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日本の声優、俳優、歌手 ウィキペディアから
中尾 隆聖(なかお りゅうせい、1951年〈昭和26年〉2月5日[17][18][19][20] - )は、日本の声優、俳優、歌手、演出家、教育者。東京都中央区日本橋出身[9]。81プロデュース所属[11]。
なかお りゅうせい 中尾 隆聖 | |
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2017年撮影 | |
プロフィール | |
本名 |
竹尾[注 1] 智晴[2][3][4] (たけお ともはる)[5][6][7][8] |
愛称 | トモちゃん[6][7][8] |
性別 | 男性 |
出身地 | 日本・東京都中央区日本橋[9] |
生年月日 | 1951年2月5日(73歳) |
血液型 | A型[2][10] |
職業 | 声優、俳優、歌手、演出家 |
事務所 | 81プロデュース[11] |
配偶者 | あり[12] |
著名な家族 | 長男:竹尾一真[13] |
公式サイト | 中尾 隆聖|株式会社81プロデュース‐声優プロダクション |
公称サイズ(時期不明)[10] | |
身長 / 体重 | 165 cm / 50[14] kg |
スリーサイズ | 88 - 75 - 90 cm |
俳優活動 | |
活動期間 | 1954年 - |
ジャンル | テレビドラマ、舞台 |
デビュー作 | キヨちゃん(『フクちゃん』)[6][15][16] |
声優活動 | |
活動期間 | 1965年 - |
デビュー作 |
『わが家はいっぱい』[15] ジュン(『宇宙パトロールホッパ』)アニメデビュー[1][16] |
かつては本名である竹尾 智晴(たけお ともはる)[5][6]のほか南谷 智晴(みなみや ともはる)[21][3][4]、中尾 竜生[3][4](なかお りゅうせい)の芸名で活動した。
幼少期から家庭の都合で祖父母に育てられる[12]。祖母が「芸能界に向いているんじゃないか」と言われ、祖父母の勧めで、3歳のころに児童劇団「劇団ひまわり」に入団[22][12][15][23]。5歳でラジオドラマ『フクちゃん』のキヨちゃん役でデビュー[6][22][15][16]。幼稚園時代は本が読めず、一緒に行っていた祖父が台詞を耳元で囁き、それをそのまま言うだけという微笑ましい収録風景であったという[6]。
その後、プレイヤーズ・センターを経て[9]、1957年より東京俳優生活協同組合に所属[2][7]。同期には、池田秀一、小柳徹、太田博之、志垣太郎などがいる[7]。中学生で祖父母が経営していたアパートで一人暮らしを始める[12]。
小学5年生の時に、ラジオからテレビに移行後、青春ドラマやホームドラマに多く出演していた[9]。大体がのほほんとした雰囲気であったことから役者というのを特別意識していなかったと語るが、嫌いではなかった[9]。当時の劇団は、しっかりしたことを教えてくれるわけでもなかったという[9]。中学生ぐらいから「役者で食っていこう」と思った[9]。ラジオドラマから入り、テレビの仕事が入って来て、声と顔出しの仕事が半々になり、その後だんだんと声の仕事が多くなってきたという感じであったという[9]。中学時代から自活していたことから、「自分はこれだ」と思ったことを自由に行っていた[9]。
学生時代は好きな役者はいなかったが、いい意味で「個性的であればいいな」とただ漠然と思っていた[9]。舞台、映画、声優、CMなど、すべて役者の仕事の一つだと思っていたことから、「とにかく役者と呼ばれるようになりたい」と思っていたという[9]。
