日本のファッションモデル (1982-) ウィキペディアから
冨永 愛(とみなが あい、1982年8月1日[2][3] - )は、日本のファッションモデル。UNDER GROUND(東京)、Marilyn(ニューヨーク/パリ)、Why Not(ミラノ)、Storm(ロンドン)所属。2008年現在は日本とパリを拠点にモデルの仕事を中心に活動中である[4]。
神奈川県相模原市緑区生まれ。相模原市立橋本小学校、同旭中学校、神奈川県立橋本高等学校卒業[5]。
幼少期から背が高く、当時はコンプレックスだったという。15歳の時に姉が読者モデルに応募した(当時は175センチメートル)。ボン・イマージュに所属し、雑誌『プチセブン』のモデルとなった。
17歳の時に雑誌『ヴォーグ』(日本版)200年12月号の表紙を務め、同誌に高校の制服を着た写真(ノーメイクにコギャル風のルーズソックスを履いていた)が掲載された[6]。その写真を見た海外のファッション関係者に誘われ、本格的に世界で活動を開始した[7]。
2001年にニューヨークコレクションでランウェイモデルとしてデビューを果たす。半年間の休業を経て、2006年春夏コレクションで復帰した[4]。2007年頃に起きた「痩せすぎモデル問題」では、冨永もショーに出演できる数値を満たしておらず、いくつかのショーの出演をキャンセルされた[8]。
WFP国連世界食糧計画のオフィシャルサポーターや、国際協力NGO ジョイセフ (公益財団法人)のアンバサダーとして2011年度から社会貢献活動を行っている。消費者庁エシカルライフスタイルSDGsアンバサダー (大使) も務めている[10]。
2004年10月にパリ在住の日本人パティシエと結婚[11]。2005年3月に第1子男児の章胤を出産したが、2009年4月に離婚した[11]。長男の親権は冨永が持つ[11]。
2022年『VOGUE JAPAN』10月号で長男と共に誌面に登場[12]。以降、長男もモデルとして活動する。
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