尾道市
広島県の市 ウィキペディアから
広島県の市 ウィキペディアから
尾道市(おのみちし)は、広島県南東部にある市。1898年(明治31年)市制施行。
山陽地方の中南部、岡山市と広島市のほぼ中間に位置している。瀬戸内海(対岸の向島との間はその狭さから尾道水道と呼ばれる)に面し、古くから海運による物流の集散地として繁栄していた。明治時代に山陽鉄道が開通して鉄道と海運の接点になったことで、広島県東部(備後地方)で最大の人口を抱える都市となるが、1960年代半ばには福山市(工業都市化で急速に発展し旧城下町で平地に恵まれた)に中心地の座を明け渡した。ただし、現在も備後都市圏の有力都市の一つとなっている。1999年5月の瀬戸内しまなみ海道開通によって四国の今治市と陸路で結ばれ、物流面での利便性が高まり、2015年3月には中国横断自動車道(尾道松江線)が全線開通し、「瀬戸内の十字路」と呼ばれることもある。
「坂の街」「文学の街」「映画の街」として知られる。文学では林芙美子、志賀直哉などが居を構え、尾道を舞台とした作品を発表した。映画では小津安二郎監督の『東京物語』が尾道で撮影され、大林宣彦監督の『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』は「尾道三部作」として、若い世代に尾道を有名にした。他の自治体がロケ地観光の目的地になることを見込んで戦略的にロケ地の誘致に力を入れたのに対し、尾道は20世紀半ばから制作者の主体的判断による映画ロケが相次ぎ、全国に先駆けてロケ地観光の目的地になった点が異なる[1]。2000年代以降にはアニメの舞台にもよく使われ、アニメファンから「五大聖地」の一つと呼ばれるようになった[2]。テレビ番組やテレビドラマ、CM、ミュージック・ビデオ、グラビア、写真集などの撮影に使われることも多い[3]。また、二大碁聖として知られる本因坊秀策の出身地である因島は「囲碁の島」として有名であり、公園にも石製の碁盤があったが、現在は撤去されている。
2009年から9年連続で観光客数過去最高を記録し、2017年には観光客数が680万人と、2006年の合併により現在の市域となって以降で最多を記録している。2008年から2017年までで約25%の上昇となった[3]。その要因について、尾道市観光課では2015年の中国やまなみ街道の全線開通や、尾道水道の日本遺産認定[4]、2016年の芸予諸島村上海賊、2018年の北前船と自治体最多の日本遺産認定、しまなみ海道サイクリングロードの認知度向上、メディア露出によるプロモーション効果を主原因と分析している[3]。2015年度には海外向けのプロモーションなど情報発信効果もあって、外国人観光客数も最多の21万4045人を記録している[4]。
山間地域から沿岸地域、多くの島により、地域性豊かな農産物が多く栽培されている。わけぎ、いちじく、レモン、ネーブルオレンジは全国1位の生産量を誇り、もも、ぶどう(デラウェア)、八朔、デコポン、みかん、串柿、スイカ、葉たばこ、きぬさやえんどうなどの生産は県内1位である[5]。
市内中心部は概ね東西の国道2号、南北の国道184号及び長江通りと栗原本通りに沿って形成されている。尾道駅東側は国道2号に平行して古くからの商店などが立ち並んでいる。この地域は北側の山と南側の海に挟まれているため、平地が少なく山肌に住宅や神社仏閣が密集している。このため、道路も狭隘で傾斜するものが多く、「坂の街」と言われる所以となっている[6]。このような独特の景観から映画のロケ地として多く使われている。尾道駅西側も平地が少なく山手まで住宅が密集しているが、高層マンションもあり、山頂を切り崩してバイパスに直結したニュータウン(平原台団地、竜王台団地など)が整備されるなど、いわゆる尾道的な景観からは外れている。新尾道駅北方の峠(仙入峠)を超えると徐々に山あいに田園風景の広がる農村地帯に入り、海に近い市内中心部とは大きく趣が異なる。
市内東部、山波町の造船所を越えた東側からは干拓により造られた平地で、福山市、三原市とほぼ等距離の位置にあり、両市を結ぶ国道2号バイパスを通じて山陽自動車道や瀬戸内しまなみ海道とのアクセスがよいことから、沿岸には卸売、工業団地、倉庫が多く立地している(尾道卸売団地など)。東尾道駅周辺には分譲マンション、賃貸アパートや戸建住宅、郊外型量販店等や都市公園などが立地している。都市化が進み隣接する福山市松永地区とは連続的な街並みを形成しており、市内中心部とは街並みが大きく異なっている。東部は旧・備後福山藩領の沼隈郡であったため、東側の松永湾を挟んだ対岸の沼隈半島とも古くから結びつきが強く、沼隈半島には尾道市の飛び地(浦崎町)が存在している。
向島地区の中心部は北岸、すなわち本土の市内中心部と尾道水道を挟んだ対岸にあり、本土の市内中心部とともに尾道的な景観を演出している。平地の多くは塩田に由来するもので、造船所や工場団地、港湾施設、住宅などが密集しており、本土とフェリーが頻繁に連絡している。南岸は高見山など山の斜面が海にまで達しているため平地は少なく、都市化も進んでいない。海水浴場があるのも島の南岸である。
