Loading AI tools
国政に対して功績があった者をさす用語 ウィキペディアから
元勲(げんくん)とは、歴史上の王政復古(朝権回復)に対して大きな功績があった者をさす用語[1]で、現在に至るまでに古代の大化改新、中世の建武新政、近代の明治維新の三度の革新があったが、近代日本においては特に明治維新によって政界に影響力を持った有力政治家を指すことが多い[2]。
維新(王政復古)を実現し、明治政府の樹立・安定に寄与した一群の人物たちは特に「元勲」と呼ばれた。「元勲」の語は、1882年(明治15年)、板垣退助が岐阜において、暴漢に刺された時(岐阜事件)、明治天皇が「板垣は国家の元勲なり、捨て置くべきにあらず[3]」と述べられたのを起源とする。
この板垣退助の岐阜遭難事件が新聞各社で報道された結果、「国家の功労者」として漠然と認識されていた人物たちに「元勲」という用語が定着していった。1885年(明治18年)のころからマスコミ等において用いられ、当初は、板垣退助、大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允、三条実美など初期の最有力者を指していた[4]。その後、伊藤博文などの後の世代も元勲という呼び名で呼ばれるようになったが、当初は「元老」と混用されて用いられていた。やがて制度としての元老が浸透すると、元勲はもっぱら戊辰戦争で実際に戦った維新の功労者であった実力者達に対して用いられるようになった。
内閣制度発足後には伊藤博文、山縣有朋、黒田清隆、そして維新の折には大きな影響力を持たなかった松方正義、桂太郎も、元勲優遇の詔勅を受けている。
各出身内での順番は生年順(ただし、島津氏・毛利氏は各出身内で最後に配置)
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.