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5代上野 松次郎(うえの まつじろう、旧姓・鵜月、前名・豊次郎[1]、1860年3月31日(万延元年3月10日)[2] - 1939年(昭和14年)[3]11月27日[4])は、日本の商人(油屋、肥料商)[5]、政治家。衆議院議員[6]、栃木県多額納税者[7][8][9]、資産家[10]、実業家。族籍は栃木県平民[11][12]。
下総国銚子(現・千葉県銚子市)生まれ[6]。鵜月庄蔵の二男[5][7]。鵜月庄三郎の弟[1]。1883年、栃木県宇都宮の上野家の4代目松次郎の長女タミと結婚し、養子となり、1889年、上野家の家督を相続した[11]。
五代目松次郎として家業の肥料商を営み、また肥料問屋として業界で重きをなした[3]。また銀行会社の重役だった[11]。宇都宮商工会議所初代会頭[3]、宇都宮銀行、下野中央銀行各頭取[3]、下野製紙、宇都宮瓦斯、上野松次郎商店各代表取締役[3]などをつとめた。
宇都宮市会議員、同市参事会員等に挙げられた[1]。1914年、宇都宮市会議長に選出された[3]。1917年、衆議院議員に当選[1]、立憲政友会に所属し、1期務めた[3]。独力で宇都宮私立幼稚園を設立し、その園長となる[1][6]。
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[2]。住所は栃木県宇都宮市本郷町[1][5]。
初代松次郎は新兵衛の長男として1788年に材木町に生まれ、24歳の時に家督を相続して家業の製油業に専念[3]。屋号を『油松』といい、初代松次郎は材木町・油屋松次郎の名で業務を急拡大させる[3]。初代松次郎の次男三代松次郎は、製油工程で副産物として生成される油粕を肥料として販売[3]。
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