下田市 (しもだし)は、伊豆半島 南部に位置する静岡県 の都市 。明治以前は旧伊豆国 賀茂郡 。
江戸時代 には、江戸 ・大坂 間、あるいは東 ・西廻海運 の風待ち湊として栄え、「伊豆 の下田に長居はおよし、縞の財布が空になる」(下田ぶし1番)と唄われた。東海道 の三島宿 から伊豆半島 中央部を南北に縦断する下田街道 の終点。僧行基 発見とされる蓮台寺温泉 などがあり、総称して下田温泉 と称している。
1854年 (嘉永7年)、日米和親条約 が締結されると、箱館 (北海道 函館市 )とともに開港(下田は即時開港)。吉田松陰 の米渡航失敗、ロシア 使節エフィム・プチャーチン 提督乗船のディアナ号 遭難、米国領事タウンゼント・ハリス と唐人お吉 、商業写真の祖下岡蓮杖 など、数々のエピソードを生んだ。
1928年 (昭和3年)、十一谷義三郎 『唐人お吉 』や川端康成 『伊豆の踊子 』の小説発表などが下田観光の火付け役となり、1933年 (昭和8年)の東京湾汽船(現・東海汽船 )の客船就航、伊豆循環道路東海岸線伊東 - 下田線 の完成により、観光客が多数訪れるようになった。さらに、1961年 (昭和36年)12月の伊豆急行線 (伊東駅 - 伊豆急下田駅間)開業により、観光客が急増。観光業が産業の中心となり、1967年 (昭和42年)には、観光客が500万人を超えた。
その後も、地震や水害などの起きた時期を除いて、毎年、多くの観光客を迎え入れていたが、バブル経済 崩壊後は減少に転じ、平成16年度は、観光客が約332万人と低迷。また、下田船渠 解散、企業の営業所・寮の統廃合や流通業の変化による消費の分散傾向が、下田を初めとする賀茂郡の中心であった市内経済に打撃を与え、海水浴やイベント中心型観光都市からの脱皮を模索している。
2011年 (平成23年)、東日本大震災 に伴う計画停電、鉄道の運休、観光自粛ムードにより、観光客が激減。ホテル、旅館、その他観光関連産業の事業所を中心として、従業員、パート・アルバイトの大量解雇が発生。ハローワーク下田は、空前の人数の求職者、雇用保険手続きの失業者であふれた。観光産業に過度に偏った下田市の弱点があらためて露呈した。
上空から見た下田市街地
上記俯瞰写真範囲の垂直空中写真。 1976年撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス の空中写真を基に作成 。
稲生沢川 下流の沖積地 に中心市街が広がる。市の面積の83%は山林・原野。天城山 系から続く急峻な山々と多くの砂浜や入り江を含んだ約47kmに及ぶ海岸線は、美しい景観をみせる。
また、年平均気温は約17℃と温暖で、降水量も年間1900mm余りと多い。
このような気候と急峻な地形条件により、亜熱帯 系から亜寒帯 系までの幅広い植生を有している。
このため、四季を通して様々な草花や果実が生育し、黒潮 の流れる太平洋 が育む豊富な海産物とあわせて、魅力のひとつとなっている。下田港 9km沖合いの神子元島 は、静岡県 最南端。
蓮台寺、河内、横川、北湯ヶ野などに古くから温泉 がある。
山:下田富士 (192m)、武山(200m)、高根山 (343m)、婆娑羅山 (608m)、松野山 (445m)、相ノ山 (252m)
河川:稲生沢川 (全長20km)、大賀茂川 (全長8km)
海域は大小の湾が入り組んでいる。
南海トラフ巨大地震 が発生した際には、最大15mの津波 が到達することが予想されている。これは静岡県下の市町村で最も高い値(南伊豆町と同値)である[2] 。
下田市と全国の年齢別人口分布(2005年)
下田市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■ 紫色 ― 下田市■ 緑色 ― 日本全国
■ 青色 ― 男性■ 赤色 ― 女性
下田市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 (昭和45年)
30,318人
1975年 (昭和50年)
31,700人
1980年 (昭和55年)
31,007人
1985年 (昭和60年)
30,209人
1990年 (平成2年)
30,081人
1995年 (平成7年)
29,103人
2000年 (平成12年)
27,798人
2005年 (平成17年)
26,557人
2010年 (平成22年)
25,013人
2015年 (平成27年)
22,916人
2020年 (令和2年)
20,183人
総務省 統計局 国勢調査 より
静岡県内の市でもっとも人口が少ない。1971年の市制施行時点で3万900人余り、多いときは1976年に3万2100人強に達したが、以降は減少傾向に転じ、1992年には3万人を割り、2023年4月1日時点で2万人を割り[6] 、現在も人口減少に歯止めがかからない状況が続いている。その間、2017年 4月1日には過疎地域 に指定された[7] 。
歴代首長
下田町長 - 旧六カ町村合併後の下田町の首長 。
さらに見る 代, 氏名 ...
