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日本の声優 (1965-) ウィキペディアから
山口 勝平(やまぐち かっぺい[注 1]、1965年〈昭和40年〉5月23日[2][5][18][19] - )は、日本の声優、俳優。芸能事務所悟空代表。息子は同じく声優の山口竜之介[11]。娘は落語家で声優の山口茜[12][13]。
やまぐち かっぺい 山口 勝平 | |
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2016年の肖像写真 | |
プロフィール | |
本名 |
山口 光雄 (やまぐち みつお)[1][2] |
性別 | 男性 |
出身地 | 日本・福岡県福岡市博多区[3][4][5][6][7][8] |
生年月日 | 1965年5月23日(59歳) |
血液型 | B型[5][6][9] |
身長 | 160 cm[9] |
職業 | 声優、俳優 |
事務所 | 悟空[9] |
配偶者 | あり[10] |
著名な家族 | 山口茜(娘)[12][13] |
公式サイト | プロフィール |
声優活動 | |
活動期間 | 1988年[14] - |
ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ラジオ |
デビュー作 |
船員A (『どんどんドメルとロン』)[14][15][16] |
俳優活動 | |
活動期間 | 1985年 - |
ジャンル | テレビドラマ、舞台 |
デビュー作 | 怪獣ボラボラ(『碧い彗星の一夜』) |
代表作は、『らんま1/2』(早乙女乱馬)、『名探偵コナン』(工藤新一、怪盗キッド)、『犬夜叉』(犬夜叉)、『ONE PIECE』(ウソップ)など[20][21][22]。
大工である父親のもとに生まれる[23]。福岡県福岡市博多区の櫛田神社の近くで暮らしていた博多っ子[7][8]。
小さい頃は大工、動物が好きだったため、動物関係の仕事、保父、小学校の教師、船や海が好きだったため、船乗り、カチンコを打つことがいいなと考えて助監督になりたいと考えていた[24][25]。その頃から漫画、アニメが好きだったため、声優に興味がなかったわけではなかったが、明確に職業として意識してはいなかったと語る[15]。
小学校から中学1年生まで野球部に所属して野球をしていたという[26][27]。その時のポジションはセカンドと、控えてピッチャーもしていた[27]。2年生で転校して、サッカー部に入部したかったが、体育の時間に足をケガして医者から「サッカーやるな」と言われたという[26]。「それは足が治るまでやるな」ということだったが、勝手に「一生サッカーできないんだ」と悲愴していたという[26]。スポーツは見るよりも、やるほうが好きで1991年時点はスポーツはしていないという[26]。
その頃、前述のとおり、テレビアニメが好きだったが、高校時代はバンドでサイドギターでボーカル担当[24]、バイクといった他のことに熱中し、始めており、アニメを見なくなった[28]。高校時代は硬式テニス部に所属していたが、高校2年生の途中で辞めたという[27]。
アルバイトは福岡にいた時は、ケンタッキー・フライド・チキンと、年末だけ魚市場で働いていた[27]。魚市場のアルバイトは夜7時から明け方の4時ぐらいまでの仕事で、その時期はお正月用に魚が水揚げされていたため、それを手伝っていた[27]。メチャクチャ寒かったが、ひと晩で8千円ぐらいもらえるため、頑張っていたという[27]。もらったお金は全部ギターとバイクに注ぎ込んでいた[27]。夏休みには、映画館でアイスを売る派遣のようなアルバイトをしていた[27]。当時は福岡県福岡市博多区中洲に映画館がまとまって建っていたため、友人とシフト表をやりくりして色々な映画館に行っていた[27]。当時は趣味と実績を兼ねた至福の時間を過ごしていた[27]。当時上映していたタイトルはほとんど観ており、お金を払っても観るべき映画とそうでない映画の見分けが付くようになった[27]。
