品店、今津徳兵衛商店等で製造されている。
- 缶詰 - 銚子はイワシ、サバ等、魚を使った缶詰の産地。ヒット商品として「サバカレー」がある。
- 練り物 - 半片、蒲鉾、竹輪、薩摩揚げ、つみれ等。
- 磯牡蠣 - 銚子の夏の味覚。銚子の荒磯で採れる磯牡蠣は、手のひら大の5~7年もの。レモンを絞って生のまま食するほか、焼き牡蠣、牡蠣フライ等の料理法もある。
- 海藻こんにゃく - 銚子の食卓の常連。長崎海岸等で海女が採る「コトジツノマタ」を干し、煮込んで固めたもので、ネギや唐辛子、醤油をつけて食べる。
- のげのり - 銚子特産の乾燥海藻食品。味噌汁、吸い物、刺身のつま等に使われる。学名は「フクロフノリ」。
- 灯台キャベツ - 銚子のキャベツは春系品種「金系201」を中心に11月から6月までの長期間出荷され、灯台キャベツとして日本一の生産量を誇る。
- 銚子メロン - キャベツと並ぶ銚子を代表する農産物。有機肥料を使用し、ミツバチ交配による生産方法をとる。最高級品は糖度16度以上の「金印」。日本農業賞受賞。
- ぬれ煎餅 - 生地を焼いた後、熱いうちに醤油に浸した煎餅。1963年(昭和38年)に横山雄次が商品化した。柏屋米菓、福屋、イシガミの煎餅専門店のほか、銚子電鉄売店でも製造販売している。
- ピーナッツみそ - ピーナッツを炒ってハチミツと白ゴマであえたもの。
- 木の葉パン - 小麦粉、卵、ハチミツ、バター等の生地種を木の葉型に抜き取り、高熱で焼いたもので、銚子の郷土菓子。
- 落花生煎餅 - 千葉県産ピーナッツを使用した手焼き煎餅。1955年(昭和30年)発売。
- 魚めん - 銚子で水揚げされたイワシを使用し、合成保存料・着色料を用いない天然成分による食材。
- 犬吠の月 - 栗を練り切り餡で包んだ銘菓。昭和天皇銚子行幸の際に献上された。
- 銚子縮 - 江戸時代、銚子地方の漁師の妻女が内職で始めた手織りの布。反物、暖簾、テーブルセンター等。千葉県指定無形文化財・千葉県伝統工芸品。
- 万祝式大漁旗 - 伝統的な「万祝式」の染め方による大漁旗で、漁船進水、結婚、出産、新築等に飾られる。額賀屋染工場、小澤染工場で製造販売されている。千葉県伝統工芸品。
- 籐製品 - 銚子の籐製品製造は明治後期に家内手工業として始まった。素材から製品まで一貫して手巻き、手編みにより、椅子や小物類を製造する。
- ぬれ煎餅の手焼き
- 石上酒造「銚子の誉」醸造元
- 柏屋米菓店
祭礼・行事

- 初日の出 - 関東最東端の犬吠埼は、地軸の傾きのために、元日前後の数十日間、山頂・離島を除き日本列島沿岸で最も早く初日の出を見ることができる。
- 常灯寺初薬師 - 毎年1月8日、国指定重要文化財の木造薬師如来坐像が一般公開される。子供は額に朱印を押してもらい無病息災を祈願する。
- 漕出式 - 海上安全と豊漁を願う新年の伝統行事。漁船が大漁旗を掲げて出港し、川口や外川の沖合いを航行する。乗り初めともいう。
- 辻切り - 小浜町に江戸時代から伝わる民間信仰。毎年1月20日、町内3か所の辻に張った注連縄に蛸、賽、藁の刃等を吊り下げ、悪魔払いをする。
- あんばばやし - 小畑町に江戸時代から伝わる元服祝いの行事。毎年1月27日の夜、有政神社で無病息災を祈願した後、15歳になる子供を先頭に鳴り物が町内を回る。
- 芋念仏 - 八大町に鎌倉時代から伝わる行事。毎年2、10、11月と秋の彼岸明けの計4回各地区の寺院を巡る。千葉県指定無形文化財。