代 氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 鈴木貞雄 1955年 (昭和 30年)4月13日 1962年 (昭和37年)2月26日元・東京農業大学講師。1923年・第1回卓球全日本選手権優勝者[8] 。帰郷後、家業の旅館経営の傍ら下田町議・静岡県議などをつとめる。旧六カ町村合併前の旧・下田町における最後の町長。2期目の途中で辞任。
2 外岡文雄 1962年(昭和37年)4月10日 1964年 (昭和39年)6月1日元・教諭。旧六カ町村合併前の旧・朝日村における最後の村長。1962年(昭和37年)4月6日に無投票にて初当選するも、1期目の途中で辞任。
3 石井基 1964年(昭和39年)7月5日 1970年 (昭和45年)12月31日 2期目の任期満了日(1972年〈昭和47年〉7月4日)を待たず、市制 施行の前日付けで退任したのち、翌1971年(昭和46年)1月1日の市制施行と同時に市長に就任する。
閉じる
下田市長 - 市制 施行後の首長。
さらに見る 代, 氏名 ...
代 氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 石井基 1971年 (昭和46年)1月1日 1976年 (昭和51年)7月4日町長時代と合わせて連続3期を務めたのち、任期満了で退任する。
2 青木義男 1976年(昭和51年)7月5日 1984年 (昭和59年)7月4日下田市消防団長、下田市議会議員を経て、1976年(昭和51年)6月27日初当選。2期を務める。
3 池谷淳 1984年(昭和59年)7月5日 2000年 (平成12年)7月4日下田市議会議員を経て、1984年(昭和59年)7月1日初当選。歴代の市長としてはもっとも長い4期を務める。
4 石井直樹 2000年(平成12年)7月5日 2012年 (平成24年)7月4日2000年(平成12年)6月25日初当選。3期を務める。地元出身。2期目・3期目は無投票当選。
5 楠山俊介 2012年(平成24年)7月5日 2016年 (平成28年)7月4日歯科医の傍らNPO法人で町おこしに尽力。2012年(平成24年)6月24日無投票当選。1期を務める。地元出身。無所属。その後、2023年(令和5年)4月23日執行の下田市議会議員選挙に立候補し、当選。
6 福井祐輔 2016年(平成28年)7月5日 2020年 (令和2年)7月4日元自衛官、防衛大学校教授などを歴任。2016年(平成28年)6月12日当選。先々代の市長・石井直樹が初当選した2000年(平成12年)6月25日以来16年ぶりの選挙戦となり、対抗馬として立候補した当時の現職・楠山俊介を破った。1期を務める。現・土佐清水市 域の出身。無所属。
7 松木正一郎 2020年(令和2年)7月5日 地元出身。建設会社勤務を経て静岡県職員。2020年(令和2年)6月21日、当時の現職・福井祐輔を大差で破り初当選。2024年(令和6年)6月23日、三つ巴の選挙戦を制し再選を果たす。
閉じる
市庁舎
下田市役所東本郷庁舎(旧本庁舎)
1957年(昭和32年)に建造した当時の下田町役場庁舎を市制施行後も引き続き市庁舎として使用していたが、2009年(平成21年)頃から庁舎建て替えの検討が始められ、その後2011年(平成23年)に発生した東日本大震災をきっかけに庁舎の所在地一帯(静岡県下田市東本郷一丁目)が津波浸水想定区域内にあることがクローズアップされたため、市役所自体を安全な箇所へ移転するよう方針転換を余儀なくされた。