蟹江栄司

日本の男性声優、俳優 (1941-1985) ウィキペディアから

蟹江 栄司(かにえ えいじ、1941年昭和16年〉11月21日[4] - 1985年〈昭和60年〉10月13日[3][5][6])は、日本声優俳優ナレーター東京府東京市(現:東京都江東区)出身[2]青二プロダクションに所属していた[5]

概要 かにえ えいじ蟹江 栄司, プロフィール ...
かにえ えいじ
蟹江 栄司
プロフィール
本名 蟹江 栄司[1]
性別 男性
出生地 日本東京府東京市(現:東京都江東区[2]
死没地 日本東京都渋谷区恵比寿[3]
生年月日 (1941-11-21) 1941年11月21日
没年月日 (1985-10-13) 1985年10月13日(43歳没)
血液型 O型[4]
職業 声優俳優ナレーター
事務所 青二プロダクション(最終所属)[5]
配偶者 あり[3]
公称サイズ(時期不明)[1]
身長 / 体重 179 cm / 74 kg
活動
活動期間 1971年 - 1985年
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来歴・生涯

東京電機大学高等学校卒業[1]後、喫茶店のボーイや花屋の店員などを経て、30歳より声優に転向[2]東京アナウンスアカデミー(現:東京アナウンス・声優アカデミー)卒[7]。楡プロダクション[8]を経て最後は青二プロダクションに所属していた[5]。数々のアニメで重要な役柄を演じた他、深夜ラジオ番組のDJパーソナリティーバンダイポピーなどの玩具会社をはじめとする数多くのCMや、テレビアニメナレーターや洋画の吹き替えを務めた。特にCMに関しては最盛期には月に60本も請け負っていたという。

1985年10月2日東京都港区のスポーツジムでトレーニング中に突然倒れ、東京都渋谷区恵比寿にある東京都立広尾病院[3]に運ばれたが意識は戻らず、同年10月13日に急性クモ膜下出血により43歳で死去[2]

死去から2週間後の1985年10月27日、『キン肉マン』第110話Aパートのサブタイトルが「ラーメンマンは死なず!」に急遽変更されて放送された。スタッフによると最後のラーメンマン(同時期にキン肉マンの師プリンス・カメハメも担当していた)を演じた蟹江に対する追悼の意をこめたサブタイトルだという。また、この日は蟹江の告別式が営まれた日でもあった。

大の子供好きであり、仕事休みには近所の公園で当時小学生の息子、幼稚園入園前の娘と遊んでいる姿を目撃されていた[2]。仕事で多忙の中でも、小学校PTA会長も務めていた[2]。死後も東京都大田区久が原二丁目にある自宅によく、息子の友人たちが「ラーメンマンのおじさんに」と、焼香へ訪れることが多かったという[2]

人物

特技はスペイン語[9]、スペイン舞踊[1]

後任

蟹江の死後、持ち役・ナレーションを引き継いだ人物は以下の通り。

出演

テレビドラマ

舞台

テレビアニメ

1975年
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年

劇場アニメ

1981年
1982年
1983年
1984年
1985年

OVA

ゲーム

吹き替え

洋画

海外ドラマ

人形劇

ラジオ

ナレーション

CMナレーション

その他

  • キン肉マン 超人大全集(セリフ)
    • カンフーファイター(ラーメンマンのテーマ)
    • アジアの狼(モンゴルマンのテーマ)
    • 偉大な魂(キン肉マングレートのテーマ)
  • ゴジラ「メイキング・オブ・ゴジラ」(ナレーター)
  • ビデオ図鑑 日本の野鳥 上・下(ナレーター)

脚注

外部リンク

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