因島地区は南西部の土生港を中心とし、そこから国道317号を幹線として西北部へ向けて市街地が広がっている。重井、三庄、中庄、田熊といった地区にもまとまった住宅地がある。東部は海岸沿いに崖が連続する地形で、合間にある平坦地にいくつかの集落が点在している。
生口島地区は西北部の瀬戸田地区が中心部であり、瀬戸田港から耕三寺へ抜ける道沿いに商店街が形成されている。そこから北側の沿岸沿いに商業施設や工場などが並び、生口橋へと繋がっていく。南部沿岸はのどかな農村地域となっている。
尾道市のアメダスは市南部の生口島に置かれている。瀬戸内海式気候であり、平均降水量は全国平均の約1,700mmを下回る約1,100mmである。
生口島の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 16.5 (61.7) |
20.4 (68.7) |
22.2 (72) |
27.5 (81.5) |
32.0 (89.6) |
34.2 (93.6) |
36.0 (96.8) |
37.5 (99.5) |
36.0 (96.8) |
33.0 (91.4) |
25.8 (78.4) |
22.2 (72) |
37.5 (99.5) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.5 (49.1) |
9.9 (49.8) |
13.0 (55.4) |
18.1 (64.6) |
22.9 (73.2) |
26.0 (78.8) |
30.0 (86) |
31.9 (89.4) |
28.3 (82.9) |
22.8 (73) |
17.2 (63) |
11.9 (53.4) |
20.1 (68.2) |
日平均気温 °C (°F) | 5.7 (42.3) |
5.8 (42.4) |
8.6 (47.5) |
13.4 (56.1) |
18.1 (64.6) |
21.8 (71.2) |
25.9 (78.6) |
27.5 (81.5) |
24.1 (75.4) |
18.6 (65.5) |
12.9 (55.2) |
8.0 (46.4) |
15.9 (60.6) |
平均最低気温 °C (°F) | 1.6 (34.9) |
1.3 (34.3) |
3.8 (38.8) |
8.5 (47.3) |
13.4 (56.1) |
18.2 (64.8) |
22.5 (72.5) |
24.0 (75.2) |
20.6 (69.1) |
14.6 (58.3) |
8.7 (47.7) |
3.8 (38.8) |
11.7 (53.1) |
最低気温記録 °C (°F) | −4.7 (23.5) |
−6.3 (20.7) |
−4.0 (24.8) |
−1.2 (29.8) |
3.4 (38.1) |
9.8 (49.6) |
15.6 (60.1) |
17.4 (63.3) |
11.4 (52.5) |
4.7 (40.5) |
−0.6 (30.9) |
−3.0 (26.6) |
−6.3 (20.7) |
降水量 mm (inch) | 39.5 (1.555) |
49.7 (1.957) |
84.4 (3.323) |
88.9 (3.5) |
108.3 (4.264) |
172.3 (6.783) |
177.6 (6.992) |
89.5 (3.524) |
126.8 (4.992) |
95.9 (3.776) |
59.2 (2.331) |
46.2 (1.819) |
1,138.4 (44.819) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 5.3 | 6.9 | 9.2 | 9.1 | 8.5 | 10.8 | 9.1 | 6.2 | 8.5 | 7.0 | 6.2 | 6.3 | 93.2 |
平均月間日照時間 | 141.9 | 140.1 | 177.0 | 192.1 | 206.5 | 149.7 | 189.9 | 220.7 | 163.7 | 169.8 | 146.2 | 140.8 | 2,047.1 |
出典:アメダス生口島観測所 (1991-2020) [8] |
人口は市内ほぼ全域で減少しているが、市内東部の東尾道地区は、福山市松永エリアと市街地が隣接しており同市のベッドタウン化しており、マンションや商店が増加傾向にある。2010年12月28日時点の住民基本台帳において、島嶼部の住民比率は43.2%である。
