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東武バス(とうぶバス)は、東武グループが運営するバス。以下の定義がある。
本社(東武館) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒131-8522 東京都墨田区押上二丁目18番12号 東武鉄道本社内 |
設立 | 2002年(平成14年)1月30日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 9010601028389 |
事業内容 | 運行会社に係る事務の代行、動産および不動産の賃貸借等 |
代表者 | 代表取締役社長 眞島 朗(2024年4月1日就任・3代目) |
資本金 | 1億円 |
売上高 |
24億4522万2000円 (2021年3月期)[1] |
営業利益 |
1億5487万8000円 (2021年3月期)[1] |
経常利益 |
1億6178万7000円 (2021年3月期)[1] |
純利益 |
4億3,217万1,000円 (2024年3月期)[2] |
総資産 |
104億802万7,000円 (2024年3月期)[2] |
主要株主 | 東武鉄道 |
関係する人物 | 根津嘉澄 |
外部リンク | https://www.tobu-bus.com/ |
本項では東武バス株式会社を中心に、これらを総括して詳述する。
東武バス株式会社(とうぶバス、英称:TOBU BUS CO., LTD.)は、東京都北東部、埼玉県南部および西部、千葉県北西部、そして栃木県日光地区に路線を有する東武グループのバス事業者である。
かつて「東武バス」は東武鉄道バス事業本部が運営するバス事業を指す呼称であったが、2002年4月にバス事業本部が分社化され、東武バス株式会社が設立された。東武バス株式会社は統括会社(中間持株会社)として管理業務のみを行い、バスの運行は同社の地域子会社として設立された東武バスセントラル、東武バスウエスト、東武バス日光の3社が担当する。これらの運行会社を合わせた3社で東武バスグループを形成する。
東武バスの歴史は、昭和初期に東武鉄道が2本建ての経営形態によりバス事業を開始したことに始まる。その一つは、1933年10月17日に傍系会社として毛武自動車を設立し東武本社内で創立総会を開催し、群馬県内や太田 - 熊谷間などでのバス事業を同年10月27日に開始した[4]。もう一つは、翌1934年4月1日に東武鉄道本体が埼玉県川越地区において直営の路線バス事業を開始したものである。以後、おおむね東武本線沿線は毛武自動車、東武東上線沿線は直営によってバス路線の拡張が進められることとなるが、関東地方では他の大手私鉄と比べるとバス事業開始の時期が遅かったため、既に沿線には多数の中小バス事業者が乱立しており、事業の拡張は主にそれらの買収・合併により進められた。
毛武自動車は当初、本社を東武本社内、営業所を群馬県太田市にを置き、太田や桐生、埼玉県の熊谷周辺に路線を有していたが、創業から1年が経った1934年には早くも両毛回進社、東毛自動車、毛武遊覧自動車の3社を合併し、事業規模を拡大した。さらに周辺事業者の買収を行い、1935年6月1日には群馬県北部における営業を本格化するため前橋営業所を設置。翌1936年に騎西自動車、野州自動車等を買収し、加須(埼玉県)や栃木、渋川(群馬県)に営業所を新設した(前橋は渋川の出張所となる)。これらの買収により事業区域が毛武地方外にも拡大したことから、1936年9月に社名を東武自動車と改めた[4]。
東武自動車は1937年、奥日光自動車、赤城山自動車、坂東自動車を合併し、利根地方に路線を拡大するとともに沼田営業所を設置した。また同年には、桐生市内線等を運営する桐生市街自動車も合併し、両毛地方の桐生、伊勢崎、館林にも営業所を開設した。
一方、川越地区において開業した東武鉄道の直営バスも、その後徐々に周辺事業者の買収を繰り返し、成増や埼玉県の越生、松山、草加周辺等へと路線網を拡大していた。1939年に東武鉄道の直営バス事業を東武自動車が引き継ぐことでバス事業の一元化が図られることとなり、旧:東武直営バスの車庫は川越営業所、草加営業所となった。さらに同年、傍系会社の京水モーターバス、埼玉自動車、英自動車の3社を合併、それぞれの事業を南千住、熊谷、下館の各営業所を設置して継承した。
