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日本の男性声優、俳優、ナレーター (1949-) ウィキペディアから
池田 秀一(いけだ しゅういち、1949年〈昭和24年〉12月2日[9][11][12][13] - )は、日本の声優、俳優、ナレーター[7]。東京都中野区野方出身[4][5]。東京俳優生活協同組合所属[8]。
いけだ しゅういち 池田 秀一 | |
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2015年、第28回東京国際映画祭にて | |
プロフィール | |
本名 | 池田 秀一[1][2][3] |
性別 | 男性 |
出身地 | 日本・東京都中野区野方[4][5] |
生年月日 | 1949年12月2日(74歳) |
血液型 | O型[6] |
職業 | 声優、俳優、ナレーター[7] |
事務所 | 東京俳優生活協同組合[8] |
配偶者 |
戸田恵子[3][9](離婚) 玉川砂記子 |
公式サイト | 池田 秀一 - 俳協 |
公称サイズ(時期不明)[6] | |
身長 / 体重 | 162 cm / 60 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1970年代 - |
ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション |
俳優活動 | |
活動期間 | 1958年[10] - |
ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台 |
中野区立第十一中学校(現:中野区立緑野中学校)[5]、東海大学付属高輪台高等学校卒業[14]、日本大学芸術学部映画学科中退[2][3][15][注 1]。
2男1女の次男として生まれる[5]。
小学校に入学後、両親が離婚して兄、妹と共に母のもとで暮らす[2][9][11]。
幼少期は活発でチャンバラ好きであった[11]。
芸能界に入ったきっかけは、当初は遊び半分のようなものであり、小学3年生の時に児童劇団に入っている友人が近所におり、「今度その劇団で募集しているから君も受けてみない?」と誘われて行ってみたところ受かったという[10][11]。母は、池田の健やかな成長のためには、「劇団に入って伸び伸びと過ごすことがいいのでは」と考えて、それを許したという[11]。当初は演じることに興味はあったが、将来的に役者になりたいと思っておらず、映画を見てチャンバラごっこをして遊ぶことの延長のようなの感覚だったという[10][16]。劇団こまどりに入団し[8]、1958年(昭和33年)から子役として活動。小学3年生の時にガヤで初めてテレビに出演[10]。当時は「長屋で子供が泣いている」というシーンのために呼ばれて、何が悲しいのかわからず、全然泣けなかった[10]。それでディレクターが「どうしたか」、「泣けないか。じゃあ、泣かなくていいや。横で遊んでいて」と言われて、あっさりシーンを変えてしまったという[10]。
中学2年生の時にNHKのテレビドラマ『次郎物語』の主役を務め、その頃から本格的に「役者をやってみたい」と思い始めるようになり、演技が高く評価されて「天才子役」として名を成す[16]。鈴置洋孝は『機動戦士ガンダム』で初共演する際、『次郎物語』の池田、『巨人の星』の古谷徹との共演に感激したという。子役時代のあだ名は「秀坊」[17]。中学生時代には、一千万人の劇場「小さき闘い」(フジテレビ)で石原裕次郎との初共演も果たしている。前述のとおり小学校の頃から芸能活動をしていたことから学生時代のクラブは所属していなかった[2]。その後も『銭形平次』、『遠山の金さん捕物帳』、『大江戸捜査網』、『太陽にほえろ!』、『Gメン'75』、大河ドラマ 『花神』、『大岡越前』、『西遊記』など多くのテレビドラマに出演を重ねた[16][注 1]。
NHKラジオの学校放送の仕事をしていたが[12]、俳優として伸び悩んでいた時期でもあった[10]。20歳から21歳の時に出演したテレビドラマで主役の弟役を演じていたが、彼女と喧嘩するも次の週には普通に会っている場面に違和感を覚え、監督に「これはおかしい。和解したところが描かれていない」と指摘したが、「別に君たちを描いているわけじゃないから」と言い返される[10]。それまで参加した作品では、「おかしい」と思っていたことは聞いてくれていたが、「こだわるのはよそう」と挫折を感じていた[10]。そんな時に知り合いの宮内幸平が洋画の吹き替えの仕事をしており、「声の仕事もやってみないか?」と言われたため、「まぁやってみようかな」と洋画の吹き替えに出演[16][10][18]。
