佐世保市
長崎県の市 ウィキペディアから
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佐世保市(させぼし、させほし[1])は、長崎県の北部地方にある市。 県北部の中心都市で、長崎県では長崎市に次いで2番目、九州では9番目に多い人口を擁し[注釈 1]、中核市及び保健所政令市の指定を受けている[2]。
させぼし 佐世保市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 長崎県 | ||||
市町村コード | 42202-9 | ||||
法人番号 | 5000020422029 | ||||
面積 |
426.01km2 | ||||
総人口 |
230,244人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 540人/km2 | ||||
隣接自治体 |
松浦市、平戸市、西海市、北松浦郡佐々町、小値賀町、東彼杵郡川棚町、波佐見町 佐賀県:伊万里市、西松浦郡有田町 | ||||
市の木 | ハナミズキ | ||||
市の花 | カノコユリ | ||||
市の歌 | 佐世保市歌(1952年制定) | ||||
佐世保市役所 | |||||
市長 | 宮島大典 | ||||
所在地 |
〒857-8585 長崎県佐世保市八幡町1番10号 北緯33度10分48秒 東経129度42分54秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
明治時代に入り東彼杵郡最北端の寒村にすぎなかった佐世保村 [3]に日本海軍の鎮守府(佐世保鎮守府)や海軍工廠(佐世保海軍工廠)が設置され、それ以降は造船および軍港の町・軍都として発展した。第二次世界大戦終結後から現在にいたるまでも、海上自衛隊佐世保基地及び在日米海軍佐世保基地が所在しており、海上防衛の重要な拠点となっている。 また、西海国立公園(烏帽子岳・弓張岳)や日本最大級のテーマパークであるハウステンボスに代表される観光都市でもある[2]。市制施行当時の市域は旧東彼杵郡 佐世保村のみで[4] [5]、市民の8割が隣の佐賀県からの移住者であった[6]。その後の合併により早岐地域など旧東彼杵郡の一部、相浦地域など旧北松浦郡の一部地域も市域に含む。長崎市とは離れているため、経済圏は異なる[2]。
九州地方の北西端にして長崎県の北部、北松浦半島の付け根から同半島の中南部までの地域を主な市域とする。位置的には長崎市の北北西約50km(陸路における最短距離は約60km)である。市域西側・南西部・南部で海に面しており、市域東側では佐賀県と県境を接している。また、2006年に五島列島北端の旧北松浦郡宇久町と合併したことにより、離島部にも市の範囲が広がっている。
長崎市ほどではないが、坂の多い町並みが特徴である。市域中央部の中心市街地まで山地が迫っているため、自転車の利用は少ない。市域中西部の相浦地域や南部の早岐地域にも市街地がある。
佐世保の上空は、烏帽子岳を代表として、東西南北へ行き交う渡り鳥の十字路にもなっている[7][8]。
年平均気温は17.8℃、年間降水量は1853.0mm(2019年)[9]。観測史上の記録は次の通り。
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一年を通して気温は概して高く、冬も対馬海流の影響で0度以下になる事は少なく曇天の日が多い。太平洋型と日本海型の中間の気候型である。
梅雨の期間が長く、高温多湿で降水量も多い。梅雨から夏にかけての集中豪雨で、水害が繰り返し起きている。ただし、地形の関係もあって降水量の割に水道事情は苦しく、1994年の平成6年渇水においては翌年にかけて約7ヶ月間に及び当時の市域のほとんど全域において給水制限が行われた。
台風の通り道になることも多い地理条件の位置で台風被害が多い地域である。平成期に1991年(平成3年)9月の台風19号と2006年(平成18年)9月の台風13号では、台風が上陸している。
佐世保特別地域気象観測所(佐世保市干尽町、標高4m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 20.3 (68.5) |
22.4 (72.3) |
24.8 (76.6) |
28.4 (83.1) |
31.7 (89.1) |
36.2 (97.2) |
37.6 (99.7) |
38.1 (100.6) |