日中戦争以降の戦争拡大に伴う物資不足によりバス事業の継続が困難となる中で、鉄道省は交通統制の必要から陸上交通事業調整法を施行し、1941年より地域ごとにバス事業者の統合を命じていった。これに従い、東武自動車は埼玉・群馬・茨城・栃木各県における統合主体となって多数の事業者を買収。さらに太平洋戦争下の1943年に傍系の茨城急行自動車(現存する同名の茨城急行自動車とは異なる)、群馬自動車、上武自動車の3社を合併し、境、中之条、本庄に営業所または出張所を置いて事業を継承した。また1944年には、東武鉄道が総武鉄道(東武野田線の前身)を合併したことにより引き継いだバス事業を東武自動車が譲受し、大宮、野田両営業所を設置した。
都内においては、常磐線東南部の路線が京成電鉄に併合されることになったため、南千住営業所の路線のうち、千住大橋 - 堀切間を同社に譲渡した。さらに1942年に南千住営業所に対して疎開命令が下ったため、これを西新井に移転して西新井営業所とした。また1945年には花畑乗合自動車を合併し、草加 - 北千住間などの路線を継承している。
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第二次世界大戦後の1947年には、東武鉄道が東武自動車および日光軌道を再度合併し、以後2002年に分社化されるまでの東武鉄道のバス事業の基礎が確立された。その後も千葉、埼玉、群馬で路線の拡大を図っていく。また他の事業者の買収やグループ化なども行っており、1958年には阪東自動車を傘下に入れている。
しかし1970年代に入ると、群馬県を始めとする北関東地域での急速なモータリゼーションとそれによる道路渋滞の発生、鉄道網の発達による利便性の向上、山間部における過疎化など、日本全国の各地で見られた問題が影響し、徐々に東武鉄道のバス事業は縮小していくこととなった。
1980年代には輸送人員が1970年前後の約2割程度まで激減(8割減)した結果、特に関東地方北部の栃木県・群馬県および埼玉県北部において、路線の廃止や東武グループの貸切バス事業者への移管が進められていくようになった。この地域は東武鉄道による独占営業地帯であったことと、他に例を見ない急速な路線撤退であったため、その過程において1986年には館林市が全国初の「バスの走らない市」にまで至る事態につながった。
しかしこの急速な路線撤退にもかかわらず、東武鉄道のバス事業は赤字へと転落することとなった。このため1990年以降は、さらなる路線の縮小や東武グループ以外の事業者への移管を推し進めた。2000年以降には従来東京のベッドタウンとして団地線を中心に収益を生み出していた埼玉県南部の地域の路線も移管されはじめた。そうした厳しい状況下で、東武鉄道は経営改善を目指すために社内分社など様々な方策を検討することとなった。
その結果、東武鉄道本体の労働コストのままバス事業を続けていくことは困難であるとして、2001年9月にバス事業の分社化を決定した。バス事業を資産管理会社東武バス、運行会社をエリアごとに東武バスイースト、東武バスセントラル、東武バスウエスト、東武バス日光の4社に地域分社化し、2002年1月30日に各子会社を設立して移管が実施された。だが移管後もつくばエクスプレスの開業などにより大きな影響を受けることとなった。
2020年以降は新型コロナウイルス感染症による乗客減に見舞われ、税負担が軽減される1億円への減資を2021年6月22日の株主総会で決めた(実施は同年9月1日予定)[5]。翌年にも首都圏における緊急事態宣言の発出による外出自粛や企業のリモートワーク推進により乗客減が続く中で[3]、将来的な少子高齢化も見据えたバス事業の安定的継続と収益力強化を図るためとして[3]、東武バスは2021年7月1日付のニュースリリースで、運行エリアの近い東武バスセントラルと東武バスイーストの統合を発表[3][6]。東武バスセントラルを存続会社として東武バスイーストを吸収合併した[3]。これにより東武バスイーストの営業所は東武バスセントラルの営業所となり[3]、東武バスイースト株式会社は消滅した。
