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日本の声優、ナレーター (1962-2024) ウィキペディアから
田中 敦子(たなか あつこ、1962年〈昭和37年〉11月14日[5][9][10] - 2024年〈令和6年〉8月20日[11])は、日本の女性声優、ナレーター[6]。群馬県前橋市出身[4]。マウスプロモーション所属[7]。
たなか あつこ 田中 敦子 | |
---|---|
プロフィール | |
本名 |
佐藤 敦子[1] (旧姓:田中[2]) |
愛称 |
あっちゃん[3] あつを[3] 少佐[3] |
性別 | 女性 |
出身地 | 日本・群馬県前橋市[4] |
生年月日 | 1962年11月14日 |
没年月日 | 2024年8月20日(61歳没) |
血液型 | O型[5] |
職業 | 声優、ナレーター[6] |
事務所 | マウスプロモーション(最終所属)[7] |
配偶者 | あり |
著名な家族 | 田中光(息子)[8] |
公式サイト | 田中 敦子|所属タレント|マウスプロモーション |
公称サイズ(時期不明)[5] | |
身長 / 体重 | 164 cm / 47 kg |
活動 | |
活動期間 | 1980年代 - 2024年 |
デビュー作 | ニュースリポーター(『ENG』)[要出典] |
前橋市立南橘中学校、群馬県立前橋女子高等学校、フェリス女学院大学文学部国文学科卒業[12][13]。
テレビで舞台の中継を見て、芝居に興味をもつ[14]。また、両親の影響で幼いころから演劇や映画をよく見ていたという[14]。
小さい頃は人見知りな性格で、友達との会話や口げんかでは言葉に詰まり言いたいことが言えなくなるなど、思いを上手く伝えられないことにジレンマがあった[15]。そのため、「別の自分になれたら、思っていることが表現できるかな……」と考え、中学時代は演劇部へ所属[14]。高校へ入学後は「言葉はいらないし、肉体だけで表現できる」という魅力から、ダンス部へ所属した[15]。その後、大学在学時も演劇とダンスに熱中したという[15]。
大学卒業後は、それまでの活動を継続するも趣味と割り切り、就職してOLとして勤務する[14][16]。だが次第に、定年までOLとして働くことに「無理だ」と感じ転職を考えるようになり、入社から約6年後に「安定はしていなくても、好きな仕事に就けたなら、やりがいもあるし、一生続けていけるんじゃないか」と、退職して演劇かダンスの道に進むことを決意する[14][15]。
ダンスは、就職後も所属した舞踏団で月に1度のペースでステージへ立っていたが、退職する頃には体の限界を感じると同時に、やりきったという思いもあった。そのため、「まだまだ勉強したいこともあるし、仕事にできるならしてみたい」と演劇の道を選択する。しかし、当時二十代半ばを過ぎていた田中は「(今から舞台活動を始めるのは)ちょっと遅いのかな」という悩みもあったといい、そんな中、同じ群馬県出身のダンス仲間に声優活動をしていた人物がいたことで、声の仕事に興味をもつ[14]。その後、吹き替えの仕事に“一種のひらめき”を感じ、最終的に「ヒロインの吹き替え」を目標に声優になることを決意。その人物に声優業に興味があると話したところ「経験がない人を直接プロダクションに紹介することはできないから、とりあえずどこかで勉強してきた方がいい」と勧められ、東京アナウンスアカデミー(現:東京アナウンス・声優アカデミー)の声優養成コースへ入る[12][14][15]。
同アカデミーは夜間クラスを受けるなどOLの仕事と並行しながら通い、その後は事務所に所属するため、会社終業後の夕方に大手の事務所へ片っ端から電話をかけたものの、キャリアがない田中の話を聞く事務所はなかった。だが、江崎プロダクション(現:マウスプロモーション)へ電話したところ、受けた相手が後に同事務所社長にもなったマネージャーの小野光枝であり、小野は田中の話へ真摯に対応し「でもあなた、会社にも勤めているんでしょう?」「会社との兼ね合いもあるだろうし、両立していくのは大変だと思う。(中略)もう一回自分で考えてみて、そういう自信が本当にあるんだったら、来年の春に養成所のオーディションを受けにいらっしゃい」と回答した。この電話で田中は「こういう人がいる事務所だったら、私、やっていけるかもしれない」と思い、翌春にオーディションを受けて、江崎プロダクションの養成所に入所[14]。6年務めた会社も、両親の反対を押し切る形で退職する[13]。
養成所時代から様々な作品に出演。アカデミー時代の講師だった演出家の小林守夫に才能を見出されており、小林の「主役を目指す人は、最初から主役をやって、そういう経験を重ねていかなくてはいけない」という考えから、ヒロイン役など、田中自身が“分不相応”と思うような役で出演していた。田中はのちに「そんな先生に巡り合えたことは本当に幸運でした」と回想している[13]。
その後、養成所からのオーディションを経て江崎プロダクション(現:マウスプロモーション)に正所属し、死去まで同事務所に所属した[7]。
初の主演作品は、映画『不法侵入』(機内上映版)のマデリーン・ストウの吹き替え[17]。
1993年、『ルパン三世 ルパン暗殺指令』にゲストヒロインで出演。同作により、両親が声優の仕事を認めてくれたという[13]。
1995年に公開された劇場アニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』以降は同シリーズのヒロイン・草薙素子を演じ、代表作の一つとなる[15]。
2024年8月20日、死去[8]。61歳没。訃報は同日に所属事務所の公式サイト、および息子である田中光のXにて発表された。死因は故人の遺意により公表しておらず、光によれば、約1年に及ぶ闘病生活を送りながら声優として活動していたという[8]。
