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日本の男性声優、俳優、タレント、ナレーター、司会者 (1956-) ウィキペディアから
水島 裕(みずしま ゆう、1956年[16]1月18日[7][17] - )は、日本の声優、俳優、タレント、ナレーター[8]、司会者[16]。81ACTOR'S STUDIOキッズクラス代表講師[18]。福岡県門司市(現在の北九州市門司区)出生[5]、東京都杉並区出身[6]。81プロデュース所属[9]。
みずしま ゆう 水島 裕 | |
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プロフィール | |
本名 | 野田 憲司(のだ けんじ)[1][2][3] |
愛称 | ゆうさん[4] |
性別 | 男性 |
出生地 | 日本・福岡県門司市(現在の北九州市門司区)[5] |
出身地 | 日本・東京都杉並区[6] |
生年月日 | 1956年1月18日(68歳) |
血液型 | B型[7] |
職業 | 声優、俳優、タレント、ナレーター[8]、司会者 |
事務所 | 81プロデュース[9] |
配偶者 | あり |
公式サイト | 水島裕 - 81プロデュースの公式サイト |
公称サイズ(時期不明)[10] | |
身長 / 体重 | 167 cm / 58 kg |
靴のサイズ | 24.5 cm |
声優活動 | |
活動名義 |
水島 裕允(読み同じ)(旧芸名) 安永 憲自(やすなが けんじ)(旧芸名) |
活動期間 | 1970年代 - |
ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション |
デビュー作 | クリストファー・ロビン(『『くまのプーさん』』)[11][12][13][14] |
俳優・タレント活動 | |
活動名義 |
水島 裕允(読み同じ)(旧芸名) 安永 憲自(やすなが けんじ)(旧芸名) |
活動期間 | 1970年 - |
ジャンル | 舞台、バラエティ |
デビュー作 | 『王様と私』[11][13][15] |
一時期、水島 裕允(読みは同じ)[19]、安永 憲自(やすなが けんじ)名義で活動していた。
福岡県門司市(現在の北九州市門司区)にある門司鉄道病院(現在の九州鉄道記念病院)で誕生した[5]。
子供のころは兵庫県西宮市で過ごし、小学生時代に東京都杉並区で育つ[3][6][20]。
小学生のころは「アトム博士」と呼ばれていたくらい『鉄腕アトム』が好きで、お茶の水博士になろうと考えており、ロボット博士かパイロットになろうと考えていたという[11][21]。
3歳年下の妹が小学2、3年生くらいから東京放送劇団に所属しており、実家は割と放任主義だったため、劇団の遠足や課外実習などでは両親の代わりに保護者として付き添っていた[11][12][13][16][22]。妹が所属していた劇団に何度か行き、「何か面白そうだな〜」と思ったわけであり[22]、学校以外にもうひとつの放課後やそういう遊び場があるということが面白そうに感じて、「自分も劇団に入りたい」と思うようになった[12][16]。しかし劇団は年令制限があり、すでに小学6年生だったこともあり入団できず、自宅から近い劇団若草の入団試験を受けて合格して中学1年生の時に役者の世界に踏み入れたという[12][13][16][22][23]。
当時は仕事をしているという感覚は全くなく、劇団に入団した理由は「芝居がしたい」ではなく、「劇団で遊びたい」からだった[12]。毎週日曜日に劇団若草で演技、演技基礎、西洋舞踊、日本舞踊、歌などを習っていたが、もうひとつ遊び場が増えたような感覚だった[24]。必死になって習い事をするような感覚ではなく、西洋舞踊はタイツを履くのが恥ずかしく、日本舞踊での着物の着方が分からず、先輩の音無美紀子が手伝ってくれたこともあったという[24]。ちゃんとした理由で志したわけでもないが、2012年時点でも芸能の世界で仕事をしているのが不思議だと語っている[12]。その後、高校時代まで通っていた[12]。
杉並区立桃井第二小学校[25][26][27]、日本大学鶴ヶ丘高等学校[28]を経て、日本大学第二高等学校卒業[29]。なお、2学年先輩に声優の塩沢兼人がいる。
初舞台は帝国劇場のミュージカル『王様と私』[11][13][15][16]。当時は歌は苦手で[16]、母に「音痴の憲司」とからかわれていた[13]。入団後の中学1年生の秋、ミュージカル『王様と私』で五代目中村勘九郎が変声期に入り、「歌が心配だ」ということで行われた「影歌」のオーディションに参加[11][13][16]。それを母は知っていたようだが、あえて何も言わなかった[13]。
