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日本の実業家、ジャパネットたかた初代代表取締役社長 ウィキペディアから
髙田 明(たかた あきら、1948年11月3日 - )は、日本の実業家である。
たかた あきら 髙田 明 | |
---|---|
生誕 |
1948年11月3日(75歳) 日本・長崎県平戸市[1] |
国籍 | 日本 |
出身校 |
平戸市立平戸小学校[2] 平戸市立平戸中学校[3] 長崎県立猶興館高等学校[1] 大阪経済大学経済学部[1] |
職業 | 実業家 |
影響を受けたもの | 風姿花伝[4] |
身長 | 178 cm (5 ft 10 in)[5] |
肩書き | 株式会社ジャパネットたかた代表取締役社長 |
任期 | 1986年1月16日[6] - 2015年1月16日[7] |
後任者 | 高田旭人[7] |
配偶者 | 高田恵子(妻)[8] |
子供 |
高田春奈[9] 高田旭人[7] 高田麻衣子[10] |
親 |
高田政雄(父)[11] 高田和(母)[12] |
家族 |
高田謀(兄)[11] 高田武(弟)[11] 高田美智代(妹)[11] |
公式サイト | http://www.aandlive.com/ |
ジャパネットたかたの創業者で、同社が制作するテレビ・ラジオショッピング番組のMCとしても知られた。
2015年1月16日まではジャパネットたかた初代代表取締役社長、2017年4月25日から2020年1月1日までは、V・ファーレン長崎代表取締役社長を務めた。
1948年11月3日、長崎県平戸市でカメラ店経営者の父の下、4人兄弟の次男として生まれる(他の兄弟は兄、弟、妹)[15]。明治節に生まれたことから明と命名される[16]。平戸市立平戸小学校[2]、平戸市立平戸中学校[3]、長崎県立猶興館高等学校卒業後[1]、大阪経済大学経済学部に進学する[1]。大学時代は英語の勉強に明け暮れた[15](このことが電子辞書を売るきっかけになったと本人は語っている)。
卒業後、京都府内の産業用機械メーカー・阪村機械製作所に入社し[17]、同社貿易部社員として1972年から約8か月間、西ドイツ・デュッセルドルフで海外赴任を経験する[18]。翻訳会社を設立しようと退社したが挫折[19]。平戸へ帰郷し、1974年から兄弟で実家のカメラ店を手伝っていた[20]。
30歳で佐世保市に「カメラのたかた」支店を出店し移住、1986年1月、「カメラのたかた」から独立し、同市三川内本町で「株式会社たかた」を設立[21]。1999年までは、実父・政雄が同社の会長を務めていた。
「株式会社たかた」では、カメラフィルムの「即日現像・手渡し」を旗印に、カメラ販売で業績を拡大。また、一般家庭へのビデオカメラの普及を機に、ソニーの特約店になる。さらに、カラオケブームの到来に合わせて、パイオニアのカラオケセットを販売[22]。1990年、明は知人を通じて、長崎放送が始めるラジオショッピング番組内への出演を依頼された。この放送でコンパクトカメラを販売したところ、5分の放送で50台が売れたことが、通信販売に進出するきっかけとなった[15]。1994年6月にはテレビショッピングに進出し、テレビ長崎にて放送を開始。1999年5月に社名の「たかた」を現在の「ジャパネットたかた」に改め、2001年には前述の長崎放送で第1回生放送テレビショッピングを開始した。
ジャパネットたかたでは、佐世保市日宇町の本社屋内に設けたスタジオを中心に、自社運営のスタジオで日本全国のテレビ・ラジオ局に向けてショッピング番組を制作。明自身も、「代表取締役社長 高田明」として、肥筑方言訛りの甲高い語り口で商品を紹介していた。やがて、紹介や放送の機会が増えるにつれて、高田の存在や語り口が広く知られるようになった[23]。
