料理研究家(りょうりけんきゅうか)とは、調理法を研究し料理の提案をする者のことである。料理教室を運営したり、料理本(レシピ集など)を執筆したり、テレビやラジオや動画配信サイトで料理番組などに出演して料理を紹介することがある。
日本料理、フランス料理、中華料理、イタリア料理などの分野がある。動画配信サイトで、時短料理やダイエット料理などの実践的な調理法を配信する者もいる。プロの料理人が経験を重ねることにより料理研究家になったり、料理教室の経営、調理師養成施設の教員など出身はさまざまである。
アイルランド
- 20世紀
- セオドーラ・フィッツギボン - 元俳優・モデルの経歴をもつ料理研究家。ベストセラーとなった"The Taste of"のシリーズ(1968年 - 1980年)や百科事典的な大著The Food of the Western World(1976年)などの料理本を著す。1930-40年代パリの芸術界や1940-50年代ロンドンの芸術・文学界に知己が多く、とりわけディラン・トマス夫妻と親しかった。
イギリス
- 18世紀
- ハナー・グラス ‐ イギリスでベストセラーとなる料理本「The Art of Cookery made Plain and Easy」を執筆した。
- 20世紀
- ローズ・グレイ ‐ 料理本執筆やテレビ番組出演多数のほか、自らが創業・経営したイタリア料理店リバー・カフェにおいて、ジェイミー・オリヴァーを含む有名シェフたちに強い影響を与えた。
- 21世紀
- ジェイミー・オリヴァー ‐ 1998年にテレビ番組『裸のシェフ』で注目されて以降、テレビ番組出演や料理本執筆に数多く携わる。学校給食改善などの食育改革にも積極的に関わる。
フランス
- 17世紀
- フランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌ(英語版) - 1651年に『フランスの料理人』を出版し、それまで秘伝とされてきた宮廷料理の料理法を公開した。その後、多くの料理人が秘伝のレシピを公開するようになり、料理本の執筆を生業とする職業が成立した[2]。
- 18世紀
- 19世紀
- 20世紀
- モーリス・エドモン・サイヤン(フランス語版) - 通称「キュルノンスキー」。美食家であり料理歴史研究家でもあった。『美食のフランス』など多くの著書を出版し、フランス料理の地位向上に努めた[4]。1907年からミシュランの顧問として旅先での美食を紹介する記事を執筆、旅行グルメガイドの先鞭をつけた。
日本
日本においては特別な資格はなく、また免許取得や公的機関への申請の必要もないため、いつでも誰でも料理研究家を自称することができる。ここではよく知られた人物を挙げる。
- 18世紀
- 曽谷学川 - 1782年(天明2年)に醒狂道人何必醇(せいきょうどうじんかひつじゅん)の筆名で『豆腐百珍』を著し、豆腐の様々な料理法を紹介した。後の料理百珍ものの嚆矢となった。
- 19世紀
- 浅野高造
- 千馬源吾
- 赤堀峯吉 - 1882年(明治15年)に日本最初の料理学校である赤堀割烹教場(2013年現在の赤堀栄養専門学校)を創設するとともに多くの料理書を著した。1892年(明治25年)9月に治包会を創立し調理実習教育の普及に努めた。
- 石井治兵衛 - 四条流庖丁道の包丁人であり、江戸幕府諸藩料理師範、宮内省大膳職包丁師範を勤める。1898年(明治31年)に著した『日本料理法大全』において日本書紀以来の日本料理の沿革や料理流派を紹介した。
- 20世紀前半
- 村井弦斎・村井多嘉子 - 小説家の弦斎と料理研究家の多嘉子による夫婦。ベストセラーとなった料理小説『食道楽』で日本中に美食ブームを起こした。多嘉子は明治時代のレシピ本の代表格である『弦齋夫人の料理談』でも著名。
- 奥村繁次郎 - 焼芋屋を営むかたわら本草学を学び、1905年(明治38年)に『家庭和洋料理法』、1906年に『名物諸国料理』、『衛生料理豆腐百珍』、1919年(大正8年)に『家庭実用漬物の仕方』など多くの料理書を残した。
- 宇多繁野 - 家庭の主婦であったが夫と死別した後に料理学校で学び料理研究家となる。1924年(大正13年)に『宇多式和洋家庭料理法』を編纂し、かつお出汁の代わりとしての煮干し出汁の普及に貢献した。
- 20世紀後半以降