当時はフィルムだったことから事前にビデオはもらえず、映像はだいたい前日か、ひどいときは当日にリハーサルをして、皆で一斉に観てという感じだった[10]。周囲は皆声の仕事のプロといった感じで上手かったが、当時の池田はセリフを追っているうちに画面を見失い、どこの演技をしているのかわからなくなり、リハーサルにすらならない状態だった[10]。それが要因で先輩にいじめられるというようなことはなかったが、声優は「大変なお仕事だな」「全然僕の世界じゃない、違う土俵だ」と感じていた[10]。その後、『ルーツ』のオーディションを受けて、クンタ・キンテ役で出演[10][11]。その時に「これはラジオドラマだと思えばいいんだな」と感じていた[10]。ラジオと違い、自分の間が通用しないわけだが、「そこは場数をこなして慣れるしかない。だから今は、少しくらい合わなくてもいいや」と考えていた[10]。その時、周囲を見渡したところ、「この人たちは確かに上手いけど、俺も場数さえこなしていけば大丈夫かもしれない」と不遜にも思ってしまった[10]。
その後も俳優業と並行して洋画の吹き替えなどの仕事をいくつかしていたが、1970年代半ば、洋画のアテレコで居合わせたたてかべ和也から紹介された小学校の先輩であった音響監督の松浦典良の勧めによりアニメ『無敵鋼人ダイターン3』に出演した[11][18][19]。アニメ作品デビュー当時、池田は洋画と比較してアニメ作品のアフレコは、何倍も大変と感じ、「最初で最後のアニメ出演」と決めていたという[20][19]。また、当時はアフレコ現場というのは「売れない役者が最後に流れ着く場所」という認識が強く、「アフレコやるようになったら役者としておしまい」という風潮があったという[10]。そのため声優業にはあまり乗り気ではなかったが、『ダイターン3』の後番組『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ役のオーディションに参加する[19][21][22]。その時に見た安彦良和のシャア・アズナブルのイラストにインスピレーションを感じ、シャア役のテストを受け、その役を得た[19][21][22]。
シャア役をはじめ、美形の敵役で知られる[25]。シャア役以降、『ONE PIECE』のシャンクス役などの赤いキャラクターを演じており、2011年のテレビ朝日版『アイアンマン』のトニー・スターク / アイアンマン役の吹き替えを務めた時のインタビューも「もう“赤”だったらなんでもやりますよ!」と語っている[26]。
吹き替えではコメディー系の二枚目役としての出演も多い。持ち役であるジェット・リーは、現在までほぼ専属で担当している。また、過去にはジェームズ・ディーンやチャーリー・シーン、マイケル・ビーン、リュー・チャーフィー、アンディ・ラウなどの吹き替えも担当していた。
演じているキャラクターを好きになるように作り上げているという[27]。余り嫌なキャラクターを演じたことがないが、万が一、嫌なキャラクターだったとしても、そのキャラクターを好きになってから演じているという[27]。
1971年、幼馴染で恋人だった飯野矢住代が池田の自宅マンションでの事故により逝去。その後、『機動戦士ガンダム』での共演が縁となり、戸田恵子と1979年に結婚したが、のちに離婚。その後玉川砂記子と再婚している。なお、戸田とは離婚直後に『ストリート・オブ・ファイヤー』の吹き替えで共演したり[28]、少年漫画誌『月刊少年エース』2010年1月号で対談している[29] など、離婚後も関係は良好な模様である。
著述としては、『ガンダムエース』(角川書店刊)誌上にて悩み相談系のコラム「あなたのお悩み三倍速く解決します!」を連載中。2006年12月に初の自伝『シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星』(ワニブックス刊 ISBN 4-8470-1700-5)が出版された。
大勢の人間の前で話すのが苦手とされる。自著では「シャアのイメージで強く見られるため、そのイメージを保つために人前では愛想良く振る舞わないようにしている」と語っている[30]。
