森田拳次

日本の男性漫画家 ウィキペディアから

森田 拳次(もりた けんじ、1939年5月11日 - 2024年12月23日)は、日本漫画家男性東京都出身。日本漫画家協会に加盟[1]

概要 もりた けんじ森田 拳次, 本名 ...
もりた けんじ
森田 拳次
本名 森田 繁
生誕 (1939-05-11) 1939年5月11日
日本 東京府(現・東京都
死没 (2024-12-23) 2024年12月23日(85歳没)
日本 神奈川県横浜市
国籍 日本
職業 漫画家
活動期間 1957年 - 2024年
ジャンル ギャグ漫画
家庭漫画、
風刺漫画
代表作丸出だめ夫
ロボタン』 ほか
受賞 受賞歴参照
公式サイト moriken Jimdoページ at the Wayback Machine (archived 2016-05-24)
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経歴

少年時代を満洲国(現在の中華人民共和国東北部)で過ごし[2]、敗戦を奉天(現・遼寧省瀋陽市)で迎える[3]東京都立王子工業高等学校卒業[4]

岡友彦に師事し、高校在校中の17歳で漫画家として『拳銃都市』でデビュー後、『丸出だめ夫』『ロボタン』などの児童向けギャグ漫画で人気を博す。31歳のころ[2]星新一による欧米のカートゥーン一コマ漫画)の選集『進化した猿たち』に感化され、1970年ニューヨーク在住の実弟を頼って渡米し[5][6]、雑誌『ルック』などに持ち込み活動を行うかたわら、アメリカのサム・グロス英語版らと交友を深める[7]

1971年5月ごろ[注 1]、当時森田が所持していたビザでは勤務による給与所得が許されず、漫画での報酬を含めた自己資本による事業しか自活の方法がなかったとため現地での生活のため、元アシスタントらを日本から呼び寄せ、書店を自営するが、7日で倒産[9]。まもなく帰国する。

少年漫画、大人向け一コマ漫画を執筆するかたわら、1987年、FECOスペイン語版(Federation of European Cartoonists Organizations、ヨーロッパ漫画家連盟)の会員・山井教雄の誘いを受け「FECO NIPPON(フェコ・ニッポン)」を結成、同団体は後に「JAPUNCH」となる。戦時体験を作品でつづる「『私の八月十五日』の会」をちばてつやさいとうたかをらと結成し、代表幹事となる[3]

2024年12月23日午前、老衰のため横浜市で死去[10][11]85歳没

受賞歴

金賞1回、優秀賞10回[2]

上記のほか、諸外国で10回程度の受賞歴があるという[1]

JAPUNCHの一員として
中国引き揚げ漫画家の会の一員として
  • 2002年 第6回文化庁メディア芸術祭マンガ部門特別賞(『少年たちの記憶』)

アシスタント

作品リスト

共著作品を除く。

児童・少年・少女漫画

ひとコマ漫画作品集

  • 森田拳次漫画集(私家版 1975年)[26]
  • ひとこま漫画 森田拳次の世界 1・2(C・D・C 1979年)
  • 1コマ1/2 ザ・ファミリー・オブ・マンガ(東京三世社 1981年)
  • 森田拳次のヒトコマ・ランド(新潮文庫 1983年) - 選者は星新一。森田と星の対談を併録。
  • 神さま仏さま笑って救って(青年書館 1987年)

その他

メディア出演

テレビ

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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