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日本の公益社団法人 ウィキペディアから
公益社団法人ACジャパン(エーシージャパン、英語: Advertising Council Japan、AC JAPAN)は、日本で様々なメディアを通した公共広告により啓発活動を行っている公益社団法人である[注釈 1]。
創立者 | 佐治敬三 |
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団体種類 | 公益社団法人 |
設立 | 1971年(昭和46年)7月7日[1] |
所在地 |
本部・東京事務局 〒104-0061 東京都中央区銀座七丁目4番17号 電通銀座ビル 大阪事務局 〒550-0002 大阪府大阪市西区江戸堀一丁目3番3号 肥後橋レックスビル[1] |
法人番号 | 1010005017260 |
起源 |
関西公共広告機構 (1971年7月 - 1974年1月) 社団法人公共広告機構 (1974年1月 - 2009年6月30日) 社団法人ACジャパン (2009年7月1日 - 2011年3月31日) 公益社団法人ACジャパン(2011年4月1日 - ) |
主要人物 | 理事長 鳥井信宏[1] |
活動地域 | 日本 |
主眼 | 国民の公共意識の高揚 |
活動内容 | 公共的事項に関する広告 |
会員数 |
正会員数1,031社 賛助会員数45社 個人会員数83名 (2023年3月31日現在)[1] |
標語 | 気づきを、動きへ。 |
ウェブサイト |
www |
公共広告によって、国民の公共意識を高めることを目的に活動している民間の団体である。アメリカの「広告協議会(アド・カウンシル、以下『アメリカAC』と表記)」を見本として、1971年(昭和46年)に大阪府で前身である任意団体の「関西公共広告機構(かんさいこうきょうこうこくきこう)」が発足。公共広告を実施する団体としては日本初のものであった。1974年(昭和49年)、これを引き継ぐ形で「社団法人公共広告機構(こうきょうこうこくきこう)」を設立し、全国放送されるようになった。2009年(平成21年)7月には現名称であるACジャパンへ改称。2011年(平成23年)には公益社団法人化された。
運営は全国の企業や団体、一般個人による会費制で成り立っており、税金は使用されていない[2]。主な活動内容は様々なメディアを通した公共広告の発信であり、制作は正会員である広告会社により行われている。広告は無料で流されているが、正規料金に換算した場合の広告費は日本国内の広告主でトップクラスの規模である。
前述の通り、組織の運営は会員からの会費により成り立っている。会員は「正会員」「賛助会員」「個人会員」に分けられる。正会員は広告を取り扱う企業であり、広告主となる一般企業のほか放送業界[注釈 2][3]・新聞業界・広告業界などの企業が含まれ、正会員社数は約1000社(2011年(平成23年)度現在)にのぼる。会員企業からは1口12万円[4]の年会費という形で資金を集めている。賛助会員は1987年(昭和62年)度から設けられた会員であり、当初はACジャパンの活動に賛同する個人を対象にした会員であった。現在、賛助会員は名称が「個人会員」と改められ、「賛助会員」は正会員社の事業所である会員を指している。賛助会員(現在の意味における)の会費は1口6万円、個人会員の会費は年6000円である[注釈 3]。現在、主たる事務所を東京都中央区に置いて、全体の年間実行計画の統括事務を行う一方、札幌市中央区・仙台市青葉区・東京都中央区・名古屋市中区・大阪市西区・広島市中区・福岡市中央区・那覇市の全国8か所に事務局が設置されている。
現理事長はサントリーホールディングス代表取締役副社長の鳥井信宏[6]。副理事長は、河北新報社代表取締役社長の一力雅彦、株式会社電通相談役の石井直、株式会社テレビ朝日取締役副社長の角南源五である[6]。
前身である関西公共広告機構が設立される背景となった時代は、高度経済成長期である。この時代は人々の生活水準が向上した一方で様々な社会問題が生じており、いわゆるテクノロジーアセスメント、ソーシャル・マーケティングといった概念の登場で『企業の社会的責任』が問われるようになった。この点は植条則夫が指摘しているほか[7]、「関西公共広告機構設立趣意書」においても記載されている[8]。