その後、移転先は紆余曲折をたどった末、2017年(平成29年)に河内にある稲生沢中学校の近傍への移転が決定したが、近くを流れる稲生沢川が洪水を起こした際に最大2.2m浸水するとの想定が出された他、2020年(令和2年)には新型コロナ対策による財源不足と前述の浸水対策への対応等により市役所移転計画が延期とされた。2021年(令和3年)、翌年春に閉校を控えていた稲生沢中学校の校舎の耐震診断を行った結果、建物の健全性が確認されたため、校舎をリノベーションする方針を打ち出し、2024年(令和6年)4月30日より、旧稲生沢中学校の校舎(鉄筋コンクリート4階建て)を改修した市役所新庁舎(河内庁舎)での業務を開始した[1] [9] 。一方、旧本庁舎(東本郷庁舎)には引き続き市民保健課など一部の課が残って業務を行っているが[1] 、河内庁舎敷地内に新築棟(鉄筋コンクリート2階建て)が新たに建設され2026年の完成後に旧本庁舎を引き払い、すべての機能が完全移転することになっている[10] 。なお、完全移転後の旧本庁舎の取り扱いについては、今後、外部の有識者らを委員とする検討委員会を設け、利活用の方向を探るとしている。
地区
稲梓 (いなずさ)地区 - 旧稲梓村
須原(すはら) - 旧須原村(旧茅原野村・旧北野沢村・旧本須郷村・旧新須郷村)
宇土金(うどがね) - 旧宇土金村
箕作(みつくり) - 旧箕作村
荒増(あらぞう) - 旧荒増村
堀之内(ほりのうち) - 旧堀之内村
落合(おちあい) - 旧落合村
北湯ケ野(きたゆがの) - 旧北湯ヶ野村
椎原(しいばら) - 旧椎原村
相玉(あいたま) - 旧相玉村
横川(よこかわ) - 旧横川村
加増野(かぞうの) - 旧加増野村
稲生沢 (いのうざわ)地区 - 旧稲生沢村
河内(こうち) - 旧河内村
立野(たちの) - 旧立野村
蓮台寺(れんだいじ) - 旧蓮台寺村
大沢(おおさわ) - 旧大沢村(旧下大沢村・旧上大沢村)
本郷(ほんごう) - 旧本郷村
高馬(たこうま)
西本郷(にしほんごう)
東本郷(ひがしほんごう)
敷根(しきね)
中(なか) - 旧中村
白浜 (しらはま)地区
浜崎 (はまざき)地区 - 旧浜崎村
柿崎(かきさき) - 旧柿崎村
須崎(すざき) - 旧須崎村
旧下田 地区 - 旧下田町
一丁目 - 六丁目
旧岡方村(きゅうおかがたむら) - 旧岡方村
武ガ浜(たけがはま)-旧下田町、旧柿崎村
外ケ岡(そとがおか)-旧6か町村合併後、埋立で生じた土地
朝日 (あさひ)地区 - 旧朝日村
大賀茂(おおがも) - 旧上大賀茂村、旧下大賀茂村
吉佐美(きさみ) - 旧吉佐美村
田牛(とうじ) - 旧田牛村
沼田市 (群馬県 )
毎年8月に開催される「沼田まつり」の名物・迦葉山弥勒寺 の日本一を誇る大天狗面と、蓮台寺温泉に伝わる天狗伝説との間に縁があり、弥勒寺の大天狗面が下田温泉の祭りに参加したことを機に市民同士の相互交流が生まれ、姉妹都市提携に発展した。1966年(昭和41年)5月7日提携。
萩市 (山口県 )
1854年 、長州藩 (現:萩市 )出身の吉田松陰 がアメリカへの密航を企てて下田に入港中の米艦隊に接近、応対に出た乗組員に乗船させてほしいと懇請したものの拒絶された下田踏海事件などの歴史的な縁による。1975年(昭和55年)10月28日提携。
ニューポート市 (アメリカ合衆国 ロードアイランド州 )
幕末に下田に来航したペリーの出身地。1958年(昭和33年)5月17日、第19回黒船祭における式典の席上で、姉妹都市提携成立を宣言。
