福島県
日本の都道府県 ウィキペディアから
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福島県(ふくしまけん)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は福島市。
ふくしまけん 福島県 | |||||
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| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
団体コード | 07000-9 | ||||
ISO 3166-2:JP | JP-07 | ||||
面積 |
13,784.39km2 | ||||
総人口 |
1,741,824人[編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 126人/km2 | ||||
隣接都道府県 |
宮城県 山形県 茨城県 栃木県 群馬県 新潟県 | ||||
県の木 | ケヤキ | ||||
県の花 | ネモトシャクナゲ | ||||
県の鳥 | キビタキ | ||||
県の歌 県民の日 |
福島県県民の歌 8月21日 | ||||
福島県庁 | |||||
知事 | 内堀雅雄 | ||||
法人番号 | 7000020070009 | ||||
所在地 |
〒960-8670 福島県福島市杉妻町2番16号 北緯37度45分01秒 東経140度28分04秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキポータル | 日本の都道府県/福島県 | ||||
ウィキプロジェクト |
面積は北海道、岩手県に次ぐ全国3位、都道府県別の人口は全国21位、人口密度は全国40位である(いずれも2015年10月1日時点の国勢調査による、)。東北地方の中では宮城県に次いで人口が多く、1980年に宮城県に抜かれるまで、東北で最も人口が多い県であった[1]。県内に政令指定都市は存在しないものの、人口順に郡山市、いわき市、福島市の3つの市が中核市に指定されており、中核市単独の数は三大都市圏以外の県の中で最も多い。いわき市は東北最大の工業都市であり、郡山市は東北地方の中で仙台市に次ぐ人口規模を誇る。
県内は南北方向に延びる山脈・山地によって、地形・気候・交通・歴史などの面に違いが顕れており、3地域に分けられている。県の西部に位置し越後山脈と奥羽山脈とに挟まれた日本海側内陸にあって4割弱の面積に約13%の人口を擁する「会津」、県の中央部に位置し奥羽山脈と阿武隈高地とに挟まれた太平洋側内陸にあって4割弱の面積に約62%の人口を擁する「中通り」、県の東部に位置し阿武隈高地と太平洋とに挟まれた太平洋側沿岸にあって2割強の面積に約25%の人口を擁する「浜通り」である。
これら3地域の地域差が顕著に見られる例を挙げると、近年の「降雪の深さの合計」があり、会津の会津若松市は300 - 400cm程度、中通りの福島市は100cm前後、浜通りのいわき市小名浜は10cmに満たない年が多く[2]、冬季の生活習慣に顕著な影響を与えている。県の広域行政単位は上記3地域をさらに細分している一方、県名以外にも多用される「うつくしま」とのキャッチコピーが県内各地で用いられ、統合のイメージも創られている。
現在の福島県には幕末に、親藩かつ雄藩だった会津藩(23万石)があったが、他は親藩・譜代・外様の10万石に満たない多数の藩に分かれていた[3]。廃藩置県後の紆余曲折の後、1876年8月21日に会津の前身にあたる若松県、中通りの前身にあたる福島県(1876年以前)、浜通りの前身にあたる磐前県の、計3県の合併によって当県が成立した。なお、県名の福島は3県合併によって県庁所在地となった福島町(現・福島市)から採ったものである。また「福島」の名は、福島城として使われたのが最初とされる[4]。当県には1899年に全国7番目、かつ、東北初の日本銀行営業所(後に福島支店)が開設[5]されるほど鉱工業が発達していた。
県内に首位都市(プライメイトシティ)はなく、人口30万人前後の都市が3市(郡山市・いわき市・福島市)あって機能分担している。浜通りの南部に位置するいわき市は、広大な面積を持ち、かつては炭鉱都市であったが現在は臨海工業、漁業、温泉などの観光が集積する。中通りの北部に位置する福島市は、行政機能や金融機関が集中し、桃を中心に全国有数の果樹地帯を形成している(テレビではNHK福島放送局およびTBS系列TUFとフジテレビ系列FTVが所在)。中通り中央部に位置する郡山市は県内の商都・内陸工業地帯となっている(テレビでは日本テレビ系列FCTとテレビ朝日系列KFBが所在)とがある(参照)。人口は郡山市、いわき市、福島市の順に多く、県庁所在地である福島市は県内の人口順位が3位と全国の都道府県の中で最も県庁所在都市の人口順位が低い。また、会津の中心都市で史跡が多く存在する観光都市の会津若松市、中通りにあって古くからの奥羽(東北地方)の玄関口であった白河の関がある白河市も重要な歴史都市である。その他、浜通りの相双には漁業と電源立地が、南会津には大内宿(重要伝統的建造物群保存地区)を初めとする観光地があり、会津と中通りとにまたがる磐梯朝日国立公園には磐梯高原・五色沼・猪苗代湖などリゾートエリアも擁する。