1969年11月、設立者である佐治敬三はアメリカの広告会社であるケッチャム社を訪れ、そこでアメリカACの存在を知り「同じような活動を日本でもできないか」と考えた。これが関西公共広告機構設立のきっかけである[9]。佐治が注目したアメリカACの作品は「愛…それはあらゆる人種を超えて」である[10]。また、佐治は「広告は人を説得するための最も強力な手段」と考えており、広告を手段に商売をしてきた大企業の社長として、公共の問題について社会に訴えていくことで広告に「お返し」をしたいと思っていたことも、設立のきっかけの一つにつながっている[9]。
帰国した佐治は、1970年1月29日に大阪広告協会で公共広告を実施する機関の設立を提唱し、その約1年半後となる1971年7月7日に発起人会・設立総会が実施され、関西公共広告機構が設立された[10]。
設立に至るには、会員となる企業がその活動に賛成し、さらに金銭面で協力することが必要であった。植条によると、日本人はアメリカ人と違って公共意識が低いため協力が得にくいのではないか、という意見があったというが、関西においては広告関係者の協力が問題なく得られた[9]。
これに関して、加藤良雄(1992年当時、公共広告機構政策実行委員会副委員長)は、大阪人には佐治や芦原義重(関西公共広告機構会長)を中心としたまとまりがあり、ボランティア精神や素早い問題意識があったことが成功した要因であったと発言している[9]。さらに加藤は金銭面での協力について、当時は「万博景気の後」ということで、広告主や媒体社に多少の余裕があったのが幸運であった、との旨を発言している[9]。植条は設立された時期について、前述の社会的な背景を踏まえて「公共広告を受け入れるには、まことにタイムリーな時代でもあった」と述べている[7]。
団体としてのスローガンには、1987年(昭和62年)5月に採用された「人と人とを結ぶ、思いやり」(1985年度[注釈 4]の同名新聞広告が由来)と、2001年(平成13年)度に新たに採用された「明日のために、いま始めよう。」がある[注釈 5]。スローガンはテレビCMにおいても最後に表示されるロゴマークに付記されていたが(付記のないCMや別のスローガンのCMも存在した(例として1991年度の「家庭排水・人魚」(スローガンは「ここから始めなければ。」)など)、異なる文言が表示されていたCMもある(例として1994年度の阪神・淡路大震災激励CMでは「人を救うのは、人しかいない。」、2005年度の日韓共同キャンペーンでは「明日を一緒に考えよう。」、2007年度のテレビCMにおける支援キャンペーンではサウンドロゴが流れた直後、ACロゴの上に「未来につながる活動を支援しています。」と表示。また、2008年度のラジオCMでは、サウンドロゴの前に「ACはこの活動を支援しています」と流れていた)。2009年(平成21年)度以降はテレビCMの最後にスローガンが表示されなくなり、代わりに以下のような文言がロゴマークに付記されている[注釈 6]。
団体創立20周年記念の際にマスコットキャラクター「めばえちゃん」[14]が登場した。公式サイト上では2006年度のリニューアルから登場しており、同時に「みのりちゃん」「いくえちゃん」が加わった。この3人は姉妹関係で、みのりちゃんが長女、いくえちゃんが次女、めばえちゃんが末っ子とされている。
2021年7月現在、テレビCMへの登場は無いが、2007年(平成19年)度の新聞広告ではインターネットの検索エンジンの検索窓に「AC」と入力してあるその右に「検索」ボタンが描かれているという内容の広告がある[15]。他に創立40周年を記念した新聞広告に3姉妹で出ている。
2008年より、公式サイトのめばえちゃんのコーナーで新たに4コマ漫画のページが設けられている。
企業広告を放送しない日本放送協会(NHK)も会員企業であり、それ以前から関連会社であるNHK出版のテキストに広告を出す程度であるが、2000年(平成12年)には、NHKとの共同による啓発キャンペーンとして公共広告を放送した実績がある[11]。最初に放送されたのはACジャパン制作の「捨てる世紀」とNHK制作の「地球の声 環境汚染」。この活動は現在も継続中であり、公共広告の共同キャンペーンとしては異例の長寿展開となっている。
NHKがCMを放送するのはテレビのみであり[注釈 9]、受信料によって支えられている関係で一般企業の広告をPP[注釈 10]、CM共々行っていないことから、自社製作テレビ・ラジオ番組の宣伝がNHKにおける主なCMで、番組と番組の間しかCMの放送枠が存在しない(いわゆるスポットCM)。