古谷徹とは、特にシャア、アムロ役の声優として関連イベントなどでの共演機会が多く、トークショーなどでも絶妙の掛け合いを見せている。その舞台裏の和気あいあいとした様子は『ガンダムエース』[要文献特定詳細情報]誌上で漫画として描かれている。
古谷とは子役でいえば後輩であるが、アニメでいうと池田が後輩で、『機動戦士ガンダム』の時に池田は2作品目であった[31]。池田は当初は『無敵鋼人ダイターン3』のゲストキャラクターしか演じてなかった[31]。
お互いライバル関係の役だったということもあるが、古谷とはあまり「なあなあ」にならないように思っていたと古谷は語る[31]。池田は当時から酒が好きであったが、古谷は酒を飲まなかったため、なかなか接点というのはなく作品を通じての関係であった[31]。
その後、古谷は40歳くらいから酒が飲めるようになり、劇場版三部作 特別版の出演でイベント、ゲームなど池田と一緒に仕事するようになった[31]。古谷は酒が飲めるようになったため、池田と一緒する仕事があると「まず飲むだろうな」という前提で付き合いさせてくれているという[31]。
『無敵鋼人ダイターン3』以来、共演した鈴置洋孝とは親友同士であり、良き飲み仲間だった。鈴置から緑茶割を伝授されたりするなど、後年になり共演する機会がなくとも酒の付き合いは長く続いた。鈴置の死後、池田は自著で「アニメに不慣れな俺にとって、君がスタジオにいてくれたおかげでどんなに勇気づけられた事か」「君がいなくなって、俺は言葉を選ばずに話せる人間が意外と少ない事に気づき、寂しい気がするよ」と追悼の言葉を贈っている[32]。
担当する役は、長身のキャラクターが多いが、池田本人は比較的小柄である。岡田斗司夫はOVA『哭きの竜』のアフレコの際、ガイナックスの社員から「今回のスタジオは小さい所だけれど、今日は『小さい』を意味する言葉は禁句だ」と注意されている[要出典]。なお、岡田の著書『オタクの迷い道』[要ページ番号]では、このときの池田の印象について「一人だけ椅子に座っている声優がおり、こんな狭い所によく椅子が入ったなと思ってよく見ると、その男は座っておらず普通に立っており、その男が池田さんだった」、「スタッフから『池田さんいた?』と聞かれたので思わず『池田さん、落ちてた』と答えた」と記述されている。
『燃える!お兄さん』の火堂害役は松浦典良の誘いでオーディションに参加し、役をもらったものの、ギャグアニメで、自分が思いもしなかったエキセントリックなキャラクターだったため、「僕にできるかな?」という印象だった。火堂は「叫ぶ」キャラクターだったため、アフレコの後は池田の喉はガラガラになり、事務所に「『燃える!お兄さん』の収録の翌日は、仕事を入れないでくれよ」と頼んだりしていたという。同作は半年で打ち切りとなり、叫ぶ芝居から解放されたものの、『ダイターン3』の時のように、アニメ特有のエキセントリックな芝居に対するアレルギー症状はなく、「積極的に受けようとは思わないが、少なくとも経験はしておかないとダメだな」と考えたという[33]。また『燃える!お兄さん』の原作者の佐藤正は漫画内の火堂の台詞で「俺様はアニメの声が気に入った」と評価している。
OVA『哭きの竜』のアフレコの際には、担当した主人公竜が無口なキャラクターのために台詞は共演者の内海賢二と比べて非常に少なく、またその時点で映像ができあがっておらず、声優は合図に合わせて声を当てるというありさまだったため、さすがに機嫌を損ねるだろうと岡田斗司夫は危惧していたが、仕事終わりに池田は岡田に対し満面の笑みを浮かべて「いやぁ、社長!こんな楽な仕事は初めてですよ! 次もぜひまた! お願いします!」と気さくに握手を求めた。岡田はこのときのことを「宮尾すすむのような台詞をシャアの声で言われた」と表現している[要出典]。
飲み会の際に、携帯電話で泣きながら男と話している女の子を見かけ、その会話に我慢できなくなって携帯を奪い取り「俺はシャアだが、」と名乗って相手に説教を始めたことがある(『中川家ん!』(2005年2月1日毎日放送・関西ローカル)に出演した古谷徹談[出典無効])。古谷によると、池田は大の日本酒好きである。お酒を本格的に飲み出したのは18歳ぐらいという[3]。
『ドラゴン・キングダム』の公開に合わせ、ジャッキー・チェンの吹き替えを担当している石丸博也と対談。お互いに長年の思い出と持ち役への思い入れを語り合った。この対談は、上映時のパンフレットに収録されている。