2011年に発生した東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所事故の影響で、浜通りの一部エリアが帰宅困難区域に指定されている。事故の被害は非常に甚大であり、世界的に原子力発電に対する考え方に大きな影響を与えたため、国際的に「フクシマ」の知名度は高い。
東北地方の南部に位置し、面積は 13,783.90km2[6]で、北海道、岩手県に次ぐ全国第3位である。県庁所在地の福島市は、東京から約270km、JR東北新幹線で約90分の位置にある。
東部の阿武隈高地、中央部を南北に縦断する奥羽山脈、北部から西部に連なる飯豊連峰・越後山脈の山岳地帯と、それらにより区切られ県中央部を南から北へ流れる阿武隈川の地溝帯に連なる盆地群から構成される中通り地方、県東部浜通り地方の沿岸平野部、西部の会津盆地を中心とした会津の3地域に大別される。
福島県は東西に広く、さらに海岸や山地の地形装飾を受け、標高差も大きいため同じ県内であっても気候差は大きい。
奥羽山脈と阿武隈高地によって、西から順に「会津」「中通り」「浜通り」の三地域に分けるのが一般的あり、日々の天気予報などにおいてさえもこの区分で報道されている。ここでは年間を通じた気候の特色により太平洋岸から「浜通り」「阿武隈高地」「中通り」「会津」の四地域に分けて記述する。
平年値 (月単位) |
浜通り | 阿武隈高地 | ||||||||
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相馬 | 浪江 | 広野 | いわき市 小名浜 |
いわき市 上遠野 |
飯舘 | 田村市 船引 |
川内 | 小野町 小野新町 | ||
平均 気温 (°C) |
最暖月 | 23.7 (8月) | 23.6 (8月) | 23.4 (8月) | 23.9 (8月) | 23.9 (8月) |
22.0 (8月) | 22.6 (8月) | 22.1 (8月) | 22.7 (8月) |
最寒月 | 1.8 (1月) | 2.0 (1月) | 2.8 (1,2月) | 3.6 (2月) | 2.1 (1月) |
−1.4 (1月) | −0.8 (1月) | −0.8 (1月) | −1.0 (1月) | |
降水量 (mm) |
最多月 | 238.8 (9月) | 256.6 (9月) | 247.5 (9月) | 205.8 (9月) | 205.1 (9月) |
211.9 (9月) | 170.3 (9月) | 218.0 (9月) | 193.1 (9月) |
最少月 | 22.1 (12月) | 30.5 (12月) | 35.2 (12月) | 35.0 (12月) | 32.8 (12月) |
24.7 (2月) | 27.8 (1月) | 32.0 (12月) | 25.2 (1月) |
平年値 (月単位) |
中通り | |||||||||
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白河 | 二本松 | 塙町 東白川 |
福島市 (松木町) |
福島市 茂庭 |
福島市 鷲倉 |
郡山 | 伊達市 梁川 |
石川 | ||
平均 気温 (°C) |
最暖月 | 23.3 (8月) | 23.9 (8月) | 23.6 (8月) | 25.2 (8月) | 23.2 (8月) | 18.1 (8月) | 24.2 (8月) | 24.6 (8月) | 23.6 (8月) |
最寒月 | 0.2 (1月) | 0.4 (1月) | −0.2 (1月) | 1.4 (1月) | −6.6 (2月) | 0.7 (1月) | 1.0 (1月) | 0.0 (1月) | ||
降水量 (mm) |
最多月 | 228.2 (8月) | 182.7 (9月) | 219.2 (9月) | 169.2 (9月) | 197.0 (9月) | 348.6 (8月) | 178.6 (7月) | 159.7 (9月) | 195.1 (9月) |
最少月 | 25.0 (12月) | 23.6 (12月) | 29.3 (12月) | 32.5 (12月) | 27.0 (12月) | 29.3 (12月) | 30.0 (12月) |
平年値 (月単位) |
会津 | ||||||||||
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北塩原村 桧原 |