その経緯のため、テレビCMのみの放送で、番組間の番宣枠を中心に放送している。ラジオCMに関してはACジャパンが製作した一部キャンペーンのみ行っていたが、現在は実施していない。初期の頃はNHKとACジャパン制作のCMを同時に流用していたが、数年でNHK制作のCMのみに一本化されている。NHK制作のCMは開始時から2011年度まで環境問題、2012年からは公共マナーなどの様々なテーマを取り上げる。
なお、NHKでCMを放送する場合、CM末尾の「AC JAPAN」ロゴおよびサウンドロゴは使用せず、代わりに上記のロゴが表示される部分を「公共放送 NHK」のロゴとナレーションを使用した映像に差し替える。過去には「NHK環境キャンペーン」などへの差し替えや、カットされた事例もあった。
このキャンペーンは、2001年度から2005年度まで、NHKのウェブサイトであるNHKオンラインには紹介されなかった。NHKで放送されているCMは、ハイビジョン制作になっている。ACジャパン(民放)で放送されるCMは、2011年度までサイドカットまたはレターボックスになっていたが、地デジ化完了後の2012年度からは、NHK同様ハイビジョンでCMが放送されている。
広告キャンペーンは毎年7月に更新され、7月から翌6月までの1年間をその年度として実施される。公共広告を展開するメディアはテレビ・ラジオ・新聞・雑誌のほか、映画館(映画の上映前)やスタジオアルタなどのオーロラビジョン(街頭ビジョン)、インターネット広告なども利用している[注釈 11]。
取り扱うテーマは、その年度ごとに日本社会が必要としている事柄であり、環境問題・公共マナー・薬物・いじめ・家庭問題・啓発活動など多岐にわたる。テレビおよびラジオCMについては、各局の7月1日の放送開始以降、起点の午前5時以降、あるいは午前0時以降から、新しいCMが放送される。どのCMを流すかについては放送局側に一任しているため、どの内容のCMがどれだけ流れているかについてはACジャパンとしては関知していないと回答している[16]。
テレビCMに関しては、2011年度からは一部の作品が、翌2012年度からは全てハイビジョン制作となり、2015年度からは一部の作品でテレビCMの日本語字幕放送を開始した。また、ラジオCMは、2016年度よりACジャパン公式サイトで40秒版のみ聴ける様になった(但し、文字での内容紹介はそれ以前から公開されている)。
新聞広告、ポスターなどの枠は会員社によって無償で提供されており、広告代理店などの加盟企業がコンペティション形式で制作している。その広告実績は正規の広告料金に換算すると797億円(2009年度)にものぼり[11]、これは日本で展開される1広告主の広告としては、最大規模のものとなっている。2010年度の実績は2800億円と大きく伸びており、ACジャパンは、これを東日本大震災後における自身のCMの大量放送(後述)によるものとしている[17]。
「全国キャンペーン」「地域キャンペーン」「支援キャンペーン」の3つを主としており、ACジャパンはこれを「3つの柱」としている。
このほか、団体そのものを紹介する広報キャンペーンや、NHK・アメリカAC・韓国放送広告公社と共同で行うキャンペーンもある(それぞれ「AC・NHK共同キャンペーン」<上記参照>、「日米共同キャンペーン」、「日韓共同キャンペーン」)。
BS放送においては、大学や専門学校の学生が制作し、応募した作品の中から選ばれた「ACジャパン広告学生賞」の作品も放送される。
大災害発生などの緊急時には、7月の更新時期に関係なく臨時キャンペーン(下記参照)が企画、制作される。
ACジャパンのCMは、CM枠に空きが生じた場合に放送される。空きが生じるケースとして、番組のスポンサーである企業(クライアント)が深刻な事情によりその番組へのCMの出稿を自粛し、提供クレジット画面にそのスポンサーの企業が非表示となったり、ラジオの提供読みにおいて提供している企業の読み上げが行われない場合(放送・広告業界において「AC差し替え」と呼ばれる)や、生放送においてCMをはさまずに放送することが技術上困難なためにCM枠が入る場合のような例がある[20]。これらの事情がない場合でも、テレビ局がCM枠を確保できないことがあり、その枠を埋めるためにもACジャパンのCMが放送される[注釈 16][22]。
CMの出稿を自粛するのは企業側の都合による場合が多い。企業が不祥事を起こしてCM出稿を差し控えるのはその例である[23]。