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東武バスの運行業務は、東武バスの分社化と同時に設立された地域子会社である東武バスセントラル、東武バスウエスト、東武バス日光の3つの運行会社が地域ごとに担当する。東武バスイーストは2021年10月1日付で東武バスセントラルへ吸収合併され、東武バスイーストの営業所はそのまま東武バスセントラルの営業所となった[3]。
各社の担当地域は以下の通りである。運行路線の詳細は各営業所の記事を参照のこと。営業所名に続く括弧内の英字2字は営業所の略記で、主に高速バス、空港リムジン車、貸切車、深夜急行バスの車両後部に掲出されている。
分社化と同時に、従来の営業所を「営業事務所」、出張所を「営業所」に名称変更したが、これは法令の変更に伴うもので会社組織的には内容の変更はない。また東武バスにおける営業事務所と営業所の違いは、規模やエリアなどではなく会社組織的な都合で区別されているものであり、運行上は営業事務所と傘下となる営業所の間に関係はない。
主に東京都北東部、埼玉県南東部、千葉県北西部を担当する運行会社であり、本社は東京都足立区伊興本町の足立営業事務所内にある。
東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)沿線の住宅路線を主力とし、足立、草加の2営業事務所と5営業所を有する。
さらに2021年10月1日に東武バスイーストを吸収したことにより千葉県内に西柏営業事務所と沼南営業所を有する。旧東武バスイーストの路線の大半が柏駅をターミナルに運行されており、同駅を境に西側を西柏営業事務所が、東側を同営業事務所下の沼南営業所が担当する。管轄地域の路線の基礎は、東武野田線(東武アーバンパークライン)の前身である総武鉄道によって築かれたもので、戦後のベッドタウン化の流れの中で多数の住宅路線が開設された。
日本バス協会傘下の東京バス協会の会員である。東北方面への高速バス路線の運行も担当している。はとバスと共同で東京発の日光方面定期観光バスも運行する。
2021年10月1日付で東武バスイーストを吸収合併し、東武バスイーストの以下の営業所を統合した[3]。
主に埼玉県中南部・南西部を担当する運行会社であり、本社は埼玉県さいたま市北区の大宮営業事務所内にある。日本バス協会傘下の埼玉県バス協会の会員である。
設立にあたり、乗務員の不足から川越営業所森林公園出張所及び坂戸出張所の一部路線を川越観光自動車に、上尾営業所菖蒲出張所及び上尾営業所の一部路線を朝日自動車へ移管した。
東武野田線(東武アーバンパークライン)とJR高崎線沿線を管轄する大宮営業事務所、東武東上線沿線を管轄する川越営業事務所と新座営業事務所、および4つの営業所を有する。埼玉県より国民保護法に基づく指定地方公共機関に指定されている。
栃木県の日光地区を担当する運行会社である。本社は栃木県日光市に所在する。鬼怒川地区の路線は分社化前にグループ会社の東武ダイヤルバス(現:日光交通)へ譲渡されたため、営業所は日光営業所のみである。観光路線を多く担当し、またいろは坂のように急勾配が続く路線が多いことや、冬季の保温性を考慮して観光タイプの車両が主力である。
千葉県北西部を担当する運行会社であり、本社は千葉県柏市の西柏営業事務所内に所在した。日本バス協会傘下の千葉県バス協会の会員であった。設立にあたり、沼南営業所の一部路線を阪東自動車に移管した。
路線の大半が柏駅をターミナルに運行されており、同駅を境に西側を西柏営業事務所が、東側を同営業事務所下の沼南営業所が担当した。管轄地域の路線の基礎は、東武野田線(東武アーバンパークライン)の前身である総武鉄道によって築かれたもので、戦後のベッドタウン化の流れの中で多数の住宅路線が開設された。
前述のとおり、2021年10月1日付で東武バスセントラルへ吸収合併された[3]。
名称は全て最終時のもの。管轄営業所は、組織改正のたびに変更があった出張所も多いため、最終時の管轄のみ掲載。
営業所名 | 最終管轄 | 現在 | 廃止日 |