幼い頃から子役の仕事で得てきたお金を祖父母に預けて貯金していたが、高校進学時に「このお金で大学に行くのもいいし、好きなことに使ってもいい」と貯金通帳を手渡され、その貯金を元手に店を経営して生計を立て、並行して好きな芝居を続けることを考えていた[16][23]。「役者をやりたい」といっても「食うのは大変だ」と思っていたことから、高校卒業後はスナックをしたかったという[9]。しかし店を始める資金が足らず、役者の仕事のかたわらバーテンダー、弾き語りのアルバイトを始める[16]。そのため学校ではほとんど寝ていたが、当時はそういったことも許されており、「良き時代だったのかな」と語る[16]。北区立滝野川第七小学校(現:北区立田端小学校)[注 2]、早稲田実業学校を卒業[2]後、アルバイトで知り合った人物から「いい物件があるんだけど、店をやってみない?」と声をかけられ、「手持ちがあまりない」と言っていたところ「足りない分はなんとかしてあげるよ」とお金を借り、新宿二丁目でスナックを5年間で借金を返し、さらに2年で閉店するまで経営をしながら、役者の仕事を続けた[16][12]。
25歳で結婚し、2つ3つ掛け持ちでもすれば家族を養えると思い、仕事と並行してアルバイトの弾き語りをしていた[12][25]。役者の仕事は中尾にとって夢であり、役者自体で生活費を稼ごうとは考えていなかった[25]。
ある日、妻から「いつまでも弾き語りなんてできないし、アルバイトを辞めれば」と言われ、「アルバイトを辞めたら生活していけない」と答えていたが、妻は「貧乏だっていいじゃない」と言ってもらい、弾き語りの仕事は辞めて、住んでいた場所もマンションから六畳一間に引越す[12][25]。しかしその頃には店も閉店し、「自分の生き方は間違ってたかな」と思い始めていた[12]。同時期に現・81プロデュースの社長の南沢道義に声を掛けられたものの、「声優の事務所?芝居やりたいから」と断っていた[12]。何回か南沢と会っていくうちに、子供の頃から役者をしていたが、「事務所に誘われたのって初めてだな」と思い、南沢からは「いろいろやりたいことはあるかもしれないが、まずは、食っていこうよ」という一言が2015年時点でも忘れず、その時に抱えていた悩みなどもすべて話し、南沢を信頼して、拾ってもらおうと思ったという[12][25]。その選択が2015年時点でも「役者の仕事が続けていられるのだ」と思っているという[25]。その後は役者の仕事に対する意識が変わり、仕事が増えていき、役者だけで食べていけるようになった[12][25]。 また神谷明によると中尾の娘のファーストキスの相手は内田直哉である[26]。
声優業としては、吹き替えは『わが家はいっぱい』[15]、テレビアニメでは1965年の『宇宙パトロールホッパ』の主人公・ジュン役がデビュー作となる[1][16]。その時は声優という意識はなく、声を出すので精一杯で、役作りも全くなく、地のままという感じであった[9]。1984年時点でも声優業については「役者の仕事の一つだ」と思い、「アニメの声をやってるんだな」という意識はあまりないという[9]。1970年代半ばまでは、声優業と並行してレギュラーとして出演していた『太陽の恋人』[6]などの数々のテレビドラマに出演しており、フリー[25]、ぷろだくしょんバオバブ[9][27]を経て81プロデュースに所属するまでは自身を「声優」と呼ばれることに反発していたという[28]。
当初は本名で活動していたが、妻の勧めで姓名判断で芸名を「中尾隆聖」に改名[6]。
1992年に関俊彦と旗揚げしたドラマティック・カンパニー[6]での舞台に多数出演。また同公演での演出も多数担当し、ミュージカルを中心とした舞台活動を行なっている。当初は劇団を結成するつもりもなかったが、公演を重ねるにつれ、手伝いに来ていた人物や出演者が固まってきたことが劇団の旗揚げになったという[29]。2015年時点では声の仕事が中心だが、「役者でいる限りは並行して舞台にも出演していきたい」と語っていたが[30]、同劇団は中尾の高齢を理由にメンバーとも相談した結果、2022年をもって解散した[31]。その他にもラジオ番組のパーソナリティのほかレコードも数多くリリース。