一例として、
これらのCMが打ち切られ、代替としてACジャパンのCMが流れたケースがある。
それに対し、皇室の慶弔や大災害の発生時などにおいて多くの企業が一斉にCMの出稿を自粛することがある。この場合、CM枠の多くが空くためACジャパン(公共広告機構時代含む)のCMが大量に放送される。事例として、昭和天皇崩御時や阪神・淡路大震災[28]、東日本大震災(後述)、熊本地震[29]、能登半島地震の発生時がある。
2020年(令和2年)以降も、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行による広範囲への社会・経済的影響や緊急事態宣言[30][31][32][33]、安倍晋三銃撃事件と故安倍晋三国葬儀等の事象により一時的にACジャパンのCMが集中的に放送されるケースが発生している[34][35][36]。
新型コロナウイルス感染症の流行初期に当たる2020年2月末からACジャパンのCMへの差し替えが増加し、CM総合研究所によると、在京キー各局放映分だけで同年3月末には1日100件近くの水準にまで増加した[37]。これらの影響から同年5月1日より、新しくコロナ対策臨時キャンペーンを実施し、8種類のCMを制作・放映するようになった[38][39]。また、銃撃事件発生直後はACジャパンのCM放映数が平時の50倍超に増加しており、CM総合研究所によると、企業CMの自粛が相次いだ東日本大震災以後では最多としている[40]。
CM出演者(その出演者が所属している芸能事務所を含む)による不祥事に伴うCM出稿停止により、ACジャパンのCMに差し替えた事例もあり、2023年に発覚したジャニーズ事務所創業者であるジャニー喜多川による性加害問題を受けて、一部企業が該当事務所所属タレントが出演しているCM出稿を一時停止し、代替としてACジャパンのCMが流れた事例がある[41]。
企業ではなくテレビ局や番組出演者の不祥事を理由として、企業がCM出稿を取りやめる場合がある。
前者の事例としては、
また類例として、
後者の事例としては、
また類例として、
その分の差し替えとしてACジャパンのCMが流れたケースがある。
この他、ニュース・情報番組において、番組スポンサーである企業に不利な報道が行われる場合は公正中立の観点からその日のみ該当スポンサーが降板し、その分の差し替えとしてACジャパンのCMが流れる場合がある[53]。
番組の放送休止によって生じる代替番組におけるCMとして、ACジャパンのCMが放送される場合もある。たとえば、前述の『ぴーかんテレビ』のケースでは、同番組の休止によって放送された代替番組ではACジャパンのCMが多く放送されていた、ということがインターネット上の「実況」で伝えられていた[54]。
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創立から1986年度までのロゴマークは、鳥とハートを掛け合わせた、ハートマークの左側にくちばしのような尖った部分があるものであった。鳥は「社会と自然の融合とやさしさ」を象徴し、ハートは「人の社会への思いやり」を形にしたものである。このロゴマークは、大阪万博のシンボルを担当した大高猛がデザインしている[55]。当時はロゴの色や大きさ、「公共広告機構」の部分の書体、表示様式[注釈 17]等が統一されておらず、CMにより様々なバリエーションが存在していた。
1987年2月の団体創立15周年記念事業において、ロゴマークが変更された。デザインは東急エージェンシーによるものである[56]。新しいロゴマークは、「Motter Ombra」というフォントを元にした青色の「AC」がデザインされたものである。これに伴い、「公共広告機構」の部分の書体も角ゴシック体のものに統一されるようになった。また、当初「公共広告機構」の部分は白色の背景に黒色の文字であったが、2003年度からは、「AC」の部分と同様、白色の背景に青色の文字になった(後述のように例外あり)。
2008年度、団体名改称に先立ちロゴマークも変更され[11]、「AC」の文字の下部または右側にあった「公共広告機構」の文字が「よりよい社会をめざす民間の広告ネットワーク」に変わった。翌2009年度の団体名改称時には、「AC」のロゴが若干丸みを帯びた形になり、下にゴシック体で「JAPAN」の文字が書かれる現行タイプに再度変更されている。