猪苗代 | 喜多方 | 若松 | 西会津 | 天栄村 湯本 |
只見 | 南会津町 南郷 |
南会津町 田島 |
檜枝岐 | ||
平均 気温 (°C) |
最暖月 | 20.2 (8月) | 22.3 (8月) | 24.2 (8月) | 24.8 (8月) | 23.9 (8月) | 21.2 (8月) | 23.0 (8月) | 22.6 (8月) | 22.2 (8月) | 20.1 (8月) |
最寒月 | −4.5 (2月) | −2.4 (1,2月) | −1.2 (1月) | −0.7 (1月) | −0.7 (1月) | −2.2 (1月) | −1.6 (1月) | −2.6 (1月) | −2.7 (1月) | −3.9 (2月) | |
降水量 (mm) |
最多月 | 234.5 (7月) | 193.1 (7月) | 200.9 (7月) | 160.1 (9月) | 208.6 (8月) | 245.2 (9月) | 303.4 (1月) | 194.8 (7月) | 185.0 (7月) | 174.8 (7月) |
最少月 | 114.7 (4月) | 64.3 (2月) | 81.0 (4月) | 63.4 (4月) | 87.5 (4月) | 65.7 (12月) | 110.0 (4月) | 63.7 (4月) | 61.0 (3月) | 79.2 (4月) |
区 分 |
日本海側 | 奥 羽 山 脈 |
太平洋側 | 太 平 洋 | |
会津 (旧若松県) 23.8万人 (13.7%) 5,421km2 (39.3%) |
中通り (旧福島県) 107.8万人 (61.9%) 5,393km2 (39.1%) |
浜通り (旧磐前県) 42.5万人 (24.4%) 2,969km2 (21.5%) | |||
会津 216,504人 (会津若松市他) |
県北 445,805人 (福島市他) |
相双 107,083人 (南相馬市他) |
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県中 499,758人 (郡山市他) | |||||
南会津 21,473人 (南会津町他) |
いわき 317,686人 (いわき市) | ||||
県南 132,672人 (白河市他) | |||||
福島県は東西に長い形状をしているが、2つの山地によって浜通り・中通り・会津の3つの地域に分かれており、天気予報でもこの呼称が使われている。東から順に、太平洋と阿武隈高地に挟まれている浜通り、阿武隈高地と奥羽山脈に挟まれている中通り、そして奥羽山脈と越後山脈に挟まれている会津となっている。
地形的に山地で隔てられているために、山越えした地域同士の交流は浅く、気候や文化にも差があり、3地域での同一県として帰属意識は低い。また南北においても城下町として栄えた会津若松を中心とする北会津地方と南会津地方、宿場町だった郡山市をはさんで県北地方と県南地方で歴史の違いや交流が乏しい傾向がある。同様に沿岸部においても相双地方といわき市にもこの傾向があることから、福島県は他県に比較すると一つの県としての統一感に乏しい傾向にある。
以下、人口は2024年11月1日現在の推計人口(福島県の総人口は1,741,824人)。
県内は、さらに県庁の出先機関である地方振興局の管内によって7つに分けられている。以下、地方振興局ごとに市町村を記載する。なお、県北の本宮市・安達郡(約3.9万人)が県中に、相双の双葉郡(約1.1万人)がいわきに入るとする地域圏の設定もある。
以下の13市13郡31町15村がある。福島県では、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む。東北6県の中で唯一、「ちょう」と読む町が存在しない[注釈 1]。
双葉広域行政圏
南会津広域行政圏
都市雇用圏(10 % 通勤圏)の変遷
1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 2005年 | 2010年 | 2015年 |
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いわき 都市圏 34万7408人 |
郡山 都市圏 49万3891人 |
郡山 都市圏 52万1116人 |
郡山 都市圏 53万7493人 |
郡山 都市圏 54万8310人 |
郡山 都市圏 55万4194人 |
郡山 都市圏 54万4662人 |
福島 都市圏 34万3063人 |
福島 都市圏 40万4636人 |
福島 都市圏 41万0964人 |
福島 都市圏 41万2353人 |
福島 都市圏 47万0961人 |
福島 都市圏 45万6996人 |
福島 都市圏 45万1044人 |
郡山 都市圏 34万1004人 |
いわき 都市圏 36万1286人 |
いわき 都市圏 36万6207人 |
いわき 都市圏 36万5864人 |
