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格子模様の一種で、二色の四角形を交互に配した模様 ウィキペディアから
市松模様(いちまつもよう)とは、格子模様の一種で、二色の四角形(正方形または長方形)を交互に配した模様のことをいう[1]。
この名称は、江戸時代中期の上方歌舞伎役者、佐野川市松(さのがわいちまつ)が舞台衣装の袴に愛用していた文様を、同時代の女性がこぞって小袖に取り入れたことから広まったといわれる[2]。
市松登場以前は、石を敷き詰めた形に似ていることから、石畳文と呼ばれていた。この石畳文には、正方形を45度傾けてつなぎ合わせた文様や、二重の入れ子状に重ねた文様もある。さらに時代を遡ると、平安時代には「霰(あられ)」という名称で、有職文様(ゆうそくもんよう)として公家の装束や調度品に用いられていた。[2]
このように市松文は、時代によって呼び方が異なってはいるが、文様自体は非常に古くから存在し、さまざまな工芸品に用いられていたことがわかる。[2]
桂離宮の茶室、松琴亭(しょうきんてい)は、全体的に素朴な造りとなっているが、青と白による大胆な市松門の襖が使われている。[2]
市松模様は、古墳時代の埴輪の服装(例、埼玉県鴻巣市・生出塚埴輪窯跡出土の貴人埴輪。当項目の重要文化財指定の写真ギャラリーで確認可)、法隆寺や正倉院の染織品にも見られ、古代より織模様として存在していた[3]。公家の有職故実では「石畳」「霰(あられ)」などと称されていた[4]。そのため、家紋や名物裂など江戸時代以前から存在するものは石畳文様と呼ばれる。
江戸時代の歌舞伎役者、初代佐野川市松が江戸の中村座で上演された『心中万年草』(高野山心中)で小姓・粂之助に扮した際、白色と紺色の正方形を交互に配した袴を履いたことから人気を博した。市松はその後もこの模様を愛用して、浮世絵師の奥村政信、鳥居清重、石川豊信らがその姿を描いたことから着物の柄として流行した。市松の愛用した模様は当初は古くからの慣わしに従って石畳と称された[1][5]が、後に「市松模様」「市松格子」「元禄模様」などと呼ばれるようになった。
英語では主に「チェッカー盤柄」を意味する語で呼ばれる。
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