35.6 (96.1) |
33.0 (91.4) |
27.9 (82.2) |
23.9 (75) |
38.1 (100.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 10.5 (50.9) |
11.7 (53.1) |
15.1 (59.2) |
19.6 (67.3) |
23.8 (74.8) |
26.5 (79.7) |
30.1 (86.2) |
31.8 (89.2) |
28.7 (83.7) |
24.0 (75.2) |
18.5 (65.3) |
12.9 (55.2) |
21.1 (70) |
日平均気温 °C (°F) | 7.0 (44.6) |
7.8 (46) |
11.0 (51.8) |
15.3 (59.5) |
19.7 (67.5) |
23.0 (73.4) |
26.8 (80.2) |
28.0 (82.4) |
24.8 (76.6) |
20.0 (68) |
14.4 (57.9) |
9.2 (48.6) |
17.2 (63) |
平均最低気温 °C (°F) | 3.6 (38.5) |
4.1 (39.4) |
7.2 (45) |
11.3 (52.3) |
15.8 (60.4) |
20.0 (68) |
24.4 (75.9) |
25.2 (77.4) |
21.8 (71.2) |
16.4 (61.5) |
10.5 (50.9) |
5.7 (42.3) |
13.8 (56.8) |
最低気温記録 °C (°F) | −4.9 (23.2) |
−6.1 (21) |
−3.9 (25) |
−0.4 (31.3) |
5.7 (42.3) |
11.6 (52.9) |
14.2 (57.6) |
17.1 (62.8) |
10.0 (50) |
4.8 (40.6) |
0.4 (32.7) |
−3.3 (26.1) |
−6.1 (21) |
降水量 mm (inch) | 63.4 (2.496) |
81.1 (3.193) |
120.7 (4.752) |
152.9 (6.02) |
171.1 (6.736) |
328.9 (12.949) |
342.2 (13.472) |
255.4 (10.055) |
195.6 (7.701) |
98.6 (3.882) |
101.6 (4) |
77.5 (3.051) |
1,989 (78.307) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 10.2 | 9.4 | 11.2 | 10.4 | 9.7 | 13.7 | 12.9 | 11.4 | 10.1 | 6.9 | 8.8 | 9.2 | 123.8 |
% 湿度 | 63 | 62 | 63 | 66 | 70 | 78 | 79 | 76 | 71 | 65 | 66 | 62 | 68 |
平均月間日照時間 | 111.5 | 128.2 | 167.2 | 183.2 | 197.2 | 128.2 | 165.6 | 209.0 | 177.6 | 188.6 | 142.1 | 122.0 | 1,922.9 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1946年-現在)[10][11] |
佐世保市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 佐世保市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 佐世保市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
佐世保市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
2010年4月時点で310の町名を設置している[12]。 旧市内の地名は佐世保市の地名参照。それ以外の地区は各地区のページを参照のこと。
下記は市役所の支所・行政センターをもとにした区分である(2012年8月以降行政センターは宇久のみ)。
