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小児科医・川崎富作によって発見された発熱性疾患 ウィキペディアから
川崎病(かわさきびょう、英: Kawasaki disease, KD)は、日本の小児科医:川崎富作によって1960年代に発見された[1]、主に乳幼児がかかる発熱性疾患[2](病気)である。突然の高熱が数日続き、目や唇の充血、身体の発疹、手足の発赤(=赤くなること)、首リンパ節の腫脹など様々な症状を惹き起こす[2]。小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群(英: MucoCutaneous Lymph-node Syndrome, MCLS)とも言われるが、世界的に「川崎病 (KD)」と呼ばれるのが一般的である。
神奈川県川崎市、川崎医科大学など上記以外の「川崎」を称する事物とは関係がない。かつて川崎市海岸部の工業地帯で大気汚染による公害(川崎公害)が問題化し、気管支喘息が多くみられた当時は地域特有の公害病と誤解される例も多かった[2]。
1961年(昭和36年)、日本赤十字社中央病院(後の日本赤十字社医療センター)に勤務していた川崎富作が、発熱後に手や足の皮膚が剥がれ、抗生物質が効かない子供を初めて診察した[1]。さらに同様の症状の患者を診療したことをきっかけに、従来の症例に当てはまらない新しい病気であることを確信した[3]。川崎は1967年に日本語論文[4]、1974年に英語論文を発表[3]。当初は一介の小児科医の報告ととられ受け入れられなかったが、アメリカ合衆国で同様の症例が出現したことで、新しい病気として認知されるようになった[3]。
初期は急性熱性疾患(急性期)として全身の血管壁に炎症が起き、多くは1-2週間で症状が治まるが、1ヶ月程度に長引くこともあり、炎症が強い時は脇や足の付け根の血管に瘤が出来る場合もある。心臓の血管での炎症により、冠動脈の起始部近くと左冠動脈の左前下行枝と左回旋枝の分岐付近に瘤が出来やすい。急性期の血管炎による瘤の半数は、2年以内に退縮(リグレッション)するが、冠動脈瘤などの後遺症を残す事がある。
主要症状は以下の6つである。
以上6つの主要症状のうち5つ以上を満たすものを本症と診断するが、5つに満たない非典型例も多い。発熱、発赤、リンパ節腫脹などは乳幼児期のウイルス感染症でも極一般的に認める症状であり、確定診断には困難を伴う。主要症状には含まれていないが、乾癬様皮疹[5]、麻痺性イレウス、低アルブミン血症、BCG接種部位の発赤・痂皮形成などは留意すべき所見とされる[6]。
欧米に比べると日本をはじめとするアジアの国々に多い[7](日本や中華人民共和国、大韓民国など[1])。男女比は女児よりも男児に多い傾向がある[7]。好発年齢は4歳以下で特に1歳前後に多い[7]。冠動脈径 8mm以上(通常 2mm以下)が約0.5%発生し、死亡率は約 0.05%程度。年齢により症状は異なる。
日本では、1980年代後半から1990年代において年間およそ6,000人が発症している。1999年は約7,000人、2000年には8,000人と増加傾向にある。日本では1982年に16,000人、1986年に13,000人の流行があった。2000年以降も患者の発生は続き、2004年には患者数10,000人を超え、2008年の患者数は11,756人が報告されている。また、2008年は、10万人当たりの罹患率(0-4歳児)も上昇傾向で、218.6人と史上最高を記録している[8]。2018年は約1万7000人。過去50年間で、患者数が増える「流行」期が度々見られる[1]。
川崎病の病因は不明で、感染症なのか自己免疫疾患なのかは、はっきり特定されておらず、感染症説、スーパー抗原説、自己抗原説、RNAウイルス説など、様々な仮説がある。ただ発病は夏と冬に多く、地域流行性があることから、何らかの感染が引き金となって起こる可能性が示唆されている。
以上のような感染や何らかのきっかけにより、全身の血管、中小動脈への自己免疫が誘発される。病理組織上は血管壁に、好中球や、マクロファージ、リンパ球を認める。これら炎症細胞が血管壁を破壊することにより、冠動脈の拡張、四肢末端の浮腫が引き起こされると考えられている。
2020年には、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に罹患した一部の子供が、川崎病に似た症状を呈しているとの報告が欧米で相次ぎ、東京都立小児総合医療センター(東京都府中市)で3月下旬、新型コロナウイルスに感染し、入院した1歳男児がその後、全身の血管に炎症が起きる川崎病と診断された[21]。
川崎病治療の目的は、急性期の炎症反応を可能な限り早期に終息させることで、冠動脈瘤の形成を予防することである[22]。初期治療としては免疫グロブリン[23]とプレドニゾロン、アスピリンを併用される。この併用療法により48時間以内に解熱しない、または2週間以内に再燃が見られる場合を不応例とする[24]。
不応例には、免疫グロブリンとシクロスポリン[25]あるいはインフリキシマブの併用投与を行うか、ステロイドパルス療法が有用な例も報告されている。また冠動脈が拡張を来していないか、心エコーによりフォローする必要がある。冠動脈病変が好発する第10病日で行い、異常が認められない場合には発病後6週で再検する(実際は各施設により心エコーを行う時期はまちまちと思われる)。冠動脈病変が認められない場合、その時点でアスピリンを中止する。
5日以上持続する発熱が診断基準の1つとなっているものの、他の診断項目から明らかに川崎病と医師によって診断される場合には、発熱5日まで治療開始を待つ必要はない。遅くとも、発症7日以内に治療開始することが望ましいとされる。
冠動脈障害がない場合も成人後の遠隔期での心疾患リスクのコントロールに留意する必要がある。発症から1-3週間後ぐらいに10-20%の頻度で冠動脈に動脈瘤が認められ、まれに心筋梗塞により突然死に至ることがある。冠動脈瘤の約半数は、1-2年程度で退縮(リグレッション)するが、残りの半数は退縮せず残る。冠動脈障害が治った場合でも、冠動脈の状態は成長と共に変化し心臓障害のリスクが高くなる。従って、定期的な検査が必要になる。巨大な瘤を発生した患者では、15年で約70%は冠動脈に狭窄や閉塞が見つかるが、60%程度は無症状で無症候性心筋梗塞と呼ばれる。
免疫グロブリン静注療法によって冠動脈瘤の頻度が低下していることが明らかになっている一方、依然として巨大冠状動脈瘤の頻度には大きな変化がなく、未だにより有効な治療法に向けて研究が進められている。
冠動脈障害(狭窄)により血行が十分に確保されない(心筋虚血)場合は、血行再建術(外科手術)により治療を行う。具体的には、カテーテルによる経皮的冠動脈形成術(PTCA)と冠動脈バイパス術(CABG)で、発症後2年以内に行うと治療効果が高い。一方、発症から10数年経過し、血管壁が厚く血管内部で石灰化している場合は、ロータブレーターにより内壁を削る。しかし、カテーテルやロータブレーターで治療では再び狭窄が進行することがある。根本治療は冠動脈バイパス手術で、心臓への血行が回復すると運動制限は無くなる。
心筋虚血がない場合は運動制限を行う必要はない。
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