千代田区
東京都の特別区 ウィキペディアから
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千代田区(ちよだく)は、東京都の区部中央部に位置する特別区。東京都の都心部にあたり、内閣総理大臣官邸、国会議事堂、最高裁判所や各中央省庁などの日本の首都機能が集中している[注釈 1]。また、丸の内をはじめとした日本最大のオフィス街には大企業や金融機関が集積し[注釈 2]、日本の経済の中心を担っている。
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東京23区の中央部に位置する[2][3]。東京都35区制を22区制へ整理統合する過程で、1947年3月15日、旧麹町区と旧神田区の合併により誕生した[4]。区名は江戸城の別名である「千代田城」に由来する[5]。区域は江戸城の外濠の内側部分とほぼ一致しており、外郭を含めた城址にあたる場所(城下町)である[3]。かつての江戸城跡である区の中央部には皇居(所在地:千代田区千代田1番1号)が立地している。
中央区・港区とともに「東京都心」、「都心3区」とされる[6]。永田町や霞が関を中心にさまざまな首都機能が集積し、日本の政治・行政・司法の中心地である。また、日本屈指のオフィス街である丸の内や大手町は東京の中心業務地区(CBD)の1つとして機能しており、3大メガバンク(都市銀行)の本店や我が国を代表する大企業の本社が多数集積し、日本の金融・経済の中核を担っている。丸の内の東部に所在する東京駅は日本の中央駅として多数の新幹線・在来線の起点となっている。一方で区の大半をオフィス街や官庁街が占めるため、銀座や3大副都心(新宿・渋谷・池袋)などの巨大商業地と比較すると、区内に大規模な繁華街・歓楽街は存在しない。また、かつてのドーナツ化現象の影響で住宅地の割合も少ないため、周辺の区と比較しても人口密度が低いが、近年の都心回帰のトレンドで人口は増加傾向にある[7]。
区全体の約15%を皇居の緑地が占める。西部は武蔵野台地の東端にあたる麹町台や駿河台といった台地で、東部は沖積平野である。現在の大手町から内幸町にかけてのエリアはかつては日比谷入江と呼ばれる入江であり、江戸時代に埋め立てられた。北部に神田川が東に向かって流れ、日本橋川が三崎橋付近から分かれて流れている[3]。
現在の区域の大半を占め、区北東部の旧神田区を除く地域に相当する。大手町、丸の内、有楽町、内幸町、日比谷公園、霞が関、永田町、紀尾井町、麹町、九段北・九段南などといった街が含まれ、日本の政治・経済の中枢を担う街が皇居を取り囲んでいる。江戸時代から町人が住まう下町地域であった旧神田区に対して、大名屋敷(武家屋敷)などが多くを占める。江戸城以西は主に台地(武蔵野台地)で構成されているため高台であり[7]、いわゆる「山の手」と呼ばれる地域を含む。江戸時代から政治の中心地であり、明治維新後に武家屋敷は永田町や霞ヶ関などの政府機関の用地に転用された。
明治以降、国会・首相官邸・中央省庁・最高裁判所などの三権をはじめとする日本の首都機能、主要政党の本部など国家権力の中枢が千代田区に集中し、当地は日本の立法・行政・司法の中心である。区内の永田町、霞が関といった地名は国会議員や官僚の代名詞である。1991年に新宿区西新宿の新宿副都心(新都心)に移転するまで、東京都庁舎は同区丸の内に所在していた(都庁所在地としての表記は現地移転後も東京)。皇居西側を中心とした麹町・番町地区は都心屈指の高級住宅街として知られている。また、皇居北側の北の丸公園には日本武道館が所在している。
1891年に丸の内が三菱財閥に払い下げられて、政府機関などに隣接することからオフィス街が建設された。政府との間での人脈構築や情報の収集しやすさから当地区に大手企業の本社が多数立地するようになり、経済面でも中心的な機能を果たすようになった[3]。このため丸の内には三菱グループ(旧三菱財閥)の各社の本社が多数集積しており、その歴史的経緯から丸の内は「三菱村」とも呼ばれる(グループの御三家と呼ばれる三菱UFJ銀行・三菱商事・三菱重工業の本社は全て丸の内に位置している)。その結果、丸の内や大手町、日比谷(有楽町・内幸町)等の東京駅界隈のビジネスセンターは、3大メガバンク(都市銀行)の本店や全国紙の新聞社をはじめ、大手製造業や大手総合商社などの巨大企業の本社機能が集中しているほか、経団連や農協などの経済団体の本部も集結している日本経済の中心的地区である。
現在の区域の北東部に位置する地域である。主に沖積平野や江戸時代初期の埋め立て地などで構成され、かつての「下町エリア」である。同じく江戸の町人が多く住む下町エリアであった旧日本橋区(現在の中央区北部)と同様に、地名の多くに「神田」の名前が残る。
神田地区は、江戸時代から幕府御用の儒学者が集まった昌平校があり、民間の学者も多く住んで私塾が多数あった学問の盛んな地であったが、近代以降も私立大学や予備校などが多数立地する文教地区となっており、このため文京区にも跨る御茶ノ水界隈は日本最大の学生街を形成している[3]。こうした伝統の影響もあり、神田の中央部にある神保町には世界最大級の古書店街である神田古書店街が形成され、神田神保町や隣接する一ツ橋地区には小学館や集英社などの出版社も集積している[3]。江戸時代の神田川の付け替えで分離され、江戸城の川を挟む形となった神田の北部は外神田と呼ばれるようになった[3]。江戸時代に火災の延焼を防ぐため、約9,000坪の広場が作られて遠江の秋葉神社が勧請されたことから、この地区は秋葉原と呼ばれるようになり、第二次世界大戦に露店商(闇市)が集積し、そこから電気部品を扱う店舗が集まる「秋葉原電気街」が発達した[3]。現在、秋葉原は電気街としての側面も持ちつつ、世界的に有名な「オタクの街」「サブカルチャーの街」として発展し、世界中から多くの観光客を呼び寄せている。