ロゴマークは公式サイトで見られる他、広告作品においても表示される。テレビCMでは最後に表示されるが、必ずしも青色のロゴが白色の背景に表示されるわけではなく、異なる色や大きさのロゴ、異なる背景が使用されているCMがこれまで存在している[注釈 18]。なお、ACジャパンへの改称後は、臨時キャンペーンと環境映像など一部を除き、必ず青色のロゴマークが白色の背景に表示されており、前述の通り2013年度から2020年度までの支援キャンペーンではロゴマークの下に「この活動を支援しています」の文言が入っていたが、2021年度より、支援キャンペーンでも2012年度までと同様に他キャンペーンと同様の表示となった。
ちなみに初代のロゴマークが使われていた頃は、CMの最後で白色の背景に鳥のアニメーションが描かれ、その鳴き声と共にロゴマークと融合するかロゴマークに変身する演出を取り入れたもの(1981年度「私たちの敵は無関心です」など)も存在した。
初代ロゴマーク時代はサウンドロゴも統一されていなかったが(ラジオを中心に「ポポーン」というサウンドロゴがあるものもあった)、1987年度のロゴマーク変更と同時に、女声による「♪AC」というサウンドロゴが正式に導入され、テレビCM・ラジオCMの最後に使用されていた(サウンドロゴ導入後に最初に使用された作品は、同年度の「しつけこそ人間」)[注釈 19]。サウンドロゴに関しても2009年度の団体名改称と共に[11]、男女混声による音声のものに変わった。但し、2009年度以降のCMでも初代サウンドロゴを使用しているものがある(2009年度の「コトバダイブしよう。」【ラジオCM】、同年度の広告学生賞受賞作品、2010年度の「見える気持ちに。」と「オシムの言葉」)。又、ロゴマークの色と同様サウンドロゴの使用に関しても統一されているわけではなく、使用していないCMも存在する(一例として2010年度の「こだまでしょうか」)。2006年度までのCMでは、サウンドロゴの有無に関わらず、ロゴ表示時に「公共広告機構です。」又は「明日のために、いま始めよう。」(2001年度以降)のナレーションが流れるCMも一部存在していた(一例として2006年度の「はっけよいエコライフ」、2007年度のテレビCMの15秒版を除いた全てのCM)。90年代後半以降はテレビの15秒版を中心にサウンドロゴが無いものも増やされた(一例として、2001年度の「死後の意思」、同年度の地域キャンペーンを除くテレビCMの全バージョンなど)が、2007、2008年度は全てのCMにサウンドロゴが使用された。
2010年度は、2011年3月に発生した東日本大震災の影響によるCMの大量放送と視聴者からの苦情を受け、サウンドロゴの削除措置が実施された(後述の東日本大震災に伴う特別措置を参照)。この措置は、テレビCMでは2010年度CMの放送終了まで行われたが、ラジオCMでは間もなく一部で使用が再開された。また、その翌年度である2011年度のCMでは、テレビCMにおいてサウンドロゴの使用が見合わせられた[57]ものの、ラジオCMでは一部を除き従来通り使用された。2012年度のCMではテレビ・ラジオ共にサウンドロゴが使用されず、CM末尾に「ACジャパン」とのナレーション(声はCMごとに異なる)がなされた[58]。翌2013年度においても、ACジャパンのアンケート調査で「地震を連想させる」という意見が多く、サウンドロゴは使用されずナレーションのみとなった[59]。
3年間にわたり使用が見合わせられていたサウンドロゴは、2014年度のCMにおいて新たに復活した。ACジャパンによると、調査の結果3人に2人がサウンドロゴの使用に肯定的であり、「♪ACジャパン」という正式名称による新しいサウンドロゴが使用される様になった[60]。ただし、2013年度からの支援キャンペーンはサウンドロゴを使用せず、「ACジャパンは、この活動を支援しています」のナレーション(声 - 林田尚親)を使用している[注釈 20]。
しかし、COVID-19流行による放送回数の増加を受け、2020年度以降は再びサウンドロゴの使用を取りやめ(同年5月からの新型コロナウイルス対策臨時キャンペーンで先行実施)、ナレーションのみとしている。