尾道市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 尾道市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 尾道市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
尾道市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
この節の加筆が望まれています。 |
1169年(嘉応元年)、尾道村が備後大田庄(現・世羅町)の倉敷地として指定され、発展の基礎となる[9]。江戸時代には現在の市域の北西部(旧・御調郡)が広島藩領、東部(旧・沼隈郡)が備後福山藩領であった。領地の境に建てられた備後福山藩番所「防地番所跡」や、方角を示す石碑等が現存している(尾道ふくしむら付近、防地峠)。
明治時代の廃藩置県時には当初広島県庁舎として使用していた広島城に鎮台を設置することとなったため、伊達宗興権令が県庁舎を尾道に移転し広島県を「御調県」に改称する計画を提案した。しかし、前島密大蔵省官僚が県として手狭になることや無暗に移転することを嫌がり、結局新県庁舎の場所が広島市内で落ち着いたため実現しなかった[10]。
市町村制 施行以前 の郡域 |
市町村制 施行以前 の町村域 |
1889年 4月1日 |
1898年 4月1日 |
1918年 1月1日 |
1921年 6月1日 |
1923年 3月1日 |
1937年 4月1日 |
1939年 7月1日 |
1944年 4月1日 |
1948年 5月3日 |
1949年 4月1日 |
1950年 4月1日 |
1950年 10月1日 |
1951年 4月1日 |
1953年 5月1日 |
1954年 3月31日 |
1955年 2月1日 |
1955年 4月1日 |
1957年 1月1日 |
1970年 4月1日 |
2005年 3月28日 |
2006年 1月10日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
沼隈郡 | 浦崎村 | 浦崎村 | 尾道市 | 尾道市 | 尾道市 | 尾道市 | ||||||||||||||||
百島村 | 百島村 | 尾道市 | ||||||||||||||||||||
高須村 | 高須村 | 尾道市 | ||||||||||||||||||||
西村 | 西村 | |||||||||||||||||||||
山波村 | 山波村 | 尾道市 | 尾道市 | 尾道市 | ||||||||||||||||||
御調郡 | 尾道町 | 尾道町 | 尾道市 | 尾道市 | ||||||||||||||||||
栗原村 | 栗原村 | 栗原町 | ||||||||||||||||||||
吉和村 | 吉和村 | |||||||||||||||||||||
吉和塩浜 | ||||||||||||||||||||||
吉和漁師村 | ||||||||||||||||||||||
久山田村 | 深田村(久山田) | |||||||||||||||||||||
三成村 | 美ノ郷村 | |||||||||||||||||||||
白江村 | ||||||||||||||||||||||
猪子迫村 | ||||||||||||||||||||||
本郷村 | ||||||||||||||||||||||
中野村 | ||||||||||||||||||||||
木門田村 | 木ノ庄村(木門田・畑・市原・木梨・木梨山方) | |||||||||||||||||||||
畑村 | ||||||||||||||||||||||
市原村 | ||||||||||||||||||||||
木梨村 | ||||||||||||||||||||||
木梨山方村 | ||||||||||||||||||||||
梶山田村 | 原田村 | |||||||||||||||||||||
小原村 | ||||||||||||||||||||||
向島東村 | 向島東村 | 向東町[注 2] | ||||||||||||||||||||
菅村 | 菅野村 | 御調町 | ||||||||||||||||||||
平木村 | ||||||||||||||||||||||
大塔村 | ||||||||||||||||||||||
仁野村 | ||||||||||||||||||||||
白太村 | 上川辺村 | |||||||||||||||||||||
三郎丸村 | ||||||||||||||||||||||
大町村 | ||||||||||||||||||||||
大蔵村 | ||||||||||||||||||||||
中原村 | ||||||||||||||||||||||
本村 | ||||||||||||||||||||||
岩根村 | ||||||||||||||||||||||
