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日本の神奈川県橘樹郡にあった町 ウィキペディアから
田島町(たじままち)は、1923年(大正12年)6月1日から1927年(昭和2年)4月1日まで存在した神奈川県橘樹郡の町。
前身の田島村(たじまむら)についても本項で述べる。
神奈川県橘樹郡東部の町。現在の神奈川県川崎市川崎区の南部にあたる。
元は多摩川下流の沖積低地上に広がる農村であり、緻密な用水網が整備されていた。1910年代後半から臨海部で埋め立てによる工業用地の造成が着手され、日本鋼管の製鉄所を中心とする重工業の集積が進行した。京浜工業地帯の中核として成長するとともに、元の農村区域も急速に工業都市化する中、1927年に川崎市に編入された。
旧渡田村、下新田村、小田村、田辺新田の「田」と、旧大島村、中島村の「島」を合わせて「田島」となった。
田島村の工業都市化は、1914年(大正3年)の日本鋼管(現:JFEスチール)の製鉄所と1917年(大正6年)の浅野セメント川崎工場(現:デイ・シイ川崎工場)の開業に始まる。1908年(明治41年)に浅野総一郎らが中心となって「鶴見埋立組合」が組織されて当村から横浜市神奈川地区(現:神奈川区)にかけての海面を埋め立てて港湾機能を持った工業用地の造成事業が着手され、1920年代以降、浅野財閥系企業を中心に重工業の集積が進行した。
1918年(大正7年)に川崎駅から東海道本線の貨物支線が浜川崎駅まで開業し、1926年(大正15年)に鶴見臨港鉄道(当初は貨物専業。現:JR東日本鶴見線)がこれに接続して臨港鉄道網も整備された。
臨海部への工場進出に合わせて、従来の農村部でも工場の進出や工場労働者の流入により都市化が進行した。1923年(大正12年)に田島村は町制を施行して田島町となり、さらに1927年(昭和2年)に川崎市へ編入された。
臨海部・内陸部を問わず工場の集積と人口の流入は川崎市編入後により一層進行し、京浜工業地帯の中核として発展することとなる。
南武鉄道(現:JR東日本南武線)浜川崎支線は未開業。
いずれも大体の範囲。各町とも区域がかなり変遷しているため、起立時に属していた旧大字名を基準とした。下記のほか、旧菅沢村の飛地が田辺新田付近に存在した[2][3][1]。
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