- 菅原大神春の例祭 - 菅原大神に奉納された約90個の子産石(子宝石)を抱くと子が授かるといわれる。春(2月25日)と秋(11月25日)に例祭が行われる。
- 飯沼観音八日まち(灌仏会) - 飯沼観音で釈迦の誕生を祝う。戦前は、この日境内に見世物小屋や曲馬団が掛かり、露店や香具師が出て、近郷近在からの人出で賑わった。
- 浅間神社初山参り - 浅間神社の例祭。生まれて初めて迎える旧暦6月1日の早朝に裸足でわが子を抱いて階段を駆け登り参拝すると御利益があるといわれる。清水の坂には多くの露店が並んで賑わう。
- 小川神社宵宮 - 小川神社で毎年7月第3土曜日の夜に行われる。獅子舞が披露されるほか、おかめひょっとこ顔合わせ、大漁節、早打ち太鼓が演奏される。
- 大潮祭り - 旧暦6月15日に行われる川口神社の祭礼。川口神社の神輿2基が氏子町内を練り歩く。渡海神社、海上八幡宮でも神輿が出る。
- 銚子みなとまつり - 毎年8月上旬、旧渡船場近くの利根川河畔で花火大会、1000人の担ぎ手による神輿パレードが行われる。銚子の夏の風物詩。
- 海上八幡宮例祭 - 海上八幡宮で旧暦8月15日、神輿の町内神幸の後に流鏑馬が行われる。地元では「お的式」と呼ばれる。氏子22町内が1本ずつ的を立て、的中した的はその地区の代表が持ち帰る。
- 銚子港水産まつり - 銚子市漁業協同組合主催で、キンメダイの煮付けや生マグロ丼、その他各種水産物・水産加工品が販売される。きんめだいまつり、近海生まぐろ即売会も同時開催する。
- 黒潮よさこい祭り - 2004年(平成16年)から開催されている。全国から多数の踊り子チームが集い、市内数か所の会場で演舞を披露する。マルシェや屋台村も同時開催される。
- 銚子大神幸祭 - 1102年(康和2年)に海神の怒りを鎮めるために東大社、豊玉姫神社、雷大神の3社が外川浜へ渡御したのが始まり。20年に一度行われ、道中多くの芸能が披露される。
- 辻切り
- 菅原大神
- 浅間神社
文化財
銚子市では、2017年(平成29年)度に「銚子市歴史文化基本構想」を策定し、2018年(平成30年)度には「銚子資産活用協議会」を設立して、次世代への継承を目的とした銚子資産活用事業と歴史文化観光を推進するために「歴史文化基本構想を活かした観光拠点づくり事業」に取り組み始めた。2020年(令和2年)12月には、歴史文化構想の実現を目指し、文化財保護に計画的に取り組んでいくため、「銚子市文化財保存活用地域計画」を策定した[42]。2022年(令和4年)4月1日からは「銚子市デジタルアーカイブ」の運用を開始し、デジタルミュージアムとしての活用を図っている。銚子市内の国・千葉県指定文化財等は以下の通りである[112]。
番号 | 指定・登録 | 類別 | 名称 | 所在地 | 所有者または管理者 | 指定年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 国指定 | 重要文化財(建造物) | 犬吠埼灯台(灯台、旧霧笛舎、旧倉庫) | 銚子市犬吠埼 | 国(海上保安庁)、公益社団法人燈光会 | 令和2年12月23日 | 1基、2棟 |
2 | 重要文化財(彫刻) | 木造薬師如来坐像 | 銚子市常世田53-1 | 常灯寺 | 昭和34年6月27日 | 1躯 | |
3 | 重要文化財(工芸品) | 鐃 | 奈良国立博物館 | 円福寺 | 昭和34年6月27日 | 1口 | |