市村 | 市村 | 市村 | ||||||||||||||||||||
花尻村 | ||||||||||||||||||||||
平村 | ||||||||||||||||||||||
釜窪村 | ||||||||||||||||||||||
貝ヶ原村 | ||||||||||||||||||||||
高尾村 | ||||||||||||||||||||||
神村 | ||||||||||||||||||||||
江田村 | 木ノ庄村(江田・国守) | |||||||||||||||||||||
国守村 | ||||||||||||||||||||||
丸河南村 | 河内村 | |||||||||||||||||||||
大田村 | ||||||||||||||||||||||
徳永村 | ||||||||||||||||||||||
丸門田村 | ||||||||||||||||||||||
今田村 | 今津野村 | |||||||||||||||||||||
植野村 | ||||||||||||||||||||||
津蟹村 | ||||||||||||||||||||||
福井村 | ||||||||||||||||||||||
野間村 | ||||||||||||||||||||||
奥村 | ||||||||||||||||||||||
大原村 | ||||||||||||||||||||||
公文村 | ||||||||||||||||||||||
綾目村 | ||||||||||||||||||||||
大山田村 | 諸田村(大山田・下山田・千堂) | |||||||||||||||||||||
下山田村 | ||||||||||||||||||||||
千堂村 | ||||||||||||||||||||||
向島西村 | 向島西村 | 向島町 | 向島町 | 向島町 | ||||||||||||||||||
岩子島村 | 岩子島村 | |||||||||||||||||||||
立花村 | 立花村 | |||||||||||||||||||||
土生村 | 土生村 | 土生町 | 因島市 | |||||||||||||||||||
田熊村 | 田熊村 | 田熊町 | ||||||||||||||||||||
三庄村 | 三庄村 | 三庄町 | 三庄町 | |||||||||||||||||||
椋ノ浦村 | 三浦村 | |||||||||||||||||||||
鏡ノ浦村 | 中庄村 | |||||||||||||||||||||
外ノ浦村 | ||||||||||||||||||||||
中庄村 | 中庄村 | |||||||||||||||||||||
大浜村 | 大浜村 | |||||||||||||||||||||
重井村 | 重井村 | |||||||||||||||||||||
豊田郡 | 洲江村 | 東生口村 | ||||||||||||||||||||
原村 | ||||||||||||||||||||||
瀬戸田町 | 瀬戸田町 | 瀬戸田町 | 瀬戸田町 | 瀬戸田町 | ||||||||||||||||||
沢村 | ||||||||||||||||||||||
垂水村 | 西生口村 | |||||||||||||||||||||
生口福田村 | ||||||||||||||||||||||
林村 | 北生口村 | |||||||||||||||||||||
生口中野村 | ||||||||||||||||||||||
鹿田原村 | ||||||||||||||||||||||
高根島村 | 高根島村 | |||||||||||||||||||||
名荷村 | 名荷村 | |||||||||||||||||||||
御寺村 | 南生口村 | |||||||||||||||||||||
宮原村 | ||||||||||||||||||||||
荻村 | ||||||||||||||||||||||
現職市長
歴代市長(官選)
歴代市長(公選)
福山市とともに備後都市圏を所管するため、一部の県庁所在地よりも国の出先機関が多い。
友好交流都市
尾道地区は戦火を免れたため、西の小京都と呼ばれるほど多くの大小の寺が今もなお点在している。島嶼部は海や植物等の自然に関するレジャー施設が点在する。
神社仏閣
「古寺めぐりコース」という市内中心部の寺院を散策するための石畳で舗装された道があり、沿道に以下の神社仏閣がある[26]。これらのうち、持光寺、天寧寺、千光寺、大山寺、西國寺、浄土寺、海龍寺は「尾道七佛めぐり」を構成している[27]。
「古寺めぐりコース」沿道以外には以下の神社仏閣がある。
公園・庭園
美術館・資料館
展望台
史跡・建築
温泉
海水浴場
その他
このほか、『男たちの大和/YAMATO』撮影用に日立造船向島西工場跡地に造られた実物大戦艦大和オープンセットが、2006年5月まで一般公開されており人気を集めていた。このオープンセットは解体後、その一部や小道具類が呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)に寄贈されている。