現在の佐世保市中心部は、かつては隣接する相浦地域・早岐地域の郊外地であったが、明治時代に入り、東郷平八郎を乗せた軍艦二隻が調査の為に佐世保を訪れた事から軍港都市としての歴史は幕開けした。その後、旧海軍四軍港(横須賀・呉・佐世保・舞鶴)の一つとして鎮守府が置かれ、それ以降は海上防衛の拠点として発展していった。歴史的にも珍しい潜水空母である伊401は、佐世保工廠で建造された。また、当時世界最大の軍艦であった弩級戦艦大和級二番艦武蔵は、工事の為に一度だけ寄港した事がある。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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官選 | ||||
1 | 渡邊修 | 1902年9月6日 | 1906年4月27日 | |
2 | 内田政彦 | 1906年8月27日 | 1912年8月26日 | |
3 | 1912年9月4日 | 1916年9月3日 | ||
4 | 加藤八太郎 | 1916年10月14日 | 1920年10月13日 | |
5 | 筬島桂太郎 | 1921年8月12日 | 1925年8月11日 | |
6 | 相賀照郷 | 1926年6月29日 | 1930年6月28日 | |
7 | 御厨規三 | 1930年9月10日 | 1934年9月9日 | |
8 | 相賀照郷 | 1934年11月7日 | 1938年11月6日 | |
9 | 1938年11月7日 | 1940年3月29日 | ||
10 | 小浦総平 | 1940年8月5日 | 1942年4月9日 | |
11 | 1942年5月6日 | 1946年5月5日 | ||
12 | 中田正輔(名誉市民) | 1946年8月21日 | 1947年4月7日 | |
公選 | ||||
13 | 中田正輔 | 1947年4月8日 | 1951年4月4日 | |
14 | 1951年4月25日 | 1955年4月2日 | ||
15 | 山中辰四郎 (名誉市民) | 1955年4月30日 | 1959年4月29日 | |
16 | 1959年4月30日 | 1963年4月29日 | ||
17 | 辻一三 (名誉市民) | 1963年4月30日 | 1967年4月29日 | |
18 | 1967年4月30日 | 1971年4月29日 | ||
19 | 1971年4月30日 | 1975年4月29日 | ||
20 | 1975年4月30日 | 1979年4月29日 | ||
21 | 桟熊獅 | 1979年4月30日 | 1983年4月29日 | |
22 | 1983年4月30日 | 1987年4月29日 | ||
23 | 1987年4月30日 | 1991年4月29日 | ||
24 | 1991年4月30日 | 1995年4月29日 | ||
25 | 光武顕 | 1995年4月30日 | 1999年4月29日 | |
26 | 1999年4月30日 | 2003年4月29日 | ||
27 | 2003年4月30日 | 2007年4月29日 | ||
28 | 朝長則男 | 2007年4月30日 | 2011年4月29日 | |
29 | 2011年4月30日 | 2015年4月29日 | ||
30 | 2015年4月30日 | 2019年4月29日 | ||
31 | 2019年4月30日 | 2023年4月29日 | ||
32 | 宮島大典 | 2023年4月30日 | 現職 |
2023年(令和5年)4月23日執行選挙までは統一地方選挙で行われている。
※当日有権者数:205,202人 最終投票率:66.81%(前回比:+6.58pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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朝長則男 | 58 | 無所属 | 新 | 68,809票 | 51.1% | 自由民主党・公明党 |
野口日朗 | 62 | 無所属 | 新 | 59,631票 | 44.3% | |
前川雅夫 | 61 | 無所属 | 新 | 6,268票 | 4.7% |
※当日有権者数:210,633人 最終投票率:60.19%(前回比:-6.62pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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朝長則男 | 62 | 無所属 | 現 | 100,442票 | 79.2% | |
前川雅夫 | 65 | 無所属 | 新 | 22,793票 | 17.9% |