明治以前は武蔵国、豊島郡であり、江戸時代前期までの「江戸」は、現在の千代田区周辺を指していた。現在の皇居(千代田区千代田1番1号)がある場所に江戸城が置かれ徳川幕府の本拠地として政治の中心になり[3]、江戸城の周辺には武家屋敷(大名屋敷)などの江戸の城下町が整備された。明治維新後も新政府が大名屋敷跡に官庁街を開設して首都機能を置くなど「東京」の中心地としており[8]、日本の政治の中心が引き続き置かれることになった[3]。古来より荒川や利根川(現在の古利根川、下流は隅田川がかつての水路)、多摩川の河口部に近く、日比谷入江があったことから、海と川を利用した水運の根拠地となり、関東地方における流通の中心地としての機能を果たしていたといわれている「江戸湊」も当地区にあった。江戸時代には、掘割沿いに河岸と呼ばれる流通基地が整備され、現在の中央通りにあたる「通町筋」には「伊勢屋」の屋号を名乗る伊勢商人などの上方の商業資本が多く進出しており、問屋機能の集積が進んだ[3]。
千代田区と全国の年齢別人口分布(2005年) | 千代田区の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 千代田区
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
千代田区(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
明治維新後に徳川将軍家が駿府(現在の静岡市)に転封になった際には、当区の北西部に居住していた旗本・御家人が大量に失業状態になって屋敷を引き払ったことなどが影響して人口が激減し、区北西部の旗本屋敷街は一気に無人状態に陥ることになった[3]。旗本屋敷跡のうち、神田地区には一般市民などが移り住む、学校が開設されるなどの形で民間の市街地となり[3]、番町地区や麹町地区には明治政府の官僚などが移り住んだことから高級住宅街となっていった[8]。こうした新たな住民の流入により人口がいったん回復し、1919年の第1回国勢調査では約22万人となっていた[3]。
しかし、関東大震災で大きな被害を受け、復興の過程で郊外の鉄道沿線に住宅街が発達したことから住民が流出し、再び人口が減少することになった[3]。
第二次世界大戦時には統制で通常の書籍の出版がほとんど行われなくなり、丸の内などのオフィス街も統制機関や軍需機関などによって接収されるなどしたため、民間の活動はほぼ壊滅状態となったうえ、空襲で区内の民家の大半が焼失したことから、旧神田区が2万1,506人、旧麹町区が1万435人の合わせて3万1,941人まで人口が減少した[3]。
一番町から六番町を総称して「番町」と呼ばれる千鳥ヶ淵に隣接する皇居の西側の地区は、セブン&アイホールディングスやそのグループ会社(セブンイレブンジャパン、イトーヨーカ堂、そごう・西武など)の本社や大使館などが立地しているオフィス街であると同時に、高級住宅街にもなっている[9]。
当地は先述の通り明治以降に官庁街とオフィス街、文教地区が形成されたことから、大正期にすでに夜間人口と昼間人口の差が大きくなっていた[3]。この傾向は第二次世界大戦後に一段と加速し、昼間人口が約15倍から約20倍に上るといわれるようになった[3]。
1980年代以降は住民の比較的多かった神田地区は、バブル景気も相まって不動産業者が用地買収を盛んに行って再開発し、高層ビルなどを建設したことから、一部で高層の住宅も併設されたものの人口が急速に減少し、この傾向がより強まっていった[10]。
しかし、先述のような再開発や地価高騰にともなう大都市の中心市街地における人口減少が典型的に進んでおり[10]、夜間人口は約5万8000人で23区で最も少ないが、昼間人口は約15倍の約85万人にまで膨れ上がる。こうした夜間人口の少なさから、夜間人口を面積で割って算出される人口密度は、2015年10月1日現在でほかの22区がすべて10,000人/平方キロメートル (km2)を超える中、当区のみ約5,000人/km2と低くなっている(昼間人口で計算すれば、70,000人/km2を超える過密状態となる)。
2005年に夜間人口(居住者)は4万1683人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は85万3382人で、昼は夜の約20.5倍の人口になる(東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行120,121頁。国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで26万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含めているが、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないため数字の間に齟齬が生じている)。
千代田区では、一部の地域を除き住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
千代田区は住居表示実施率が23区で最も低い。面積ベースの比率では新宿区よりも僅差で下回り、皇居部分の面積を除いて考えると23区で突出して実施率が低い。*住居表示未実施の町丁目:
千代田区では、日本語の読み方と共にラテン文字表記に関しても正式なスペルを示している。
千代田区の町名で注視する点が「麴町」の正式な漢字表記である。「麴町」が正式な漢字表記であり[11]、プレートや紙媒体などの印刷物・画像データなどの印字には「麴町」という表記が多く見受けられる。しかし「麴」は機種依存文字にあたるため、本記事も含め、電子データ上では簡易慣用字体である「麹」が使用される。東京地下鉄麴町駅の漢字表記も町名に合わせたものである。
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
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1970年1月1日 | 1970年1月1日 | 丸ノ内1〜3(全) | ||
丸の内二丁目 | 1970年1月1日 | 1970年1月1日 | 丸ノ内1〜3(全) | |