サウンドロゴが復活した2014年度以降、東日本大震災時の教訓もあり、テレビCMが大量に放送される事態が発生した場合や番組内容とそぐわない場合等に、任意でサウンドロゴの削除措置が実施されることがある。この為、同年度以降に制作された全てのテレビCMは、同じバージョンのサウンドロゴを削除したものが別に制作されている。実例として2016年4月14日に発生した熊本地震の際、翌15日の放映分よりサウンドロゴの使用を自粛していたが、同年5月以降は不定期ながら使用を再開している。これ以外でも、2018年の北海道胆振東部地震や2019年の令和元年東日本台風(台風19号)等の直後には、サウンドロゴを削除する措置を行っていた。
2024年度の支援団体は以下の8団体である。記載順序はACジャパン公式サイトに従う。☆は新しく支援団体になる団体、★は数年振りに支援団体に復帰した団体。
など。
テレビCMに限る。また、ナレーションやCMソングなどの担当者も含む。括弧内はCM出演者・ナレーション担当者の職業を表す。
2024年度広告キャンペーン[66]
放送時期の順に記述。
1985年(昭和60年)8月12日に発生した日本航空123便墜落事故により、ハウス食品社長の浦上郁夫が死去したことに伴い、ハウス食品は提供やCM放送を一時的に自粛した。これにより、ハウス食品が当時単独提供をしていた『ハウス食品世界名作劇場』の『小公女セーラ』はノンスポンサーで放送され、公共広告機構のCMが流れた。
2011年(平成23年)3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した際、当初CM抜きで報道特別番組を放送していた民放各局は、徐々にCMを入れた通常編成に戻したが、多くのスポンサー企業はCM放送を自粛した。ACジャパンの担当者がテレビ局の人物から聞いた話によると、クライアントである一般企業の約70%以上が自粛したという[111]。これにより、ACジャパンのCMは民放各局で繰り返し放送され、世間から注目を集めることになった。なお同様の事態は阪神淡路大震災でも起きている(当時は中野浩一・増田明美出演「もっとマナーもっとリサイクル」)。
地震発生前におけるACジャパンのCMの本数は、2011年3月5日から11日の14時50分過ぎまでの期間において32本であった(関東の民放キー局5局を対象にした調査。CM総合研究所調べ)[112]。それ以降、地震・津波関連の報道特番によりCMが放送されなくなり、CMが復帰した3月14日[注釈 26]以降、ACジャパンのCMが激増した。3月12日から19日までの1週間におけるACジャパンのCMの本数は1万9972本にのぼっており(調査対象・調査会社は同じ)、CM総合研究所によると、この本数はトヨタ自動車が1年間で放送するCMの本数に相当するという[112][113]。
CM全体に対してACジャパンのCMが占めた割合も、地震直後は非常に高くなった。地震後にCM放送を再開してから3月16日早朝までに放送した8,173本のCMのうち、77%がACジャパンのCMであり[114]、3月22日まででは全体の約8割がACジャパンのCMであったという[115]。また、1日におけるACジャパンのCMの割合は、3月15日が「8割超」[116]、3月16日が「約86%」[112]と発表されている。3月下旬には徐々にCMを再開する企業が増え、4月以降になると割合は全体の15%程度に減少し、5月のゴールデンウィークの時期には全体の1%未満(1日あたり約20本)に落ち着いた[116](いずれも関東の民放キー局5局を対象にした調査。CM総合研究所調べ)。
このように、ACジャパンのCMは非常に多く流された。さらに、放送回数の多さに対してCMの種類が少ないために同じCMが繰り返し流され、これにより視聴者からの反感を生み出してしまった[20]。また、CMの内容についても、震災時に流されることが考慮されたものではない。これらの点について、ACジャパンには視聴者から「同じCMばかり流れてしつこい」「内容が地震にそぐわない」といった旨の苦情が殺到したという[117]。後のACジャパンの2010年度事業報告によると、非常時を意識していないCMの内容に対する違和感の声が多かったのは支援キャンペーンであり、一方で全国キャンペーンに対する批判は少なかったという[118]。なお、ACジャパンの専務理事である草川衛によると、苦情は被災地以外に住む視聴者から先に寄せられ、被災地の視聴者からの苦情はやや遅れて寄せられたという[28]。
苦情はCMの放送回数や内容に関するものばかりではなく、サウンドロゴに対するものもあった。サウンドロゴに対しては「不快だ」[117]「地震速報と間違える」[119]といった旨の苦情が寄せられた。