いわき 都市圏 36万0025人 |
いわき 都市圏 34万7667人 |
いわき 都市圏 35万0237人 |
会津若松 都市圏 19万7672人 |
会津若松 都市圏 19万7213人 |
会津若松 都市圏 19万7316人 |
会津若松 都市圏 18万8686人 |
会津若松 都市圏 24万6056人 |
会津若松 都市圏 23万2992人 |
会津若松 都市圏 22万3807人 |
須賀川 都市圏 8万0990人 |
須賀川都市圏は郡山都市圏に包含 | |||||
原町 都市圏 7万4296人 |
白河 都市圏 8万6678人 |
白河 都市圏 9万5084人 |
白河 都市圏 9万6786人 |
白河 都市圏 9万7136人 |
白河 都市圏 15万0657人 |
白河 都市圏 14万7080人 |
白河 都市圏 7万2914人 |
原町 都市圏 7万7162人 |
原町 都市圏 7万7860人 |
原町 都市圏 7万5020人 |
原町 都市圏 7万2837人 |
南相馬 都市圏 11万6919人 |
南相馬 都市圏 10万4571人 |
喜多方 都市圏 4万5780人 |
二本松 都市圏 6万6988人 |
二本松 都市圏 6万7268人 |
二本松 都市圏 6万6077人 |
二本松都市圏は 福島都市圏に包含 | ||
二本松 都市圏 4万5568人 |
喜多方 都市圏 6万0818人 |
喜多方 都市圏 6万3413人 |
喜多方 都市圏 5万9701人 |
喜多方都市圏は 会津若松都市圏に包含 |
福島県を含む北関東・東北地方における人の足跡は、後期旧石器時代に始まる。県域における遺跡としては平林遺跡(桑折町)や会津若松湊の笹山原遺跡群がある。この遺跡から旧石器時代人が製作し使用したとみられる石器群が発見されている。年代は約2万2000年前の AT よりも下から出土していることから、後期旧石器時代前半に属する。少しくだって約1万5000年前の塩坪遺跡(喜多方市高郷町)から熱を受けた139個のこぶし大の石がまとまって発見された。
この時代はまだ土器がなく、焼石は食材を直接加熱するのに使用されたのであろう[9]。
縄文時代・弥生時代を経て古墳時代に入るが、福島県は大型の古墳が少ない東北地方にあって大安場古墳(郡山市、前方後方墳、全長約 83m)、会津大塚山古墳(会津若松市、前方後円墳、114m 、4世紀後半、東北最古級、割竹形木棺検出、三角縁神獣鏡出土)、亀ヶ森・鎮守森古墳(会津坂下町、前方後円墳、127m)などの大型の古墳が集積する。
古墳時代、畿内に前方後円墳が登場するのとほぼ同時期に会津地方でも前方後円墳が作られ始めており、すでに大和朝廷の影響下にあったことが窺える。古墳時代中期以降は、会津地方の古墳造営が減少し、代わって県南地方で盛んに古墳が作られた。県南地方の前方後方墳は隣接する那須地方(那須国造)から連続しており、南那須地方から県南地方一帯は古墳街道ともいうべき古墳集積地帯ともなっている。
5世紀にはすでに北関東・東北の一部までがヤマト王権の影響下にあったと思われ、福島県域においても各国に国造が成立した。当初、大和朝廷の勢力圏は福島県域が北限であり、蝦夷勢力圏との境界に当たる信夫国(福島盆地)などの国には防備の任もあった。
また、関東や近畿地方などから、盛んに開拓のための移民も行われている。その後、国は評(こおり)と呼び名が代わり、陸奥国に再編された。また、大和朝廷の勢力圏も宮城県域、あるいはさらに北に拡大し、信夫評(しのぶごおり)も「北端」ではなくなった。
701年(大宝元年)の大宝律令の施行時には陸奥国となり、評は郡、評司(国造)は郡司になった。拡大した陸奥国から718年(養老2年)に石城国と石背国が分置された。
現福島県域は石城国または石背国に属することとなり、陸奥国の領域ではなくなった。 分置後も蝦夷との戦いが続き、東北全体(陸奥・出羽)で戦う必要性起こってきたので、724年(神亀元年)までには石城国と石背国は再び陸奥国に合併された。これらの郡は、その後、人口の増加などにより、さらに再分割されている。例えば信夫郡から伊達郡が分割され、安積郡からは安達郡などが分割され、会津郡も耶麻郡を始め多くの郡に分割された。
平安時代には会津で恵日寺が強大な勢力を得たが、平安時代末期にはほぼ福島県全域が奥州藤原氏の勢力下に入り、藤原氏一族の信夫佐藤氏が福島盆地を本拠地として、中通りの中部まで、恵日寺後退後の会津、山形県置賜地方まで支配するまでになった。平安末期、福島県内で他には中通りの石川氏、浜通りの岩城氏があった。石川氏は清和源氏の流れで前九年の役に従軍して石川郡に定住した。岩城氏は桓武平家の氏族で、藤原清衡の養女を妻に迎えて石城郡に定住したとも石城郡司の子孫とも言われる。
中世においては源頼朝が鎌倉に幕府を開府し東国において自立するが、頼朝は東北において奥州征伐により奥州藤原氏を滅ぼす。