4 | 記念物(名勝及び天然記念物) | 屏風ケ浦 | 銚子市春日町744-1他 | 銚子市・千葉県・国 | 平成28年3月1日 | ||
5 | 記念物(天然記念物) | 犬吠埼の白亜紀浅海堆積物 | 銚子市犬吠埼9578-10他 | 銚子市・国 | 平成14年3月19日 | ||
6 | 県指定 | 有形文化財(建造物) | 猿田神社本殿 | 銚子市猿田1677 | 猿田神社 | 昭和30年12月15日 | 1棟 |
7 | 常灯寺本堂 | 銚子市常世田町53-1 | 常灯寺 | 昭和54年3月2日 | 1棟 | ||
8 | 海上八幡宮本殿 | 銚子市柴崎1-17 | 海上八幡宮 | 平成2年3月16日 | 1棟 | ||
9 | 有形文化財(彫刻) | 木造薬師如来立像 | 銚子市岡野台町2-473 | 等覚寺 | 平成元年3月10日 | 1躯 | |
10 | 木造薬師如来立像 | 銚子市岡野台町2-473 | 等覚寺 | 平成元年3月10日 | 1躯 | ||
11 | 木造菩薩立像 | 銚子市岡野台町2-473 | 等覚寺 | 平成元年3月10日 | 1躯 | ||
12 | 有形文化財(工芸品) | 梵鐘(享徳十一年在銘) | 銚子市馬場町293-1 | 円福寺 | 昭和42年3月7日 | 1口 | |
13 | 釈迦涅槃図 | 銚子市馬場町293-1 | 円福寺 | 平成3年2月15日 | 1幅 | ||
14 | 有形文化財(古文書) | 天正検地帳 | 銚子市ほか | 銚子市ほか | 昭和57年4月6日 | 18件・71冊 | |
15 | 有形文化財(考古資料) | 金銅経筒(建長四年在銘) | 銚子市岡野台町2-473 | 等覚寺 | 昭和60年3月8日 | 1合 | |
16 | 無形文化財 | 銚子縮 | 銚子市松岸町 | 常世田眞壱郎 | 平成13年3月30日 | ||
17 | 記念物(天然記念物) | 渡海神社の極相林 | 銚子市高神西町2 | 渡海神社 | 昭和34年4月24日 | ||
18 | 猿田神社の森 | 銚子市猿田1675-21他 | 猿田神社 | 昭和49年3月19日 | |||
19 | 犬吠埼産出のアンモナイト | 銚子市前宿町1034 | 銚子市 | 平成18年3月14日 | 5標本6点 | ||
20 | 国登録 | 登録有形文化財(建造物) | 内野家住宅洋館 | 銚子市長山町2034 | 個人 | 平成11年7月8日 | 1件 |
21 | 磯角商店主屋 | 銚子市飯沼町186 | 個人 | 平成26年4月25日 | 1件 | ||
22 | 滑川家住宅主屋ほか | 銚子市野尻町27-1 | 個人 | 平成29年6月28日 | 2件 | ||
23 | 旧西廣家住宅(治郎吉)主家ほか | 銚子市川口町1-6271 | 株式会社ランス | 平成30年3月27日 | 5件 | ||
24 | 石上酒造米藏ほか | 銚子市田中町7-1 | 個人 | 平成30年3月27日 | 5件 |
出身著名人

政治家・官僚
- 赤桐操(参議院議員、参議院副議長、銚子市名誉市民)
- 石毛鍈子(社会福祉学者、市民運動家、元衆議院議員、元民主党副代表、「季刊福祉労働」編集長、NPO法人「市民福祉サポートセンター」代表、「市民がつくる政策調査会」代表理事)
- 石毛博行(通商産業省・経済産業省官僚、第12代日本貿易振興機構理事長)
