向丘村(むかおかむら)は、1889年(明治22年)4月1日から1938年(昭和13年)10月1日まで存在した神奈川県橘樹郡の村。
概要 むかおかむら 向丘村, 廃止日 ...
閉じる
神奈川県橘樹郡北部の村。平瀬川の沿岸にあたる。西部は現在の神奈川県川崎市宮前区北部にあたり、東部は高津区、多摩区にまたがる。
村名の由来
旧長尾村の鈴木久弥の命名による。「新編武蔵風土記稿」に登場する向ヶ岡[1]などによるものと推定される。
沿革
- 室町時代 - 菅生郷の地名が見られる。
- 戦国時代 - 長尾村、平之村の地名が見られる。
- 江戸時代 - 以下の5村が成立。
- 上作延村(旗本上氏、戸田氏の相給→幕府領)
- 長尾村(旗本大河内氏・村上氏・木造氏の3給→幕府領、旗本木造氏・村上氏の相給→幕府領)
- 平村(旗本木造氏知行→幕府領)
- 下菅生村(旗本木造氏・椿井氏の相給→幕府領、旗本椿井氏知行)
- 天真寺新田(幕府領)
- 1868年(明治元年)
- 旧暦6月17日 - 神奈川府の管轄となる。
- 旧暦9月21日 - 神奈川府が神奈川県に改称。
- 1874年(明治7年) - 大区小区制の施行により、平村、長尾村、上作延村、下菅生村、天真寺新田が第5大区第6小区になる。
- 1875年(明治8年) - 下菅生村、天真寺新田が合併して菅生村が成立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上作延村、長尾村、平村、菅生村および下作延村の飛地が合併して向丘村が成立。
- 1917年(大正6年)5月 - 4800円余りの費用をかけた喜津根坂の道路改修工事が竣工。(後年向丘村にて改修記念碑を建立)
- 1935年(昭和10年) - 総工費11,800円余りをかけ東長沢交差点から生田駅方面に向かう全長1,389mの新道が完成。
- 1938年(昭和13年)10月1日 - 川崎市に編入。同日向丘村廃止。
- 1951年(昭和26年) - 軍用地が解放され、その地に向ケ丘という大字が設定される。
- 1961年(昭和36年)4月15日 - 旧平村・旧長尾村の各一部から五所塚が起立。
- 1971年(昭和46年)11月1日 - 土地区画整理事業により、旧長尾村の一部と、旧馬絹村の一部から神木が起立。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 川崎市が政令指定都市に指定され、旧村域が高津区になる。
- 1975年(昭和50年)2月1日 - 旧長尾村の一部が多摩区に編入され、住居表示が実施される。長尾が起立。
- 1982年(昭和57年)7月1日 - 川崎市高津区から宮前区を分区。旧村域のうち旧平村、菅生村の全域と、旧長尾村の一部(1975年に多摩区に編入された地域を除く)が宮前区になる。同時に旧長尾村の未施行区域で住居表示が施行され、神木本町が起立。
向丘村関連史跡
- 三堰維持記念碑 - 1895年4月建立(所在地:上作延)
- 征清戦勝記念碑 - 1895年10月向丘村恤兵會建設(所在地:等覚院内)
- 御大禮記念道路改修之碑 - 1917年5月に竣工した喜津根坂道路改修工事の記念碑。1928年10月建碑 向丘村(所在地:喜津根坂上)
- 志良以先生頌徳碑 - 向丘村立経綸校長であった志良以先生の顕彰碑、静修塾名誉顧問 鈴木久弥 撰文。1931年12月建碑(所在地:妙楽寺内)
- 昭和道路改修記念碑 - 東長沢交差点から生田駅方面に向かう全長1,389mの新道工事を記念した碑。1935年完工。(所在地:長沢3丁目)