---|---|---|---|
東京都 | |||
豊島出張所 | 西新井 | 閉所 | 1974年8月20日 |
練馬出張所 | 新座 | 閉所 | 1978年8月31日 |
花畑営業所 | 花畑 | 足立営業事務所と統合により閉所 | 2022年9月30日 |
埼玉県 | |||
志木出張所 | 新座 | 新座営業所へ移転閉所 | 1969年2月28日 |
越生出張所 | 川越 | 坂戸出張所へ移転閉所 | 1977年3月25日 |
羽生出張所 | 加須 | 閉所 | 1981年3月31日 |
鬼石出張所 | 本庄 | 閉所 | 1981年3月31日 |
寄居出張所 | 本庄 | 閉所 | 1981年3月31日 |
児玉出張所 | 本庄 | 閉所 | 1982年9月30日 |
深谷出張所 | 本庄 | 閉所(路線は本庄営業所が運行) | 1989年3月31日 |
小川町出張所 | 熊谷 | 森林公園出張所へ移転閉所 | 1997年3月31日 |
東松山出張所 | 川越 | 森林公園出張所へ移転閉所 | 1997年3月31日 |
幸手出張所 | 加須 | 朝日自動車久喜営業所 | 1999年9月30日 |
本庄出張所 | 熊谷 | 朝日自動車本庄営業所 | 2000年3月31日 |
加須営業所 | - | 朝日自動車加須営業所 | 2000年3月31日 |
行田出張所 | 熊谷 | 閉所(路線は朝日自動車加須営業所が運行) | 2000年9月30日 |
越谷営業所 | - | 朝日自動車越谷営業所 | 2000年9月30日 |
春日部出張所 | 越谷 | 朝日自動車春日部営業所(その後、杉戸営業所へ移転) | 2000年9月30日 |
熊谷営業所 | - | 国際十王交通熊谷営業所 | 2001年3月31日 |
菖蒲出張所 | 上尾 | 朝日自動車菖蒲営業所 | 2002年3月31日 |
森林公園出張所 | 熊谷 | 川越観光自動車森林公園営業所 | 2002年3月31日 |
天沼営業所 | 大宮 | 岩槻営業所と統合により閉所[54] | 2022年3月31日 |
千葉県 | |||
柏営業所 | - | 沼南営業所へ移転閉所 | 1989年3月31日 |
野田出張所 | 西柏 | 茨城急行自動車野田営業所(その後、松伏営業所(埼玉県)へ統合) | 2001年9月30日 |
群馬県 | |||
伊香保出張所 | 渋川 | 閉所 | 1977年6月30日 |
四万出張所 | 中之条 | 閉所 | 1977年6月30日 |
小泉出張所 | 太田 | 閉所 | 1982年3月31日 |
前橋駅出張所 | 伊勢崎 | 閉所 | 1982年3月31日 |
高崎出張所 | 渋川 | 閉所 | 1982年3月31日 |
後閑出張所 | 沼田 | 閉所 | 1982年3月31日 |
猿ヶ京出張所 | 沼田 | 閉所 | 1982年3月31日 |
大間々出張所 | 桐生 | 閉所 | 1984年3月31日 |
横塚出張所 | 沼田 | 閉所 | 1984年3月31日 |
鎌田出張所 | 沼田 | 関越交通鎌田営業所 | 1986年5月10日 |
中之条出張所 | 渋川 | 関越交通吾妻営業所 | 1988年3月31日 |
館林出張所 | 太田 | 閉所(路線は1986年に全廃) | 1991年3月31日 |
伊勢崎出張所 | 前橋 | 閉所(路線は十王自動車が一部運行) | 1994年3月31日 |
水上出張所 | 沼田 | 関越交通水上営業所 | 1994年3月31日 |
桐生出張所 | 太田 | 閉所 | 1996年3月31日 |
渋川出張所 | 前橋 | 関越交通渋川営業所 | 1997年3月31日 |
沼田出張所 | 前橋 | 関越交通沼田営業所 | 1998年3月31日 |
前橋営業所 | - | 閉所(路線は関越交通渋川営業所が一部運行) | 1999年3月31日 |
太田出張所 | 熊谷 | 朝日自動車太田営業所(後に別所在地へ移転) | 1999年9月30日 |
栃木県 | |||
湯元出張所 | 中禅寺 | 閉所 | 1977年6月30日 |
今市出張所 | 鬼怒川 | 閉所 | 1977年6月30日 |
東足利出張所 | 足利 | 閉所 | 1977年6月30日 |
