川崎市
神奈川県の市 ウィキペディアから
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川崎市(かわさきし)は、神奈川県の北東部に位置する市。人口は約155万人で、関東地方で東京都区部(23区)、横浜市に次ぐ。
かわさきし 川崎市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 神奈川県 | ||||
市町村コード | 14130-5 | ||||
法人番号 | 7000020141305 | ||||
面積 |
142.96km2 | ||||
総人口 |
1,552,074人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 10,857人/km2 | ||||
隣接自治体 |
横浜市 東京都:大田区、世田谷区、調布市、狛江市、稲城市、多摩市、町田市 千葉県木更津市(海上で隣接) | ||||
市の木 | ツバキ | ||||
市の花 | ツツジ | ||||
川崎市役所 | |||||
市長 | 福田紀彦 | ||||
所在地 |
〒210-8577 神奈川県川崎市川崎区宮本町1番地 北緯35度31分51秒 東経139度42分11秒 市庁舎(本庁舎) | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 市外局番:044(市内全域) | ||||
ウィキプロジェクト |
政令指定都市20市の中で面積が最も小さい[1]。神奈川県内で横浜市に次ぐ第2都市であり、非都道府県庁所在地の市では最大かつ唯一人口が100万人を超えている。財政状況も良く、財政力指数は1.02(2022年度)で政令指定都市としては最も財政に余裕がある[2]。
多摩川を挟んで東京都と接している。東京へのアクセスが良いため人口は増加傾向にあり、市のほぼ全域で宅地化が進んでいる。市域面積が狭いので人口密度が高い[注釈 1]。古くは東海道、中原道、大山道、津久井道が南北に通り、川崎宿などの宿場を中心にして発展してきた。 川崎大師は初詣発祥の地として多くの参拝客が訪れ、参拝客数は日本3位(県内1位)である[3][4]。
市南東部の川崎駅・京急川崎駅周辺が中心市街地(都心)であり、特に川崎駅東口を中心に全国有数の繁華街・歓楽街が広がっているほか、西口にはショッピングセンターとして日本2位の売上を誇る巨大商業施設ラゾーナ川崎プラザが位置しており、駅周辺は非常に賑わっている。 東海道線や京急線を中心に古くからの市街地が形成されているほか、現在は新百合ヶ丘や武蔵小杉、溝の口などの副都心を中心に東京近郊の新興住宅街(ベッドタウン)が広がる。特に多摩川沿いの武蔵小杉駅周辺には東京への通勤者向けのタワーマンションが林立している。また、臨海部は京浜工業地帯の中心的地区であり、製造品出荷額は毎年全国上位に食い込んでいる。このように川崎市はエリアによって繁華街、工業地帯、超高層マンション街、東京郊外の新興住宅地と多様な面を併せ持っている。
2015年度の東京都へ通勤・通学する15歳以上就業者・通学者の割合は41.1%であり、いわゆる「神奈川都民(川崎都民)」が非常に多い。神奈川県内であるものの、県庁所在地である横浜市よりも東京との結びつきが非常に強い。2015年の昼夜間人口比率は88.3であり、政令指定都市でありながら東京のベッドタウンとしての側面が強いため、100を大きく下回っている[5]。一方で、古くからの工業地帯であることから富士通や東芝などの大企業の本店・本社事務所も所在している。
市民の花は「つつじ」、市民の木は「つばき」、市民にゆかりの深いもの、親しみのあるもの、都市緑化にふさわしいものなどを考えて、多くの候補の中から市民投票で選ばれた(市制50周年を記念して1974年12月1日に制定)。[6]