丸の内三丁目 | 1970年1月1日 | 1970年1月1日 | 丸ノ内1〜3(全) | |
1970年1月1日 | 1970年1月1日 | 大手町1・2(全)、竹平町 | ||
大手町二丁目 | 1970年1月1日 | 1970年1月1日 | 大手町1・2(全)、竹平町 | |
1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 内幸町1・2(全) | ||
内幸町二丁目 | 1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 内幸町1・2(全) | |
1975年1月1日 | 1975年1月1日 | 有楽町1・2 | ||
有楽町二丁目 | 1975年1月1日 | 1975年1月1日 | 有楽町1・2 | |
1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 霞ヶ関1(全)、霞ヶ関2・3、三年町、永田町2 | ||
霞が関二丁目 | 1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 霞ヶ関1(全)、霞ヶ関2・3、三年町、永田町2 | |
霞が関三丁目 | 1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 霞ヶ関1(全)、霞ヶ関2・3、三年町、永田町2 | |
1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 永田町1(全)、永田町2、霞ヶ関2・3、三年町 | ||
永田町二丁目 | 1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 永田町1(全)、永田町2、霞ヶ関2・3、三年町 | |
1973年1月1日 | 1973年1月1日 | 隼町(全) | ||
1971年7月1日 | 1971年7月1日 | 平河町1・2 | ||
平河町二丁目 | 1971年7月1日 | 1971年7月1日 | 平河町1・2 | |
未実施 | ||||
麹町二丁目 | 未実施 | |||
麹町三丁目 | 未実施 | |||
麹町四丁目 | 未実施 | |||
麹町五丁目 | 未実施 | |||
麹町六丁目 | 未実施 | |||
1980年1月1日 | 1980年1月1日 | 紀尾井町(全) | ||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 九段1〜4、竹平町、代官町、三番町 | ||
1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 祝田町、宝田町、元千代田町(以上全) | ||
1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 日比谷公園 | ||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
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1967年4月1日 | 1967年4月1日 | (皇居)[注釈 3] | ||
1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 代官町(全)[注釈 4] | ||
1970年1月1日 | 1970年1月1日 | 神田一ツ橋1・2(全)、竹平町 | ||
1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 九段1〜4、竹平町、代官町、三番町 | ||
九段南三丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 九段1〜4、竹平町、代官町、三番町 | |
九段南四丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 九段1〜4、竹平町、代官町、三番町 | |
1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 九段1〜4、飯田町1、富士見町1 | ||
九段北二丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 九段1〜4、飯田町1、富士見町1 | |
九段北三丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 九段1〜4、飯田町1、富士見町1 | |
九段北四丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 九段1〜4、飯田町1、富士見町1 | |
1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 富士見町3(全)、富士見町1・2、飯田町1・2 | ||
富士見二丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 富士見町3(全)、富士見町1・2、飯田町1・2 | |
1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 飯田町1・2、富士見町2 | ||
飯田橋二丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 飯田町1・2、富士見町2 | |
飯田橋三丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 飯田町1・2、富士見町2 | |
飯田橋四丁目 | 1966年10月1日 | 1966年10月1日 | 飯田町1・2、富士見町2 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