葛生出張所 | 栃木 | 閉所 | 1977年8月31日 |
足尾出張所 | 日光 | 閉所 | 1981年3月31日 |
川治出張所 | 鬼怒川 | 閉所 | 1981年3月31日 |
矢板出張所 | 鬼怒川 | 閉所 | 1983年3月31日 |
小山出張所 | 栃木 | 閉所 | 1985年2月15日 |
中禅寺出張所 | 日光 | 閉所(窓口業務は中禅寺温泉駅として残置) | 1986年5月10日 |
西川田出張所 | 栃木 | 閉所(路線は関東自動車が継承) | 1991年3月31日 |
足利出張所 | 太田 | 閉所 | 1992年3月31日 |
栃木出張所 | 日光 | 閉所 | 1996年3月31日 |
鬼怒川出張所 | 日光 | 日光交通ダイヤル営業所モータープール。事務所はニッポンレンタカーが使用。 | 2000年9月30日 |
茨城県 | |||
水戸出張所 | 下館 | 閉所 | 1977年3月31日 |
結城出張所 | 下館 | 閉所 | 1981年3月31日 |
下妻出張所 | 境 | 閉所 | 1983年3月31日 |
岩井出張所 | 境 | 閉所 | 1985年2月15日 |
古河出張所 | 境 | 茨城急行自動車古河営業所 | 1988年3月31日 |
笠間出張所 | 境 | 閉所 | 1994年3月31日 |
下館出張所 | 境 | 閉所 | 1995年3月31日 |
境出張所 | 越谷 | 朝日自動車境営業所 | 1999年3月31日 |
東武鉄道バス事業本部時代の最盛期は、北関東一帯に広大な路線バス網を形成していたが、同地区ではモータリゼーションが進んだため、慢性的な赤字などの理由によりバス路線が廃止されていった。
なお、東武により廃止された路線でも、地元自治体が廃止代替バスやコミュニティバスとして東武グループ以外の事業者に運行委託し、路線が維持されているものがある。
当初は、群馬県や茨城県、埼玉県北部・中部・東部などを中心に、不採算路線の廃止などを進めた。その後は同地域の残った路線を、以下の現地の東武グループ子会社へ順次譲渡した。その後、譲渡されなかった路線が東武バス各社に分社化・継承された。
譲渡を受けた子会社については以下のとおり。これらの事業者のうち東野交通を除いた10社(現7社)は、東武鉄道主導で、朝日自動車を統括事業者とする朝日自動車グループとしてまとめられている。
東武グループにおけるバス事業者は、前述のバス事業本部を分社化した東武バスグループのほか、営業所・路線を継承した関連子会社による朝日自動車グループから構成される。
ちなみに、2021年10月現在におけるバス事業者は以下のとおりである。なお☆は、東武鉄道バス事業本部の路線や営業所・出張所を継承している事業者である。
なお上記事業者のうち、朝日自動車・川越観光自動車・国際十王交通(熊谷営業所のみ)・茨城急行自動車(古河営業所を除く)・阪東自動車の各社のバスでは、PASMOを東武バスグループ扱い(利用履歴上は東武バス利用となる)で導入した(阪東自動車を除く4社で東武バスグループが発行するバス共通カードを導入していた)。また、東武鉄道が一括で行っている「東武交通広告」のバスメディアの部でも東武バスグループに阪東自動車を除く4社を加えて案内されている[60]。このため、広義の意味で上記5社も東武バスグループに含めて扱われる場合がある。
東武グループから譲渡・独立したバス事業者を記載。これ以外にも朝日自動車グループ内の再編で消滅した企業がある(朝日自動車グループ及び各社の項目を参照)。
東武バスの一日乗車券類としては、下記の乗車券が発売されている。
高速バスは2022年10月現在、東北方面への高速バス2路線と、東武鉄道沿線を発着する羽田空港・成田空港への空港連絡バスや東京スカイツリーと東京ディズニーリゾートを結ぶ高速バスが運行されている。<>内は共同運行会社。
以下の9路線を担当する。なお、いわき号は常磐自動車道経由、あだたら号は東北自動車道経由である。
以下の6路線を担当する。
深夜急行バスは、「ミッドナイトアロー」の愛称で4路線が深夜の帰宅の足として運行されている。いずれも高速型の車両による運転であったが、交通バリアフリー法の適用に伴い、ワンステップバスをベースとしたワンロマ車への置き換えが進んでいる。いずれの路線も平日のみの運行である。