神奈川県の北東部、県の最東端に位置し東京都と横浜市に挟まれた細長い市域を持つ。県内では、横浜市以外の市町村とは隣接していない。市の北側を多摩川が流れ東京都との境となっている。 街道沿いには古くから栄えていた街が点在し、周辺は閑静な住宅地となっている。しかし、駅周辺は東京との近さから近年開発が進み、特に川崎駅前周辺は市内随一の繁華街で昼夜を問わず人が多い。 西部の多摩丘陵にはのどかな田園風景が広がり、新興住宅地が多い。東部の東京湾岸の埋立地は隣接する横浜市鶴見区沿岸部とともに大規模な重工業地帯となっているなど、多様な面を見せる。最高地点は麻生区黒川の町田市との境界付近で海抜148mとなっている[7]。
拠点性が高くオフィス群のある川崎駅周辺と工場が立ち並ぶ川崎区以外は東京のベッドタウンとしての性格が強く、東海道線、横須賀線、京急線、京王相模原線、東急東横線、東急田園都市線、小田急線などの通勤路線を通じて東京都心部との交流が深い。各路線ごとに東京区部・横浜市北部を含めた沿線地域圏を形成しているため、稲田堤や若葉台(京王相模原線)、登戸や新百合ヶ丘(小田急線)、鷺沼(東急田園都市線)を始めとした北部では新宿や渋谷といった東京都心部のターミナルへの志向が強い。
川崎市は現在7区で構成される。なお、7区のどの名称も他の政令指定都市ではまったく使われていない、当市オリジナルの名称である。
コード | 区名 | 人口 (人) |
面積 (km²) |
人口密度 (人/km²) |
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14131-3 | 川崎区 | 231,843 | 39.49 | 5,870.93 |
14132-1 | 幸区 | 173,962 | 10.01 | 17,378.82 |
14133-0 | 中原区 | 267,954 | 14.74 | 18,178.7 |
14134-8 | 高津区 | 235,792 | 16.36 | 14,412.71 |
14135-6 | 多摩区 | 227,434 | 20.50 | 11,094.34 |
14136-4 | 宮前区 | 234,747 | 18.61 | 12,614.02 |
14137-2 | 麻生区 | 180,342 | 23.25 | 7,756.65 |
合計 | 1,552,074 | 142.96 | 10,856.7 |
川崎市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 川崎市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 川崎市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
川崎市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
※括弧内は行政区を示す
北西部の丘陵地帯に人が定住したのは古く、黒川などでは旧石器時代や縄文時代の遺跡が確認できる。しかし、多摩川沿いや臨海部の低地はかつて海底だった場所が多く、多摩川の堆積作用や海面の低下により徐々に陸地化が進んだ。
7世紀に律令体制の整備により武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)の一部となり、奈良時代には現在の高津区に郡衙が置かれ、地域行政の中心になったと推定される。平安時代からは荘園が発達し、稲毛氏が広い地域を支配した。
前述の稲毛氏の一族稲毛三郎重成は源頼朝の御家人の1人となって活躍した。また大治3年(1128年)には川崎大師(平間寺)が建立され、門前町の形成が始まる。その後鎌倉時代から戦国時代にかけては小規模領主による分治が進み、やがて北条氏の支配下に入った。
慶長16年(1611年)には小泉次大夫の指揮により二ヶ領用水が完成、中野島から大師・大島に至る多摩川流域平野のほぼ全域を流れ、農業生産力の向上をもたらした。二ヶ領用水で潤った水田で生産された米は稲毛米と呼ばれ、江戸で寿司飯として人気となる。また江戸幕府が成立したことで東海道や中原街道の重要性が高まり、川崎宿(現川崎駅周辺)の整備が進んだ。ただし、川崎宿が正式な宿場に指定されたのは東海道五十三次の中で最後となる元和9年(1623年)のことである。このとき多摩川の橋は流され、以後川崎宿は六郷の渡しの渡河点、及び川崎大師への玄関口として繁栄する。この他にも中原街道の丸子の渡し、大山街道の二子の渡し、津久井街道の登戸の渡しが整備され、いずれも後に東京への鉄道が建設される宿場町が形成された。