- 岡野俊昭(元銚子市長、元公益財団法人日本体操協会強化コーチ、新しい歴史教科書をつくる会副会長)
- 佐野利男(外交官、内閣府原子力委員会委員長代理、サンライフ国際担当理事、サン・ビジョン国際担当理事)
- 椎名隆(弁護士、衆議院議員)
- 椎名一保(元参議院議員)
- 篠塚保(外交官、防衛大学校防衛教育学群安全保障・危機管理教育センター教授、一般社団法人日本爆発物探知犬セキュリティ協会特別会員)
- 鈴木文史朗(ジャーナリスト、新聞記者、評論家、東京朝日新聞常務取締役、「リーダーズ・ダイジェスト」日本語版編集長、公益社団法人全国出版協会理事長、日本放送協会理事、一般社団法人日本青年館理事長、参議院議員)
- 富田茂之(弁護士、元衆議院議員、公明党政務調査副会長、なのはな法律事務所所長)
- 仲内憲治(外交官、教育者、在アフガニスタン日本大使、千葉県公安委員会委員、衆議院議員)
- 野平匡邦(元仙台市財政局長、元岡山県副知事、元自治省消防庁審議官、元岡山理科大学客員教授、元銚子市長、弁護士)
- 本間進(千葉県議会議員、元千葉市議会議員、元俳優)
実業家
学術
- 青野茂行(化学者、第7代金沢大学学長)
- 岩井美樹(体育学者、国際武道大学教授)
- 鵜月洋(国文学者、近世日本文学・宣伝・広告文専門、日本文学報国会主事、早稲田大学政治経済学部専任講師、日本近世文学会事務局長)
- 江畑謙介(軍事評論家、元拓殖大学海外事情研究所客員教授)
- 加瀬忠(元マドリッド日本人学校校長、元スペイン・フェリペII世大学翻訳学部PROFESOR、元陸上選手)
- 川名登(経済史学者、河川舟運史研究者、千葉経済大学名誉教授、文学博士)
- 清谷信一(ジャーナリスト、評論家、仮想戦記作家、日本ペンクラブ会員)
- 越川芳明(アメリカ文学研究者、翻訳家、映画評論家、元明治大学副学長、明治大学文学部教授、BABEL国際翻訳大賞日本翻訳大賞受賞)
- 小長谷正明(神経内科医、評論家、医学博士、国立病院機構鈴鹿病院院長・院神経内科医長、奈良県立医科大学講師、メリーランド大学客員助教授)
- 松井簡治(国語学者、学習院・東京高等師範学校・東京文理科大学教授、大日本国語辞典著者)
- 松本潤一郎(社会学者、理論社会学専門、法政大学・東京高等師範学校教授、日本大学・東京女子大学・東京帝国大学講師、日本文学報国会理事)
- 宮内嘉長(国学者)
- 和歌森太郎(歴史学者・民俗学者、日本民衆史・修験道史専門、東京教育大学名誉教授、都留文科大学学長)
文化・芸術
- 安藤豊(写真家)
- 石毛里佳(作曲家、編曲家)
- 金子周次(木版画家)
- 川口博史(作曲家)
- 菊地秀行(小説家、SF作家、ホラー小説作家)
- 国木田独歩(小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者、自然主義文学先駆者)
- 弦哲也(作曲家、公益社団法人日本作曲家協会会長、一般社団法人日本音楽著作権協会会長、銚子市名誉市民)
- 坂口三千代(随筆家、坂口安吾夫人)
- 千本松仁(作曲家、編曲家、演奏家)
- 高岡希一(アニメーター・アニメーション演出家)
- 高階良子(漫画家)
- 樽屋雅徳(作曲家、編曲家)
- 徳島高義(文芸編集者、公益財団法人日本近代文学館監事)
- ねもと章子(漫画家)
- 宮崎丈二(作家、詩人、画家)
- 山口よしのぶ(漫画家)
芸能・マスコミ
- 今津雅晴(ダンサー、コレオグラファー)