1983年(昭和58年)、富山県 砺波市 の呼びかけで花をテーマとしたまちづくりを進める自治体が結集し「フラワー都市交流連絡協議会」が発足。2024年(令和6年)現在、下田市を含む下記の9都市が加盟。各都市間の交流を通じて、観光など各種産業や経済の振興、教育文化の振興など魅力ある地域づくりを図ることを目的とし、諸活動に取り組んでいる。これまでに、交流訪問事業や各都市間の花苗等の交換、交流物産展、東日本大震災被災地へのシンボル花の提供などを行っており[11] 、2018年(平成30年)6月17・18日には下田市を会場にフラワー都市交流連絡協議会総会が開催された[12] 。
中富良野町 (北海道):町のシンボル花 - ラベンダー
砺波市(富山県):市のシンボル花 - チューリップ
下田市(静岡県):市のシンボル花 - スイセン
大野町 (岐阜県):町のシンボル花 - バラ
和泊町 (鹿児島県):町のシンボル花 - エラブユリ
海水浴 、温泉 と自然、海産物 が魅力となっている観光 業関連がほとんどで、金目鯛 に代表される水産業も盛ん。農業は、柑橘類 以外は自家用野菜が多い。工業は、下田船渠解散後、零細な食品製造業が大半である。商業は、大規模小売店舗法 廃止に代表される各種の規制緩和 、道路網の改善や通信販売の発達により、地盤沈下が著しい。
漁業
下田港
白浜漁港
外浦漁港
須崎漁港
吉佐美漁港
田牛漁港
伊豆急下田駅
路線バス
東海バス
下田市自主運行バス(運行委託先:東海バス)
下田市コミュニティバス(運行委託先:伊豆バス)
南伊豆町自主運行バス(運行委託先:東海バス)
道路
市内の中島橋交差点は、国道135号( - 終点・小田原市 )、国道136号( - 終点・三島市 )、国道414号( - 終点・沼津市 )が集まる3国道の起点となっている[13] 。
高速道路
須原IC (予定)、下田北IC (予定)、蓮台寺IC (予定)、敷根IC (予定)、下田IC (予定)
国道
県道
寺社
白浜神社 (伊古奈比咩命神社 ) - 市内白浜。伊豆 最古の神社。県指定文化財。
八幡神社 - 市内一丁目。下田市街地の中心的な神社。毎年8月14日と同15日の2日間にかけて開催される例大祭は「太鼓祭り」の通称で、下田の夏の風物詩として親しまれている。
玉泉寺 - 市内柿崎。日本最初の米国領事館が設けられた。国の史跡。
宝福寺 - 市内一丁目。唐人お吉 の菩提寺 。
了仙寺 - 市内三丁目。下田条約締結の地。5月になると境内に植栽しているアメリカジャスミン(ニオイバンマツリ )が見頃を迎え、境内は紫色の花と香りに包まれる。国の史跡。
長楽寺 - 市内三丁目。日露和親条約が調印された寺。宝物館あり。
開国関連
弥冶川界隈(ペリーロード ) - 市内三丁目。平滑川河口から了仙寺 に至る川沿いの道。下田条約締結のために稲生沢川河口付近に上陸したペリー艦隊一行が、この道を行進して了仙寺へ向かったとされる。かつては花柳街 だった。なまこ壁 や伊豆石造りの民家などがあり、風情あるたたずまいを見せる。
ハリスの小径 - 下田湾の柿崎にある遊歩道。特攻 艇震洋 の格納壕跡がある。
下田開国博物館 - 市内四丁目。開国や下田の民俗を物語る品々を展示。
黒船ミュージアム「Mobs」(モッブス) - 市内三丁目、了仙寺の敷地内。2016年1月1日、了仙寺にて所蔵する開国に関する資料を展示・公開する施設として開館した。
吉田松陰寓寄所 - 市内蓮台寺。下田湾内に停泊する黒船に便乗してアメリカへ密航しようと企てた吉田松陰 が、下田港へ向かう途上で数日間滞在した邸宅。かねてより患っていた皮膚病の湯治のために立ち寄った蓮台寺温泉で懇意となった地元の医師の邸宅であり、滞在当時そのままの姿を今に伝えている。県指定文化財。