明治・大正期は川崎駅周辺で都市化が急速に進行する一方、丘陵地帯では従来の農山村も維持されていた。その後昭和前期になると鉄道路線の開業が相次ぎ、私鉄沿線には住宅地が、多摩川沿いの南武線沿線には主に工業地が展開した。
この他、明治以降の埋め立ての進行で市域は海に向かって拡大している。
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は団長) |
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自由民主党川崎市議会議員団 | 17 | ◎原典之(中原区)、各務雅彦(多摩区)、上原正裕(多摩区)、青木功雄(高津区)、浅野文直(宮前区)、石田康博(宮前区)、大島明(高津区)、加藤孝明(幸区)、嶋崎嘉夫(川崎区)、末永直(中原区)、野田雅之(幸区)、橋本勝(多摩区)、本間賢次郎(川崎区)、松原成文(中原区)、矢沢孝雄(宮前区)、山崎直史(麻生区)、山田瑛里(川崎区) |
みらい川崎市議会議員団 | 14 | ◎堀添健(高津区)、木庭理香子(麻生区)、押本吉司(中原区)、林敏夫(川崎区)、雨笠裕治(麻生区)、井土清貴(中原区)、岩隈千尋(高津区)、織田勝久(宮前区)、嶋凌汰(幸区)、嶋田 和明(多摩区)、鈴木朋子(麻生区)、高橋美里(中原区)、田倉俊輔(多摩区)、長谷川智一(川崎区) |
公明党川崎市議会議員団 | 11 | ◎浜田昌利(川崎区)、田村伸一郎(宮前区)、河野ゆかり(多摩区)、浦田大輔(川崎区)、枝川舞(幸区)、川島雅裕(中原区)、かわの忠正(幸区)、工藤礼子(宮前区)、春孝明(高津区)、平山浩二(高津区)、柳沢優(麻生区) |
日本共産党川崎市議会議員団 | 8 | ◎宗田裕之(高津区)、井口真美(多摩区)、渡辺学(幸区)、石川建二(宮前区)、市古次郎(中原区)、後藤真左美(川崎区)、小堀祥子(高津区)、齋藤温(麻生区) |
あしたの川崎・日本維新の会川崎市議会議員団 | 5 | ◎岩田英高(高津区)、仁平克枝(川崎区)、高戸友子(宮前区)、那須野純花(幸区)、重冨達也(中原区) |
無所属 | 5 | 月本琢也(麻生区)、吉沢章子(多摩区)、三宅隆介(多摩区)、飯田満(宮前区)、三浦恵美(中原区) |
選挙区 | 氏名 | 会派名 |
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川崎区 | 杉山信雄 | 自由民主党神奈川県議会議員団 |
西村くにこ | 公明党神奈川県議会議員団 | |
栄居学 | 立憲民主党・かながわクラブ神奈川県議会議員団 | |
幸区 | 田中徳一郎 | 自由民主党神奈川県議会議員団 |
市川よし子 | 立憲民主党神奈川県議会議員団 | |
中原区 | 川本学 | 自由民主党神奈川県議会議員団 |
たきた孝徳 | 立憲民主党・かながわクラブ神奈川県議会議員団 | |
松川正二郎 | 日本維新の会神奈川県議会議員団 | |
高津区 | 小川久仁子 | 自由民主党神奈川県議会議員団 |
斉藤たかみ | 立憲民主党・かながわクラブ神奈川県議会議員団 | |
日浦和明 | 日本維新の会神奈川県議会議員団 | |
宮前区 | 持田文男 | 自由民主党神奈川県議会議員団 |
添田勝 | 日本維新の会神奈川県議会議員団 | |
柳瀬吉助 | 立憲民主党神奈川県議会議員団 | |
多摩区 | 土井りゅうすけ | 自由民主党神奈川県議会議員団 |
青山圭一 | 立憲民主党・かながわクラブ神奈川県議会議員団 | |
麻生区 | 石川裕憲 | かながわ未来神奈川県議会議員団 |
小林武史 | 自由民主党神奈川県議会議員団 |
江戸時代初期の二ヶ領用水の整備で、多摩川流域での水田開発が拡大し、農業生産力が向上した。また江戸時代以降、大消費地江戸に近い立地を利用して果樹栽培が営まれ、宿河原の桃や王禅寺の柿が知られた。中でも多摩川梨は明治20年代に新品種として長十郎が発見され、その栽培は全国に普及していった。しかし、その発見地である臨海部での果樹栽培は大正以降の工業開発によって失われた。内陸部でも、戦後は都市化の進行により急速に農地が減少した。現在は市の施策などで伝統的な名産品の復興などに力が注がれている。