1989年に東武鉄道バス事業本部初の深夜急行バスとなるミッドナイトアロー川越が運行を開始し、翌年にはミッドナイトアロー柏・ミッドナイトアロー春日部が運行を開始した。2002年に分社されるまでの約13年間は、この3路線での運行が続いていた。
なお、新型コロナウイルス感染症の世界的流行に伴い、2020年4月10日より全便を運休している。
東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)およびJR武蔵野線、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス、東武野田線(東武アーバンパークライン)、JR常磐線沿線の3路線を担当する。
東武東上線、東武野田線(東武アーバンパークライン)および埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)沿線の、以下の1路線を担当する。
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東武バスの車両は、3社が各々所有する形ではなく、東武バスが保有・管理し、3社にリースするという形をとっており、車両増減などの事業計画により、東武バスが仲介役となって3社間を転籍させている。転籍に伴う改造工事は朝日自動車グループの朝日カーメンテナンスで行っている。
発注先メーカーは東武鉄道時代からいすゞ自動車と日野自動車がほぼ半々の割合で、両社がバス部門を統合しジェイ・バスを設立した後も基本は変わっていない。一般路線車は、いすゞ車はセントラル・イースト、日野車はウエストへの導入が多い。
いすゞ車は、地元の群馬県に製造ラインがあった富士重工と川重車体工業、日野車はメーカー標準の帝国自工→日野車体工業(現・トランテックス)と富士重工ボディが混在していたが、1985年(昭和60年)にいすゞ車が富士重工、日野車は日野車体にほぼ一本化された後、ノンステップバス導入を機に栃木県へラインを移転したいすゞバス製造製純正ボディの採択が復活した。これは当時、いすゞ車のノンステップバスに7eが選択出来なかった事による処置でもあった。しかし、キュービックでは前面の1枚ガラスを嫌い、中型車のジャーニーK同様の2枚ガラスとした特注仕様を導入し、この特徴的なフロントマスクは「東武面」と呼ばれた。2000年にキュービックからモデルチェンジしたエルガの初期型(KL-LV280L1)ではノンステップバスにも富士重工製が採択できるようになったため、新7E車体を架装した車両を多数導入し、富士重工の撤退までセントラル・イーストの各営業所とウエストの一部営業所に配置した。
都内地区用は前中扉車、他の地区は前後扉車であるが、大宮地区の日野製大型車が3扉車だった。前後扉車と3ドア車の後扉は折戸で、窓が前扉の折戸より窓が小さいのが特徴であった。ワンステップバス導入以降は全地区で前中扉に統一された。
LED式方向幕のメーカーは、基本的に日野自動車製の車両ではオージ製、いすゞ自動車製の車両ではレシップ(旧・三陽電機製作所)製を採用している。なお、いすゞ自動車製の車両でもオージ製を採用している車両や、日野自動車製でもレシップ製を採用している車両もも存在する。
国土交通省の「ノンステップバス導入率が高い事業者ベスト30(全国・導入比率順)」によればノンステップ車の導入比率は2015年はセントラル91.1%(13位)、ウエスト88.1%(16位)、イースト83.5%(19位)[71]。2018年ではセントラル90.9%(14位)、ウエスト88.4%(15位)、イースト84.3%(21位)[72] である。
2020年12月、ウエストが競合の西武バスともども、トヨタ自動車製燃料電池駆動車『SORA』の納車を受けた[73]。
1970年(昭和45年)までは青と革色(バフ)の塗装で、一般路線車と貸切車・長距離路線車では色は同じであるがデザインが異なっていた。運転訓練車の2644号車はこの塗装に復刻されているが、青帯の数が1本少なかったり、前面・後面に「東武」と表記されているなど差異がある。1970年からは、路線車についてはアイボリーと青に変更された。1985年に現行塗装である、東武鉄道の日光線方面優等列車用車両と同じオレンジ・赤に変更された。
