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三島由紀夫の短編小説 ウィキペディアから
『月澹荘綺譚』(げったんそうきたん)は、三島由紀夫の短編小説。三島がいくつか書いた怪談系統の作品の中の一つとしてみなされることもある[1]。伊豆半島の岬にかつてあった月澹荘という別荘をめぐる40年前の奇怪な物語。夏の岬の自然を背景に、「見つめる目と愛の不能」、「意識と行為の絶対的な溝」という主題を描いている[2]。
1965年(昭和40年)、雑誌『文藝春秋』1月号に掲載された[3][4]。単行本は同年7月30日に新潮社より刊行の『三熊野詣』に収録された[5][4]。文庫版としては、1978年(昭和53年)11月27日に刊行の新潮文庫の『岬にての物語』に収録された[5][4]。その後2000年(平成12年)、鳥影社の雑誌『季刊文科』11月号にも再掲載された[6]。
三島由紀夫は本作が収録された『三熊野詣』のあとがきで次のように述べている[7]。
私は自分の疲労を、無力感と、酸え腐れた心情のデカダンスと、そのすべてをこの四篇(三熊野詣、月澹荘綺譚、孔雀、朝の純愛)にこめた。四篇とも、いづれも過去と現在が先鋭に対立せしめられてをり、過去は輝き、現在は死灰に化してゐる。(中略)
しかし自分の哲学を裏切つて、妙な作品群が生れてしまふのも、作家といふ仕事のふしぎである。自作ながら、私はこれらの作品に、いひしれぬ不吉なものを感じる。ずいぶん自分のことを棚に上げた言ひ方であるが、私にかういふ作品群を書かせたのは、時代精神のどんな微妙な部分であるのか? ミーディアムはしばしば自分に憑いた神の顔を知らないのである。 — 三島由紀夫「あとがき」(『三熊野詣』)[7]
また、この「あとがき」を書いた同時期に三島は、〈私は「目」だけの人間になるのは、死んでもいやだ。それは化物になることだと思ふ。それでも私が、生来、視覚型の人間であることは、自ら認めざるをえない〉と述べ、『月澹荘綺譚』の登場人物のような「視覚型の人間」への嫌悪を示している[8]。
去年の夏、「私」は伊豆半島南端の下田に滞在中、城山の岬をめぐり、かつて明治の元勲・大澤照久侯爵が建てた「月澹荘」という名の別荘にまつわる40年前の話を一人の老人から聞いた。その老人・勝造は、漁師の父が別荘番をしていた関係で、大澤照久侯爵の嫡男・照茂と幼友達であった。照茂は侯爵が亡くなると家督を継ぎ、大正13年(1924年)に20歳で結婚した。その夏、新婚夫婦は月澹荘を訪れたが、翌年の秋に別荘は火事で焼失した。無人の別荘の出火の原因は不明だった。それを機に夫人は別荘の土地を下田へ寄附する旨の手紙を勝造に送った。その手紙の送り主が主人の照茂でなかったのは、その年すでに照茂はこの世にいなかったからだった。
新婚の照茂夫人は、初めて月澹荘を訪れたとき、庭で誰かの視線を常に感じていた。照茂が死んだ翌年、夫人は一人で月澹荘を訪れ、夫がなぜあんなふうに死んだのか、何か秘密の事情を隠しているらしい勝造に問うた。勝造は2年前の出来事を語りだした。
それは照茂が結婚する前年、照茂が19歳、勝造が18歳の夏だった。城山を散策中、二人は白痴の娘・君江が赤いグミの実を摘んでいるのを見かけた。照茂は君江の腰をじっと見つめ出し、勝造に君江を強姦するように命令した。殿様の言うことに忠実で従うことしかできなかった勝造は、しゃにむに目的を遂げようと君江を襲った。その間、照茂はじっと冷酷な感情のない澄んだ目で、泣いて咽ぶ君江の顔を至近距離で水棲動物の生態を観察するかのように見ていた。君江はその視線から逃れようと必死だった。勝造の秘密の告白を聞いた夫人は、なぜ君江が勝造でなく照茂を憎んだのか納得した。そして結婚以来一度も夫婦の契りがなかったこと、夫はただじっとすみずみまで熱心に見るだけだったことを勝造に告げた。
照茂は夫人と月澹荘を訪れた夏、岬近くの茜島という小島へスケッチに行ったまま、崖で死んでいたのだった。頭を砕かれ海へずり落ちそうになっていた。勝造はそれを一目見て、君江が殺したのだとすぐ解った。照茂の両眼はえぐられ、そのうつろには夏グミの実がきっしり詰め込んであった。
『月澹荘綺譚』に対する論評はあまりないが、同時代評は賛否が分かれている。
否定的なものとしては、山本健吉が、三島が『月澹荘綺譚』で「古典的な事件のロマネスク」を目指したことを、「今日の小説界」にとって「一種の解毒剤的な効果」があるとしつつも、照茂の死の原因が「性的倒錯によるという種明かし」は、三島が「奇」を力んで見せただけで、照茂の話が「〈綺譚〉の名」に価するとは思えないとし、「〈綺譚〉の背後に人生が皆無である」と評している[9]。江藤淳は『月澹荘綺譚』を含めた前後の作品に、「個人的な事情を超えた」戦後の終焉、「日本浪曼派的な思考の復活」の影響からの、三島の「岐路」「転機」を看取し[10]、「三島氏は、今や正説と化しつつある思想を、逆説を語るために練磨した芸によって語らなければならない」として、「三島氏はあるいは行為者となることに一方の活路を求めようとしているのかも知れない」と鋭い指摘をしながらも、「そうだとすれば、ここに描かれた行為は、行為というより行為に関する儀式にすぎない」と評している[10]。
その一方、磯田光一は、「輝かしい過去の喚起によって現在の空白を埋めようとする作者の心」は、ボードレールの「強靭な現実呪詛の心」と比類するものと高評し、「どれほど頽廃的に見えようと、これを充足した人間劇と呼ばずして何と呼ぼう」と述べている[11]。
渡辺広士は、『月澹荘綺譚』について、「見つめる目と愛の不能、言い換えると意識と行為の絶対的な溝というテーマの、グロテスクで美しいフィクションである」と評している[2]。
柳沢善治は、『月澹荘綺譚』の「水路」の描写が、『絹と明察』の終結部の「水」の描写や、『天人五衰』の「波」の描写に酷似していることに着目しながら、『月澹荘綺譚』の照茂と君江との関係と、『天人五衰』の安永透と絹江との関係の類似性を探り、『月澹荘綺譚』を『天人五衰』のエスキースと捉えている[12]。また、「見る人」としての照茂の人物造型とその死を、『豊饒の海』などの「覗き」や「認識」のモチーフとの比較から探る必要性や、〈月澹荘綺譚〉が焼けたのが〈四十年前〉という、三島の当時の年齢と符合することの考慮を提起している[4]。
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