- 吉岡晋也(日本教育テレビアナウンサー)
- 内田高子(女優、元歌手)
- 内田良平(俳優、詩人)
- 内海桂子(漫才師、女優、一般社団法人漫才協会名誉会長)
- 大崎瑠衣(アイドル、さよならステイチューンメンバー)
- 岡田英次(俳優)
- 菊地成孔(ジャズミュージシャン、文筆家、作曲家、アテネ・フランセ映画美学校音楽美学講座メソッド科主任講師、国立音楽大学・東京芸術大学・慶應義塾大学非常勤講師、慶應義塾大学アート・センター訪問所員)
- 澤孝子(浪曲師、第17代日本浪曲協会会長)
- 高倉みゆき(女優)
- 千葉一夫(演歌歌手)
- 宮内洋(俳優)
- 夏木ゆたか(タレント、司会者、歌手)
- 滑川和男(NHKアナウンサー)
- 名雪佳代(女優、タレント、モデル)
- 本谷育美(テレビ静岡アナウンサー)
- 安田登(能楽師)
- 柳家三之助(落語家)
- 由良ゆら(タレント、アイドル)
スポーツ
- 阿天坊俊明(元社会人野球選手、あてんぼう代表取締役)
- 石毛嘉久夫(棋士九段)
- 石毛克幸(競輪選手)
- 石毛大蔵(総合格闘家)
- 石毛博史(元プロ野球選手)
- 大ノ濵勝治(力士)
- 加藤友里恵(トライアスロン選手)
- 木樽正明(元プロ野球選手、千葉県立銚子商業高等学校野球部コーチ、ちば銚子熱中小学校校長)
- 窪田淳(元プロ野球選手)
- 榊原翼(元プロ野球選手)
- 澤井良輔(元プロ野球選手)
- 篠塚和典(元プロ野球選手、日本テレビ・ラジオ日本野球解説者、日刊スポーツ野球評論家)
- 杉山茂(元プロ野球選手)
- 鈴木翔大(プロサッカー選手)
- 鈴木優磨(プロサッカー選手)
- 関根知雄(元プロ野球選手)
- 千田川吉藏(大相撲力士)
- 髙見山酉之助(大相撲力士)
- 田中清隆(元調教師、元競馬騎手)
- 田中達彦(元プロ野球選手)
- 竹旺山友久(大相撲力士)
- 銚子灘傳右エ門(大相撲力士)
- 名洗将之(元プロ野球選手)
- 滑川玉江(元バレーボール選手)
- 根本隆(元プロ野球選手)
- 藤ヶ崎矢子(プロレスラー)
- 町田公雄(元プロ野球選手)
- 宮内龍汰(元プロサッカー選手)
- 八木政義(元プロ野球選手)
- 横田広明(元プロボクサー、横田スポーツジム会長)
- 渡辺進(元プロ野球選手)
作品
文学・小説
- 『七番日記』(1811年〜1819年、著者:小林一茶)
- 『南総紀行旅眼石』(1827年、著者:十返舎一九)
- 『利根川図志』(1858年、著者:赤松宗旦)
- 『驟雨』(1893年、著者:国木田独歩)
- 『利根川だより』(1898年、著者:島崎藤村)
- 『青山白雲』(1898年、著者:徳富蘆花)
- 『三社めぐり』(1899年、著者:大和田建樹)
- 『自然と人生』(1900年、著者:徳富蘆花)
- 『銚子の紀行』(1903年、著者:尾崎紅葉)
- 『銚子行の日記』(1905年、著者:木下杢太郎)
- 『青春』(1905年〜1906年、著者:小栗風葉)
- 『涼しき土地』(1907年〜、著者:竹久夢二)
- 『関東の山水』(1909年、著者:大町桂月)
- 『青年』(1910年〜1911年、著者:森鴎外)
- 『犬吠岬旅情のうた』(1911年、著者:佐藤春夫)
- 『宵待草』(1912年、著者:竹久夢二)
- 『犬吠の太郎』(1912年、著者:高村光太郎)
- 『大菩薩峠』(1913年〜1941年、著者:中里介山)
- 『寝顔』(1914年、著者:舟橋聖一)
