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石炭または亜炭を掘り出すための鉱山 ウィキペディアから
炭鉱(たんこう、英語:coal mine)は、石炭または亜炭を掘り出すための鉱山のこと。大規模な炭鉱は炭田(たんでん)とも呼ばれ、大規模なものは、中国の大同炭田、萍郷炭田などのほか、アメリカのアパラチア炭田、ロッキー炭田、カザフスタンのカラガンダ炭田、クズネツク炭田、ウクライナのドネツ炭田などであり、他に、インドのダモダル炭田、ポーランドのシロンスク炭田、日本での輸入が多いオーストラリアのモウラ炭田などが有名である。
なお、しばしば上記意味に対し、炭鉱と同じ読みの炭礦の表記が当てられる。その理由として石炭が金属ではなく、その採掘地を金属鉱山とも呼べないため、漢字の偏が「金偏」ではなく「石偏」となるのが正しいためとも主張される。また、石炭採掘の坑道という意味で通常用いられる炭坑もしばしば炭鉱を指すために使われる。本項目では上記定義が示す用語を「炭鉱」に統一し記述する。
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石炭の採掘の歴史は、中国大陸の考古学的形跡から紀元前約3490年以降とされる[1]。当初は鉱脈に沿って採掘する樋押採掘、ベルピット[訳語疑問点]と呼ばれる縦穴を掘った後に底の周囲を(鐘の形状に)採掘する手法が取られた。
日本では、江戸時代末期から筑豊、唐津地方で採掘された石炭が個人消費されており、薪の代用とされていた。
本格的な炭鉱開発が世界的に始まったのは18世紀に入ってからであった。背景にはその時期に製鉄と燃料の需要が急速に高まったことを上げることができる。
日米和親条約締結後、函館などの港の開港により船舶への燃料供給の必要性が高まり、函館港向けに1856年(安政3年)現在の釧路市岩見浜の石炭露鉱を開発しその後1857年(安政4年)蝦夷地(北海道)白糠町釧路炭田が日本初の洋式坑内掘炭鉱として開発された[4]。さらに財政が逼迫していた諸藩が陣頭指揮をとって、炭鉱を開発していくようになる。当初は軌道に乗らなかったものの、瀬戸内地方の製塩業者向けの販路を見出すと大きく発展を遂げた。その当時の製塩では海水塩を蒸発させる燃料に松やにを利用していたが、その松やにの価格が高騰し、低価格であった石炭が歓迎されたのである。
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地表近くに鉱床が存在する炭田では露天掘りが行われるが、それに適さない場合は地表から炭層まで坑道を掘り下げ、炭層に切羽という作業現場を作り採炭を行う「坑内掘り」が行われる。
採掘区域の開発手法により、2種類の採掘法がある。
切羽での採炭方法は、技術の発達により改良が重ねられた。主な採炭法を以下に示す。
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炭鉱は石炭の採掘地に作られるものであるが、石炭の分布、すなわち炭層は幾重にも重なっている。したがって採炭条件もそれにしたがい、採炭地である切羽の場所も深層化していく。そのため、人員、採掘機具、あるいは排水や通風のための道を開ける必要もあり、最低二本以上の主要坑道を掘っていく。この坑道には人員を載せる人車、採掘した石炭を乗せる炭車を走行させる。
掘り方によって立坑、斜坑、水平坑などと呼ばれるが、日本では斜坑が多く、継ぎ接ぎされて段重ねになっていた。1961年(昭和36年)での日本の炭鉱における平均切羽深度は地下250mである。ところが、日本より早く採炭が進んだイギリス、ドイツでは750mにも達していた。これは前述の長壁式採掘法の発展と関係しており、労働の集約、産炭の効率化を図った結果であり、ルール炭田では特に優れた合理化システムが確立していた。しかし、日本では後に斜坑での限界を感じ、立坑にシフトしている。これは日本の炭鉱が地層の年代が相対的に若く、そのため地形が褶曲(しゅうきょく)し、採掘が困難であるほか、ガスや水が多く含まれているため、それによる品質の劣化、あるいは大規模な事故を幾度となく体験してきたためである。
露頭採炭から沿層の地下採炭に移るにつれて、湧水と可燃性ガスが問題となった。これらは初期の技術力では、炭坑の寿命を決定する最大の要因になっていた。したがって排水の機械化と換気体系の成立は、深層採炭の前提条件であった[10]。
採掘によって起こりえる事故は、以下に分類される。
石炭は元々労働者の手作業で採掘していたものであり、多くの労働力を必要とした。男性の場合は「炭鉱夫」と呼ばれる。
石炭生産量の国際比較を行うことができる統計は多くはないが、石炭産出量が特に多い国は中国、アメリカ、インド、オーストラリア、ロシア、南アフリカ、ドイツ、ポーランド、インドネシア、ウクライナである[25]。