県域においては信夫佐藤氏が信夫荘(信夫郡の西北、松川以北)に押し込められると、鎌倉による論功行賞で福島県内は伊達氏、相馬氏、二階堂氏、蘆名氏、畠山氏、結城氏など、多数の関東武士団に細分化された。南北朝の動乱においては結城氏の一族である白河結城氏が台頭し、白河結城氏を主力とする南朝方が大いに優勢となったが、しばらくすると相馬氏など北朝方が盛り返し、白河結城氏など多くの諸氏は奥州管領や鎌倉公方の支配を受けるようになる。
戦国時代に北関東・東北においては一国以上の領国を持つ戦国大名は少なく中小の地域勢力が分立する傾向をもっているが、伊達氏は伊達稙宗が南奥羽で外征や婚姻外交を繰り返し南奥羽のほとんど大名が勢力下に入るが天文の乱を起こし衰退したり、白河結城氏が衰退し代わって岩城氏が勢力を盛り返すなど、栄枯盛衰は止むことはなく、隣接する常陸国佐竹氏や越後国上杉氏の影響も受けるようになるが、最終的には蘆名氏や相馬氏、二本松氏などを圧倒した伊達氏の伊達政宗が短期間ではあるが、福島県域の浜通りを除く大半を領有することになる。
豊臣秀吉による奥州仕置により伊達政宗が伊達氏の元の本領以外没収され、会津には蒲生氏郷が入る。翌年の葛西大崎一揆の戦後処理で伊達政宗が岩出山に移封させられると、蒲生氏郷が福島県中通り以西のほとんどを領有した。しかし子の蒲生秀行は会津から宇都宮に移され、代わって越後国の上杉景勝が会津120万石を得て福島県の中通り以西のほとんどの地域と山形県の置賜地方を領有した。なお、葛西大崎一揆の原因を作ったとして所領を奪われた岩出山の旧領主の木村吉清は、後に許されて蒲生氏郷に仕えて杉目城主となった。吉清は杉目を「福島」と改称し、今日の県名の由来となっている。
関ヶ原の戦いによって上杉景勝は信夫郡伊達郡を除く福島県域の所領を失い、30万石となる。代わって会津には蒲生秀行が再度入封し、会津藩60万石が成立する。が、2代目の蒲生忠郷が早世し伊予松山藩に移ることになる。次に1627年加藤嘉明が40万石で会津に入封するが、これも2代目加藤明成で会津騒動を起こして領地を徳川幕府に返上した。そして、1643年に松平氏保科正之が23万石で入封し、この松平氏会津藩が戊辰戦争まで続くことになる。
一方、信夫郡と伊達郡も1664年に上杉氏米沢藩から召し上げられ、会津藩以外の大藩はなくなり、会津と浜通り夜ノ森以北(相馬氏領)を除く県内のほとんどの地域で、江戸時代を通じて小・中藩、天領が入り乱れて激しく変遷した。尚この間白河藩は一時徳川譜代となり、寛政の改革を主導した松平定信など中央の名門家から城主が入り文人政治が行われた。
江戸時代に会津若松と日光街道を結んだ重要な交通路会津西街道(下野街道)の宿場大内宿が当時の街並みのまま重要伝統的建造物群保存地区として残され往時を偲ばせる。
諸外国の接近によって、幕府の政治が停滞。その中で尊王攘夷や開国といった主導で日本を立て直そうとする各藩の武士たちが京都に押し寄せた。白河藩主阿部正外は江戸老中として諸外国との折衝にあたり、神戸港を開港したことで攘夷派の公家などの反感を買い老中を罷免され、白河藩は棚倉へと移封され藩主不在となったにもかかわらず、東西両軍にとって要衝の地と目された白河は戊辰の一大激戦地となる悲劇を生むこととなった。当代の会津藩主松平容保は京都守護職となり、京都の治安維持を担った。そして禁門の変では、孝明天皇を奪取しようとした長州藩勢から御所を守り抜いた。
しかし、大政奉還後の新政府から徳川を排除する意思を固めていた薩長同盟(薩摩藩・長州藩)との衝突が鳥羽・伏見の戦いから生じ、敗れた旧幕府側は朝敵とされた。新政府への恭順を良しとしない主戦派が逃れた結果、戦禍が東北にまで伸びてしまった。圧倒的な西洋戦法を有する薩長の軍勢に、会津藩士は元より、奥羽越列藩同盟の磐城平藩や中村藩などでも各藩の勢力は徹底して反撃を繰り返したが、降伏してしまった。
江戸時代幕末に置かれた藩及び城郭、交代寄合陣屋としては会津藩、支城の猪苗代城、二本松藩、棚倉藩、中村藩、三春藩、磐城平藩、福島藩、泉藩、湯長谷藩、下手渡藩、水戸藩支藩の守山藩、幕末に徳川幕府直轄地となった白河城、仙台藩の支城谷地小屋城などがあり、交代寄合の溝口家の横田陣屋、その他に代官陣屋もあった。
明治初期、版籍奉還後の1869年(明治2年)の太政官令により、陸奥国(むつのくに)南端である現在の福島県域は陸奥国から分離し、西側が岩代国(いわしろのくに)、東側が磐城国(いわきのくに)となった。岩代国は現在の福島県中通り地方の中北部と会津地方。磐城国は現在の福島県中通り地方南部と福島県浜通り地方と宮城県南部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)にほぼ相当する。
明治2年7月20日(1869年8月27日)、福島藩が重原藩に移封され幕府領となっていた伊達郡、信夫郡を管轄するために福島県(第1次)が設置され、安達郡の二本松藩領37村、伊達郡の幕府領42村、盛岡藩領8村、棚倉藩領4村、館藩領2村、信夫郡の幕府領43村、重原藩領19村、足守藩領11村、新発田藩領8村、関宿藩領6村、二本松藩領4村、棚倉藩領2村、宇多郡の幕府領1村を管轄した。この第1次福島県は後述の二本松県(第2次)に統合され、わずか2年で廃止されている。
