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津田山駅
神奈川県川崎市高津区下作延にある東日本旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
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津田山駅(つだやまえき)は、神奈川県川崎市高津区下作延六丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)南武線の駅である。駅番号はJN 11。

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歴史
- 1941年(昭和16年)2月5日:南武鉄道の日本ヒューム管前停留場として開業[1]。
- 1943年(昭和18年)4月9日:駅に昇格。
- 1944年(昭和19年)4月1日:南武鉄道線が国有化[1]。運輸通信省南武線の津田山駅となる[1]。
- 1972年(昭和47年)3月5日:貨物取扱廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる[1]。
- 1993年(平成5年)12月10日:自動改札機を設置[3]。
- 2001年(平成13年)11月18日:ICカード「Suica」の利用が可能となる。
- 2007年(平成19年)6月22日:みどりの窓口の営業を終了。
- 2016年(平成28年)6月16日:川崎市とJR東日本が、駅の橋上駅舎化と自由通路設置についての協定を締結[4]。
- 2017年(平成29年)3月17日:橋上駅舎化工事着工[5]。
- 2019年(令和元年)6月8日:橋上駅舎北口供用開始[6]。
- 2020年(令和2年)5月22日:橋上駅舎南口および自由通路が供用開始[7]。南口に仮設通路が使用開始[7]。
- 2024年(令和6年)8月8日:スマートホームドアの使用を開始[8]。
駅名の由来
「津田山」とは当駅の東にある七面山の別名であるが、これは当地の宅地開発事業を行った玉川電気鉄道(当時)社長の津田興二が名付けたものである[9](久地#歴史を参照)。
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駅構造
川崎統括センター(武蔵溝ノ口駅)管理の業務委託駅(JR東日本ステーションサービス委託)となっている[10]。お客さまサポートコールシステムが導入されており[2]、一部時間帯は遠隔対応(インターホン対応は武蔵溝ノ口駅が行う)のため改札係員は不在となり、一部の自動券売機(多機能券売機を含む[11])のみが稼働する。
ホームの上屋がホーム長に比較して短く、神奈川県鉄道輸送力増強促進会議(県知事・県内全市町村長・商工会議所会頭・商工連合会会頭などが構成メンバー)は延長をJRに要望している。これに対してJR側は2014年の時点で、計画中の橋上駅化に合わせて整備を行うと回答している[12]。
それから2年後の2016年6月16日に、川崎市とJR東日本が、当駅の橋上駅舎化と自由通路設置についての協定を締結した[4]。その後、2017年3月17日に着工し[13][14]、2019年6月8日に北口が供用開始した[6]。2020年5月22日には南口および自由通路が供用開始し、南口には仮設通路が使用開始された[7]。
のりば
(出典:JR東日本:駅構内図)
- 改札口(2022年8月)
- 自動券売機(2022年8月)
- ホーム(2022年8月)
- 旧駅舎(2008年8月)
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利用状況
2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員は3,706人であり、南武線の本線の26駅の中では最も少ない。しかし、緑ヶ丘霊園の最寄駅であることから、彼岸および花見の期間は利用者が増える。
1995年度(平成7年度)以降の推移は下記の通り。
駅周辺
開業時の駅名にある「日本ヒューム管」は、1940年に鶴見より移転してきた日本ヒューム管株式会社(現在の日本ヒューム株式会社)川崎工場のことである。同工場では下水道などに用いられるヒューム管などを製造しており、製品輸送用に当駅分岐の専用線も敷設されていた。既に工場は閉鎖されており、跡地東側は川崎市立下作延小学校、西側は同社川崎営業所および「スノーヴァ溝の口R246」(全季節対応屋内スキー場)、マックスバリュ(食品スーパー)、川崎市子ども夢パークとなっている。
駅周辺には墓石や供花など霊園関連の店が多い。喪服の利用者の乗降も目立つ。
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隣の駅
脚注
関連項目
外部リンク
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