古くから産炭地として知られたが、小規模であることや設備の老朽化などに伴い規模を縮小しつつあるものには、産業革命と共に発展を歩んだイギリスのランカシャー、ヨークシャー地方、ウェールズ地方。ドイツのルール地方、ザール地方、チェコのボヘミア地方などを上げることができる。これらの中には閉山を余儀なくされたものも多い。その一方で、中小規模ながら高品質の石炭を産出することで稼働を続ける炭田として、ベトナムのホンゲイ炭田のようなものも存在する。
日本では現在、坑道掘りでは太平洋炭礦を引き継いだ釧路コールマインが存続している。露天掘りでは、砂子組が砂子炭坑三笠露天掘坑(三笠市奔別鳥居沢町)の他、三井系、三菱系がそれぞれ数社が採掘し北海道電力へ納入している。
第二次世界大戦後のヨーロッパの国々はヨーロッパ全体での石炭産業の調整(国際カルテル)を行うための欧州石炭鉄鋼共同体を創設するパリ条約 (1951年)を締結、1952年に実行した。多くの国でカルテルは禁止され政治的な反対もあったが、例外規則によって設立がなされた。この意義は、石炭と鉄鋼は戦争の原因となる資源であり、それを共同管理することで平和にやっていこうという事である。2002年7月23日にパリ条約は失効したが、欧州共同体に引き継がれ、さらに発展拡大された欧州連合に引き継がれる。
フランスのノール県やロレーヌ地域圏などから産出していた。第一次世界大戦で大手石炭採掘企業アンザン炭鉱会社の施設が破壊されて減産し、第二次世界大戦前にはイギリスなどから輸入していた。
戦後は、更に国内産出も減少し、外貨不足と周辺諸国の混乱によって深刻な石炭不足となった。その他の物資不足も起きていた状況から、フランスでは多くの産業を国有化し、石炭産業も1946年からフランス石炭公社の形で再建を図った[27]。
国有化後も国際競争の荒波に勝てず、閉山、生産縮小を余儀なくされた。閉山した炭鉱は観光地化などの道をたどった。
歴史的にシレジアとルブリンから採掘が行われてきた[28]。2021年、ポーランド政府と石炭採掘組合は2049年までにすべての炭鉱を閉鎖する協定草案に合意した[29]
埋蔵量は世界で2番目に大きい1,730億トンであり、そのほとんどはクズネツク炭田、カンスク・アチンスク炭田の物である。
中国の炭鉱は、国営重点炭鉱、国営地方炭鉱、郷鎮炭鉱の3つに分類される[25]。
日本における炭鉱は、経済的に開発価値のある炭田が51、炭田未満の石炭埋蔵地区が64あると通産省は1956年に報告している[30]。石炭埋蔵量は約202億万トン、うち開発可能な石炭は31億万トンと推定されている[30]。埋蔵量は、北海道が101億トンと約半数であり、次いで九州が79億トンで、二つの地域で9割を占めている[30]。
日本の炭鉱はアメリカやオーストラリアの大規模炭鉱と比べて地層構成が複雑なため、石炭は地下の深部にあることが多い。そのため何キロメートルにも及ぶ坑道を掘り採掘していたが、労働条件は悪く、後述のようにメタンガスや粉塵による爆発事故・落盤などが多発し、多くの殉職者を出してきた。
国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)は、明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業を世界文化遺産に指定した。リストでは主に九州地方の炭鉱、端島炭坑(軍艦島)、高島炭鉱、三井三池炭鉱が挙げられている[31]。
明治維新以後、石炭は燃料や工業原料(特に製鉄業)として使用量が増大した。北海道、福島県、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県が主産地で、最盛期にはこれらの地域を中心に全国に800以上の炭鉱が開かれ、第二次世界大戦中に年間産出量は6000万トンに達した。終戦後急激に減少し、その後産業の回復につれて産出量は再度増加した。
1950年以降ほぼ5000万トンを超えるレベルに回復したが、石油の大量輸入(エネルギー革命)、コスト面で外国産のものに太刀打ちできないなどの問題で1961年をピークに徐々に衰退し、2002年以降国内で操業している坑内掘り炭鉱は、北海道の釧路炭鉱の1箇所のみとなった。この炭鉱のある釧路炭田は、推定埋蔵量20億トンと大規模であり、炭層が厚く水平に広がり、機械化(SD採炭)採掘が容易であることから、採炭技術の継承と海外技術者の研修受入先としても活用されている。2007年度以降、年間60万トン体制での採炭を続けていた。
しかし石炭価格の高騰に伴い、国産石炭もコスト競争力をもつようになってきたため、露天掘り炭鉱が次々と開発される。また福島第一原発事故後、国内の原子力発電所が順次運転を停止する中、電力会社は電力の安定供給のため、既存の石炭火力発電所をフル稼働させるようになったため、採掘事業者に対して増産を求める動きもあった[32][33]。
2015年度の石炭生産は坑内掘りと露天掘りを合わせて120万トン弱で、内訳は坑内掘り(釧路コールマイン)が約47万トン、露天掘り(7社)が約73万トンとなっている[34]。
2018年度は96万トンが国内で生産された[35]。
現在、日本国内において稼働中の炭鉱はすべて北海道の炭鉱である。
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