1871年(明治4年)7月(旧暦)の廃藩置県で全国に多数の県が生まれた後、同年11月(旧暦)に現在の福島県域は、岩代国の会津地方(旧会津藩領の越後国蒲原郡の一部[のち東蒲原郡]を含む)が若松県、岩代国と磐城国からなる中通り地方が二本松県(第2次、二本松県になって、わずか12日間後に県庁が信夫郡福島町に移転、福島県に改称したのでほとんど機能はしていない)、磐城国はほぼそのまま磐前県(いわさきけん)の3つの県として統合された。
1876年(明治9年)8月21日に、福島県(第2次)、若松県、磐前県が合併され、現在の福島県(第3次)が成立した。その際、磐前県北部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)が宮城県に、磐前県南部の一部が茨城県に移管され、さらに1886年(明治19年)に東蒲原郡が新潟県へ移管されて、現在の福島県域になった。これらの変遷は最後の東蒲原郡移管を除いて、1869年(明治2年)の藩の制度化の後、1871年(明治4年)の廃藩置県から1876年(明治9年)までの短期間に行われた。
増加
10.0 % 以上
7.5 - 9.99 %
5.0 - 7.49 %
2.5 - 4.99 %
0.0 - 2.49 % |
減少
0.0 - 2.5 %
2.5 - 5.0 %
5.0 - 7.5 %
7.5 - 10.0 %
10.0 % 以上 |
福島県の人口は1998年1月の213.8万人をピークに減少傾向にある(全国17位)。人口趨勢としては、戦後直後では160万人前後であったが、その後は第一次ベビーブームの影響で急増し、1957年(昭和32年)3月には209.9万人まで増加した。しかしその後は、1958年(昭和33年)~1972年(昭和57年)までは首都圏への大幅な人口流出により、人口減少が続いて、1972年(昭和47年)4月には192.7万人となった。その後は第二次ベビーブームの影響で再び増加に転じ、1978年(昭和53年)7月には再び200万人台になった。さらに、1989年(平成元年)11月には初めて210万人を超え1998年(平成10年)1月には過去最多の213.8万人を記録した。しかしその後は再び減少に転じ、2005年に210万人を割った。そしてさらに、2011年(平成23年)3月11日に起きた東日本大震災の影響で人口減少は大幅に拡大し、7月には33年ぶりに200万人台を割った。さらに、2016(平成28年)年には190万人台を割り、2022年(令和4年)には180万人台を割った。2024年(令和6年)現在の人口は174万人となっておりピークより約40万人減少した。特に2010年以降は合計で約30万人減少していて、人口減少に歯止めがかからない。
合計特殊出生率が1.53(2018年)あり、これは東日本では群を抜いて高い(次ぐ山形県が1.48)。ただし、合計特殊出生率が高い県は九州や中四国など西日本に集中しており、全国的には20位に過ぎない。
福島県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 福島県の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 福島県
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
福島県(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
2024年現在の人口は174万人となっている。中通り地域の人口減少は緩やかだが、会津や浜通りの人口減少が大きくなっている。
実施年 | 人口(人) | 増減人口(人) | 人口増減率(%) | 国内増減率(%) | 増加率全国順位 |
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1960年 | 2,051,137 | - | - | - | - |
1965年 | 198.3754 | 67,383 | 3.29 | 5.20 | 34位 |
1970年 | 1,946,077 | 37,677 | 1.90 | 5.54 | 32位 |
1975年 | 1,970,616 | 24,539 | 1.26 | 7.92 | 39位 |
1980年 | 2,035,272 | 64,656 | 3.28 | 4.57 | 28位 |
1985年 | 2,080,304 | 45,032 | 2.21 | 3.40 | 27位 |
1990年 | 2,104,058 | 23,754 | 1.14 | 2.12 | 18位 |
1995年 | 2,133,592 | 29,534 | 1.40 | 1.58 | 18位 |