塗装上部には「東武バス」と表記されているが、分社化後に導入した車両は譲渡車も含め「東武」と表記されていた。2011年以降に導入された新車は「東武バス」の表記に戻っている。
1970年以降の貸切車・長距離路線車の塗色は白をベースに青・橙・グレーが配されたもので、スーパーハイデッカー車については配色はそのままでデザイン変更が行われた。また1992年からは、車体の社名表記が「TO-B」から「TOBU」に変更された。その後、1994年4月に東武グループ貸切共通色(白をベースに後ろに向かって赤~オレンジのグラデーション)が導入され、ほぼこれに統一されている。
2005年から全車両に、車体側面後部下に小さく「東武バス(各社の名称)」が入るようになった(分社化後の正式な事業者名を表記するため:道路運送法第九十五条)。
高速バス「ONライナー号」では専用の統一カラーを採用していた。その後、他社が自社カラーに変更した後も2008年まで専用カラーが残っていたが、車両代替により消滅している。
2017年10月22日から、1985年までの一般路線車の旧塗装を復刻した車両が、東武バスイースト西柏営業所管内で運行開始された[74]。
9 | 919 |
---|---|
記号 | 固有番号 |
上記の法則により、「9919」は日野車の919号車ということになる。
東武バスで役目を終えた車両は全国の地方事業者に譲渡され、引き続き使用されている。2000年以降に埼玉県を含めた首都圏が「自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法(自動車NOx・PM法)」による排出ガス規制強化地域に指定され、車両のライフサイクルが短くなった(排出ガス規制強化前は20年使用)ことなどから同年以降から増加している。廃車車両の譲渡はグループ外はもちろんのこと、東武グループである朝日自動車グループの会社も含めて、東武グループの外商部や指定入札業者を経由しての譲渡となる。
主な譲渡先は、道南バス・くしろバス・十勝バス・道北バス・ジェイ・アール北海道バス・ジェイアールバス東北・下北交通.[岩手県交通]・日本中央バス・群馬バス・新常磐交通・茨城オート・茨城交通・日立電鉄交通サービス・関東自動車・長電バス・諏訪バス・中鉄バス・JRバス中国・九州産交バス・熊本電気鉄道・熊本都市バス・いわさきバスネットワーク・那覇バス・琉球バス交通・東陽バス・やんばる急行バス・カリー観光・東運輸などである。
また、遠く海外のミャンマー・ヤンゴン(右側にドアを取り付けるなど、右側通行に合わせた改造済み)や、北朝鮮の経済特区・羅先特別市でも、かつての東武バス車両と思わしきバスが走っているのが確認されている。ただし海外での車両については、譲渡先を経由した後にさらなる転売などを経て輸出されたもので、東武グループがミャンマーや北朝鮮の業者と直接取引しているわけではない。
なお、東武グループ内朝日自動車グループへ東武バスから譲渡されるケースは、近年数を減らしている。これは、朝日自動車グループも多くのエリアが排出ガス規制強化地域内にあり、地域内の事業者・営業所が新車を投入し、一定期間経っている車両を地域外である北関東エリアの事業者・営業所へ移管し、古い車両を置き換えて、ここで東武バス同様に廃車・地方事業者へと至る流れが出来ているため。なお、旧東武鉄道バス事業本部から朝日自動車グループへの移管時(詳細は後述)は、大量の東武バス車両も一体的に移管されたが、すでに殆どの車両が廃車となっている。2020年現在、朝日自動車グループで東武バスの中古車両を使用しているのは、国際十王交通伊勢崎営業所でいすゞ・エルガ(KL-LV280L1改)が2台と(東武バスの塗装を社名部分だけ書き換えで運用)、朝日自動車 越谷営業所でいすゞ・エルガ(KL-LV280L1改)富士重工新7Eボディ車 (元 東武バスイースト)。
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