このように、ACジャパンへの反感を持った視聴者による苦情が殺到したという事実がある一方で、雑誌『CM NOW』は地震直後におけるACジャパンの広告に関する肯定的な一面に言及している。それは、テレビを通して地震による災害を見守ってきた視聴者が感じた「言い知れない、解消の出来ない心のざわつき」を「一瞬、冷静にさせ、ある意味では癒してくれた」という一面である[20]。さらに同誌では、ACジャパンの作品には「他人(ひと)を想う気持ち」を考えたという意味での共通点があり、それが震災に立ち向かう人々の心情と重なったのかもしれない、という見解が述べられている[20]。また、CM総合研究所調べによる銘柄別CM好感度ランキングでは、震災直後である2011年3月度後期の調査において、ACジャパンが1位となった。その後、4月度前期・4月度後期と3期連続で1位を保っており、ACジャパンに対する世間の関心の高さが示されている。同社調べによる2010年度の年間企業別CM好感度ランキングにおいても前年度の59位から8位まで浮上した[116]。また、インターネット上では、動画投稿サイトなどに「あいさつの魔法。」などのCMから作られた二次創作が多く投稿された。
ACジャパンは3月16日[111]、視聴者に不快な思いをさせたとしてお詫びの文章[120]を発表した。また同日[119]、テレビ各局にサウンドロゴの削除を依頼し、それにテレビ局が対応する形でサウンドロゴなしのCMが放映されるようになった[117][注釈 27]。依頼が行われたテレビ局は全国160局以上に及んでいる[119]。
また、このお詫びに先がけて、被災している状況において内容のそぐわない6本のCMの放送中止をテレビ局に依頼した[注釈 28]。これらのCMの放送中止依頼が行われた日付(以下依頼日)については雑誌『日経エンタテインメント!』の記事[119]、依頼理由については雑誌『FLASH』の記事[121]を出典とする。また、2009年7月に団体名を変更したこともあり、前年度以前のCMを流さなかった。
CMの一部が放送中止されたことにより、残ったCMの放送頻度はさらに高まり、視聴者の苦情にあった「同じCMばかり流れてしつこい」という状況が悪化することになった。これにより、CM自体だけでなくその出演者にも批判が向けられるという事態に至った。これについてACジャパンのクリエイティブディレクターである尾形敏朗は「普段なら良いと思うメッセージでも、あまりに何度も見せられて、押し付けに感じられてしまったようだ」と述べている[119]。
当初は中止の対象になっていなかった「オシムの言葉」「大切なあなたへ」(それぞれ日本脳卒中協会、日本対がん協会支援CM)に関しても、放送頻度の増加により中止された[118]。この影響で国境なき医師団日本は東日本大震災という書き入れ時というときに広告展開を中断したということもあり、2010年度までを以てACジャパンによる支援を打ち切り、広告は団体そのものの独自制作に移行した。最終的には放送できるCMが震災から3週間で「あいさつの魔法。」「見える気持ちに。」「あなたの手当て」「こだまでしょうか」の4本に絞られることになった[20]。
CMの大量放送により、1つ1つのキャンペーンも注目された。全国キャンペーン「あいさつの魔法。」は、インターネット上を中心にブームになるなど話題になった。同じく全国キャンペーン「見える気持ちに。」、および地域キャンペーン「こだまでしょうか」(東京地域。ただし東京キー局制作の全国ネット番組内、および放送局の所在地が東京である民放各局のBS放送ではそのまま全国で放送された。)に関しては、それぞれで引用されている詩「行為の意味」(宮澤章二)、「こだまでせうか」(金子みすゞ[注釈 29])が反響を呼び、それぞれを収録している詩集がAmazon.co.jpのベストセラーランキングで上位を獲得した[123]。また、山口県長門市にある金子みすゞ記念館においては、2011年3月20日から4月8日にかけての入場者数が前年同期と比べて20.6%増加しており、読売新聞は「こだまでしょうか」による影響があると推測している[124]。