京浜工業地帯の中にあり、明治時代の産業革命以降は重工業が発展した。特に昭和前期に臨海部での大規模な埋め立てが行われ、製鉄所や化学工場、機械・電機工業などの建設が進んだ。日本鋼管(現JFEスチール)、富士通、日本電気、東芝などの大規模工場と、それに関連する中小工場が多数建設され、現在に至っている。
近年では、先端技術の研究所なども多く立地する。かわさきマイコンシティ、かながわサイエンスパークの建設などもこれを促進している。一方臨海部の工業地帯では重化学工業不振からの再生が企画される一方、産業遺産としての保護も進められている。また、市では羽田空港の神奈川口整備を見越して、臨空型の工業整備を意図している。
川崎駅東口には地下街「アゼリア」、西口には「ラゾーナ川崎」が立地し、川崎駅周辺商業地の中核となっている。その他、特殊な例として近世からの歴史を持つ関東No.2の風俗街である堀之内と南町がある。川崎市の副都心として、溝の口駅には「丸井」、新百合ヶ丘駅には、「イオン」、「エルミロード」、「オーパ」などの商業施設が建設されている。また第三都心として、武蔵小杉駅も横須賀線の駅が出来たことで都市化が進んでいる。他、住宅地が多いため、中小規模の商店街やスーパーマーケットなどは市内全域で見られる。
しかし、2015年5月31日に百貨店のさいか屋川崎店が閉店したことで、日本全国の政令指定都市の中で唯一百貨店が存在しない都市となった[注釈 9]。日本百貨店協会加盟店としてそごう・西武が小型店をその前年に開業させたものの、売上が思わしくなく3年足らずの2017年8月27日には閉店となった[22][23]。さいか屋がその後ホテル内に開業させた小型店は協会加盟店ではない。
近年は芸術関係での産業振興に力を入れており、川崎駅周辺でのチネチッタプロジェクトやミューザ川崎の建設、麻生区では、新百合ヶ丘駅付近への昭和音楽大学、日本映画大学の誘致や、川崎市アートセンターの建設、KAWASAKIしんゆり映画祭の開催などが進められている。なかでも2004年(平成16年)にミューザ川崎がオープンした後に川崎市は「音楽のまち・かわさき」を推進している。
市内に空港はないが、多摩川を隔てて隣接している東京都大田区に東京国際空港(羽田空港、IATAコード:HND)がある。同空港の再拡張工事にともなって川崎区殿町地区を空港周辺区域「キングスカイフロント」として整備する計画が現在進められており[25]、空港の「神奈川口」としてキングスカイフロントと羽田グローバルウイングズを結ぶ多摩川スカイブリッジが2022年3月に開通し実用に供されている[26]。
東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
京王電鉄(京王)
小田急電鉄(小田急)
京浜急行電鉄(京急)
東急電鉄(東急)
川崎市バスがほぼ全域で運行されているほか、概ね臨港バスが臨海部から東横線周辺まで、東急バスが川崎駅から小田急線まで、小田急バスが小田急沿線でそれぞれ運行している。また、横浜市営バスが川崎駅西口に、神奈川中央交通東バスが登戸に週1日(1往復)・柿生周辺に週1日(2往復)に、京浜急行バスが武蔵小杉駅に乗り入れてくる。
乗車方法は前乗り後降り先払い方式、運賃は均一制である。2022年10月現在の均一運賃は220円(現金、IC同額)だが、民営バスのみ210円(現金、IC同額)である。また、民営バスで東京都区内、東京多摩地区または横浜市内にまたがって運行する路線は、乗車時に事前に降車停留所を申告して運賃を支払う多区間制を採っている。なお神奈川中央交通東の淵24系統は乗車方法が中乗り前降り後払い方式で、運賃は整理券を用いた区間制である。すべての路線においてPASMO・Suica(非接触型ICカード)が利用できる。
※は路線乗り入れのみで、川崎市内に所在しない営業所。
