茨木市
大阪府の市 ウィキペディアから
大阪府の市 ウィキペディアから
茨木市(いばらきし)は、大阪府の北摂三島地域に位置する市。施行時特例市に指定されている。
大都市である大阪市と京都市の間にあり、大阪市のベッドタウンとしての性格を持つ。市内をJR・阪急・大阪モノレールが通る。1948年(昭和23年)市制施行。
「いばらぎし」と読まれることがあるが、正しい読み方は「いばらきし」であり、連濁しない。
施行時特例市に指定されている。また、中枢中核都市に選定されている。
古くは城下町として栄え、茨木周辺はキリシタン大名である高山右近の旧領であり、禁教後もひそかにキリスト教が茨木北部の山間で伝えられていた。また市内には、大阪府北部で最大、日本で21番目に大きい前方後円墳である太田茶臼山古墳がある。歴史については後述。
1960年前後に日本専売公社や松下電器産業、サッポロビール、東芝などの工場が進出したことや、1970年に吹田市で開催された日本万国博覧会により、茨木駅・茨木市駅周辺の都市開発が急速に進んだ。だが、開催から半世紀が経過し、当時に建設された建物の老朽化が進み、JR茨木駅西口と阪急茨木市駅西口の再開発が計画されている[1][2]。
市の北部は、田や山が広がっており豊かな田園地帯が広がっている。市の南部は、鉄道が通り住宅地が広がり、ビルなどの建物も多い。地理についても後述。
市内の交通は、阪急バス、京阪バス、近鉄バス、JR西日本、阪急、大阪モノレールなどによる公共交通網、名神高速道路、新名神高速道路、近畿自動車道、大阪中央環状線、国道171号線、大阪高槻京都線(産業道路)などの幹線道路網がある。交通については後述。高速道路や幹線道路が発達しているため、企業の倉庫や工場も多く、また大阪市のベッドタウンになっている。
「次なる茨木へ」をブランドメッセージにしており、茨木の漢字の中にある「次」という文字を読み取り、過去・現在・未来をつないでいく「次々とひろがる、はてしない未来」といったイメージが込められている。
ロゴの黄色い斜めのストライプは、地軸と同じ23.4度の傾きになっており、地軸の傾きが日本に四季折々の豊かな彩りを生み出しているように、茨木市もこれから多彩で豊かなシーンを創造していくという想いが込められている[3]。
淀川北岸の大阪府北摂地域に位置しており、北は京都府亀岡市、東は高槻市、南は摂津市、西は吹田市・箕面市・豊能郡豊能町に接している。南北に細長い形で、北部は山がちであり、老之坂山地、北摂山地の一翼をなし、三島地域最高峰で、一等三角点が設置されている石堂ヶ丘(泉原山)が位置するなど、豊かな自然が広がっている。南部には、大阪平野の一部分をなす三島平野が広がっていて市街地もこちら側に集中している。また、千里丘陵の東端が市域にかかっている。
大阪市内でも北部のキタ(梅田界隈)へは15分程度で移動できる。
北から南に安威川(あいがわ)・茨木川・勝尾寺川(かつおうじがわ)が流れる。安威川上流では大阪府により安威川ダムが建設された。
吹田市にある吹田ジャンクション付近に当市の飛地(大字小坪井)がある。ここはかつて「八丁池」と呼ばれる池であり、名神高速道路開発に伴い大半が埋め立てられたが、消失した池の形がそのまま飛地となっている。池は徐々に埋め立てられ、現在は飛地の中にわずかに残すのみである[4]。
茨木市の人口は自然動態、社会動態ともに微増を続けており、2023年(令和5年)4月30日の住民基本台帳人口は、285,240[5]で府内の43市町村中8位である。
2004年(平成16年)にまちびらきされたニュータウンである国際文化公園都市(彩都)では子育て世代が流入し、茨木市域の人口は、9,000人[6]を突破している。
その一方で、市内北部の山間部では高齢化が進み、高齢化率は40%を超えている地域もある。
2015年(平成27年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、5,211人増の280,033人であった。増減率は1.90%であり、府下43市町村中5位、72行政区域中13位。
2020年(令和2年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、7,981人増の288,014人であった。増減率は2.85%であり、府下43市町村中4位、72行政区域中14位。
茨木市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 茨木市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 茨木市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
茨木市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
市名の由来についてはイバラの木が多いことから生じたという説、「味木の里」が鈍ったという説、坂上田村麿が茨を切り取り「荊切りの里」を作ったことによる説などがある[7]。宝亀年間には「荊切」と表記されていたが、正治年間には現状の「茨木」表記が主として用いられるようになっており、その間「苅切」や「茨城」の表記も見られた[8]。
市の南部にある阪急南茨木駅の東側一帯に弥生時代の大規模環濠集落の遺跡である東奈良遺跡がある。
二重の環濠の内部に多数の住居や高床倉庫など大型建物があり、外部には広大な墓域もあった。なかでも銅鐸・銅戈・勾玉などの鋳型が出土した工房跡が発掘されており、ここの鋳型で生産された銅鐸が近畿一円から四国でも発見されている。
この集落が奈良県の唐古・鍵遺跡と並ぶ日本最大級の銅鐸工場、銅製品工場であり、弥生時代の日本の数多くのクニの中でも、銅鐸を各地に配布できるような政治的に重要な位置を占めていたことがうかがえる。[誰によって?]