安直楼 - 市内三丁目。唐人お吉 が晩年に経営していた小料理屋跡。お吉自身も飲みながら接客していたため、酔った勢いで客と喧嘩することがたびたびあり、悪評が広まって店自体は数年で廃業。その後、建物は別人の手に渡り、所有者が寿司店を開業。下田でも老舗の部類に入る寿司店として100年余り営業してきたが1999年10月1日にて閉店。現在は前述の寿司店経営者の親族が管理しているが、普段は県外に在住しており現地には不在のため、屋内は原則非公開。ただし、お吉の命日である3月27日や5月中旬の「黒船祭 」などにあわせて年に数回、不定期ではあるが、屋内に風を通す目的で開放され、その際に見学もできる。市指定文化財。
温泉
下田温泉
観音温泉(横川)
相玉温泉
河内温泉
蓮台寺温泉
白浜温泉
吉佐美温泉
日帰り温泉
観音プリンシプル(観音温泉)
昭吉の湯
千人風呂 金谷旅館(河内温泉)
クアハウス石橋旅館(蓮台寺温泉)
下田プリンスホテル (白浜温泉)
下田ベイクロシオ
黒船ホテル
昭和湯 - 市内三丁目。賀茂地区唯一の銭湯 。湯は引湯 している。
下田大和館(吉佐美温泉)
リブマックス リゾート伊豆下田(吉佐美温泉)
サーフィン・スキューバ
サーフィン
白浜(大浜)、多々戸浜、入田浜、吉佐美大浜が主要なサーフポイントになっている。
スキューバ
下田港周辺
下田海中水族館
まどが浜海遊公園
遊覧船 黒船サスケハナ - 伊豆クルーズ (加森観光 グループ) 下田港内めぐり。
道の駅開国下田みなと (ベイ・ステージ下田) - 下田の名産や歴史などの魅力が分かる情報館。
下田公園 - 戦国時代に下田城 があった場所。日本で一二を争うアジサイ の名所。循環道路を歩くのも良い。毎年6月に開催される「あじさい祭」の会場。県指定文化財。
下田城 - 下田城址 後北条氏家臣、清水康英 が城主。昭和48年6月12日下田市指定文化財。
下田海中水族館 - 世界初の水中に浮かぶ水族館 。イルカ やアシカ のショーも行われる。
神子元島灯台 - 明治3年竣工。下田港9km沖合いの神子元島 にある、現存する日本最古の洋式灯台 。国の史跡。
その他
旧澤村邸 - 市内三丁目。ペリーロードの一角に建つ邸宅。1915年に建てられ、賀茂地区の政治・経済に多大な足跡を残した澤村久右衛門およびその養子の澤村正三が居住していた。久右衛門は下田船渠 (解散)を創業し、下田信用金庫 の理事長や東海自動車の取締役などをつとめた他、戦前には当時の下田町議会議員や下田町長に加え静岡県議会議員などもつとめた。久右衛門から家督を継いだ正三も下田市議会議長などをつとめた。下田市内の旧家によく見られる「なまこ壁」と伊豆石を用いた蔵がいずれも良好な状態で保存されている。1985年に下田市歴史的建造物の指定を受けた後、2008年に澤村家から下田市へ寄贈。2010年から2011年にかけて耐震改修ならびにリノベーションを実施し、2012年より観光交流拠点として使用されている。入場無料、水曜日定休日(水曜日が祝日と重なる場合は翌日が定休日)。なお、母屋2階は地元芸者衆の稽古場として使用されているため、立ち入りおよび見学は1階部分のみ。
下田城 - 隕石などを展示した美術館を併設(休業中)(※上述の下田城とはまったく無関係の娯楽施設)。
鬼射(おびしゃ)祭 - 2月11日
お吉祭り - 3月27日
黒船祭 - 5月中旬(第3金~日)
あじさい祭 - 6月
白浜海の祭典 - 7月下旬
マリンフェスタ下田 ・国際カジキ釣り大会 - 7月下旬
下田八幡神社 例大祭(太鼓祭り) - 8月14日-15日
ビッグシャワー 海洋浴の祭典 - 9月上旬
手筒花火 - 10月上旬
さんま寿司まつり - 10月-12月
白浜神社 例大祭 - 10月28日 - 30日
伊豆大特産市 - 11月初旬
水仙まつり - 12月下旬 - 1月末