無投票(当選者:朝長則男)
※当日有権者数:205,114人 最終投票率:50.11%(前回比:-10.08pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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朝長則男 | 70 | 無所属 | 現 | 78,313票 | 78.2% | |
田中隆治 | 75 | 無所属 | 新 | 21,877票 | 21.8% |
※当日有権者数:196,449人 最終投票率:52.88%(前回比:2.77pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
宮島大典 | 59 | 無所属 | 新 | 54,073票 | 53.0% | |
橋之口裕太 | 39 | 無所属 | 新 | 43,525票 | 42.7% | 自由民主党 |
田中隆治 | 79 | 無所属 | 新 | 4,376票 | 4.3% |
長崎県警察が以下の警察署を設置している。
1883年(明治16年)に東郷平八郎少佐が海軍軍艦「第二丁卯」に測量団を乗せて訪れ、天然の良港として軍港を設置して以来、のちの四大鎮守府の一つとなった佐世保は戦時中にも朝鮮半島や中国大陸にも近い帝国海軍基地の軍港として重要な拠点であった。やつでの葉のような形状と佐世保の文字から古くは「葉港」と呼ばれた(サセボのサが草冠、佐世保の世、木という漢字をくずしてホ、三つを組み合わせて葉になることから)。第二次世界大戦後は陸上自衛隊、海上自衛隊の各教育隊や米軍基地が置かれた。現在でも佐世保港には自衛隊の護衛艦、米軍の艦船が見られ、街では外国人及び制服姿の自衛官を多く見かける。
国連指定港湾(アメリカ海軍佐世保基地港湾)[要出典]
[要出典]
※2012年9月27日に条例が改正され、2015年4月26日執行の市議会議員選挙から定数は「36」から「33」に変更された[18]。
マダイの漁獲量は2015年度は405トンで国内4位となった[20]。 とらふぐの養殖収穫量は2014年度は673トンで国内2位となった[21]。
SSKの名で知られる佐世保重工業[注釈 3]に代表される造船業を主幹産業とする。小佐々地区には食品エキス製造で国内最大手のアリアケジャパンの工場がある。
直線距離では日本最長となる四ヶ町・三ヶ町アーケードは古くからある商店街では珍しく、現在でも市の中心地として栄えている。平日祝日を問わず沢山の人で賑わっており、20万人都市の中でも「日本一元気な商店街」と評され全国から商店街組合が視察に訪れているほどである。また、中心街をシャッター街化させないよう様々な取り組みを行っている地方都市としても知られており、商店街を含めた地域の活性化を図りYOSAKOIさせぼ祭りやきらきらフェスティバルを開催するなど、その動きは各所にみうけられる。
2001年に佐世保駅が高架駅として新しくなり、駅及び港(鯨瀬埠頭)周辺もフレスタSASEBOのような駅ビルやアルカスSASEBO(多目的ホール)ができるなど再開発が進んでいる。また、三ヶ町は2007年(平成19年)より再開発が進められ、現在は再開発が終了しアーケードの周辺にはマンションが建っている。
佐世保市の観光産業の中枢であったハウステンボスはバブル崩壊による観光客の減少の影響を大きく受け、更に初期の設備投資が莫大であったために借金の完済が困難となり、2003年に会社更生法を申請せざるを得なかったが、その後、新たなコンセプトをもとに復活の兆しが見えている。ほかに西海国立公園の九十九島、弓張岳なども重要な観光資源である。
なお、九十九島は「世界で最も美しい湾クラブ」(本部・フランス)に加盟認定(2018年4月20日)。
「観光」の節も参照
太字は佐世保市に本店を置く金融機関を表す。
最寄り空港は長崎空港。佐世保市内から空港へ直行する公共交通が存在する空港は長崎空港・福岡空港。
長崎空港へは西肥バスの特急バスと乗合ジャンボタクシー(9人乗り、予約制)が運行されている。
佐賀空港は佐世保市内からは長崎空港より遠く、直通する公共交通機関はない。
福岡空港には高速バス「させぼ号」の一部便が停車している。長崎空港への特急バスと所要時間や運賃に大差が無いことから、航空便数や運賃で有利な場合が多い福岡空港を利用する市民や観光客も多い。