日本でも有数の古墳群地帯で継体天皇陵と治定され宮内庁管理下の太田茶臼山古墳、1934年(昭和9年)に玉枕を敷き錦をまとった豪族らしき(藤原鎌足という説もある)人骨が発見された阿武山古墳が阿武山山頂にあり古墳時代初期から末期までの各時代の古墳が現存している。
平安時代には、市の北部を東西に走る西国街道(旧・山陽道)の往来が盛んとなり、江戸時代には参勤交代などに利用され、大名などが宿泊した郡山宿本陣(通称「椿の本陣」)が残っている。
室町時代の前半には市の繁栄の基礎となる茨木城が楠木正成によって築かれた。茨木城主時代には城下町として賑わい(城主は中川清秀、片桐且元など)、大坂の陣後、江戸幕府天領となった後も京都と大坂、丹波と大坂間を結ぶ交通の要衝として栄えた。
安土桃山時代、山間部一帯がキリシタン大名・高山右近が治める高槻藩領だったため、江戸時代のキリスト教禁教の時期にも密かにキリスト教を信仰する人が住む「隠れキリシタンの里」が山間に点在していた。教科書で目にする神戸市立博物館蔵の重要文化財「聖フランシスコ・ザビエル像」は、大正年間に千提寺集落の旧家から発見されたものである。
明治に移って1871年(明治4年)7月、廃藩置県によって大阪府の管轄となる。1879年(明治12年)2月10日、郡区町村編制法の大阪府での施行により、島下郡茨木村の梅林寺に島上郡と合同の島上島下郡役所が設置された。郡役所は1896年(明治29年)4月1日の島下郡・島上郡統合による三島郡の発足後は三島郡役所となり、三島地域の行政の中心となった茨木には現在も大阪府三島府民センターが設置されている。
1948年(昭和23年)1月1日、茨木町・三島村・春日村・玉櫛村の1町3村が合併して市制を施行した。
明治時代に北部の福井地区にケシの栽培が発展し、かつては東洋有数のアヘンの大産地であった。
戦後は日本専売公社や松下電器産業、サッポロビール、東芝などの工場が進出したことや大阪市のベッドタウンとして人口が増え続けた。1970年(昭和45年)の日本万国博覧会に伴って、国鉄茨木駅が橋上駅舎に建て替えられ国鉄茨木駅・阪急茨木市駅の両駅前にバスターミナルや再開発ビルが建設されたほか両駅間の市街地を貫く中央通り(高橋通り)が拡幅され万博会場に向かうエキスポロードが開通するなど、急速に市街地の整備が進んだ。
現在はJR茨木駅・阪急茨木市駅の駅近くにマンションが建設され、通勤・通学や買い物に便利な文教都市として住宅購入者の人気が高い。
また、茨木市の山間部を切り開いた茨木サニータウンや、箕面市との境の山間に研究開発や国際交流の拠点を備えたニュータウン「国際文化公園都市」(愛称:彩都)が開発中である。
茨木市内では1945年6月26日、7月9日、7月19日に米軍による空襲・機銃掃射を合計三回受けた。茨木市内では34名が犠牲になった。
6月26日の空襲では、西から茨木に来た1機が煙を噴いていたと言われており、他爆撃作戦中に被弾したか故障のために爆弾を投下できないまま編隊を離れたB29は、機体重量を軽くしなくては帰途の燃料がもたないので、茨木で爆弾を”吐き出した”と考えられている。当時の茨木市内には、軍事施設や基地はない、田園地帯だったが爆弾は集落に向けて投下された。
この空襲により32名が犠牲となった[30]。また戦闘機が、玉島国民学校(現・茨木市立玉島小学校)で機銃掃射を行い、校舎内で児童2人が犠牲になり、5人が重軽傷を負った。7月19日には茨木高等女学校(現・大阪府立春日丘高等学校)に米艦載機グラマンF6FやP51による一斉機銃掃射を受けた。
公式文書によるとこの機銃掃射では人的被害はなかった[31]。
人 | 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
---|---|---|---|---|
1 | 初代 | 高島好隆 | 1948年2月1日 | 1950年12月12日 |
2 | 2 | 中谷光 | 1951年1月28日 | 1955年1月27日 |
3 | 3-4 | 田村英 | 1955年1月28日 | 1963年1月27日 |
4 | 5 | 坂井正男 | 1963年1月28日 | 1965年2月20日 |
5 | 6-7 | 大槻良衛 | 1965年4月11日 | 1971年3月11日 |
6 | 8-9 | 北川安一 | 1971年4月25日 | 1976年3月8日 |
