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日本のドラマー、作曲家 (1957-) ウィキペディアから
鈴木 さえ子 (すずき さえこ、1957年3月14日[2] - )は、日本のミュージシャン。作曲家、ドラマー、キーボーディスト。出生名は鈴木左衛子。歌手の鈴木佐江子とは別人である。
松尾清憲ボーカルのポップス・バンド「シネマ (CINEMA) 」のオリジナル・メンバーとして、鈴木慶一のプロデュースにより1980年にメジャーデビュー[3]。シネマ活動停止後は、ソロ活動やサポートドラマーとして1980年代日本のニュー・ウェイヴ/ポップス・シーンで活躍した。日清チキンラーメン『すぐおいしい、すごくおいしい』の作曲で知られるCM音楽作家でもある。
1986年、毎日映画コンクール音楽賞受賞[4]。1990年代は育児などのため音楽界からやや遠ざかっていたが、2004年に復帰[5]。『ケロロ軍曹』ほか、主としてアニメの劇伴を手がけている。
印象派(印象主義音楽)の流れを汲むソングライティングが特徴で[6]、「ロック印象派」または「テクノ印象派」と自称する[7]。ピアノ、キーボード、ドラム、パーカッション、マリンバ、ボーカルなどをこなすマルチプレイヤーである。
東京都国立市生まれ[1]。幼少期からクラシックピアノを習う[8]。姉の影響でロックに目覚め[9]、高校2年時にドラムを始める[10]。桐朋学園大学短期大学部(現:桐朋学園芸術短期大学)芸術科に進学しピアノを専攻[1]、その傍らアルバイトをしてドラムセットを購入しバンドを続ける。[11][12]
1976年、青山学院大学のガールズ・ロック・バンド「メドゥーサ」[注釈 1]に加入する。[13]しかし、雑誌やテレビの取材で女性蔑視的な扱いを受けるなど、不遇なままデビューすることなくバンドは解散[14]。その後いくつかのバンドに参加[12]。松任谷正隆プロデュースの歌手・堀川まゆみのサポートドラマーを務める[13]。1978年頃、やはり女性だけのフュージョン・バンド「ベアトリーチェ」に加入。ヤマハ『EastWest'79』レディース部門の初代グランプリを獲得[15]。しかしこのバンドもメンバーの就職・結婚により消滅している[16]。
1979年秋頃、松尾清憲を中心として結成されたバンド「シネマ」にドラマーとして加入[17]。翌1980年にCBSソニーからシングル『グッバイ・ハートブレイク』でメジャーデビューを果たす[3]。当時は女性ドラマーが珍しがられ注目された[3]。1981年にはファースト・アルバム『Motion Picture』、ミノルタ(現:コニカミノルタ)のCM曲に起用されたシングル『君のプリズナー』」をリリースした[3]。シネマは鈴木慶一がプロデュースを担当し、大瀧詠一や近田春夫がアルバムに推薦文を寄せるなど将来が期待されたポップスバンドであった[18]。しかしセールスには恵まれず[19]、3枚目のシングル『雨のチャイナタウン』をリリース後[3]、1981年に解散[19]。シネマはシングル3枚とアルバム1枚を残し、25年間の眠りにつくこととなった。
シネマ解散後、鈴木さえ子はスタジオ・ミュージシャンやCM音楽作家としての活動を開始[13][19]。さらにFILMS、坂本龍一のバンド「B-2 Units」[20]、立花ハジメのバンド「H」など複数のバンドに並行して参加した[21]。忌野清志郎と坂本龍一のシングル『い・け・な・いルージュマジック』では、『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』などの音楽番組でドラムを叩く姿が放送された[13]。またこの時期には、ビートたけしのバックでドラムを叩く鈴木さえ子をテレビで観た泉谷しげるに声をかけられ、翌1983年から1985年まで泉谷のライブサポートを務めている[22]。
1982年、鈴木さえ子加入後のFILMSは、細野晴臣が立ち上げたYENレーベルに移籍。アルバムのレコーディングに入ったものの作業は中断し[23]、制作途中の音源がお蔵入りとなっている[24][25][26]。同年8月、鈴木慶一と音楽ユニットを組んで楽曲の制作を始める。[27]
1983年7月、アルバム『I wish it could be Christmas everyday』でソロデビュー。契約の都合上ソロアルバムとして発売されたが、実質的には鈴木慶一と鈴木さえ子のユニット「PSYCHO PERCHES」の作品である[28]。「PSYCHO PERCHES」のユニット名は、2人がともに鈴木姓であったことから魚のスズキを表すperchの複数形と、さえ子の名を掛けたものである。
同年7月、青山タワーホールにてファーストコンサート[29]。以後1987年まで定期的にソロコンサートを開催。10〜11月は大貫妙子のツアーに参加[30]。その後も何度か大貫のサポートを務めた。
1984年1月、鈴木慶一と結婚[17]。6月、セカンドアルバム『科学と神秘』発売。本作にゲスト参加したリアル・フィッシュのメンバーとは後々までライブやレコーディングを共にしている
同年9月、日清チキンラーメンCMソング『すぐおいしい、すごくおいしい』をレコーディング[31]。この楽曲は幾度となくリアレンジされ、長年CMに使われ続けている[32]。