中根東里 (1694-1765):陽明学者。
平井平次郎 (1774-1843):江戸時代の下田町会所書役・町年寄。20年の歳月を費やし、天保14年(1843年)に完成した「下田年中行事」87巻は、江戸時代の下田の基本史料。
松本雲松 (1796-1873):下田市・河津町・南伊豆町・松崎町を中心に多くの仏像・仏画・絵画作品を残した伊豆を代表する仏師・絵師。
篠田雲鳳 (1810-1883):江戸後期から明治初期、江戸で名をはせた女性儒学者、教育者、詩人。書も能くした奇才で、絶世の美女だったという。
下岡蓮杖 (1823-1914):日本商業写真の祖。
小川清助 (1832-1880):第一回内国勧業博覧会で褒章を受章した名石工。
中村岳陵 (1890-1969):日本画家。昭和37年(1962年)、下田町名誉町民。
浦辺粂子 (1902-1989):日活 映画で最初の主演女優、戦後は老婆役で人気。晩年はバラエティー番組にも頻繁に出演していた。
加藤虎之助 (1903-1934):医師。大阪府 吹田市 にあった「三島無産者診療所 」初代所長。「あのころひとりの医師がいた」柏木みどり 著
上原小枝 (1909-1996):元大正製薬 名誉会長。自身の郷里・下田市宇土金に上原美術館 を設立した。
和泉覚 (1912-2005): 創価学会 理事長(第4代)、参議院議員 。
大久保婦久子 (1919-2000):皮革工芸家。平成12年(2000年)、下田市名誉市民。
浦岡敬一 (1930-2008):映画編集者。小林正樹 監督の「人間の條件」など、多くの映画の編集を手がけた。日本映画・テレビ編集協会初代理事長。
平野ますみ (1931- ):詩人、児童文学者。著書「もんぺはすてき」。
稲葉國光 (1934- ):ジャズ・ベーシスト。1968-1970年、 菊地雅章=日野皓正クインテットに参加。1979年7月、山本剛トリオでモントルージャズ・フエステイバルに出演。2011年1月24日、 リーダーアルバム「BSSIN'(ベイスィン)」リリース。2020年度日本ジャズ大賞受賞。
栗原はるみ (1947- ):料理研究家。著書「ごちそうさまが、聞きたくて」がベストセラー。
嶋津武仁 (1949- ):作曲家、福島大学教授。ベルリン国際作曲コンクール 3位入選。
秀男 (1949- ):大相撲の元呼出 。呼出の中でもっとも階級が高い「立呼出 」をつとめた。
松本路子 (1950- ):写真家。『Portraits 女性アーティストの肖像』など、ポートレイトで著名。
鈴木由美子 (1960- ):漫画家。『白鳥麗子でございます! 』で講談社漫画賞 少女部門を受賞。
鈴木みそ (1963- ):漫画家。フリーライターからデビュー。代表作に『限界集落温泉(ギリギリおんせん) 』など多数。
御法川修 (1972- ):映画監督。映画 『世界はときどき美しい』 (第19回 東京国際映画祭 公式出品)
鈴木將義 (1976- ):文化人。マルチメディアクリエイター・デジタルメディア評論家。元サクラゲート 取締役。
ぷろたん (1989- ):YouTuber。ボディビルダー。タレント。実業家。
テレビドラマ
必殺仕事人ワイド 大老殺し 下田港の殺し技珍プレー好プレー:1987年、朝日放送
南伊豆またも豪雨禍 『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月10日朝刊、13版、23面
行政
* 公式ウェブサイト
* 下田市 (city.shimoda) - Facebook
観光
* 下田市観光協会
* ウィキトラベル には、 下田市 に関する旅行ガイドがあります。