シャープで甲高い独特の声質の持ち主で、「一度聞けばその声は忘れられない」と評される[36]。様々な作品で悪役を演じており、ラスボスというと声をかけてくれるようにもなったという[25]。その一方でマスコットキャラクターを演じる機会も多くあり、演技力の幅は広い[36]。また、中尾自身は自分にとっての役作りになる、欠点の多い人間を演じるのが好きであると話している[37]。
中尾の代表作である『それいけ!アンパンマン』のばいきんまんや『ドラゴンボールシリーズ』のフリーザは二つとも印象的な悪役で、中尾自身は「そのキャラに出会えたのは嬉しいこと」としつつ、仕事を受けた際には「ただ全力でやっていくだけだ」との気持ちであるという[38]。偶々自分のキャラクターになっていくというだけで、基本的に「声を作る」というのはあまり好きではなかった[38]。後輩たちには、「声は作らないほうがいいよ」と言っているという[38]。「役の性根をつかんで、そこから自然と出てくる声がいい」というのが一番理想で、声を作ったことで何かをした気になり、そこで止まってしまうような形は少し嫌だという[38]。
演じる時に気をつけているのは、キャラクターがどんな呼吸をするかということである[30]。洋画の吹き替えでは、ブレス合わせで画面の中の役者が息を吐いている時に息を吸っていたところ、いつまでも演技が合わず、画面の役者を見て息を合わせ、呼吸がはまると、演技が生きてくるという[30]。アニメ作品ではブレス合わせが難しいが、どんなキャラクターでも呼吸をしており、ゆっくり大きく息をする人物と、その逆で早く細かく息をする人物では、喋り方も変わってくるため、それもキャラ作りのひとつという[30]。キャラクターの見た目から、知っているものにイメージを置き換え、呼吸や喋り方を想像するということも実践しているという[30]。洋画の場合は画面で人物が動いているため、走っている息、動く息、止まるブレスなどの息はわかりやすいという[29][39]。半面、アニメに関しては苦手意識があり、少し難しいと語る[29][39]。アニメのデフォルメの感じが上手くできず「俺は絶対アニメは無理だ」と感じるなど、アニメの息を見るのは中々大変であった[29][39]。神谷明はそれを自分の息で作っており、中尾は「無いところから作れなかった」というタイプであったことから、「ああ、そうか。全然ないところから作ってくんだ」というのがわかってからは、神谷を見習っていたという[29]。
洋画で好きな役はゲイリー・オールドマンを挙げている[39]。
趣味は乗馬、スキー、スケート、ダイビング[2]、ギター、作曲[11]。
役者仲間からは本名を元にした「トモちゃん」の愛称で呼ばれている[6]。
中学時代はバスケット部、高校時代はアイスホッケー部に所属していた[24]。本来はプロテクターがカッコいいアメリカンフットボールをしたかったが、クラブがなく、「同じようなプロテクターをつけられる」というためアイスホッケーをしていたという[9]。
1980年代初期に神谷明、内田直哉、福沢良一(福沢良)らとユニット「フォーインワン」を組んでいた。歌うことが好きで、学生時代はベンチャーズの全盛で、学校でもエレキ合戦を学園祭でしていた[9]。大口広司なども同級生であった[9]。エレキバンドが盛んであったことからバンドに所属しており、当初はボーカルであったが、メンバーが足りずギターを覚えたという[9]。
これまで何枚もレコードを出していたが、店を開いている頃に、「歌手でレコードを出したい」という仲間が多数いたことから、30代の頃はレコードを出すことに抵抗感もあった[12]。しかも皆歌がうまく尾崎紀世彦も売れる前に店に来て歌い、「こいつうまいなあ。こんなにうまい奴がいるのか」と驚いていた[12][38]。そんな中で、役者の自分がレコードを出すというのに抵抗があった[12]。
周囲には「レコードを出している」と言わなかったが、通っていた六本木「ALFIE」の店長で日野皓正の弟でジャズドラマーの日野元彦にバレてしまった[12][38]。店で「お前レコード出してたんだな」と言われて、「すいません」と謝っていたところ「謝ることないよ。一度、俺のバンドとやろうぜ」と誘ってくれたり、一緒に歌わせてもらったこともあり、少し気持ちが楽になったという[12][38]。
