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日本の俳優、元プロ野球選手 (1935-) ウィキペディアから
八名 信夫(やな のぶお、1935年〈昭和10年〉8月19日 - )は、日本の俳優、元プロ野球選手、タレント。血液型B型。悪役商会所属。本名は同じ。岡山県岡山市出身。
父の亀億(ひさお)は国鉄(現・JR西日本)岡山駅の助役であったが、終戦後に退職し、芝居小屋兼業の映画館を経営していた[1]。
9歳の時に岡山大空襲に遭遇し[2]、父の命で母・姉とともに後楽園に向かった[1]。しかし猛火と黒煙が立ち込める中で方向感覚を失い、逃げ惑う人波に巻き込まれて家族ともはぐれてしまった[3]。朝になり、雨が降る田んぼの中で倒れていたところを地元の消防団員に助け出された[3]。幸い一家は全員無事で芳田村米倉(現・岡山市南区)の親類宅や父親の部下宅に身を寄せた[3]ものの、小学校の同級生を何人も失ったり、広島市への原子爆弾投下により同市在住の軍医の叔父が被爆死するなど悲惨な経験を味わった。
その後疎開先の平島(現・岡山市東区)で終戦後に連合国軍の兵士がキャッチボールに興じる姿を見たことがきっかけで、野球を始める[1]。父はテニス選手だったためスポーツには理解があり、逆に劇場主として役者と接して生活を知っていたことから、役者への道には反対したという[1]。のちに八名がプロ野球入りしたときに父は東映フライヤーズが岡山でキャンプを張る援助もした。
出身小学校の岡山市立出石小学校は都市空洞化によるドーナツ化現象で児童数が減少し、2002年3月に廃校となった。閉校式には八名による講演会が行われた。
岡山東商に進学。一塁手であったが、1年下の横溝桂とともに投の二本柱としても活躍する。在学中に甲子園には出場できなかったが、1953年春の中国大会県予選では決勝に進み先発。横溝との継投で関西高の吉岡史郎に投げ勝ち優勝、本大会に進んでいる。高校の2学年先輩に、のちに大洋ホエールズで活躍する秋山登、土井淳がおり、明治大学に進学していた。その縁から修学旅行のとき、神宮球場で明治大学の試合を観戦して進学先に決める[1]。大学では投手として将来を期待されていたが、先輩部員からの「しごき」に耐えられずに2年次に中退[注 1]。
1956年にプロ野球・東映フライヤーズに投手として入団。1年目から一軍に上がり9試合に登板、うち2試合に先発し0勝1敗を記録。その後も一軍で起用されるが、3年目の1958年8月10日、日生球場での近鉄パールス戦の試合中に腰を骨折して[注 2]入院し、選手生命を断たれて現役を引退した[1]。現役引退後も東映フライヤーズ、北海道日本ハムファイターズOBで組織する「フライヤーズ・ファイターズOB会」のメンバーの一員でもある。
野球選手引退後、親会社の東映専属の映画俳優となる。俳優転向の理由は、東映本社社長であり、東映フライヤーズオーナーでもあった大川博から、「長嶋茂雄や王貞治に打たれるより、高倉健に撃たれろ!」と言われたことがきっかけであったという[1][注 3]。初めて出演者として名前の出た映画は『遊星王子』。ただし宇宙のギャングという設定で、顔の部分が覆われた衣装だった上、同じ衣装の出演者が複数いたため、映画を見ても自分がどこに出ていたかわからなかったという[4]。駆け出しのころ、宿舎の「八名様」と書かれた自室を開けたら、布団が8組置いてあったという(「やな」を「はちめい」と読み違えられた)。俳優転向当初は二枚目役として活躍し、主演作もあった。大部屋俳優よりもさらに下という境遇からのスタートであったが、「体が大きいから小さい奴が撃たれるより迫力があるはず」と売り込んだことがきっかけとなり、悪役として定着するようになった[1]。八名が出演する映画の撮影を見学しに土橋正幸と張本勲が東映京都撮影所を訪れた際、当時の撮影所長だった岡田茂(後の東映社長・会長)から「あいつ(八名)は岡山弁が抜けなくてなあ」というボヤキを聞かされたことを張本が2021年に『週刊ベースボール』(ベースボール・マガジン社)に連載している自身のコラムにて回想している[5]。
ギャングや悪党を専門に演じる俳優集団悪役商会を1983年に結成し、リーダー(会長)となる。刑事ドラマでのヤクザ・暴力団組長・凶悪犯、時代劇での用心棒・悪徳役人・妖術使いなど多くの悪役を演じた。1985年にはアニメ映画『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』のギルモア将軍役で声優に初挑戦している。バラエティ番組には『今夜は最高!』(日本テレビ)ではじめて出演し、その後『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)のコーナー「ひょうきんベストテン」にも出演した。
1990年代、バラエティ番組において「1050回ぐらい殺されたかな」と、悪役を演じて殺された回数の多さを述懐したことがある[注 4]。最近は悪役俳優のイメージを脱却し、孫と遊ぶ優しいおじいちゃんの役など個性派俳優としての活躍が目立つようになっている。
岡山男の気風を歌う「野風増」を橋幸夫、河島英五らとの競作で自ら歌いレコード化する計画があったが、訳あって断念せざるを得なかった。
2014年5月5日、ヤフードームでおこなわれた福岡ソフトバンクホークス対北海道日本ハムファイターズ戦で始球式に登板[7][8]。
2016年には初の監督作となる映画『おやじの釜めしと編みかけのセーター』を制作し、2017年より無料上映会の形式で公開している[9]。
2023年4月28日には岡山県警の特別警戒に合わせて「一日鉄道警察隊長」に任命され、岡山駅で啓発チラシの配布や呼びかけを行った[10]。同年8月、著書『悪役は口に苦し』を発表した。
父親が鉄道員で幼少時代に鉄道官舎に住んでいたことから、蒸気機関車には思い入れがある[1]。
黒柳徹子の影響を大きく受けている。「俺も何か役に立つことはあるだろう」と思い、新幹線の車両内で走っている子供を「おめーら、塩をかけて焼いて食うぞ」と叱るなど、他人の子供も愛情を持って教育しているという。こうした八名の姿勢は、上述の父親が他人の子供でも悪いことをすれば厳しく叱りつつ、困っている人に親切であったことを見習っている面も大きい。50歳代からは教育や子育てについて講演を頼まれることが増えたほか、阪神・淡路大震災や東日本大震災、熊本地震 (2016年)などの被災者を激励したり、その想いを反映した映画を制作したりもしている[6]。
「悪役が犯罪を犯したら洒落にならない」というのが信念で、悪役商会では軽微でも犯罪を犯した役者は問答無用で脱退させている。
愛媛県喜多郡内子町の内子座で悪役商会のミュージカルを上演するなど、愛媛県とのつながりが深く、2014年には愛媛滞納整理機構のテレビCMに出演したり、2017年には内子町から感謝状を贈呈されるなどしている[11][12]。
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