2010年12月期に過去最高の売上高(1,789億円)を記録[24]。しかし、売上の6割を占めてきたテレビの販売が不振に陥るなどの影響で、2011年度から2年連続で売上高が減少した[25]。この状況に危機感を抱いた高田は、2013年を「覚悟の年」と位置付けたうえで[26]、2013年度中に過去最高益を出せなければ社長を退任することをインタビューや出演番組などで公言していた[24]。同年12月期決算の時点で、過去最高益となる約150億円以上の経常利益を達成する見通しが立ったことから、「長くても2年(後の2015年度までに勇退する)」という条件付きで社長職を続けていた[27]。
妻はジャパネットの元副社長で[8][28]、子供は3人[10]。長男の高田旭人は2003年に入社し、2012年から副社長と東京オフィスの代表を兼務していた。2013年頃からは、明が出演する番組において、旭人が「次期社長」として紹介されることがあった[29]。明自身は後継の社長職を、旭人に任せる意向を明らかにしていた[27]。
2014年7月11日、ジャパネットの創立記念日である2015年1月16日で、代表取締役社長職を旭人に交代することが明らかになった[30]。現に同社では、2015年1月16日付で上記の人事を発表するとともに、コーポレートロゴを英字表記の「Japanet TAKATA」に改めている。
社長職を旭人へ交代したことを機に経営の一線から退いてからも、自社制作のテレビ・ラジオショッピング番組へのレギュラー出演を継続[注 2]。旭人が社長就任前からショッピング番組に出演しない方針を取っているのに対して、明は2016年1月15日・16日に生放送の『楽しいのが ジャパネット』(創業30周年を記念した自社運営チャンネル「ジャパネットチャンネルDX」での30時間特別番組)[32] までMCを務めた。
その一方で、ジャパネット社長からの退任に伴って同社に籍を残さなかったため[33]、個人事務所の「A and Live」を設立[34]。ショッピング番組へのレギュラー出演終了後は、「A and Live」を窓口に講演活動を展開している[35]。2016年1月30日からは、ジャパネット提供の『おさんぽジャパネット』(日本各地の名産品の紹介を兼ねてBSフジで月に1回程度放送される紀行ロケ番組)[36] へ定期的に登場している[37]。また、他の放送局が制作する番組にも、「元・通販会社(ジャパネットたかた)社長」という肩書で折に触れて出演するようになった[2]。
最も、「A and Live」の設立当初からジャパネットの要請・状況次第で同社のショッピング番組にも不定期で登場することを示唆していた[38]。2016年4月に熊本地震が発生。この事態を受けて同社が被災地の復興支援プロジェクトを開始したことから、同月21日には、明がテレビ・ラジオのショッピング番組へ特別に出演した。旭人やジャパネットの社員などからの要請による出演で、番組内ではプロジェクトの立ち上げを発表するとともに、視聴者に支援への協力を呼びかけた[39]。
2016年春からは、地元の長崎県にある九十九島パールシーリゾートからの依頼で「九十九島特命宣伝部長」に就任。同年7月からは、同リゾートの九州ローカル向けCMに出演している[40]。
ジャパネットたかたが創業35周年を迎える2021年には「ジャパネット35周年 創業記念セール」開催の告知と、「ジャパネットカード」のPRを兼ねた同社のテレビCM(1月限定放送)で、創業者として本社のスタジオで高橋みなみと共演している[41]。
2017年4月25日付で、JリーグのV・ファーレン長崎(以下「クラブ」と略記)を運営する株式会社V・ファーレン長崎(以下「運営会社」と略記)の代表取締役社長に就任した[42]。スポンサーであったジャパネットホールディングス(ジャパネットたかたの持株会社)が、運営会社の第三者割当増資引き受けと既存株主からの株式譲受を通じて、運営会社の完全子会社化へ踏み切ったことによる[43]。