幼稚園の頃からお遊戯会、小学校の学芸会で演じることは好きであり[28]、高校時代の三者面談の時に教師と母親に初めて「役者になりたい」と言っており、後に「東京に出てきたかっただけなのかもしれません。」といい、「東京に出たい」という気持ちが強く東京に出るための手段として役者の仕事を選んだと語る[24][25]。
いきなり「役者になりたい」と言っても、両親の反対はなく昔から勉強勉強というようなことはなかった[24][25]。他人と真正面から向き合っていくことを重んじるような人物たちだったため、「東京で、一人でがんばってみるのもいい勉強だから行ってきなさい」と快く送り出してくれた[24][25]。
母は寂しかったといい、上京当時は、「親に寂しい思いをさせてまでやらなくちゃいけない仕事なんだ」という覚悟もなかった[25]。その時に「側にいてあげられないのはやはりひどいことなんだ」、「東京に出てきて役者になったことが、人生最大の親不孝だろう」、「自分が親になってみて、初めて親に対して申しわけなかったな」と感じるようになったという[24][25]。
ただし、いつまでもダラダラとしていても意味がないため、「5年やってみてダメだったら戻る」という約束で、福岡県立筑前高等学校[29][30]卒業後、漠然と「役者になってみたい」と考えて、1984年、19歳の時に東京へ移住[7][18][24][25][28][16][31]。
高校にあった専門学校ガイドのようなものを見て進路を探し、演劇関係では、専門学校東京アナウンス学院と丹波道場の2つしか掲載されていなかった[24]。丹波道場の練習風景の写真を見ていたところ先生が竹刀を持ち、「これは怖いなぁ」と漠然と、「役者になろう」という程度の感覚しかなかったため、「こんな怖いとこいけない」とそこには行かなかった[24]。それと、福岡なまりがあったため、発音を直そうと新聞奨学生になり、専門学校東京アナウンス学院に入学[24][25][16][31]。当時の配達地域には富山敬が住んでおり、富山の家に新聞を配っていた[16][32]。山口のデビュー後、富山が父役で共演したことがあり、富山に挨拶へ伺ったところ、富山が「どっかで見たことがあると思った…、新聞屋さんだ!!」と驚かれたこともあり、2021年時点では、良い思い出だという[16]。専門学校在学中、週1回日曜だけの声優養成所の広告を見て声優養成所の存在を知る[25]。養成所のサンハウスミュージックに通っていた[19]。
職業としての声優を意識していないころから好きだった野沢雅子が講師をしていた学校の広告を見つけ、後に師匠になる肝付兼太も講師をしており、「それでもう、その養成所に通うしかない」と思い、肝付のクラスに配属[28]。2009年時点でも憧れたり尊敬する先輩でも肝付と野沢を挙げている[33]。その頃の肝付は劇団21世紀FOXを結成されたばかりであり、初めて役者になるための手段として劇団という道があることを知った[25]。その時に「舞台は面白いよ」、「舞台はすごく楽しいよ」と何度も聞かされているうちに「じゃあ舞台をやってみよう」と思い、同劇団[6]に入団して大道具・小道具のようなスタッフワークから始める[25]。同劇団に専念するために半年で同アナウンス学院を自主退学した[34]。専門学校時代にしていた新聞配達をそのまま続けていた[34]。専門学校退学後も、新聞の専売所に寄宿できるため、最初の1年はよかったが、退学後はまかなわなければならないため、大変で、苦しくなると姉に泣きついていたという[34]。
他のアルバイトとして寿司屋、レストラン、着ぐるみなど多くしており、デビューするくらいまでだったことから5年ぐらい続けていたという[14][34]。
以前は様々な理由で役者を辞める話を聞くと、「こんなに楽しい熱中できることを辞めるなんて、自分の夢を諦めるなんて、いったいどれだけのつらさがあるんだろう」と思い、決断ができなかったことから役者を続けてきたが、長く活動していくうちに逆に「辞めるのは簡単だな」と考えるようになったという[25]。役者を辞めようとは思っておらず、ちょうどデビューしたのが父との約束の5年目だったため、「免罪符ができた、ラッキー」と思った[34]。2012年時点では楽しいことから役者を続けていけるという[25]。