2000年 | 2,126,935 | 6,657 | 0.31 | 1.08 | 31位 |
2005年 | 2,091,319 | 35,616 | 1.67 | 0.66 | 34位 |
2010年 | 2,029,064 | 62,255 | 2.98 | 0.23 | 37位 |
2015年 | 1,914,039 | 115,025 | 5.67 | 0.75 | 46位 |
2020年 | 1,833,152 | 80,887 | 4.23 | 0.75 | 37位 |
現在の福島県知事は、内堀雅雄(第21代、2期目)。以外歴代知事を列挙する。冒頭数字は人数を指しており、就任代ではない。
福島県は、1991年(平成3年)より県のイメージアップ事業で使用するため「うつくしま、ふくしま。」を使用している。これはコピーライターの眞木準の手により提示されたキャッチコピーである。眞木の説明によると、その由来は「古語の『うつくし』は日本の原風景を残した福島に似合っており、『しま』は県土の形がオーストラリア大陸に似ていることから考えた」[12]ものとされる。同年11月27日に福島県で採用が決定し、初年度だけでも2600万円をイメージアップ事業のために投入した。
本キャッチコピーは当初こそ福島県民に対してその意図がなかなか浸透せず、「全国でも例を見ない」「奇抜なイメージデザイン」との見解が寄せられることもあった[13]が、1995年(平成7年)、1999年(平成11年)、2001年(平成13年)の3度の福島県デスティネーションキャンペーン (DC) のキャッチコピーにも用いられ、また、DC と同時期に開催された1995年(平成7年)のふくしま国体と全国障害者スポーツ大会(うつくしまふくしま大会)や、2001年(平成13年)の「うつくしま未来博」などのイベント名との相乗効果により県内外から広く認知されるに至った。
県の観光事業に主に用いられてきたキャッチコピーであったが、うつくしま大橋、うつくしま百名山に見られるように、福島県の美称として固有名詞に「うつくしま」のフレーズが単独で用いられることもある。
第一次産業では水稲、福島市や伊達エリアのモモに代表される果物などの農産物、いわき市のカツオ、郡山市の養殖鯉(出荷量日本1位)などの水産物が主要産物である。
第二次産業では東京首都圏に隣接する至便性のため首都圏より県内に進出する企業も多く製造品出荷額では宮城県を抑え東北地方1位である。電子機器関連の工場の立地が多く、福島市周辺では電子機器、会津若松周辺では半導体、郡山周辺ではプリント基板関連、電子部品、いわき市周辺では電子機器、化学製品、自動車エンジン工場などの立地がある。最近では田村市において自動車電装部品関連企業の誘致にも成功している(2008年現在)。
第三次産業では県内における最大の都市圏は、中通り中部の郡山を中心とする郡山都市圏であり、周辺地域とともに県内最大の郡山経済圏を形成し、郡山市は仙台市に次いで東北地方第2位の商業年間商品販売額を誇り商都と呼ばれている。一方で2006年に施行した県の商業まちづくり条例により、店舗面積6000平方メートルを超える商業施設の郊外への出店は厳しく規制されている[14]。そのため、2018年に開業したイオンモールいわき小名浜などを除いて福島県内には売り場面積が数万平方メートル級の大型店の新規出店がほとんどなく、周辺の宮城県や北関東へ買い物客の流出が目立っている[15]。活性化を狙った中心市街地の衰退が止まらず、買い物客の県外流出という悪影響もあり、準工業地域の出店解禁など2019年に規制は一部緩和された[15]。
農林水産省による統計では、2009年の都道府県別の農業産出額は福島県が2450億円となり、金額では全国7位である[16]。この内、米の948億円(全国5位)と野菜の546億円を含めた耕作物、つまり耕種の産出額は1931億円であり、肉用牛137億円や生乳97億円、豚100億円、鶏卵123億円を含む畜産は513億円となっており、これらが農業による主な産出額である。漁業に関しては2009年の都道府県別の農業産出額のうち、福島県は養殖での額が不明ながら海面漁業は160億円とされている[17]。また、2008年発表統計データによる青森県(2797億円)、岩手県(2541億円)に次いで東北第3位。県内では農業産出額が多い順に福島市(195億円、県内1位、東北12位)、郡山市(188億円、県内2位、東北14位)、伊達市(140億円、県内3位、東北20位)[18]。
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2008年発表統計データの製造品出荷額などによると、福島県は5兆5686億円となり東北1位。2位は宮城県(3兆5702億円)、3位は山形県(2兆8692億円)。県内では製造品出荷額などが多い順にいわき市(1兆0701億円、県内1位、東北1位)、郡山市(9667億円、県内2位、東北2位)、福島市(6608億円、県内3位、東北5位)は東北地方有数の工業都市[18]。太平洋に面するいわき市には小名浜港といった大規模な港湾を擁する。
