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神奈川県の市 ウィキペディアから
小田原市(おだわらし)は、神奈川県の西部に位置する市。施行時特例市に指定されている。[1]
おだわらし 小田原市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 神奈川県 | ||||
市町村コード | 14206-9 | ||||
法人番号 | 1000020142069 | ||||
面積 |
113.60km2 | ||||
総人口 |
185,926人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 1,637人/km2 | ||||
隣接自治体 | 南足柄市、中郡二宮町、足柄上郡大井町、開成町、中井町、足柄下郡箱根町、真鶴町、湯河原町 | ||||
市の木 | クロマツ | ||||
市の花 | ウメ | ||||
他のシンボル |
市の鳥:コアジサシ 市の魚:メダカ、アジ | ||||
小田原市役所 | |||||
市長 | 加藤憲一 | ||||
所在地 |
〒250-8555 神奈川県小田原市荻窪300番地 北緯35度15分53秒 東経139度09分08秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | (市域が令和3年1月1日より113.60km²に変更) | ||||
ウィキプロジェクト |
人口は約19万人。
関東地方の南西端に位置し、戦国時代には後北条氏の城下町として栄えた。また、北条早雲から北条氏直まで北条五代の隆盛を影で支えたという風魔忍者の里である。江戸時代には小田原藩の城下町、東海道小田原宿の宿場町として盛えた。箱根峠より東側の宿場町として、現在も箱根観光の拠点都市である。1876年(明治9年)4月17日までは、現在の神奈川県西部と静岡県伊豆半島を範囲とする足柄県の県庁所在地でもあった。西湘地域の中心的な都市である。
小田原提灯とかまぼこ、梅、オシツケ等の特産地として全国的に有名である。最近では小田原バーガーや小田原どん、かまぼこドッグ、スミヤキ、オリーブを販売している。
バブル期には東京のベッドタウン化したとも言われたが、バブル崩壊後の長期不況や都心回帰による遠距離通勤の減少などもあって、人口動態が減少に転じた。一時は20万人を超えた人口も20万を割り込み、新幹線通勤定期代に対する補助制度を設けるなど人口確保のための政策を実施している(ただし、2008年(平成20年)3月31日までに転入した対象者をもって新規受付は終了)。また駅周辺の再開発、および郊外での住宅、都市開発も少しずつ進んでいる。
『多様性を持つ小田原は、癒しや元気といった、人間本来の持つ生きるチカラを与えてくれて、強くしてくれるまち』であるというブランディングアイディアをもとに、「小田原のチカラ」というブランドロゴを使用している。[2]
神奈川県のほぼ南西端に位置し、酒匂川の流れる足柄平野を中心に、東は大磯丘陵の南西端である曽我丘陵と呼ばれる丘陵に、西は箱根山の外輪山となっている。南は相模湾に面し、遠浅の海に小漁港が点在している。
相模トラフ巨大地震の震源域直上に位置していることや、その分岐断層である国府津−松田断層などの活断層が分布していること、歴史上小田原周辺を震源とする被害地震が発生していることなどから、地震対策に力が入れられている。
気候は太平洋側気候の地域で、四季を通じて温暖である。
小田原市(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 20.1 (68.2) |
26.1 (79) |
27.4 (81.3) |
29.7 (85.5) |
32.3 (90.1) |
38.0 (100.4) |
37.9 (100.2) |
38.0 (100.4) |
35.9 (96.6) |
32.8 (91) |
28.1 (82.6) |
26.0 (78.8) |
38.0 (100.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 10.6 (51.1) |
11.3 (52.3) |
14.1 (57.4) |
18.9 (66) |
22.8 (73) |
25.2 (77.4) |
29.0 (84.2) |
30.6 (87.1) |
27.2 (81) |
22.2 (72) |
17.4 (63.3) |
13.0 (55.4) |
20.2 (68.4) |
日平均気温 °C (°F) | 5.3 (41.5) |
6.1 (43) |
9.2 (48.6) |
14.0 (57.2) |
18.2 (64.8) |
21.3 (70.3) |