お金がなかったため、アルバイトに明け暮れていたが、それ以外の時間は全部劇団につぎこんでいた[25]。趣味に回すようなお金もなかったが、芝居が趣味のようなもの、自分のすべてで、2012年時点でもその当時に培ってきたものが自分の根っこにあると感じているという[25]。
劇団の稽古が夕方からだが、深夜のバイト明けだと稽古中に眠くなり、その時に、「このままでは何のために東京に出てきたのかわからない。アルバイトをするために上京してきたわけではない」と思った[34]。それで、収入が落ちることを覚悟でアルバイトを早朝のものに変えたりしていた[34]。
その当時は、食べるために舞台をしているわけではなかったことから「舞台をやっていれば別に食えなくてもいいや」と思った[34]。5年劇団に在籍し、舞台ではなかなか食べていけないのも自分で理解していた時期で、「一生アルバイトしながらでも舞台ができればいいや」と思っていたくらいだったという[34]。
劇団に入団してから1年くらいで端役で初めて舞台を踏み、北村想の『踊子 〜THE DANCER MURDER CASE〜』の主人公の少年探偵役で初主役[28]。師匠が肝付だったこともあり、声の仕事関係のディレクターたちが舞台を観に来てくれることが多かった[27]。その後、そこで舞台を続けていくうちにセリフは「教室の私語は厳禁です」の一言だけの黒子役で出演していた舞台を見ていた音響監督の斯波重治に「声優にならないか」と声をかけてもらって、23歳からは声優としても活動[4][7][27][31][33][35][36]。当時は、漠然と「役者になりたい」という思いがあり、舞台に出演させてもらい、「このまま一生舞台役者のままでいる」ということもできたが、「何かしらチャレンジしたい」とも思っていた[15]。
最初は3回くらいガヤの仕事をして[35]、1989年にテレビアニメ『らんま1/2』の早乙女乱馬役で初主演し声優としてのキャリアを本格的に積み始める[注 2]。初めてオーディションで受かった役は『魔女の宅急便』のトンボ役で[注 3]『魔女の宅急便』と『らんま1/2』なしでは声優のスタートは切れなかったと語っている[39]。
声優として仕事を始めてからは、舞台とは違い声だけで演じなければならず「難しいな」と感じていた[35]。何もかも初めてのことだらけで、スタジオでのマナーも全く無知で、台本の見方すらわからなかった[35]。最初に台本の直しをするが、「ここ“マルセ”出ます」「画面“パン”したらしゃべってください」などの専門用語が全然理解できず、聞ける雰囲気でもなかった[35]。自分のセリフが終わって安心して、本番中にお茶を飲んでしまったこともあったりと、たくさん失敗していたという[35]。その時はいわば「現場がトレーニング場であった」とのこと[35]。デビュー当時は、その性格から声優仲間で「甘えん坊将軍」という渾名を付けられる[注 4][40]。
当初はスーパーでのアルバイトを行っていた[41]が、『らんま1/2』が始まって1年ほどたった頃、「自分は声優としてやっていくんだ」と腹をくくりバイトをやめた[42]。
映画初主役は1991年、劇場アニメ『アルスラーン戦記』のアルスラーン役[19]。その後も多くの作品に出演し、東京国際アニメフェア2003にて個人の声優賞を受賞[31]。
2017年10月27日、滋賀県長浜市の長浜市PR大使(声の観光大使)を委嘱される、同日に長浜観光協会のPRキャラクター「ひでよしくん」の声を担当するための「キャラクターボイス任命式」が行われた[44]。
演劇のように体動かした方がしゃべりやすいという[7]。1999年時点ではすごく舞台が好きで役者の世界に入ったことから、最終的には「舞台に戻りたいな」と思っているという[7]。
テレビアニメ、ゲーム、洋画の吹き替えなどで、数々の作品に出演している。はつらつとした少年役の声に定評があり[7]、活発な少年・青年役を得意としている[46]。演じる少年役は幅広く『アルスラーン戦記』のアルスラーン役のように繊細で高貴な役、『機動武闘伝Gガンダム』のサイ・サイシー役のようなヤンチャな男の子、『空想科学世界ガリバーボーイ』のガリバー役のようにワイルドな野郎まで、変幻自在である[19]。『らんま1/2』の早乙女乱馬役以降、少年役を演じるにあたって「カッコよく演じない」ことが軸になっており、カッコよく演じるのではなく結果カッコよければいいだろう、という感覚だという[42]。
