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日本のテレビ番組プロデューサー (1954-) ウィキペディアから
菅 賢治(すが けんじ、1954年11月27日[1] - )は、日本のテレビプロデューサー。
日本テレビの元プロデューサーで、制作局長代理、制作局チーフプロデューサー、制作局次長、バラエティー局総務、編成局総務兼編成戦略センター長、制作局総務兼バラエティセンター長を歴任した。
長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保北高等学校、日本大学藝術学部卒業[2]。
愛称、菅ちゃん、ガースー[注 1]。俳優の菅裕輔は息子。
大学在学中、“ABLE”というバンドのボーカルを務め、渋谷にあったライブハウス・“ヘッドパワー”に常時出演するなど、ミュージシャンを目指していたが挫折。その後1982年、知人に誘われ、日本テレビの子会社である日本テレビエンタープライズの契約社員となり、ADとして経験を積んでディレクターに昇格。『酒井広のうわさのスタジオ』など主にワイドショーを担当した。1988年、日本テレビに中途入社。
ダウンタウンや明石家さんまを起用した番組を成功させた。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(ガキの使い)では時折、自ら出演者としても参加。菅を主役にした企画も数多く、独特のキャラクターと、下手な芸人[誰?]顔負けのギャグセンスを発揮することもある[要出典]。また、ドラマ『明日があるさ』にも出演したことがある。罰ゲームである『絶対に笑ってはいけないシリーズ』では、毎度毎度、看板や写真、ポスター、新聞などの小道具に登場し、笑いを誘った。
2005年6月、チーフプロデューサーに昇格。吉田真、安岡喜郎、梅原幹CPらから担当番組を引き継いだ。2006年1月16日、組織変更に伴い制作局付となり、2007年7月1日、井上健とともに制作局次長に就任した。
そして、2008年7月1日より担当していたすべての番組を竹内尊実、大野彰作チーフプロデューサーらに引き継いでいる。局次長就任後も現場に顔を出し、『ガキの使い』においては従来通りオープニングや罰ゲーム企画に出演した。
2009年7月1日からはバラエティー局総務に、2010年6月29日からは編成局総務、編成戦略センター長に、2011年7月1日から制作局総務兼バラエティーセンター長に、2012年6月1日より制作局長代理兼チーフプロデューサーとなり鈴木雅人、松岡至が担当した一部の番組のチーフプロデューサーに就任した。2012年9月2日より担当していた一部の番組を大野彰作、松崎聡男に、また同年12月1日より担当していた一部の番組を松崎聡男、加藤幸二郎に引き継ぐとともに、編成局番組制作向上推進事務局員も兼務する。しかし、2013年6月1日付で制作局チーフプロデューサーと編成局番組制作向上推進事務局兼務を解き、制作局長代理専任になる。[3]また、同日付で担当していた番組は、田中宏史チーフプロデューサーが引き継いだ(行列は福田博之CPと共同)。
2014年3月31日付で日本テレビを退職[4]。退職後もフリーのプロデューサーとして、引き続き日本テレビの番組に関わっている。
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