池田が参加した『機動戦士ガンダム』のオーディションは、主人公アムロ・レイの声優を決めるためのものだった。しかし、会場に置かれていた安彦良和のキャラクターデザインを見てシャア・アズナブルを気に入り、シャアの声のオーディションを受け、『ガンダム』への参加が決まった[34]。池田はシャアとの出会いを「僕はシャアから呼び止められた」と語っている[35]。
池田にとってシャアは「弟」と語っている[26]。シャア役のイメージが強いために、いつでも「シャアだ」と言われて嫌だなと思っていた時期があったが、現在ではもういいやと思っているという[26][36]。
『機動戦士SDガンダム』に関しては「昔の劇場版のオマケ的なSD作品はすごく嫌だった」「(パロディ臭の強い作風と、それに対する本編との)ギャップが嫌だった。それを本編のシャアと一緒に上映されてしまうとたまらないなという思いがあった」という[37]。『SDガンダムフォース』は好意的に見ており「あの作品は面白かったな」「作品としてはもうちょっとヒットすると思ってた。そこが惜しかったかな。」と評している[38]。
『機動戦士ガンダム』のシャアとララァ・スンとの独特の距離感、二人の間に流れる艶っぽさを気に入っており、富野監督に「この二人は(恋愛的に)出来てますよね?そんな雰囲気でやってもいいですか?」と質問し、富野はそれに対してニヤッと笑って「結構です」と答えた事から、世の男どもが羨むような雰囲気を出そうと、多少ウィットな感じを入れながら演じたという[39]。また、アムロに勝つために死んだララァに祈る弱さと苛立ちを見せた事について「(演者として)シャアを深く理解するためのキーになりました」と述べている[40]。一方で「ララァ、私を導いてくれ」というセリフや、劇場版でララァの死に涙を流すシャアは当時は好きではなかったとも語っている[41]。
池田は当初、シャアに関しては『機動戦士ガンダム』で完全燃焼し、『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』のラストシーンを「シャアが物語を締めくくるのに、これ以上のシーンはあり得ない」と感じていた事から、以降の作品の斜に構えたシャアには違和感があったと述べている[注 2][42]。『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』におけるシャアの「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えたことか!」というセリフを言うときも、池田は「シャアってこんなに子供だったのか?」と率直に感じたという[43]。池田はこうしたシャアの描かれ方について富野監督の当時の心情が反映されていたのではないかと推察している[44]。『機動戦士Ζガンダム(劇場版)』に関してはテレビシリーズでは納得できなかったシャアの描かれ方が大幅に変えられた事や、ハッピーエンドを迎えた事から気に入っているという[45]。
後年のシャアの描かれ方に不満はあったものの、『Zガンダム(劇場版)』をやって以降、「そういう部分もシャアにはあるのかも知れない」と見方が変わってきたともいい[46]、『逆襲のシャア』を四国の映画館で再上映するイベントのトークショーに備えて同作を見直した際には「シャアはこういう気持ちだったんだ」と新たに気づかされたとも語っている[47]。
CMやゲーム作品、劇場アニメなどでシャアを再演することも多いが、過去の作品を見直すなどして役作りを行う古谷とは対照的に、池田は(役作りの為に)絶対に見ないとしている。真剣に考えるとプレッシャーに飲み込まれそうになるからあえて逃げる、というのがその理由とのこと[48]。ただ池田も全く過去の作品を復習しないわけではなく、『ガンダムエース』[要文献特定詳細情報]誌上での古谷との対談の際に「ファースト(『機動戦士ガンダム』)を見返したら、僕はアムロを子供っぽく演じていた」と述べた古谷に「僕も観る機会があったのだけど、(有名なシャアのセリフどおり)シャアは若造だなと思ったよ」と返している。
2004年、『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』に池田がギルバート・デュランダル役で出演した。池田によると「近年『劇場版Ζガンダム』公開にまで至れたガンダム人気は『SEED』による効果が大きいと考え、若い『SEED』ファンにも過去の作品に興味を持つキッカケになれれば」という思いで同作品への参加を決めたという[49]。