子役時代を経て、声優としての仕事が安定するようになるまでの間、中尾は俳優として鳴かず飛ばずの時期が長く続き、マスコミの仕事の激減をはじめ、精神的にかなり堪えた時期が続いたという。その間、舞台出演が多くなり、野沢那智の劇団などへの客演の機会を数多く経験し、役者としての自信を取り戻していったという。「声優として今も仕事を続けていられるのは野沢さんのおかげ」と中尾は回想している。
神谷明とは、テレビアニメ『ゼロテスター』で、初めてレギュラーで一緒に仕事をすることになり、主要人物のキャストの麻上洋子とも仲が良かった[6]。他の番組ではそれほどキャストが仲良くなることは無かったが、当時の3人は仲良くなり、最後は一緒に芝居をするようになった[6]。東京都港区赤坂で50人ぐらいの小劇場で芝居をしており、中尾、神谷、麻上、潘恵子の4人で2人芝居を2本していた[6]。その後、三越劇場の支配人が見に来た際に「大阪でやらないか?」と声をかけてくれたが、「神谷のスケジュールが忙しいから」と断った[6]。しかし「いやいや、1日だけでもいいから来てくれ」と懇願され、大阪府まで公演をしに行った。その時は1日4回公演で、朝9時、12時、午後の3時、6時であった[6]。神谷曰く、これらの活動が声優が舞台をやり始めた最初であったという[6]。これをきっかけに中尾は本格的に演劇活動をするようになり、ドラマティック・カンパニーを旗揚げしたという[6]。また中尾は当時の神谷について、様々なアニメの主役を片っ端から演じ、自身で色々なことを発信したりするパワフルな行動が、「他の人物を巻き込み良い方向に掴んでいってくれた」と評している[29]。
日本テレビ系アニメ『それいけ!アンパンマン』でのばいきんまんが喜びを表す時に使う「ハ〜ヒフ〜ヘホ〜!」やアンパンマンを皮肉る時に発する「出たな、お邪魔虫!」などの台詞は中尾のアドリブという噂があったが、これは実際に台本に書かれた台詞で、本人が著書で否定している[40][41]。
ばいきんまんの絵を初めて見たとき、『トッポ・ジージョ』のトッポ・ジージョや『にこにこぷん』のぽろり・カジリアッチIII世などのねずみのキャラクターを演じていたため、「また、ねずみかと思った」と感想を述べている。
ばいきんまん役のオーディションは他のレギュラーキャラクターの倍の時間と回数をかけて行われたものの、該当者が一向に見つからず、遂には原作者のやなせたかしが自らがばいきんまん役を熱望するほどだったという[42][41]。関連書籍では中尾の起用について「曰く付き」と称されるほどだった[43]。
ばいきんまんの独特なだみ声は、元々は遊び半分から作り出した声であり、喉への負担が大きい。『アンパンマン』放送開始当初の中尾は『にこにこぷん』でぽろり、終了後の『ドレミファ・どーなっつ!』でれっしーも演じていた。このために「視聴者が重なる子供向け番組で、同じ声で一方が主役で一方が悪役だと、子どもに混乱や悪影響を与えるのでは」と考え、声質が重ならないようだみ声を作ったという話を語ったこともある[36][41][44]。オーディションでは「普通の声で演じても面白くない」「他の作品と差別化しよう」と考え、さらに潰した声で臨んでいた[45]。
中尾は「(『アンパンマン』の放送が)スタート直後は、まさかこんな長寿番組になるとは思わなかった」と回顧している。ところがばいきんまんの声は非常に好評となり、加えて番組が放送35年を超えるロングランとなったため、その発声の維持に苦戦することになった。初期は「これじゃ声出なくなるよな」と思う程声を潰して演じていたため、実際に『アンパンマン』の収録後は声が出なくなり、「(アンパンマンの収録と)同日に他の仕事は受けられなかった」「次の日には違うキャラクターの声をやらなければいけないので、とてもしんどかった」とのこと[41][44]。