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『唐人お吉』(とうじんおきち)は、1928年(昭和3年)に発表された十一谷義三郎による日本の小説であり、同作を原作とし、1930年(昭和5年)に日活太秦撮影所が製作し、溝口健二が監督した日本のサイレント映画である。同作は、同撮影所が日活京都撮影所と改称したのちの1937年(昭和12年)に、池田富保を監督に『唐人お吉 黒船情話』のタイトルでリメイクしている。リメイク作品も含めて本項で詳述する。
唐人お吉 | ||
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著者 | 十一谷義三郎 | |
発行日 | 1929年 | |
発行元 | 万里閣書房 | |
ジャンル | 小説 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
ページ数 | 333p | |
公式サイト | opac.ndl.go.jp | |
ウィキポータル 文学 | ||
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実在する人物・斎藤きちに取材し、1927年(昭和2年)に村松春水が発表した『実話唐人お吉』の版権を買い取った新感覚派の小説家・十一谷義三郎が、翌1928年(昭和3年)に『中央公論』に掲載したのが初出であり、引き続き1929年(昭和4年)から1930年(昭和5年)にかけて東京朝日新聞に連載した。1929年に万里閣書房から上梓した単行本は『中央公論』版であり、本作のほかに、村松春水による『唐人お吉を語る』、十一谷の『くろふね耳袋』も収録されている[1]。本作は新聞連載開始の翌年に映画化された。十一谷は本作によって国民文芸賞を受賞した[2]。
話題の小説を最初に映画化したのは、1930年(昭和5年)、京都の日活太秦撮影所で、十一谷の原作を畑本秋一が脚色、溝口健二が監督した。しかし同タイトルの映画『唐人お吉』を東京の河合映画製作社(のちの大都映画)が早撮りし、しかも村松春水の『実話唐人お吉』を原作として八尋不二が脚色、村越章二郎が監督し、溝口版よりも1か月早い同年6月6日に公開している[3]。日活京都撮影所(日活太秦撮影所を改称)は、1937年(昭和12年)、溝口版をトーキーリメイク、十一谷の原作を滝川紅葉が脚色、池田富保が監督して、同年6月17日に公開した。
十一谷原作以外にも、上記の村越版も含めて「唐人お吉」をテーマとした映画作品は、合計7作存在する。
溝口健二の『唐人お吉』、池田富保の『唐人お吉 黒船情話』は、いずれも東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[4]、いずれもマツダ映画社の「主な所蔵リスト」には掲載されていない[5]。溝口健二の『唐人お吉』に関しては「4分」のフィルム断片が現存しており、同じ溝口の監督作でほぼオリジナルに近い形で現存する『折鶴お千』(1935年)とのカップリングでDVDに収録され、デジタル・ミームがTalking Silentsの第2集として、2007年(平成19年)10月24日にリリースしている[6]。
小説『唐人お吉』は、2020年4月現在、すべて絶版である。青空文庫には収録されていない[7]が、国立国会図書館の「国立国会図書館デジタルコレクション」に収録されており、閲覧・ダウンロードが可能である[8][9]。
『唐人お吉』(とうじんおきち)は、1930年(昭和5年)製作・公開、日活太秦撮影所製作、日活配給による日本のサイレント映画、女性映画である。本篇の大部分は散逸しているが、「4分」のフィルム断片が現存する[6]。
『唐人お吉 黒船情話』(とうじんおきち くろふねじょうわ)は、1937年(昭和12年)製作・公開、日活京都撮影所製作、日活配給による日本の長篇劇映画、女性映画である。本作のフィルムは散逸しており、現在観賞することができない。
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