『ガンダム』のパロディ作品である『機動戦士ガンダムさん』のシャア・アズナブルの声はやらないと冗談まじりで語ったことがあるが[要出典]、のちに『ケロケロエース』のCMではシャアの声を担当した。
2010年には、『機動戦士ガンダムUC』にてシャアを思わせる容姿のフル・フロンタルの声を担当した(原作小説の作中にはフロンタルの声がライブラリのシャアの声とまったく同じという台詞がすでに存在していた)。なおアニメ化発表前に製作された小説のプロモーションムービーでは池田がナレーションを担当している。
『名探偵コナン』で担当する赤井秀一は、シャアのオマージュであり「オリジナル」の声が抜擢された形になっている(「赤井秀一」という名前も、赤い彗星のシャアと池田秀一から)。劇場版第20作『純黒の悪夢』の公開を記念した安室透役の古谷徹とのインタビュー形式の対談では、キャラ名の第一印象について「どっかで聞いたことある名前だな」と語っている[50]。なお、安室の名前もアムロ・レイと担当声優の古谷から取られ、赤井のライバル的立ち位置になるなど、青山自身がガンダムファンということもあり、同作には『ガンダム』に関係したオマージュが多く取り入れられている。また、赤井が黒ずくめの組織へ潜入捜査していたころ恋人だった宮野明美の声優は、池田の妻の玉川砂記子が担当している。
『ケロロ軍曹』で演じる西澤梅雄はシャアの台詞を引用している。
『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』で担当した名雲京志郎の台詞の端々に、シャアの台詞が出てくる(「私もよくよく運のない男だ」など)。『トロン』スペシャルコレクションレーザーディスクの監督スティーブン・リズバーガーによるオーディオ・コメンタリでも「私もよくよく運のない男だな」という台詞が残っている(DVDには収録されず)。
『シャドウハーツII』では狼のブランカ役(特殊イベントのみ)を演じており、内容や技もシャアにちなんだものが仕込まれている。
『忍風戦隊ハリケンジャー』で敵組織ジャカンジャの幹部サンダール役を演じた際には、「見せてもらおうか、地球忍者のカラクリの性能とやらを」、「当たらなければどうということはない」など、シャアの台詞を引用している。
『獣拳戦隊ゲキレンジャー』では拳聖バット・リー役を演じている。バット・リーに限らず拳聖は「カンフーアクションスターを動物にもじった名前で、そのスターの吹き替え俳優が声を当てる」という試みになっている。「バット・リー」という名前は、池田が数多く吹き替えを担当しているジェット・リーことリー・リンチェイのパロディである。
2008年3月5日に旗揚げされたワールドビクトリーロードが主催する総合格闘技イベント『戦極-SENGOKU-』にて、煽りVのナレーション、および、選手の呼び込みを担当している。選手の呼び込みの際、「これより、第○試合を行う!」、「吉田秀彦選手、出るぞ」、「瀧本誠選手 出る!!」といったシャア・アズナブルを模したコールが行われた。
『NISSAN あ、安部礼司』ではイケリーマンこと刈谷勇(かりやいさむ)が務める会社の社長である「赤井彗星」を演じている。主人公、安部礼司の妻である「安部(旧姓倉橋)優」のことを「クラハーシア(アルテイシアのパロディ)」と呼ぶ。
池田は、大河ドラマでは『竜馬がゆく』『元禄太平記』『花神』に出演している[51]。『花神』では共演した中村雅俊と尾藤イサオとの撮影後に飲みに行った話、『竜馬がゆく』では高橋英樹や北大路欣也と共演できて光栄だと述べた[51]。また池田自身が気に入っている大河ドラマとして『赤穂浪士』を挙げている[51]。
『花燃ゆ』のナレーションとしての池田の起用が同作の製作発表時に大きく伝えられたことで、周囲から頑張って欲しいとのエールを送られたとしている[51]。また同作に関するインタビューにおいて、シャアとは離れられない存在だと述べている[52]。同作のナレーションについては「シャアの声を聞いて色々思い出してくれると嬉しい」と語った[52]。同作の起用がオファーされた際の池田の率直な感想は「僕でいいのですか?」であった[53] が、語りの選考について同作プロデューサー(制作統括)の土屋勝裕は「激動の幕末の時代を解り易く、同時に高揚した躍動感のある語りで物語をあおってくれる事が出来る人と思いついたのが、池田だった」と語っている[54]。
太字はメインキャラクター。
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