歌に自信がなかったため、仕方なくといった形でオーディションを受けたが、最終の2人まで残る[13]。そのオーディションも「現地まで歌のテストだ」と隠されていたほどだったが、「失敗しなかった」という理由だけで抜擢[11][16]。なお、競い合った子供は上手かったが、最終オーディションで失敗してしまったという[11][13]。舞台では本番で失敗することだけは絶対にNGだったことから、「たとえ音痴でも水島にしておこう」ということになったようだったという[11]。
初めて声の仕事をしたのは、中学2年生のころの劇場版『くまのプーさん』のクリストファー・ロビン役だった[11][12][13][14][16]。当時はマイクを一番下げても高い位置にあるため、分厚い電話帳に乗り収録していた[13]。演じるということを分かっておらず、完全な初心者だったことからわけもわからずしていた[13]。抜擢されたのは子供の声が良かったんだと語る[13]。
アニメの初仕事は『草原の少女ローラ』だったと語る[30]。メインキャラクターでの最初のアニメ出演は『超人戦隊バラタック』となる[31]。
劇団若草所属中、「安永憲自」名義で特撮番組『愛の戦士レインボーマン』の主題歌を歌い、芸能界デビューした[12][24][16][注 1]。当時は声が低く下手だったが、2023年時点では「あの魅力は出せないな」「上手い、下手じゃない“何か”って大切なんだ」とつくづく思っているという[24]。
高校2年生の時に、大学受験のために1回休み、大学に進学後、1年間くらいして劇団若草を退団したという[2]。
大学では「今までやったことのないことを勉強してみよう」と思い、日本大学芸術学部写真学科に進学[12][33][16]。日本大学の付属におり、先輩たちが皆日本大学芸術学部の演劇学科、映画学科に進学してしまうわけだが、学校まで行ってまで演劇することに抵抗があった[2][3]。「大学ぐらいは何か別なことをやろう」と思っていたところ、ある機会に特殊写真の展示を見て、惹かれてしまったという[2]。その学科を選んだ理由が「日芸に入りたいけど、どうせ入るなら演劇以外のことを専攻したい」といういい加減なもので、カメラの腕も知識はからきしだったという[34]。進学したところ、同級生のほとんどが高校時代に写真部の部長をしていたような経験者ばかりで、カメラを持っていなかったのは水島くらいだった[12][34]。そういうこともあり、成績はあまりよくなく、大学卒業する直前に「これは就職は無理だろう」と思い、芝居を一生の仕事にしようと初めて考えた[12]。卒業するためには「“口”を使うしかないだろう」とスラップスティックのコンサート会場に潜り込む[34]。その時に写真を撮り、教授を「この写真が今の“時代”を写しているんです!」と口で説得して卒業させてくれたという[34]。
当時、古谷徹、小山茉美たちと遊んでいたため、古谷に相談していたところ、青二プロダクションに所属することを薦めてくれていた[12]。当時、青二プロダクションには中学生の頃から洋画の吹き替えの現場でお世話になっていた矢田耕司、柴田秀勝などが所属しており、小山の紹介で青二プロダクションに所属[12]。その時はなにか優遇してくれたわけではなく、勝手に青二プロダクションに押しかけていき、「こういう者ですが入れてください」と頼んだという[12]。所属事務所はその後、ぷろだくしょんバオバブ[34]、81プロデュース[35]、浅井企画[19]、紅屋25時[36]、ムーブマン[10][37]、ノット・コミュニケーションズ[33]、CUCURI aniworks[38]、プロダクション・エース[39][40]に所属していたが、2021年8月1日付けで再び81プロデュース所属となった[41]。
青二プロダクションに所属後、一番嬉しかったのは、『鉄腕アトム』の鉄腕アトム役の声優である清水マリに会えたことだった[12][22]。水島は鉄腕アトムのファンで、再アニメの『鉄腕アトム』で、ゲストキャラを演じた時は夢のようだった[12]。中学生の頃、ラジオの『パックインミュージック』も聴いていたことから、野沢那智、白石冬美に会った時も嬉しかったという[12][22]。
その後、親しくしていたマネージャーが富山敬のレコーディングの見学を誘ってくれたため、ついて行っていた[42]。見学していたところ、いきなり初対面のディレクターから「これ、君の曲」と渡されて驚き、知らないところで話が進んでいたようで、レコードデビューも果たす[42]。その時は小さいころから母に「音痴だ」と言われていたことから、レコードデビューするとは想像もしておらず、話を聞いていた母が一番驚いていたという[42]。
それ以来、DJ、アイドル声優として人気を得る[42][34]。当時のニックネームは「ひょうきんポンポン」。親しみやすく明るいキャラクターが受け、NHK総合『連想ゲーム』のレギュラー解答者など、クイズ番組・バラエティ番組などでタレントとしても活動する[4][42][34][16]。