ACジャパンは地震発生後、被災者を応援する臨時CM「震災臨時キャンペーン」を企画した。CM情報誌『CM NOW』によると、地震が発生した2011年3月11日にはACジャパンが同年度に展開するキャンペーンの最終決定が行われており、地震によって交通機関が止まったことで、集まった役員たちは事務所に泊まって震災臨時CM制作の相談をしたといわれている[20]。3月14日に会員企業へ臨時CMの企画募集について連絡し、翌15日までに10社から提案があった[119]。最初に制作・放送されたのは「文字篇」である[125]。15日の夜に持ち寄られた臨時CM案の検討をし、すぐにできるものという条件で「文字篇」の制作を開始し[20]、3月18日に放送局へ送り[125]、3月19日から放映が開始された[20]。その後は3月23日から「サッカー篇」、24日から「日本の力を、信じてる篇」、26日から「今、わたしにできること・呼びかけ篇」、31日から「日本の力を、信じてる篇」の新作が放送開始された[119]。なお、これらのCMではサウンドロゴは使用していない。
『CM NOW』はこのように、臨時CM制作の話が地震発生後すぐに出ていることを伝えている一方で、同じCMが繰り返し流されて逆効果を生み出したことへの「対策」として臨時CMが急遽制作されたとも書いている[20]。ほかにも同様の趣旨の報道がある。たとえば産経新聞では「視聴者の不満の声に早急に対応した形だ」と書かれており[126]、サーチナの報道では、「同社ではその対策(苦情の対策)にCM最後のロゴの音声を削除したり、今回の臨時CMを制作することを発表していた」と書かれている[127]。逆にまんたんウェブの報道では、臨時CMが苦情への対応であるということをACジャパンが否定した上で「ACジャパンとして、いま、国民のみなさんに伝えるべきこととして制作した」と話していたことが述べられている[128]。ただし、展開を中止したCMに代わる素材に関する要望は視聴者の苦情とは別にメディア側から寄せられており、ACジャパンの2010年度事業報告では、臨時CMの全国展開について「支援キャンペーンの多くが中断したために、それに代わる素材をというメディアの要望に応えました」と記されている[118]。
臨時CMの開始により放送できるCMの本数は増えたが、臨時CMに関しても否定的な見方が出るようになった。たとえば、ACジャパンの常務理事である高島邁によると、地震発生直後は物資が不足したため買い占めを控えるべき旨をCMで呼びかけたが、それが解消すると「復興のために経済活動を活発にすべき」と批判される、というような事例があったという[119]。また、広告においては出演しているタレントにプロモーションの意図があるという誤解を受ける可能性が避けられず[28]、実際にこの種の批判があった。そのため臨時CMの放送は短期間で終了した[129]。
臨時CMは「文字篇」「サッカー篇」「日本の力を、信じてる篇」「今、わたしにできること・呼びかけ篇」の4タイトル以外にも制作された。大阪地域においては「こいのぼり篇」をテレビ・新聞で展開し、「選手宣誓篇」「ひとつひとつ篇」を新聞で展開したほか、環境映像をテレビで5タイプ展開した。東京地域および岩手・宮城・福島の東北3県においては「同じ空の下篇」を2011年5月末からテレビ・ラジオで展開した(前出の「こだまでしょうか」と同様、東京キー局制作全国ネット番組や民放各局のBS放送ではそのまま全国に流れた)。また、ACジャパンのサイトではのちに「今、わたしにできること・呼びかけ篇」および「日本の力を、信じてる篇」のCMタイトルがそれぞれ「タレント篇A・B」「タレント篇C・D」と変更されている[130](前者はA・Bの2タイプとされているが、30秒版と15秒版で出演芸能人が異なる。次の「CM出演者」の節ではこの違いを考慮するため4タイプとして扱う)。
「文字篇」「日本の力を、信じてる篇」「今、わたしにできること・呼びかけ篇」は同タイトルで異なるタイプのCMが存在する。それらの区別について、「文字篇」はサイト「曲名探偵団」および『CM NOW』[20]に従う(『CM NOW』では「文字篇B」の内容が紹介されている)。「日本の力を、信じてる篇」は2バージョンのうち後から放送開始されたものを(新作)とする。「今、わたしにできること・呼びかけ篇」は「曲名探偵団」に従う。
2016年の熊本地震時もACジャパンのCMの放送頻度が増加した。
熊本・大分両県でのみ、臨時のテレビCM「#くまモン頑張れ絵」が放映された[133]。
森田拳次がちばてつやに送ったファクスを、ちばが自身のブログに公開し、それを見た森川ジョージがTwitterで呼びかけたのが始まりである。[134]。
CMの長さはいずれも15秒で、サウンドロゴは流されていない。
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