25.2 (77.4) |
26.4 (79.5) |
23.0 (73.4) |
17.8 (64) |
12.6 (54.7) |
7.8 (46) |
15.6 (60.1) |
平均最低気温 °C (°F) | 0.6 (33.1) |
1.3 (34.3) |
4.4 (39.9) |
9.2 (48.6) |
13.8 (56.8) |
18.0 (64.4) |
22.0 (71.6) |
23.0 (73.4) |
19.6 (67.3) |
14.1 (57.4) |
8.3 (46.9) |
3.1 (37.6) |
11.4 (52.5) |
最低気温記録 °C (°F) | −5.7 (21.7) |
−8 (18) |
−4.4 (24.1) |
−0.4 (31.3) |
4.8 (40.6) |
11.1 (52) |
14.1 (57.4) |
16.0 (60.8) |
10.4 (50.7) |
4.2 (39.6) |
−0.4 (31.3) |
−3.8 (25.2) |
−8 (18) |
降水量 mm (inch) | 83.7 (3.295) |
89.5 (3.524) |
175.6 (6.913) |
181.7 (7.154) |
182.2 (7.173) |
219.3 (8.634) |
216.0 (8.504) |
167.2 (6.583) |
248.7 (9.791) |
238.7 (9.398) |
119.5 (4.705) |
74.7 (2.941) |
1,996.5 (78.602) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 6.0 | 6.6 | 11.1 | 10.3 | 10.6 | 12.8 | 11.9 | 9.2 | 12.0 | 10.9 | 8.0 | 6.3 | 115.7 |
平均月間日照時間 | 179.9 | 159.5 | 161.2 | 176.9 | 182.2 | 130.5 | 163.2 | 201.8 | 138.3 | 131.0 | 149.4 | 171.0 | 1,945 |
出典1:気象庁 | |||||||||||||
出典2:観測史上1〜10位の値(年間を通じての値) |
先史時代の小田原の中里遺跡は、縄文人と渡来人が共存共栄した数少ない遺跡(地域)として知られ、人口比率は縄文人が多かったと考えられているが、他の地域と違い、点々と存在した渡来人のみの小規模の集落ではなく、縄文人と共存した大集落であった。また、縄文文化と渡来文化の境界の東端であったとも考えられ、日本の文化人類学や考古学において貴重な資料を提供している。
古代の相模国足下郡(あしがらのしものこおり)の地である。古名を「こゆるぎ」といい、「小由留木」「淘陵」などの字が宛てられた。「小田原」という地名は、「小由留木」の草書体を読み間違えたものという説がある。市内千代にあった千代廃寺は相模国国府とも足柄下郡郡衙の所在地といわれる。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、平将門を討伐したことで有名な藤原秀郷の子孫・佐伯経範が長元3年(1030年)頃に秦野に移り住んで波多野氏を名乗った。後に支流として、松田氏・渋沢氏・河村氏・栢山氏・大友氏・沼田氏などが出て、相模西北部にその一族の勢力を伸ばす。現在の秦野市内、足柄上郡松田町・山北町、南足柄市、小田原市の一部。波多野城は一族の居館である。波多野城のあった田原の、その支城として「小田原」が設置されたと言う説もある。
平安時代の末期治承4年(1180年)に、蛭ヶ小島(伊豆国)で挙兵した源頼朝と平家方の大庭景親らとの、石橋山の戦いが行われた。
戦国時代には伊勢平氏流を称する北条早雲が小田原城を奪取し、その子孫である後北条氏は小田原城を中心に関東一円に台頭し、鎌倉府足利氏、関東管領上杉氏、常陸国守護佐竹氏、下野国国司宇都宮氏、その他関東八屋形に列せられた諸氏による当時の関東の統治体制を転覆した。なお、下野国守護小山氏は後北条氏により滅亡に追い込まれた。北条氏が治めた城下町は戦国時代で最も大きく発展したといわれる[3]。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐による後北条氏の滅亡と徳川家康の江戸入府によって、小田原は歴史の表舞台から姿を消す。家康が関東を治めるようになった後は、部下の大久保氏が小田原に入った。
また後北条氏が滅亡するまで、関東一円の被差別民を支配し、皮革業に独占的な権益を持つなど勢力を誇った小田原太郎左衛門の本拠地があった。後北条氏が発給した判物が現存している。