アドリブについて、『キャッ党忍伝てやんでえ』で悪ふざけではなく作品をより楽しんでもらうためのアドリブは「やるかやらないか迷ったら、やれ」と学んだという[47]。『ビーストウォーズ』シリーズでは「アドリブを入れたら、ウケなくても台本に戻すのはNG」「翻訳家の方が考えてくれたものを自分で変えた以上、それがダメだったからといって戻すのは失礼だ」というルールがあり、アドリブをやる際は一つの台詞に対してネタを3つ4つ用意してテストと本番で台詞を変え、受ける側もとっさのアドリブで応戦しアドリブ合戦になるという、「楽しいけど、胃が痛くなる。でもやっぱり楽しい。そんなスタジオでした」とのこと[48]。
役によって声を作ることは少ないが、『DEATH NOTE』のL(エル)役のオーディションでは「一番低いところで聞かせてください」「もっと低い声は出ますか?」とオーダーを受けた[49]。声を作ったうえに、狭いレンジの中でどうセリフのニュアンスを伝えるか、制限に抗って色々試したという[49]。
声の仕事が忙しくなってきた時は、劇団のほうはダブルキャストにして助けてもらっていた[50]。両方していると、両方とも新鮮だったりしており、片方だけだったら、退屈病が出てきたかもしれないという[50]。
『機動武闘伝Gガンダム』で共演した関智一によると集中力があり、どんなに早いカット割りのアニメでも見逃さず、周りの人が一瞬台本に目を落とした隙にシーンを見逃すと、「今ここだよ」と教えてくれるという。関は山口から「口パクに合わせるような芝居をしてはいけない。どんなに合わせたつもりでも、後でスタッフさんが合わせ直してくださるものだし、多少こぼれた(口パクと合わなかった)としても、演技をちゃんとしたほうがいい。いい演技をすれば、絵のほうを合わせてくれるから」と教えてもらったと語っている[51]。
『名探偵コナン』では工藤新一と怪盗キッドの2役を担当しているが、それまで演じたことないキャラクターだったため、すごく悩み、「二人一緒に出たら嫌だなぁ…」と思っていた[16]。しかし、2人が対峙する話をする時、自分の中で違いもハッキリを分かり、自然に新一との区別を把握することが出来たという[16]。新一の出番が少ないことを嘆いているが、だからこそ出番がある際には「俺は高校生名探偵工藤新一……」というセリフを言い新一のキャラを掴んでからアフレコに挑んでいる[要出典]。また『コナン』の中で一番好きなエピソードは「空飛ぶ密室 工藤新一最初の事件」である[52]。コナン役の高山みなみと一緒に一人の人物を作っていくポジションであり、話が進み高山のコナンがかっこよくなるにつれて新一もかっこよくなり戸惑っていた時期もあったと語っている。新一とキッドの演じ分けについて当初は悩んでいたが、二人が邂逅する話を演じた際そのイメージはキッドがコナンと初めて相対した時の構図のままであり、逆に新一とキッドを演じ分けられるようになったという(コナンは下からキッドを真っすぐ見上げており、キッドは上からコナンを余裕を持って見下ろしている、その立ち位置のまま演じればいいという指針が自分の中で出来上がったという)[53]。
高橋留美子作品では、『らんま1/2』『犬夜叉』と連載作品のアニメ化時の主人公を2作連続で担当しており[36]、その次の連載作品である『境界のRINNE』では主人公の父親役を担当。また、『うる星やつら』のOVAにも白井コースケ役で出演している。『らんま1/2』は、山口にとってオーディションに受かりレギュラーとして挑む最初の作品で、本人曰く「右も左も分からない状況で、とにかく一生懸命乱馬役を没頭して演じた」「声優として形ができていなかったため、第1話と最終話では演じ方がまったく違う」とのこと。『犬夜叉』では、オーディションを受けたものの、後にスタッフから聞いた話によると、高橋の方から指名を受けていた。最初の主役を演じた『らんま1/2』と同じ作者の作品で再び主役を演じられたことで「初心に帰ることができ、自分の声優としての立ち位置を確認できた」と回顧している。仕事をしていく中で瞬発力が身についたという自信があったため、激しいアクションシーンが多かった『犬夜叉』は楽しかったとのこと。また、役作りを任されていて自由に演じることができ、「妖怪の血」の表現など細かなトライを沢山しており、「我ながら工夫して演じた」という[54]。
