窪田淳
日本の元プロ野球選手 (1978-) ウィキペディアから
窪田 淳(くぼた あつし、1978年〈昭和53年〉2月20日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。
経歴
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プロ入り前
市立銚子高では一塁手兼第2投手であった。第1投手は長谷川昌幸[1]。
大学は帝京大学に進学し、硬式野球部に所属。3年生まで首都大学リーグ戦未登板であったが、スリークォーターから投じる140km/h台のストレートと鋭く曲がるスライダーを武器にして、4年生時に大学エースとなる。当時の監督が日産自動車コーチ時代に川尻哲郎を指導しており、その川尻と近い投球フォームにして開花したという[1]。通算10試合登板、5勝2敗。1学年先輩に愛敬尚史、里崎智也がいた。
現役時代
当時の阪神には数少ない速球派投手として期待されたが、2年間で一軍出場はなく2001年オフにオリックス・ブルーウェーブへ金銭トレードで移籍[2]。オリックスでは石毛宏典監督が高校の先輩であった。
移籍後は一軍登板もあり、2003年10月7日の大阪近鉄バファローズ戦で救援としてプロ入り初勝利を挙げたが、これまでの成績が安定しておらず、同年オフに自由契約となる。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:2002年9月4日、対福岡ダイエーホークス23回戦(グリーンスタジアム神戸)、8回裏に4番手で救援登板、2/3回2失点
- 初勝利:2003年10月7日、対大阪近鉄バファローズ28回戦(Yahoo! BBスタジアム)、11回表に6番手で救援登板・完了、1回1失点
背番号
- 58(2000年 - 2001年)
- 54(2002年 - 2003年)
脚注
関連項目
外部リンク
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