山寺宏一は田中が亡くなる10日前に直接会って話をしており、「最期まで、美しくて、カッコ良くて、優しくて、素敵だったあっちゃん。良く頑張ったね、ありがとう!」と自身のXで追悼した[19]。東日本大震災の復興チャリティーとして「文芸あねもねR」を田中と立ち上げた井上喜久子は、病室で田中と面会しており「とても美しい寝顔でした。どんなに言葉を尽くしても足りないくらい、あっちゃんには感謝の気持ちでいっぱいです」と偲んだ[20][21]。
2024年11月14日から、かつて田中が声優として出演していた前橋市の歴史を紹介する映像コンテンツがあるヒストリア前橋にて追悼展が開催されている(終了時期未定)。名誉館長で追悼展を企画した群馬地域学研究所の代表理事・手島仁は「地元でのお別れ会という意味を込めている。田中さんの『前橋愛』を改めて感じてほしい」と語った[22]。
低めで艶やかな声色が特徴であり、頭の切れるスマートな女性、戦う強い女性役を多く演じている[23]。
愛称は「少佐」[24]。由来は、『攻殻機動隊』シリーズで演じる草薙素子の劇中での通称から。
2人姉妹の姉である[25]。息子は声優の田中光だが、生前は自らその関係を明かすことはなかった[8]。大おじは群馬県知事を務めた村田五郎[26]。
野球観戦が趣味のひとつであり、北海道日本ハムファイターズのファン。ファン仲間の深見梨加、笹本優子と共に札幌ドームへ観戦に赴いたこともある。近年の推し選手は伊藤大海だった[28][29]。
落語に興味があり、立川志ら乃と交流のあった縁で客前で落語を1席披露したことがある[30]。
尊敬する人物には、声優の高島雅羅を挙げている。新人時代に共演した折、その穏やかな人柄と共に、現場における芝居の素晴らしさに魅了され、以後目標とする存在としている[31]。
たびたび共演する声優の古澤融は敷島幼稚園の同級生[32][4]。
声優の川田妙子とピアニストの発知優香と共に、ユニット「Windy's murmur」(ウィンディーズマーマー)を組んでいた。
「アドベンチャーワールド」にて2016年9月18日に生まれた雌のジャイアントパンダ「結浜(ゆいひん)」名付け親の1人である[33]。一般人として応募したものである。また、2018年8月14日に生まれた雌のジャイアントパンダ「彩浜(さいひん)」においても名付け親の1人となった[34]。パンダの名付け予想を定期的に行っているTBSラジオの番組『安住紳一郎の日曜天国』においては「完熟マンゴー」のラジオネームで一般人に混じって電話出演をし、パーソナリティの安住紳一郎に田中だと見抜かれた経験をもつ[35]。
吹き替えでは、ニコール・キッドマンをはじめ、ケイト・ベッキンセールやレイチェル・ワイズ、グウィネス・パルトロー、ジェニファー・ロペス、モニカ・ベルッチなどを多く担当している[23][36][37]。
吹き替えた女優の中で、特に思い入れの強い女優にはニコール・キッドマンを挙げ「とても相性の良さを感じています。演じやすいというか。日本中で彼女のお芝居を一番理解しているのは自分だと自負しています(笑)」と話していた[38]。キッドマン出演作品で好きな作品には『毛皮のエロス』を挙げている[24]。
1995年公開の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』以降、『攻殻機動隊』シリーズでは主人公の草薙素子を演じていた。田中は、声優人生の中で思い出に残っている作品に『攻殻機動隊』を挙げている[13]ほか、共演するバトー役の大塚明夫、トグサ役の山寺宏一とは親交があることをインタビューなどでよく話していた。2023年11月に『攻殻機動隊 SAC_2045 最後の人間』の舞台挨拶へ登壇した際は「(草薙素子は)30年以上声優という仕事をしてきている中でかけがいのない存在ですし、彼女がいなければ今ここにいないと思えるくらい大切なバディです」と語り「ここに立っていられるだけで心から幸せです。皆さん、攻殻機動隊は『最後の人間』で一旦結末を迎えるのかもしれません。でも、どうか忘れないでください。皆さんがネットにアクセスするとき、『攻殻機動隊』にアクセスするとき、私たちは、私は、いつでも皆さんの側にいます。どうか忘れないでください」と涙ぐみながら話した[39]。
太字はメインキャラクター。
発売日 | 商品名 | 歌 | 楽曲 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1997年 | ||||
5月21日 | マッハGoGoGo ソング・コレクション | セシル葉月(田中敦子) | 「ICE & HEAT」 | テレビアニメ『マッハGoGoGo』関連曲 |
2007年 | ||||
4月25日 | Fate/stay night キャラクターイメージソング V:キャスター(GNCA-0046) | キャスター(田中敦子) | 「誘い」 「誘い NUMBER201 Re-mix」 |
テレビアニメ『Fate/stay night』関連曲 |
田中の闘病・死去に伴い、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。
後任 | 役名 | 作品 | 後任の初担当作品 |
---|---|---|---|
井上喜久子 | レイニス・ターガリエン王女 | 『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』 | シーズン2[261] |
小島幸子 | ナレーション | 『魔改造の夜』 | 第9弾 |
本田貴子 | メアリー・世良 | 『名探偵コナン』 | 第1144話[262] |
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