7 | 10-13 | 重冨敏之 | 1976年4月18日 | 1992年4月17日 |
8 | 14-16 | 山本末男 | 1992年4月18日 | 2004年4月17日 |
9 | 17-18 | 野村宣一 | 2004年4月18日 | 2012年4月17日 |
10 | 19 | 木本保平 | 2012年4月18日 | 2016年4月17日 |
11 | 20-22 | 福岡洋一 | 2016年4月18日 |
市域全域が茨木市消防本部の管轄となってる。本署は東中条町2丁目13号。
財政規模は近年では一般会計で900億円後半で推移している。また、いずれの年度も黒字決算であり、財政状況は比較的良い。平成30年度の実質赤字比率は-1.71%、財政力指数は0.969、経常収支比率は94.4であった。
市内全域が茨木警察署の管轄となっている。本署は中穂積1丁目6番38号。
2007年(平成19年)3月5日まで大岩郵便局も集配(特定)局だったが、茨木郵便局に集配業務は集約された。
無集配郵便局
大阪府中央卸売市場をはじめとする北大阪流通センターを擁する北大阪の物資集散地として、その経済的役割を担っている。また内陸工業地の適地として大企業をはじめ、その下請関連企業や各種中小企業の進出により近代的な工業地帯を形成するに至っている。工業製品の出荷額は大阪府下の衛星都市の中でも上位に位置している。近年急激な都市発展にともない、大規模量販店などのめざましい進出が見られるが、複数の大企業の工場移転・撤退が続き、今後税収等の経済影響が問題とされている。
(50音順)
このほか、大阪大学吹田キャンパスが吹田市との境界上にあり、産業科学研究所など一部の施設が茨木市側に存在する。また大阪保健医療大学の彩都スポーツ医科学研究所も茨木市域にある。
(インターナショナルスクール)
茨木市児童福祉課は公立保育所民営化後6年間(民営化時の0歳児が卒園するまで)は保育所運営が円滑に行われるよう「三者協議会」を立ち上げ、茨木市、運営社会福祉法人、保護者の三者による話し合いを行う。
処理場については大阪府が管理している。また茨木市の大半の下水は、茨木市にある中央水みらいセンターで処理しているが、太田や三島など東部地域の下水は高槻市にある高槻水みらいセンターで処理をしている[33]。
最寄りの空港は大阪国際空港(伊丹空港)である。市内から公共交通機関を利用する場合の所要時間は、大阪モノレールを利用して約25分である。
JR茨木駅と阪急茨木市駅が中心駅となっており、両駅が市街地や市役所を挟む形で存在し、主要な交通を成している。
西日本旅客鉄道(JR西日本)
阪急電鉄(阪急)
JR茨木駅前、阪急茨木市駅前より阪急バス・近鉄バス・京阪バスのバス路線が市内を網羅している。
関西国際空港行のリムジンバスがJR茨木駅前・阪急茨木市駅前(ともに東口)より発着している(2024年5月現在、運休中[36])。
なお高槻市営バス萩谷線が阿武山口〜変電所前間で市内を通過するが、停留所はない。
名神高速道路茨木インターチェンジにある「名神茨木バス停」から各地への高速バスに乗車することが可能である。
国道171号や大阪中央環状線、大阪高槻京都線といった幹線道路が市内を走っている。1950年代から、田園都市論(都市計画に基づく工業誘致、生活圏の設定など)に基づき、中央市街地に幹線道路が建設されないような先進的な都市計画がなされている。
高速道路については、隣の吹田市との境界付近に吹田ジャンクションが所在している。また、市域には名神高速道路・近畿自動車道が通過しているほか、近隣には中国自動車道も通過しており、各路線の茨木インターチェンジ・吹田インターチェンジ・中国吹田インターチェンジ・摂津北インターチェンジが市域および近隣に所在している。このほか、市の北部を新名神高速道路が通過しており、茨木千提寺インターチェンジと茨木千提寺パーキングエリアが設置されている。
一般国道については、国道171号が市の中央を横断している。管理は国土交通省大阪国道事務所高槻維持出張所である。
文学
科学
芸術
その他
俳優
歌手・音楽
芸人
その他
野球
サッカー
その他
文化
芸能
スポーツ
その他
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.