1952年に川崎球場が開設された当初は毎日オリオンズが準本拠として公式戦を使用していたが、川崎市を本拠地とするプロスポーツチームの公式な第1号は1954年結成の高橋ユニオンズだった。しかし、翌1955年に大洋ホエールズが本拠地を川崎に移転すると、セ・リーグ、とりわけスター選手の宝庫といわれた巨人との対戦を中心に観客動員が上昇。高橋球団は経営的な危機に立たされ、1957年のシーズン開幕前に大映スターズへの吸収合体が発表され、わずか3年で消滅した。
一方、大洋は人気の面では観客動員が飛躍的な伸びを見せるが、戦力は今ひとつで常に最下位争いが指定席だった。しかし、1960年に巨人の5連覇を阻止してリーグ初優勝。日本シリーズでも全試合とも1点差という僅差で4連勝して日本一を決めた。その後は1964年に阪神との大接戦を演じ優勝を逃したが、その後は再び最下位争いに定着してしまった。しかし、ライバル・巨人、特に世界のホームラン王・王貞治が一本足打法第1号(1962年)、日本プロ野球初の700号(1976年)など多くのホームランを打ち込んだのも一つの人気だった。
だが、大洋球団は1978年のシーズン開幕時に横浜市に新設される横浜スタジアムへの本拠地移転を示唆。川崎市民は本拠地の移転に反対したが、横浜移転は強行された。その後当時東京都近郊にメインスタジアムがなく、事実上仙台市を本拠としていたロッテ(前出の毎日オリオンズの後身)にアプローチをかけ、1978年から本拠地として使用することになった。川崎時代のロッテは観客動員に苦しむが、1980年の張本勲の3000本安打達成、1982・85・86年の落合博満の三冠王獲得、また1988年の近鉄のリーグ優勝をかけた10.19決戦など、注目の好カードが展開された。しかし、そのロッテも福岡市や千葉市など各地からの移転のラブコールがあり、川崎市が球場改修しないため、1992年のシーズンから千葉市に建設された市営の新球場「千葉マリンスタジアム」に移転。これが川崎市を本拠とする最後のプロ野球チームとなった。
また、川崎球場自体も1995年に発生した阪神大震災を契機に開かれた耐震調査で、震度5以上の大地震でスタンドが倒壊する恐れがあるということからスタンドの取り壊しが決定。2000年3月、横浜vs千葉ロッテのオープン戦を最後にプロ野球の開催球場から身を引くこととなる。現在、川崎市には等々力球場もあるが、設備の都合上1軍の試合は開催できず、プロ野球公式戦の開催予定は立っていない。
このほか、読売ジャイアンツが二軍の本拠地である読売ジャイアンツ球場を多摩区に設けている。かつては、二軍の本拠地として中原区の多摩川河川敷内に、日本ハムファイターズが前身の東映時代より日本ハム球団多摩川グランド(1961年-2011年)を、大洋ホエールズが大洋多摩川球場(1955年-1980年)を設置していた。
Jリーグ発足以前、川崎市には、東京都稲城市と多摩区にホームタウンを有する旧JSL1部に読売サッカークラブ、東芝堀川町サッカー部(東芝)、日本鋼管サッカー部(NKK)、同2部には富士通サッカー部がそれぞれ川崎市で多くの公式戦を開いていた。1993年のJリーグ開幕に当たって、東芝、NKK、富士通ともプロサッカークラブを川崎市で結成することに難色を示し、読売SCが川崎市を本拠地とするプロサッカークラブとなった。
読売は東京都を本拠としたい意向だったが、当時は東京都内にJリーグ開催規格のスタジアムが新宿区の国立競技場と世田谷区の駒沢しかなかった。しかし、国立はJリーグの方針により特定チームの本拠地とせず、各チームが試合開催できる中立的なスタジアムにすること、駒沢は目黒区にある国立病院機構東京医療センターが近接しており、騒音や夜間照明による光害のためナイトゲーム開催が不可能なため本拠地には出来なかった。そのため、やむなく等々力をホームに「ヴェルディ川崎」として活動することにした。