高田が経営の現場へ復帰した背景には、運営会社を巡って2017年のJリーグ開幕前から債務超過や所属選手への給与未払い危機などが、相次いで発覚したことが挙げられる[43]。運営会社は、高田の社長就任を機に経営の再建を進めながら、クラブの環境を改善[43]。高田自身は、ホームゲームを中心に、試合会場や街頭でのPR活動にも積極的に関わった。2013年からJ2リーグにとどまっていたクラブも、高田が視察した同年11月11日の同リーグホーム最終戦・対カマタマーレ讃岐戦(トランスコスモススタジアム長崎)での勝利によって、クラブ史上初のJ1リーグ昇格を自動昇格で決めた[44]。
2018年には、長崎駅の近くにある三菱重工業長崎造船所幸町工場跡地の再開発計画を発表。クラブが新しい本拠地として使用することを前提に、サッカー専用のスタジアムを建設することを伴う計画[45]で、クラブの新たな活動拠点の整備構想にも着手した(V・ファーレン長崎#練習場参照)。
しかし、2019年11月3日(自身の71歳の誕生日)にニッパツ三ツ沢球技場でクラブのアウェーゲーム(J2リーグの対横浜FC戦)を視察した後、翌2020年1月1日付で[46] 運営会社の社長を退任することを発表した[47]。就任時から3年程度の在任を想定していたとのことで、前述した累積赤字の解消や経営体質の強化に目途が立ったことから、自身より今後想定される経営状況へ見合った人物に社長を任せることを決めたという[47]。
実際には、ジャパネット関連会社の社長を務めていた高田春奈(明の長女)が2020年1月2日付で運営会社の社長へ就任した[48]。明自身は、社長を退任してからも「サッカー夢大使」としてクラブの後方支援活動に携わっている[49]。
※ ジャパネットたかた制作分以外で出演した番組を記載
※ ジャパネットたかた制作分以外で出演した番組を記載
※ ジャパネットたかた制作分および、V・ファーレン長崎関連以外のCMやPR企画を記載。
前述のように甲高く、「ソニー」を平板型で発音する(本来は頭高型)ような無アクセントの長崎県北部本土方言訛りの語り口が日本ではよく知られている。
一方で甲高い声で話すのはテレビショッピングに出演したときのみであり、それ以外の場面では低い声で話しているため普段の高田の声に驚かれる事がある[67]。
2007年には、テレビ画面内の高田に反応して駆け寄るイヌの動画がインターネットで話題となった[68]。これについて日本音響研究所が調査したところ、高田の声にはイヌにとって聞き取りやすい周波数が含まれており、バウリンガルを用いた鳴き声の分析でも、高田は友達と思われたのではないかとの結果が出ている[69]。なお、このことを知った高田は飼い主にお礼の手紙を送り、イヌにはルイ・ヴィトンの首輪を贈ったという[70]。
歌唱力も高く、商品がカラオケの際にはワンコーラスを歌ってみせ、何度も高得点を叩き出している。特に2016年1月15日の30時間生放送では、高田にとって社長職最後の実演販売商品「パーソナルカラオケ」で社員たちに見守られる中、「北国の春」「高校三年生」を歌い、99点を叩き出した[71]。
高田の独特な声や語り口は、ビューティーこくぶ、肥後克広、栗田貫一、鈴木武蔵など、数々のものまねタレントの十八番ネタとなっている。ジャパネットたかたでも、2009年1月から同年3月まで放送していたテレビCMで、高田とこくぶを共演させていた。
V・ファーレン長崎の社長に就任した後は、試合会場を訪れてサポーターたちと交流するほか試合の告知CMにも頻繁に登場しているが、その際に「J1」を「ゼイワン」[72]、「V・ファーレン」を「ビハーレン」など強い訛りで発音するため[73]、チームや関係者からたびたびネタにされている。特に同チームが2018年のJ1昇格を決めた際には、チームの公式サイトも「ゼイワン」表記を使用しメディアなどでも話題になった[74]。
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