- 『道程』(1914年、著者:高村光太郎)
- 『燈台へ行く道』(1914年、著者:田山花袋)
- 『くろ土』(1921年、著者:若山牧水)
- 『砂丘日記』(1932年、著者:吉田絃二郎)
- 『瑞枝』(1934年、著者:黄瀛)
- 『秋一人』(1935年、著者:吉田絃二郎)
- 『犬吠ヶ埼』(1935年、著者:吉田絃二郎)
- 『天の真榊』(1936年、著者:香取秀真)
- 『暁紅』(1940年、著者:斉藤茂吉)
- 『素描』(1940年、著者:前田夕暮)
- 『智恵子抄』(1941年、著者:高村光太郎)
- 『裸者と死者』(1948年、著者:ノーマン・メイラー)
- 『歩道』(1950年、著者:佐藤佐太郎)
- 『砂に残された文字』(1951年、著者:広津和郎)
- 『死んだ海』(1952年、作・演出:村山知義)
- 『房総鼻眼鏡』(1954年、著者:内田百閒)
- 『砂漠の花』(1955年〜1957年、著者:平林たい子)
- 『犬吠岬紀行』(1958年、著者:吉田絃二郎)
- 『犬吠』(1961年、著者:尾張穂草)
- 『かずら野』(2001年、著者:乙川優三郎)
- 『むこうだんばら亭』(2005年、著者:乙川優三郎)
- 『十津川警部 銚子電鉄六.四キロの追跡』(2010年、著者:西村京太郎)
- 『トモシビ - 銚子電鉄の小さな奇蹟 - 』(2015年、著者:吉野翠)
- 『十津川警部 わが愛する犬吠の海』(2016年、著者:西村京太郎)
- 『あなたのなかの忘れた海』(2016年、著者:高橋弘希)
映画
- 東映映画全般オープニング映像『荒磯に波』(1955年 - )
- 『トラック野郎・故郷特急便』(1979年)
- 『こんにちはハーネス』(1983年、監督:後藤俊夫、主演:中村明美)
- 『ジョゼと虎と魚たち』(2003年、監督:犬童一心、主演:妻夫木聡)
- 『彩恋 SAI-REN』(2007年、監督:飯塚健、主演:関めぐみ)
- 『恋する日曜日 私。恋した』(2007年、監督:廣木隆一、主演:堀北真希)
- 『トモシビ 銚子電鉄6.4kmの軌跡』(2017年、監督:杉山泰一、主演:松風理咲)
- 『ぬくもりの内側』(2023年 イオンエンターテイメント、監督:田中壱征、出演:白石美帆・三田佳子・渡辺裕之・音無美紀子・榎木さりな)
テレビドラマ
- 『パパと呼ばないで』(1972年10月 - 1973年9月、日本テレビ系列、主演:石立鉄男)
- 『港町純情シネマ』(1980年、(TBS、主演:西田敏行)
- 『澪つくし』(1985年、NHK連続テレビ小説、脚本:ジェームス三木、主演:沢口靖子)
- 『ライスカレー』(1986年、フジテレビ系列テレビドラマ。脚本:倉本聰、主演:時任三郎、陣内孝則)
- 『このまちだいすき 第一シリーズ・シラベル編』(1992年4月 - 1994年3月、NHK教育テレビ、主演:東善智)
- 『コーチ』(1996年、フジテレビ系列、主演:浅野温子、玉置浩二)
- 『さわやか3組』(2002年4月 - 2003年3月、NHK教育テレビ、出演:丸茂逸朗、池田恭祐、貞方徹、三尾玲央奈、山田さくや、大谷英莉)
- 『ラスト・フレンズ』(2008年、フジテレビ系列、主演:長澤まさみ、上野樹里)
音楽
MV撮影
アニメ
脚注
関連項目
外部リンク
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