江戸時代には東国の要衝として、譜代大名を領主とする小田原藩が置かれ、小田原はその城下町となった。貞享3年(1686年)以降は代々大久保氏の城下町となった。城下町・小田原は東海道の沿線であり、小田原宿は箱根の山越えを控えた宿場として東海道五十三次中最大の規模を誇った。又、小田原郊外の栢山(かやま)は、農政家・二宮尊徳の生地として有名である。
2000年頃、人口は20万人を超えていたが、その後は減少傾向となった。2021年の人口は約18万9000人。
小田原市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 小田原市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 小田原市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
小田原市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
氏名 | 会派名 |
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小澤良央(おざわ よしなか) | 自由民主党神奈川県議会議員団 |
佐々木奈保美(ささき なおみ) | 立憲民主党神奈川県議会議員団 |
太字は行政上用いられる大まかなブロック分け[10][11]、【】内は自治会連合会の名称[12]。
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小田原漁港(早川港)を代表とする漁港では、オシツケやスミヤキ、ナガスミヤキなどの小田原独特の食文化を代表する魚をはじめ、さまざまな魚が水揚げされることにより水産加工品の製造も盛んである。ことにかまぼこは小田原の特産品として各地に販路を広げている。
小田原市漁業協同組合では、神奈川県水産技術センターが技術確立したキャベツウニの養殖に取り組んでいる[13]。2020年は約1,000個を出荷した[13]。
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地元に本店を置く百貨店、志澤が県内、藤沢、本厚木、平塚などに店を構えていたが、西武百貨店の傘下になり、その後、低迷を続け、現在では全面的に撤退をしている。小田原駅近くの志澤ビルのあった場所には万葉の湯(万葉倶楽部)が建てられている。なお、西武百貨店自体は、2013年3月1日に旧ロビンソン百貨店の業態転換により久々に小田原市に存在することになった。
また、小田原駅前には丸井と箱根登山デパート(1980年に箱根登山ベルジュに業態転換)が出店していたが、前者は2000年代前半に撤退し、後者は2013年(平成25年)3月31日に閉店した。
その他、各地区の公民館[11]。
出典:[14]
古くより、交通の要衝として栄え、現在でも小田原駅は数多くの路線が乗り入れるターミナル駅である。80km離れた東京へは、新幹線・在来線・私鉄路線で結ばれている。なお、小田原市鴨宮は東海道新幹線の開業前に実験線(鴨宮モデル線区、現在は新幹線の路線の一部となっている)が建設された、新幹線発祥の地である。一方道路は近年整備が進んだものの、地理的に箱根や伊豆方面から、東京や横浜に向かう交通が市内で輻輳するため、行楽シーズンの休日は市内の各道路で大渋滞が発生することがある。なお、港町でありながら水上交通は盛んでない。
1956年(昭和31年)までは、路面電車として箱根登山鉄道(現:小田急箱根)の小田原市内線も存在した。また1896年(明治29年) - 1922年(大正11年)には、人車鉄道・軽便鉄道の豆相人車鉄道→熱海鉄道も熱海へ向かう路線を小田原を起点にして保有していた。
以上2社は、小田原市内に、営業所を持つ。
小田原市は、湘南ナンバー(神奈川運輸支局)を割り当てられている。
湘南ナンバー割り当て地域
小田原市はテレビ・劇場用映画やテレビCMなどの撮影ロケーションの誘致活動を行っている。フィルム・コミッションと呼ばれるこの活動の一環として、市民の希望者をエキストラに登録し、随時出演を要請している。SeishoCinemaFes、小田原映画祭が開催され、ショートフィルムコンテストが行われる。フィルム・コミッション事業(西さがみ連邦共和国フィルム・コミッション)の実績は年々増加していたが、2020年現在、西さがみ連邦共和国フィルム・コミッションは解散している。[18]
ただしSeishoCinemaFesを主催するSeishoCinemaClubが自主映画のロケ協力をおこなっているため、自主映画の撮影などは行われている。
また、農業・漁業・工業・商業といった産業が多岐にわたっているため、社会科の教育番組の舞台となったり教科書で取り上げられたりすることが多い。
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