ラモス瑠偉、三浦知良、武田修宏、北澤豪など当時のスター選手を多く抱えていたヴェルディ川崎はJリーグ初代年間王者に輝き、翌年度も年間王者を達成。しかし、当時の川崎市は等々力競技場を市民利用のための公園施設であるとして川崎球場同様に大規模な改修には殆ど手を付けず、マダラ模様で痛んだピッチの芝生の上(砂の部分)に塗料を塗るなどぞんざいな対応だったため、当時の人気チームらしからぬスタジアムとしてファンからの悪評を買うことになってしまった。その後2年をかけて25000人収容のスタンドやピッチの拡張など、Jリーグ基準に適合したスタジアムへのリニューアルを実施したが、一方で市幹部からは「川崎には代わりのチームがある」とこちらもぞんざいな発言をしたりしていた。当時Jリーグにあっても企業スポーツであり続けようとしたヴェルディと、革新政権であった川崎市との乖離は著しく、この時点で「地域密着」の理念が実現されることはなかった。
この頃、NKKサッカー部は企業合理化のため、1993年の旧JFLを最後に廃部が発表。東芝は川崎市でプロ化するとヴェルディのような人気が見込めず、またチームを維持することも難しくなっていたこと、札幌市でプロサッカークラブの誘致が活発化したことにより意見が一致し、1996年に「コンサドーレ札幌」として移転した。富士通サッカー部は当初はプロ化には参加せず、アマチュアイズム重視を目指したが、等々力スタジアムのある中原区の商店街や青年会議所が中心となって実業団から市民クラブとして育てる事とし、チームもこれに応じる形で1996年(旧JFL)にまず名称を「富士通川崎サッカー部」と川崎市の名前を被せて、1997年にJリーグ準会員(JFL2位以内でJリーグ昇格の権利獲得)となるのを機に、富士通サッカー部を法人組織「富士通川崎スポーツマネジメント」、クラブ名も「川崎フロンターレ」として再スタートすることが決まった。
市対応の拙さから、プロ野球同様に2000年のシーズンを最後にヴェルディが東京都(東京(味の素)スタジアム)へ「東京ヴェルディ」として移転し、この時点で川崎市から1部リーグのチームは一旦消滅した。
一方川崎フロンターレは2001年にはJ2に降格したものの、2004年に元鹿島アントラーズの関塚隆を監督として迎え、J2・2回目の優勝、J1復帰を決めた。フロンターレは地域のコミュニティを重視し、試合だけに限らず様々なイベントに参加することをチーム運営の方針としている。2004年9月には川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー制定による認定を受け、さらに2006年4月にはフットサル施設「フロンタウン・さぎぬま」の指定管理者になっている。
2016年秋、Bリーグ開幕し、川崎ブレイブサンダースが川崎市とどろきアリーナをホームアリーナとするプロチームとなった。
工業都市として発展した地域のため、社員・職員の福利厚生と健康増進を目的とした、市内の企業(製造業)によるスポーツチームは数多く作られてきた。とくに野球は盛んであり、そのシンボル的存在として川崎球場(開設時は川崎スタヂアム)が誕生すると都市対抗野球で数多くのチームが活躍し、また他のスポーツでも全国リーグの展開やマスメディアの発達などにより社名の宣伝効果も期待されるようになった。
だが、企業内の「非生産的部門」ということから不況による企業の経営悪化などの影響を強く受け、休廃部や市外への転出・統合も数多く発生した。しかし2004年9月に川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナーが制定されると、プロサッカークラブの川崎フロンターレと同様に「市内のスポーツ資源」という立場を得ることになり、市の広報などでも多く扱われるようになった。
川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナーは、川崎市内を本拠地としてスポーツで活躍するチームや選手を対象に川崎市が認定する制度である。
川崎市として川崎競輪場、神奈川県と川崎市で共に神奈川県川崎競馬組合として川崎競馬場を主催している。
兵庫県神戸市に本社を置く二輪車や航空機などで著名な機械メーカーの川崎重工業(川崎正蔵が創立)、疾患の川崎病(川崎富作が発見)、岡山県倉敷市にある学校法人川崎学園が運営する川崎医科大学・川崎医療福祉大学など(川崎祐宣が運営法人を設立)はいずれもそれぞれの創業者・発見者・創立者に由来する名称であり、川崎市に由来する名称ではない。
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