日本の俳優 (1952-) ウィキペディアから
三浦 友和(みうら ともかず、1952年〈昭和27年〉1月28日[1] - )は、日本の俳優。山梨県塩山市(現:甲州市)出身[2]。小学校中学年から東京都在住。テアトル・ド・ポッシュ所属。
父親は日下部警察署塩山分庁舎の警察官(巡査)をしていたが、母の実家の神金で生まれた[3]。小学3年生で東京に来るまで大菩薩峠の麓を6回引っ越した[3]。覚えているのは三歳で移った大藤村と次の東雲の駐在所だけという[3]。
引っ越し続きが子どもの教育によくないと考えた父は[2]、甲州市立東雲小学校3年生の3学期のとき、山梨県警察を退職し、一家で東京へ転居を決める[2][4]。バス会社の国際興業に転職し[2]、一家は新宿区の社員寮に移る[4]。これに伴い新宿区立津久戸小学校に転校した[2]。中学に入る頃立川市に引っ越す[4]。忌野清志郎とは東京都立日野高等学校の同級生で毎朝、多摩動物公園行きのバスで一緒になっていたことがきっかけで初期RCサクセションのメンバーたちとも親しい関係にあった。別高校に進学していたRCサクセションメンバーが日野高校に集まって教室でライブを行っているのを初めて見て、アコギとベースだけ、マイクなしでこんな迫力あるのかと驚く[5]。この頃、忌野が言った「才能のない奴は大学へ行け!」という言葉に衝撃を受け、自分も音楽で食べていけるんじゃないかと勘違いしてしまい、大学に進学する人が多い高校に在籍しているのにもかかわらず大学を受験せず、人生が変わってしまったと語っている[5]。(忌野やバンドのマネージャーから)「音楽の才能がないなら他のことやったら?」と言われたことをきっかけに自身の姉が演技に興味を持っていたことから、何気なく「俳優の養成所とか紹介してもらえますか?」と言ったところ「間接的に今の事務所を紹介してくれて俳優の道に進みました」と述べている[6][7]。また元RCサクセションのメンバー破廉ケンチとは福生市で同居生活をしていた。 高校卒業後、西蒲田の日本電子工学院に進むが一年で中退[2]。デパートの配達員、工場や倉庫の荷物運びなど肉体労働を続ける[2]。
20歳の春、TBS『シークレット部隊』で芸能界デビューする[8]。芸名の「友和」は、先輩の宇津井健が同ドラマプロデューサーの野添和子(現・大映テレビ顧問)の名前の「和」の字を取って命名したものである。宇津井健が友を大切にし、友と和を持つという意味で命名した[9]。長髪と汚れた服というイメージの当時の若者とは正反対の「こんな奴はいないだろう」(本人談)というような七三分けの真面目なガードマン役だった。このとき忌野に「七三分け?お前なんかもう友達じゃないよ」と言われるが、それでも忌野はドラマを見て、たった一言だけの三浦のセリフを何度も真似た[5]。
1970年代には二枚目の俳優として10代を中心に絶大な人気を誇った。特に1970年代後半、山口百恵と共演した主演映画・ドラマが次々とヒットし、「百恵友和コンビ=ゴールデンコンビ」と呼ばれ、一世を風靡した。山口との共演映画は、すべて東宝配給ながらもホリプロ製作で撮影所、スタッフなどは日活系で固められているが、山口と離れて主演した映画は東宝撮影所でのものがほとんどで、専属契約こそ交わしていないものの、事実上、最後の東宝男優である。
1980年に山口百恵と結婚し[10]、その後は映画・舞台で着実に役柄の幅を広げ、歴代平均視聴率No.1となったNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』にて、伊達政宗の片腕で武骨な武将・伊達成実を演じたり、アルコール飲料や紳士服店のCMでコミカルな演技を見せるなど、硬軟いずれもこなせる俳優としての位置を確立した。
1984年の出目昌伸監督による東映映画『天国の駅 HEAVEN STATION』や1985年に公開された相米慎二監督による映画『台風クラブ』では、優等生であったり真面目な役柄が多かった三浦がそれまでのイメージを180度転換させるような芝居をしたことから演技の幅の広さを印象づけ、役者としての評価をさらに高めている[11]。
50代になってからは映画での活躍が顕著であり、日本アカデミー賞、ブルーリボン賞などの数々の映画賞の助演男優賞を獲得した。
妻は元歌手、女優の山口百恵(1980年11月19日結婚)、長男はシンガーソングライター、俳優の三浦祐太朗。長男の妻(義娘)は声優・歌手・女優・ピアニストの牧野由依。次男は俳優の三浦貴大。姉のひろ子もかつて牧陽子、三浦弘子の芸名で歌手・タレントとして活動しており、夫(義兄)はラリードライバーの篠塚建次郎。甥は俳優・タレントの絲木建太。姉の弘子が経営する清里のペンション『LaVERDURA(ラベル デューラ)』の立ち上げに尽力し、現在も、定期的に家族で静養に出かけている。2022年3月、祐太朗夫妻に子ができ、祖父となった[15]。
☆は山口百恵共演作品
オリジナルメンバーは三浦友和(Vo,G)、山本伸吾(G)、沢田勝美[注釈 1](G)、北原利夫(B)、浅見小四郎(Dr)、金森隆[注釈 2](Key)の5名。後にドラムが富岡義広に交代した。
1975年度
1985年度
1988年度
1991年度
1999年度
2005年度
2007年度
2009年度
2011年度
2016年度
2022年度
2022年度
2023年度
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