1985年7月、サードアルバム『緑の法則』発売。クレジット上は共同プロデュースとなっているが、鈴木慶一によれば、本作は鈴木さえ子のセルフ・プロデュースであるという[33]。1986年6月、12インチシングル『HAPPY END』発売。10月公開の映画『ウホッホ探険隊』の音楽を担当し、第41回毎日映画コンクール音楽賞を受賞[4]した。
1987年6月、ロンドン・レコーディングを経て[34]完成したアルバム『スタジオ・ロマンチスト』を発売。鈴木さえ子のマニアックなブリティッシュ・ロック趣味を反映したゲストが多数参加した。鈴木さえ子は音楽雑誌『POP IND'S』誌上で、3曲で共同プロデュースを務めたXTCのアンディ・パートリッジに気に入られ、XTCのメンバーに加わらないかと勧誘されたと述べている[35]。ただしこの件については、アンディ・パートリッジ自身が音楽雑誌『ストレンジ・デイズ』No.11のインタビューで否定している。
1988年2月、編曲・演奏で全面バックアップした矢口博康のソロアルバム『Gastronomic』発売。12月、企画アルバム『セルフ・コントロール・ミュージック 活力』に新曲を4曲提供。1989年1月、市川準監督より映画『ノーライフキング』の劇伴担当依頼を受け、制作途中にあったオリジナル・アルバムの方向性を大きく転換し、さらに主人公の母親役として出演もすることになった[36]。12月、映画『ノーライフキング』劇場公開とともにサウンドトラックアルバム『NO LIFEKING NO MUSIC』発売。1990年は高橋幸宏のツアーと大貫妙子のツアーにドラマーとして参加[37]12月には、本人の選曲によるベスト盤『The Very Best Of Saeko Suzuki』が発売された[38]。1988〜1990年の3年間は作曲家としての活動が多く、アイドル歌手等に十数曲を提供している。
1991年、サンディーやルイ・フィリップ等のライブにサポートメンバーとして参加。この頃に鈴木慶一と離婚[39]。鈴木慶一は東京都大田区出身だが、さえ子と結婚後に世田谷区の一軒家に住み、離婚後は慶一がひとりでその家に残ったという[40]。その後にさえ子は再婚、出産[5]とプライベートに大きな変動があり、育児などにより音楽活動からやや離れ、単発のプロジェクト参加やCM音楽制作が活動の中心となる。
1995年、企画アルバム『Lover's Hawaii』に新曲を3曲提供する。かつて鈴木さえ子の所属事務所のスタッフだった掛川陽介[41]がこの頃には音楽家として独立し、本アルバムのプロデュースを手がけている。1997年、サエキけんぞうプロデュースのトッド・ラングレン・トリビュート・アルバム『トッドは真実のスーパースター』に参加。
1999年、新宿LOFTで行われた「DRIVE TO 2000」で一夜限りの復活を果たしたFILMSのドラマーとして出演[42][43]。2000年には音楽雑誌『ストレンジ・デイズ』のインタビューで「(今は)思うように音楽が続けられない」が「時が来たら…」と語っている[5]。
2003年、シネマ時代からの盟友である松尾清憲のライブにゲスト参加[44]。2004年よりテレビアニメ『ケロロ軍曹』の劇伴を全面的に担当し、本格的に音楽活動を再開する。この番組は丸7年続く長寿アニメとなり、関連した音楽CDが数多くリリースされた。また、本作より掛川陽介と本澤尚之の音楽ユニット「TOMISIRO」が鈴木さえ子のサポートにあたっており、以後長年に渡りタッグを継続している。
2005年には映画『TAKESHIS'』サウンドトラックで鈴木慶一と久々に共演、その後も鈴木慶一関連の作品に時折参加している。同年12月刊行の書籍にて累計200曲を超えるCM音楽を制作したことが紹介された[45]。
2006年にはシネマのベストCDが発売され、これを機にバンドは再結成の運びとなる[46]。2007年春、かしぶち哲郎と共にテレビCMに出演[47]。シネマは同年12月、全曲新曲を収録したセカンド・アルバム『CINEMA RETURNS』をリリースし、26年ぶりとなるワンマンライブを行った[48]。その後に鈴木さえ子はシネマのパーマネントメンバーから外れ、2009年に新宿LOFTで開催された「DRIVE TO 2010」にシネマが出演した際には出演しなかった[3]。しかしシネマとそのメンバーのライブにはゲストとして出演を続けている。
『ケロロ軍曹』の成功後は劇伴の世界が主な活動の場となり、2008年映画『パンダフルライフ』、2012年テレビアニメ『輪廻のラグランジェ』、2016年テレビアニメ『マクロスΔ』で音楽を担当した。2017年に「鈴木さえ子 with TOMISIRO」として初のライブ出演[49]。2019年には元シネマの一色進が率いるバンド「ジャック達」にボーカル・キーボード担当として加入した[50]。
※1:”鈴木さえ子 with TOMISIRO ”名義、※2:”鈴木さえ子/TOMISIRO ”名義
※以上、全て”鈴木さえ子”名義
既発曲を再録した編集盤は除外。
"All Other Instruments"は他者の演奏クレジットを受けての表記。単なる別ミックスやボーカルのみ異なる別バージョンは除外。
特記なき項目はテレビCM。
※以下、鈴木さえ子のCM音楽が収録されたコンピレーション。オリジナル・バージョンが収録されたCDのみ記述。
サウンドトラック未発売の映画及び劇場アニメ作品
主要参加バンド[注釈 17]
その他のバンド
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