グルメ
農産物・農産加工品
水産物・水産加工品
伝統工芸品
その他
旧来より北前船が寄港するなど港町、商都として栄えた。戦前までは広島市に匹敵する程の経済力を持っていたといわれ、りそな銀行、三井物産など、多数の銀行の本店や企業の支店なども存在していた。また、水運に恵まれている立地から、古くから尾道、向島、因島に造船所が存在し、商都のみならず工業都市の一面も持っており、特に因島は造船景気で栄えていた。近年は造船業の斜陽化により衰退の一途を辿りつつも、「瀬戸内の十字路」として交通条件の良さを利用し、工業団地の造成により他産業の誘致を進めている。
商店街(市内中心部商業地区)
主な商業施設
金融機関
現在の主な産業としては下記のものが挙げられる。
尾道市内に本社を置く会社
主な工場・事業所
尾道市内に事業所があるものを記載する。
テレビ局
ラジオ局
新聞社
その他
新尾道駅は市街地から離れているため、関西方面から山陽新幹線で尾道駅周辺の市中心部にアクセスする場合、「のぞみ」や「ひかりレールスター」などが停車する福山駅で在来線に乗り換えて尾道駅に向かうルートが本数も多く、所要時間も短い。
1964年までは尾道駅から石畦駅、1957年まではさらに御調郡御調町(2005年に尾道市に編入)の市駅までを結ぶ尾道鉄道(現・中国バス)と呼ばれる私鉄も運行されていた。
中国バス[33]は尾道市と府中市・世羅町を結ぶ路線などを運行している。
鞆鉄道[34]は尾道市福地や満越(尾道市浦崎町)を発着する路線、尾道市と福山市松永を結ぶ路線などを運行している。
本四バス開発[35]は生口島や因島を発着する路線を運行している。
百島と因島で自家用有償旅客運送(市町村運営有償運送)[37]が行われている。
停留所は主なものを示す。
高速道路
山陽自動車道と尾道自動車道は尾道JCTで接続しているが、両自動車道と西瀬戸自動車道は尾道市内で直接は接続していない(接続構想あり)ため、尾道IC - 西瀬戸尾道IC間で一般道を走るか、尾道ICより一つ岡山寄りの福山西IC(福山市)と西瀬戸尾道ICで相互に接続する国道2号のバイパス(尾道福山自動車道)を使って接続する形となる。
一般国道
主な県道
主な橋梁
道の駅
パーキングエリア
旅客・貨物港湾
漁港
海の駅
航路
因島は愛媛県上島町地域の交通の中心であり、この地域からの定期船は主に因島に航行している。
ホール
図書館
スポーツ・公園
映画館
「映画の街」として知られ、1960年代から1970年代にかけて10館ほどの映画館があった。2001年10月に尾道松竹が閉館して映画館がなくなったが、2008年10月にシネマ尾道が開館した。
美術館、博物館、資料館
市立
市立
2010年4月、因島南部にある田熊、土生、三庄中学校を統廃合し、因島高等学校旧校舎跡地に因島南中学校が開校した。因島市との合併後は、土生幼稚園と統合地区の小学校を含めた、公立では非常に珍しい幼小中一貫校である「因南学園」(仮称)を設置する方針もあったが実現しなかった。なお、因島北部にある因北中学校は、これが正式名称であり、「因島北中学校」の略称ではない。
私立
県立
市立
私立
林芙美子や志賀直哉をはじめとする文学人や、「尾道三部作」、「新・尾道三部作」で知られる大林宣彦監督に代表されるように、尾道を舞台とした文芸作品は数多く存在し、尾道は「文学の街」「映画の街」とも称される。林芙美子や志賀直哉のほか、歌人の中村憲吉も尾道に住んだことがあり、千光寺山登山道はこれら尾道にゆかりのある文学人の句碑が配置され、「文学のこみち」を称している。近年では、アニメも尾道を舞台としたり、テレビ番組やテレビドラマ、CMなどでもよく登場する[3]。
大林宣彦監督作品
このほか、ヤマト運輸やコカ・コーラなどのCMも撮影されている。
旧・因島市名誉市民と旧・瀬戸田町名誉町民はそのまま尾道市名誉市民として引き継がれている[9]。
(五十音順)
旧・因島市名誉市民
旧・瀬戸田町名誉町民
(五十音順)
(五十音順)
市外局番は因島・瀬戸田地域が0845(20 - 39)、その他が0848(20 - 89)となっている。なお、0848(20 - 89)、084(900 - 909、930、933 - 939)は同一区域扱いとなる。旧市外局番が08487だった御調地域は2005年1月、旧市外局番が08452だった因島・瀬戸田地域は2005年2月に変更。
尾道市内の郵便物の集配は、以下の郵便局が行っている。
尾道市内に三代目俠道会が本部を置く。尾道に隣接する福山市西部に、三代目俠道会の二次団体である三代目下森組(したもりぐみ)が本部を置く。[要出典]
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.