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会津地方に産する漆器 ウィキペディアから
会津漆器(あいづしっき)は、福島県会津地方に伝わる伝統工芸品の一つ。会津塗(あいづぬり)とも呼ばれる[1]。経済産業大臣指定伝統的工芸品、国の指定伝統的工芸品に指定されている[1]。
歴史的には、津軽塗や輪島塗よりも早くから盛んとなった[要出典]。螺鈿・漆絵・乾漆・蒔絵・花塗りなど多岐にわたる技法がある。木材は、トチ・紅葉・ケヤキ・赤ケヤキ・ホオ・サクラなどがある[1]。以前にはブナが使われた[2]。会津若松市内の門田地区の漆器団地には、漆器屋・漆屋・木地屋などがある。
16世紀後半に当時の領主である蒲生氏郷が近江国日野から日野椀の木地師と塗師を招き、会津漆器の基礎を作り上げた[1][3]。1630年頃には、漆器の製造が盛んになり江戸への移出が始まり、1666年頃には、大規模な産業にまで発展していた[要出典]。会津藩政時代には、保科正之が漆の木の保護育成に努め[3]、その後も歴代藩主が技術革新に熱心に取り組み[3]、中国(当時の清国)やオランダなどへも輸出された[2][3]。明治維新で大きな打撃を受けたが[3]、明治時代中期には日本有数の漆器産地として再興した[3]。
昭和初期には、海外への輸出品として重要視された。戦後、プラスチック漆器の製造に成功し好況を迎えたが、生活の洋風化により売上げに陰りが見え始めた。[要出典]
現在、売上高の減衰のほかに、後継者の育成など大きな問題を抱えている。その為、新製品の開発、新たな漆の開発のほかに、職業能力開発校の運営・後継者の育成事業などを行われていた。
会津漆器技術後継者訓練校は、1971年に、会津漆器協同組合連合会などが後継者養成所として開設された施設で、2003年には、県知事の認定を受け、認定職業訓練による職業能力開発校になっていたが、2010年に、新年度の入校生募集を中止した。今後しばらくは修了生の支援に力を入れる方針に転換している。
前述の通り幅広く漆の技法を行っているため、特に特徴的なものを記載する。
新技術の一例を以下に示す
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