特に、舞台公演期間とアフレコが重なった時の労力は半端ではないという。ばいきんまんの台詞が多い回では滝のように汗を流しながら演じることもあり[36]、その姿を見ていた共演の山寺宏一は「あの姿見たらマジにならずにはいられないと触発される」と語っている。『アンパンマン』放送30周年を記念した戸田恵子(アンパンマン役)との対談では「ここまで続くのならもっと楽な声にしておくんだった(笑)[36]」「(今は慣れたが、当時は)『何でこんな大変な声を作ってしまったんだろう』と毎回のように思っていた」と振り返っている[45]。『アンパンマン』放送35周年のインタビューでは、「ばいきんまんの声が地声に近くなって、声を出すのはどんどん楽になっていきました」とも語っている[44]。
ドキンちゃん役であった鶴ひろみが2017年に死去した時には「30年間の相方」と語り、2018年に行われた「鶴ひろみを送る会」では、中尾は鶴に「ドキンちゃん、バイバイキーン」とメッセージを送った[46]。
『ドラゴンボール』にてタンバリン役で出演した後、続編『ドラゴンボールZ』ではフリーザを担当。これは中尾の経歴の中でも、はまり役として紹介されることの多いキャラクターの1つである。中尾はフリーザを見た時、「時代劇の公家」をイメージしたと語る[12][30][36]。また、『ドラゴンボールZ』出演を長男に話した際は非常に喜ばれたが、フリーザ役については「ああ、悪い奴だね…」と言われた[37]。後年の中尾のインタビューでは、タンバリン役については、「すぐ死んじゃうよ」と展開をばらされるなど[47]長男の反応は悪かったが、「フリーザ役をやるよ」と言ったときは尊敬のまなざしに変わったと語っている[48][49][47]。フリーザを嫌いなキャラクターとして挙げている孫悟空役の野沢雅子は「フリーザの悪役ぶりがいいだけに頭に来る」とコメントしている[50] 一方、「大人になりきれない部分が残っていてカワイイところがある」と好意に評しており、2018年のインタビューでは「フリーザは妙な子供っぽさがあるから好き」とも語っている[51]。
タンバリンとフリーザはクリリンを殺害しており、役柄上クリリンを「2回も殺した」ため、「他のキャラクターをやるならクリリンがやりたい」と答えたこともある[52]。クリリン役の田中真弓は他の番組で中尾と共演する際にも「中尾が来ると殺される」と言って逃げ出すという[48][49]。
劇場版ではフリーザの兄クウラも担当。中尾は「フリーザの延長線上にいるキャラクター」と解釈し、かなり自由にやらせてもらったという[37]。
2009年より放送された再編集版『ドラゴンボール改』においてもフリーザとを再び担当し、フロストも担当する。リハーサルを見て自分が現れる以前に「面白い」と思ったと話している[53]。
2017年8月13日に丸井渋谷で開催されたドラマティックカンパニー25周年記念イベントに、主にフリーザの物真似を持ち芸とするお笑い芸人山本正剛をゲストに招き、中尾自身が山本のネタである「ベッピンさん、ベッピンさん、1人飛ばして、ドドリアさん」を披露した。山本は光栄だとコメントしており、中尾は山本扮するフリーザを間近で見ると説得力があるとコメントしている[要出典][54]。
2024年、山寺宏一、梶裕貴ら他の有名声優26名と共同で、本人に無断で学習・生成される生成AI音声や映像に反対する有志の会として『NOMORE 無断生成AI』を結成し、啓発動画を公開した。声明文では「やった覚えのない朗読や歌、そして声そのものが、ネット上に公開され、時に販売」される現状への強い懸念が表明され、「平和的な認識のすり合わせのための議論を有識者も交えて行い、文化的なルール作り」を行うことを提言した[55]。
太字はメインキャラクター。
※はWebラジオ番組。
※はインターネット配信。
※はインターネット配信。
ばいきんまんの声で出演
フリーザの声で出演
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