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『幕末のスパシーボ』(ばくまつのスパシーボ)は、1997年9月20日に公開されたアニメーション映画。文部省選定・外務省推薦映画。キャッチコピーは、「心に国境はない……少年は、すこし大人になった」。
幕末における日露の外交交渉と、日本人・ロシア人の友好を描いた作品。日本・ロシア協会理事長だった斉藤斗志二衆議院議員の指揮の下で製作された。斉藤は製作総指揮を務めた他に、製作費の提供や声優出演も行っている。また、斉藤の父である斉藤了英も製作費を提供している[1]。
本作公開から2カ月後に行われたクラスノヤルスク会談において、橋本龍太郎総理大臣からボリス・エリツィン大統領に対し、「日露友好の証」として本作のVHSが進呈された[2][3]。
幕末。ペリー率いるアメリカ艦隊の来航によって、200年余り続いた日本の鎖国は終わりを迎えた。そこに、プチャーチン率いるロシア軍艦「ディアナ号」が来航し、アメリカに続き日本との国交樹立を要求してきた。対応に苦慮した江戸幕府は、外国通の川路聖謨を全権代表に任じ、プチャーチンとの交渉に当たらせた。両者は伊豆・下田において会談したが、互いに譲歩することはなく議論は平行線を辿った。
日露交渉が始まって数日後、伊豆をマグニチュード8,4の大地震「安政東海地震」が襲った。プチャーチンらロシア人は危険を顧みず、津波に流される日本人たちの救助を行ったが、その代償として「ディアナ号」は航行に支障が出る程の被害を受けてしまった。安全な場所での修理を求めるプチャーチンに対し、川路は戸田村での修理を許可した。しかし、「ディアナ号」は嵐に遭遇し座礁してしまう。この時、宮嶋村の村民たちは、ロシア人との接触を禁じた幕府の命令に背き、沈没する「ディアナ号」から多くのロシア人を救出した。
川路は沈没した「ディアナ号」に代わり、新たに洋式帆船を建造することに決め、戸田村の大工・緒明嘉吉に建造を依頼する。嘉吉たちはロシア人たちと共に帆船造りをすることになり、日本人とロシア人との交流が始まった。初めはぎこちなかった両者も次第に心を通わせ、菊三郎ら子供たちもロシア人たちとの交流を楽しむようになっていた。
やがて、日本が初めて手掛けた本格的洋式帆船が完成し、戸田村の人々とロシア人たちの別れの時が来た。プチャーチンは、自分たちのために尽くしてくれた戸田村の人々に感謝と敬意を込めて、船の名前を「ヘダ号」と命名した。
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