1989年4月からはNHK教育のやっぱりヤンチャー、後継番組であるともだちいっぱいの「なかよくあそぼ」にコーナー終了の1994年3月まで出演した。ゆう兄ちゃんの愛称で人気を集めた。
水島曰く不思議な魅力があり、「その声が今、この世界で求められている」と子供のセリフの威力、無敵さに魅力を感じていたことから「子どもに伝えたい」と思い、キッズ声優養成所YOUボイスを設立し、総括プロデューサーを務めていた時期もあったり[43]、81ACTOR'S STUDIOキッズクラス代表講師[18]をするなどのキッズ声優養成所の講師の活動もしている[14][44]。
声種はテノール[47]。テレビ番組、ラジオ、CMに出演しており、アニメのアテレコで活躍している[8]。
役柄としては、極端な役のほうが演じていて面白いという[48]。『スター・ウォーズ』シリーズのルーク・スカイウォーカー役を始め、何を演じていても激しい感情を表現する場面が必ずあり、演じながら自分も色々な思いを味わうという[48]。
アニメでは「ぴえろ魔法少女シリーズ」において、1980年代に作成された全作品で主人公の相手役を務めた[49]。
テレビアニメ『花の子ルンルン』のセルジュ役は難しく、かっこいい二枚目の役のためセリフにも力が入るが、そのせいで舌が回らず「そらててみませんか」になり、ずいぶんとNGを出していた[31]。
テレビアニメ『愛の戦士レインボーマン』では、前述の特撮番組版で主題歌を歌った縁で、主人公のヤマトタケシ役を演じていた[31]。改めて主題歌も歌わせてくれたが、高校生の時より声が高くなり、高校生の時はほとんど素人同然だったため、まだ声ができあがってなかったんだと語る[31]。
吹き替えでは、サモ・ハン・キンポーをほぼ専任で担当し[7]、ジャッキー・チェンの吹き替えを専任で担当する石丸博也と共に、視聴者に声が浸透することとなった。吹き替えで初めてもらった持ち役は『ベニスに死す』のビョルン・アンドレセンだった[31]。「パパにはヒ・ミ・ツ」のジョン・リッターなど、サモ・ハン以外の吹き替えは、実際の俳優がいずれも俳優業を廃業したり、早世するなど彼がやると長く持たないジンクスがあると、本人は思っている[30][31][50]。そのサモ・ハンも監督業に徹した時期があり[31]、「本当に役がつかない」と嘆いていた。
『スター・ウォーズ』シリーズの日本テレビ版ではマーク・ハミル演ずるルーク・スカイウォーカー役の吹き替えを担当[51]。同シリーズ三部作における吹き替えは一際人気が高く、「決定版」と評されることがあり、再放送およびソフト収録を希望するファンが多いとされる。しかし権利元の都合により、2023年現在も実現には至っていない[52]。水島自身も、同シリーズに対する思い入れが強いことから、自身のSNSでは度々思い入れを語っている[53][54]。BSDlifeにて2015年8月16日に放送された特番「スター・ウォーズ まるわかりスペシャル」ではナレーションも担当した[55]。
趣味は草野球で、『六神合体ゴッドマーズ』では主人公の明神タケルを演じたが、出動のときに「ガイヤー」と絶叫すると、いつも野球の「外野」を思い出したという。
『機動戦士ガンダム』の主人公、アムロ・レイ役のオーディションを受けていたが、落選[42]。その時は悔しかったが、オンエアを見ていたところ古谷徹の演技がアムロに合っていたため、「これは仕方がないな」と思ったという[42]。その後、『宇宙の王者ゴッドマーズ』のオーディションで、主人公、マーズ役の抜擢された[42]。放映当時、アムロよりマーズのほうが人気があったため、「ラッキー」と思っていた[42]。その時に『六神合体ゴッドマーズ』は1作で終わり、ガンダムはシリーズ化されて、伝説的な作品になり、「なにが良くてなにが悪かったのか」といまわの際まで分からないと語る[42]。水島は全て「結果オーライ」だと思うようにしているという[42]。
2012年時点ではナレーションの仕事が主で、たった一言しかセリフを言わない30分番組のアニメとは違い、ナレーション番組は30分間喋るが、その分、裁量に任されている部分が大きく、以前から「ナレーションの仕事をしたい」と思っていた[31]。「ナレーションのコツは?」と聞かれることもあるが、2012年時点では模索している最中であり、「水島節」のようなものを「確立したい」と語る[31]。しかし生ナレーションは嫌で、以前、台本すら間に合わなくディレクターがパソコンで打った文章をスクロールしながら生で読んだことがあった[31]。
太字はメインキャラクター。
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