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幕末の長州藩士、尊皇攘夷派の志士 ウィキペディアから
寺島 忠三郎(てらしま ちゅうざぶろう)は、幕末の長州藩士、尊皇攘夷派の志士である。 作間忠三郎などの変名を名乗る。家格は無給通組。
周防国(山口県)に生まれる。藩校明倫館、私塾松下村塾で吉田松陰に師事した。文久2年(1862年)、高杉晋作、久坂玄瑞、大和弥八郎、長嶺内蔵太、志道聞多、松島剛蔵、有吉熊次郎、赤禰幹之丞、山尾庸三、品川弥二郎らと御楯組結成に参加、長州藩家老の長井雅楽暗殺計画にも参加する。
元治元年(1864年)、八月十八日の政変で長州藩が失脚した後に、久坂玄瑞と共に禁門の変で互いに刺し違えて自害して果てた。享年21。
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