博多(福岡市)までの特急は「みどり」が毎時1本運行されている。同列車は早岐にて「ハウステンボス」と連結する場合もある。県庁所在地である長崎市へは、大村線経由の快速「シーサイドライナー」が運行されている(かつて2000年代前半に長崎との連絡特急「シーボルト」が運行されていたが、現在はこのシーサイドライナーに代わっている)。
かつては東海道・山陽本線を経由し東京や関西とを結ぶ夜行列車が運行されていたが、1999年11月に寝台特急「さくら」の佐世保発着が、翌2000年3月に寝台特急「あかつき」の佐世保発着が廃止されたことにより、本州へ直通する定期列車は全廃され、佐世保市内に発着する列車はすべて九州内のみの運行となっている。
※新型コロナウイルスの影響で長期運休中の路線は記載せず
1927年から佐世保市交通局(佐世保市営バス)が市内を運行していたが、2019年3月23日に廃止され、廃止時の残存路線は西肥自動車、させぼバスにそれぞれ譲渡された。
OKタクシー(旧:ユニオンタクシー)、キングタクシー、佐世保タクシー(ブルーキャブグループ)、佐世保観光タクシー、佐世保ラッキーグループ(ラッキー自動車、セブンタクシー)、城山タクシー、西部タクシー、長崎第一交通佐世保営業所(旧:エボシタクシー+旧:三光タクシー)、MOTOMACHI TAXI GROUP(国際タクシー、天神タクシー、元町タクシー)、佐世保個人タクシー協同組合
黒曜石産地でもあることから、旧石器時代の遺跡が多数発見されている。特に重要視され、国や県レベルの重要な史跡として認知されているものに、世界最古の土器が出土した泉福寺洞窟、遺物による生活推定の探求を日本で初めて実施した岩下洞穴、細石器の製造法の編年基準となった福井洞窟が挙げられる。鹿町地区には支石墓が集中する大野台支石墓群がある。
弥生時代 の史跡としては、相浦川の下流から河口域にかけての平野部において、国道バイパス工事や高速道路建設にともない、四反田遺跡と門前遺跡が相次いで発見されている。また離島の高島では、原始時代の海上交易を物語る宮の本遺跡が発見されている。
古墳時代 の史跡としては、南部の宮地区・早岐地区・江上地区で、石棺に土盛を被せた小規模・質素な古墳が4箇所発見されている。最大の鬼塚古墳でも直径15m程度である。近くのテボ神古墳は、墳丘が破壊されて石棺が露出したもの。三島山古墳は盗掘痕があるが、のちに多数の石棺が追加され、墓所の中心として機能した。松ヶ崎古墳は発掘調査が行われておらず、今後の研究が待たれる。
中世の史跡はあまり残されていない。眼鏡岩の磨崖仏は空海が刻んだとする伝説があるが、実際には江戸時代の作品とされる。御橋観音と福石観音の本尊は行基の作という伝説があるが、行基が佐世保に来た史実はない。ほか、市内各地で末法思想のころに流行した経塚がいくつか発見されている。また西日本各地の石材で作られた仏塔も俵ヶ浦半島などで確認されている。
戦国時代 、市内には多くの城が築かれた。有力な土豪の居城としては、遠藤氏の鼻繰城、宇都宮氏の蓮輪館、針尾氏の小鯛城などが挙げられる。松浦党に属した領主の城としては、志佐氏の居城の直谷城、宗家松浦氏の居城の武辺城・大智庵城・飯盛城などがあり、特に平戸松浦氏と北松浦半島周辺の覇権を巡って激しい争いを繰り広げた宗家松浦氏の城は整備や発掘が比較的進んでいる。また、宗家松浦氏を降した後の平戸松浦氏による支配の時期に、大村純忠の北上に備えるために松浦鎮信が築城させた井手平城・広田城は、実際に両者の戦場となり、多数の戦跡・伝説が残されている。なお、市内の城は江戸幕府が定めた一国一城令によりすべて廃城とされた。
近世の遺産は比較的多い。平戸往還は多くの区間で生活道路となっており、早岐地区の石畳や鍵型町割り、脇崎一里塚の記念碑や左石の伝説、藩主の休泊に使われた江迎本陣跡など、現在も随所で往時を偲ぶことができる。また幕末に異国船が多数訪れるようになったため、佐世保でも高後崎に高後崎船番所が設置された。
農業の分野では、相浦川流域では溜池灌漑による棚田の整備、相浦川・佐世保川・日宇川の河口や早岐瀬戸沿岸では干拓事業が推進された。前者の例としては郷美谷池、後者の例としては大潟新田が大規模なものである。特に大潟新田の築堤や水門は竣工当時のものが現在も用いられている。また三川内焼初期の工房だった葭之本窯跡なども当時の遺構である。
当時の武士の暮らし向きを伝える史跡としては郡代役所の生垣や楠本端山旧宅がある。
明治時代に、佐世保鎮守府が築かれ、海軍の街として栄えた佐世保だけに、海軍や関連産業に関与した近代化遺産が多数存在する。
★は故人
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