『らんま1/2』の出演時はアニメは録り直しがきくため、最初の頃は「いいものを作りたいという思いから何カットもセリフを録り直してほしい」とお願いしていた[35]。その時、良牙役の山寺宏一から「いいのものにしたくて言っているのもわかるけど、音響監督がOKを出したものに対して『録りなおしてくれ』という言葉を出すということは、お前はそれに対して責任を持って言っているのか?ただ自己満足でやり直したいというのだったらやめなさい。本当なら音響監督さんはお前のセリフの全部を録り直したいくらいなんだから」と言われた[35]。その時の言葉は2004年時点も深く残り、デビューしてわりと早いうちに山寺から指摘されたことが「自分のために本当に良かった」と語る[35]。その頃からプロの自覚が芽生え出した[35]。それまでは知らない世界に連れてきてくれて、アニメの主人公を演じさせてくれて、「楽しいなぁ」という軽い気持ちでしていた部分が強かったと語る[35]。
デビュー当時、『らんま1/2』の現場で全くのド新人は山口だけであった[35]。周囲には、既に2・3年活動している高山みなみ、林原めぐみ、その周囲にもう少し先輩の日髙のり子、山寺宏一、その上に緒方賢一、永井一郎らがいた[35]。そういう3重、4重の層で新人として面倒を見て貰ったことから、「本当に周りの人に育ててもらったな」と感じていたという[35]。
『らんま1/2』の放映が終了した後の打ち上げパーティーで原作者の高橋留美子に初めて会った[36]。その時に初めて挨拶したところ、「乱馬らしい乱馬くんをありがとう」と感謝の言葉を貰った[36]。何よりも印象に残ったのは、高橋が挙げた好きな乱馬のセリフが「それは俺のタクアンだ」であったという[36]。ほかにもたくさんかっこいい決めゼリフがあるにも関わらず、乱馬と親父が食事のことでケンカしているシーンを観て、「あ、乱馬がしゃべってる」と感じてくれたそうで「声優冥利に尽きる褒め言葉だ」と思ったという[36]。
『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』の主人公・草間大作役は、山口にとってとても大きな作品だったという[55]。大作役は当初、子役でいくという案もあったが、制作が長期にわたることが予想されていたため、声変わりの心配がない成人男性で少年役ができる役者ということで山口に白羽の矢が立ったという[55]。大作役を演じるにあたり、監督の今川泰宏に「大作の周囲に配置される大人のキャラクターたちと同じテンションの芝居をしないでほしい」と説明され、「子供の目線の世界観を表現してほしい」とリクエストされ、セリフも「大見得とは対局の、むしろ棒読みな感じでやってくれ」と言われていた[55]。最終話のラストでは、「そこまでに彼が経験してきたことを踏まえて、一回り成長した草間大作として、『砕け! ジャイアントロボ!』を叫んでほしい」と言われて演じていたという[55]。
『ONE PIECE』では、元々主人公のルフィ役を希望してオーディションに臨んだが落選。その後、別オファーを受ける形でウソップ役に決定した[56]。山口は原作を連載開始当初から読んでおり、決まったときは嬉しかった一方で、戸惑いもあったという。その理由として、「原作を読んでも、ウソップの声だけどうしてもイメージできなかったから」と振り返っている[56]。最初分からなかった分、色々なことを試したといい、その分「自分が演じたキャラクターの中で一番自由かもしれない」という[57]。「ウォーターセブン編」でのゴーイングメリー号を巡って一味を抜けたウソップの「ホントは全部知ってんだ、もうメリー号がダメだってのも知ってんだ!」というセリフは、ウソップの全てがつまっていると思ったといい、好きなセリフにあげている[58]。また、ボーイン列島で太ってしまったウソップの声を出す場面では、山口自身も体重を増量してからアフレコに臨んだ[59]。