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福島県は様々な形態の発電所が建設された電源地帯である。同県に送電しない企業も含め、複数の企業が発電所を建設した。
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東京方面との連絡は、東北新幹線および常磐線特急列車である。福島駅は東北新幹線・山形新幹線の連絡駅である他、郡山駅は南北東西方向の要所である。また、いわき駅は東京方面からの直通列車の北限であり、運行上の拠点駅になっている。普通列車は福島交通・阿武隈急行[注釈 3]を除いて毎時1本以下となっている。また、営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。
国鉄時代、福島県内が東京支社・水戸支社と仙台支社の境目になっていた。このため、地域ごとに分割したJRバスにおいても、日本で唯一2社が営業拠点を設置している県となっている。
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公立
私立
福島民報と福島民友は、いずれも県紙と言え、いずれも47NEWSに加盟している。戦時中の新聞統制で一県一紙となった際は民報がその一紙となったが、戦後すぐに民友が復活している。現在のシェア・発行部数は民報の方が高いが、民友も民報よりは低いが全国紙を上回るシェア・発行部数を持っている。
いわき民報はいわき市に特化した新聞である。民報と付いているが、福島民報とは関係がない。
本社演奏所の立地として、福島市(県庁所在地。政治的中心地)と、郡山市(商業的中心地)との2都市に分かれるため、立地の違いによって地方ニュースの重点配分や話題に微妙な地域色がでる。しかし、コミュニティFM以外の全放送局とも、放送対象地域は福島県(全域)となっている。また、デジタルテレビ・県域FM局の親局送信所及び補完FM局のメイン送信所は福島市の笹森山に設置されている。
戦後の福島県域2大新聞社である福島民報(毎日新聞系)と福島民友(読売新聞系)や、福島市と郡山市の対立を反映した影響からか、県域対象の民放VHFテレビ局は開局は日本全国で最も遅く、民放FM局も東北6県では最後の開局である。しかし、東北地方に系列局を持たないテレビ東京系列を除く民放テレビ局4局が出揃った時期は1983年(昭和58年)である[注釈 5]。これは東北6県のなかでは宮城県に次いで2番目であり、東名阪近辺を除いた全国でも比較的早い[注釈 6]。
その影響もあり、県内民放テレビ局第1局となった福島テレビ開局にあたっては県が主導的な役割を果たし、現在も株式の約半数を所有している。この比率はやはり県主導で開局した南隣りのとちぎテレビより高い。
なお、東北地方では唯一通常時全民放TV局で終夜放送を行っていない県である。
以下の通り、AMラジオ局はラジオ単営局であり、民放のラテ兼営局は存在しない[注釈 7]。
福島県内では、自治体が免許人となりラジオ中継局を設ける「受信障害対策中継局」を活用している自治体が多く、ラジオの難聴地域である昭和村、葛尾村、広野町(2023年予定)において、NHKラジオ第1放送・ラジオ福島・ふくしまFMの微弱電波による中継局を町村内くまなく設置している。また、いわき市でもこの制度を活用し、いわき市民コミュニティ放送のみの中継局が多数設置されている。
相馬市の一部では放送対象地域外の宮城県の民間放送4局が[21]放送区域になっている。
いわき市や白河市の一部では、放送対象地域外の関東1都6県共通の民放キー局(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビ)がスピルオーバーにて受信することが可能である。地上デジタル放送による減力により受信できるエリアは限られているが、県境部を中心に引き続き受信することが可能である。
福島県と同様に、政治力と経済力の綱引きにより民放県域局の演奏所が県庁所在地以外にも立地している例は、山形県、長野県、富山県、岐阜県。鳥取県、山口県、福岡県にも見られる。
地上デジタル放送のリモコンキーIDはTXN系と独立局がない以外は関東広域圏と全て同じである(詳しくはリモコンキーIDの項を参照)。
この節の加筆が望まれています。 |
会津の代表的な郷土料理としては、「こづゆ」「いかにんじん」「にしんの山椒漬け」「鯉の旨煮」が挙げられる。
また、会津の山間部では蕎麦を工夫した料理がみられ、今でも味わうことができるものとして「はっとう(檜枝岐村)」「裁ち蕎麦(南会津)」「祝言蕎麦(猪苗代町)」などがある。
発表年順に記載
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