吹き替えでは、ルーニー・テューンズシリーズにおいて、バッグス・バニーの声を『スペース・ジャム』より現在まで長きに渡り担当している[60]。バッグス決め台詞「どったのセンセー?」の彼独特の言い回しが特に有名である[要出典]。
本業は舞台俳優で、1999年時点での山口自身の中では「そうありたいな」と思っているが、仕事として成り立っているのは声優としての部分[7]。しかし「どっちじゃなくっちゃいやだ」、というかたくなな部分はないという[7]。
それだけの魅力が舞台にはあり、2004年時点では声の仕事をしても、舞台を離れられないのは舞台の魅力があるからである[34]。舞台の最大の魅力は、「“生”あることだ」と語り、魅力に気づいてきたのは劇団に入団しばらくしてからだったという[34]。
原点にあるのは舞台で、若い頃は「はい。そうです」と言っていたが、だんだん年をとると言い切るのも恥ずかしくなり、2004年時点では「そうであるといいな」と思っているという[34]。
2004年時点では芝居が好きで、芝居漬けになっているのが好きで舞台の本番も好きだが、稽古が好きである[50]。舞台袖から観た世界は、魅力的な世界で夢のような世界に感じ、そういう場に身を置き、「その状況を維持するためには稽古するしかない」と思っているという[50]。
2004年時点では色々な芝居を観ており、友人の芝居もよく観にいくが、いい芝居を目の当たりにしていると、「なぜ自分がここで観ているんだろう」と思い、悔しくて楽屋に行けないという[50]。「演じる側にいる立場じゃないのか」と稽古したくなり、芝居をして、「よくがんばったね」と言われたら「面白くなかったんだな」と思い、お金もらい、観てもらっているわけだったことから、「がんばって当たり前ですよ」という[50]。
『虎の尾を踏む男達』を見てから喜劇俳優の榎本健一を尊敬しており[61]、自身の舞台では榎本健一をモチーフにした役を演じることもある[31][17](『ルーニー・テューンズ』のバッグス・バニー役も榎本を重ねているという[62])。自身初めての舞台経験は、幼稚園に通っていたころ、お遊戯会で桃太郎の役(ただし、この時は桃太郎役が2人[63]おり、物語の途中で演じる人が変わったため、生まれてから鬼ヶ島に旅立つまで)を演じた時だという[24]。なお、高木渉、関智一と「さんにんのかい」という3人芝居のユニットを結成して活動していた[64]。現在も活動することを望んでいる[63]。
イラストレーターとして、アニメ・声優関係の雑誌・本を中心にイラストを提供することもある。例えば、日髙のり子のエッセイ『のんこ』では、山口が挿絵を描いている。また、『ふたりはプリキュア Splash Star』で共演した松来未祐が死去した際は追悼の意を込めたイラストを投稿している[65]。2020年現在、ONE PIECE.com「アニメONE PIECEの現場から」では毎週イラストを描いている[66][67][68]。
『ボイスラッガー』の(7話の)撮影を家族で見学に行った際、劇中劇のヒーローショーを見に来た一家役でエキストラとして出演しており、勝平に抱かれた息子・竜之介が「パパ、ボイスマンは?」というセリフを演じた。また『ビーストウォーズメタルス』の第9話のトーク部分にてファンレターの名目で竜之介の名前を出した際は「恥ずかしいからやめて」と怒られたという[69]。
2017年に行われたイベントより落語を始めるようになり[70][71]、関智一と共に落語家の立川志ら乃を師匠として師事している[72][73]。高座名は「のゝ乃家ぺぺぺぇ」[71][73]。2019年11月、令和元年度NHK新人落語大賞審査員を務めた[74]。落語を始めたのは2016年に高木渉がドラマへ出演するようになり「自分も何か新しいことを始めたい」と思い、『昭和元禄落語心中』のイベントの落語に挑戦するコーナーに参加したことがきっかけだった[75]。それまでは50歳を超えて、「このまま声優と舞台の仕事をしながら、これからも過ごしていくんだ」と思っていたという[71]。
野沢雅子は、山口が本名で芝居をしていた頃から、「光雄、光雄」と、気さくに話しかけてくれ、デビュー後もずっとかわいがってくれたという[17]。2016年時点でも変わっておらず、「子供の頃に憧れていた人物と、こんなふうにお話できるようになるなんて、いまだにちょっと信じられない」と思うことがあるという[17]。声優学校の一番最初の野沢の授業で自己紹介をされたが、その時「私がやっている少年役とかできそうね」と言われたという[17]。それがすごく嬉しく、2016年時点でも励みになっているという[17]。2011年、『ドロロンえん魔くん』のリメイク作品『Dororonえん魔くん メ〜ラめら』で、かつて野沢が演じていたえん魔役を演じていたが、オーディションで決まった時は鳥肌が立ったという[17]。それについて野沢は「誰がやるのかと思っていたから、勝平でよかった」と喜んで応援してくれたことから、「なんて大きな人なんだろう」と思ったという[17]。野沢も最終回にはえん魔の父役で出演しており、そのことについて山口は、野沢に父役をしてくれた役者は「僕だけじゃないかな」と少し自慢していたという[17]。山口は野沢については一番影響を受けている役者であり、「男性版・野沢雅子を目指せたら素敵だな」と思っているという[55]。
『らんま1/2』で声優としての経験がゼロだったころ、林原めぐみなど共演者の演技を見て盗んだり、現場で最初唯一知っていた日髙のり子にすがっていたという[76]。
高木渉とはデビュー初期より共演が多く、仲が良い[77]。山口は「いちばん尊敬する役者」に高木を上げており、いろいろな作品で一緒になるなか毎回役を工夫して作ってくる高木に対し「この調子で渉の芝居の引き出しが1コ1コ増えていったらいつかかなわなくなる」と内心思っていたという。高木も「僕はどっちかっていうと脇役タイプ。たくさん主役をやってきた勝平くんをあらためてすごいなと思います」と山口との対談で語っている[78]。
日髙のり子とはアルバイト時代に縁があり、着ぐるみのアルバイトをしている頃に日髙と一緒させてもらう機会があったという[14]。当時、日髙は『アニメ三銃士』のコンスタンス役を演じていたが、そのファンツアーに、着ぐるみアクターとして参加していという[14]。泊まりがけの仕事だったため、スタッフ皆でご飯を食べながら、日髙に、職業としての声優の話しを色々聞かせてくれたという[14]。しかしその時は、半年後に再会することになるとは思っておらず、日髙もずいぶん驚いていたという[14]。
太字はメインキャラクター。
※はインターネット配信。
発売日 | 商品名 | 歌 | 楽曲 | 備考 |
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1990年 | ||||
4月21日 | 乱馬ダ☆RANMA | 乱馬的歌劇団御一行様[メンバー 1] | 「乱馬ダ☆RANMA」 | テレビアニメ『らんま1/2 熱闘編』エンディングテーマ |
らんま½ 熱闘歌合戦 | 早乙女乱馬(山口勝平) | 「かわいくねえ、色気がねえ」 | テレビアニメ『らんま1/2 熱闘編』関連曲 | |
早乙女乱馬(山口勝平)、早乙女らんま(林原めぐみ) | 「チャイナからの手紙」 | |||
11月21日 | らんま½ 歌暦(平成3年度版) | 早乙女乱馬(山口勝平) | 「今夜はエイプリル・フール」 | |
12月21日 | キャッ党忍伝てやんでえ 猫座千秋楽公演 | ヤッ太郎(山口勝平) | 「天下無敵のヤッ太郎」 | テレビアニメ『キャッ党忍伝てやんでえ』関連曲 |
2003年 | ||||
12月7日 | ウソップの花道! | ウソップ(山口勝平) | 「ウソップの花道!」 | テレビアニメ『ONE PIECE』関連曲 |
2005年 | ||||
8月3日 | 蒼き野生を抱いて | 犬夜叉(山口勝平)feat. かごめ(雪乃五月) | 「蒼き野生を抱いて」 | テレビアニメ『犬夜叉』関連曲 |
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