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1970年1月1日 | 1970年1月1日 | 神田一ツ橋1・2(全)、竹平町 | ||
1934年4月1日 | 未実施 | |||
神田神保町二丁目 | 1934年4月1日 | 未実施 | ||
神田神保町三丁目 | 1934年4月1日 | 未実施 | ||
1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 神田三崎町1・2(全) | 2018年1月1日三崎町から改名 | |
神田三崎町二丁目 | 1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 神田三崎町1・2(全) | 2018年1月1日三崎町から改名 |
神田三崎町三丁目 | 1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 神田三崎町1・2(全) | 2018年1月1日三崎町から改名 |
1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 西神田1・2(全) | ||
西神田二丁目 | 1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 西神田1・2(全) | |
西神田三丁目 | 1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 西神田1・2(全) | |
1969年4月1日 | 1969年4月1日 | 神田猿楽町1・2(全)、神田駿河台2 | 2018年1月1日猿楽町から改名 | |
神田猿楽町二丁目 | 1969年4月1日 | 1969年4月1日 | 神田猿楽町1・2(全)、神田駿河台2 | 2018年1月1日猿楽町から改名 |
未実施 | ||||
神田駿河台二丁目 | 未実施 | |||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
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未実施 | ||||
神田錦町二丁目 | 未実施 | |||
神田錦町三丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
神田小川町二丁目 | 未実施 | |||
神田小川町三丁目 | 未実施 | |||
1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 神田鎌倉町、神田司町1、神田旭町、神田多町1(以上全)、神田美土代町、神田鍛冶町3 | ||
内神田二丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 神田鎌倉町、神田司町1、神田旭町、神田多町1(以上全)、神田美土代町、神田鍛冶町3 | |
内神田三丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 神田鎌倉町、神田司町1、神田旭町、神田多町1(以上全)、神田美土代町、神田鍛冶町3 | |
未実施 | ||||
未実施 | 一丁目は1966年に消滅 | |||
未実施 | 一丁目は1966年に消滅 | |||
未実施 | 神田鍛冶町一〜二丁目は1974年の住居表示実施により、鍛冶町一〜二丁目となった | |||
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
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未実施 | ||||
神田駿河台二丁目 | 未実施 | |||
神田駿河台三丁目 | 未実施 | |||
神田駿河台四丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
神田淡路町二丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
1964年12月1日 | 1964年12月1日 | 神田旅籠町1〜3、神田仲町1・2、神田花房町、神田花田町、神田松住町、神田台所町、神田宮本町、神田同朋町、神田金沢町、神田末広町、神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田亀住町、神田栄町、神田元佐久間町、神田五軒町(以上全)、神田佐久間町1、神田花岡町、神田練塀町、神田相生町 | ||
外神田二丁目 | 1964年12月1日 | 1964年12月1日 | 神田旅籠町1〜3、神田仲町1・2、神田花房町、神田花田町、神田松住町、神田台所町、神田宮本町、神田同朋町、神田金沢町、神田末広町、神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田亀住町、神田栄町、神田元佐久間町、神田五軒町(以上全)、神田佐久間町1、神田花岡町、神田練塀町、神田相生町 | |
外神田三丁目 | 1964年12月1日 | 1964年12月1日 | 神田旅籠町1〜3、神田仲町1・2、神田花房町、神田花田町、神田松住町、神田台所町、神田宮本町、神田同朋町、神田金沢町、神田末広町、神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田亀住町、神田栄町、神田元佐久間町、神田五軒町(以上全)、神田佐久間町1、神田花岡町、神田練塀町、神田相生町 | |
外神田四丁目 | 1964年12月1日 | 1964年12月1日 | 神田旅籠町1〜3、神田仲町1・2、神田花房町、神田花田町、神田松住町、神田台所町、神田宮本町、神田同朋町、神田金沢町、神田末広町、神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田亀住町、神田栄町、神田元佐久間町、神田五軒町(以上全)、神田佐久間町1、神田花岡町、神田練塀町、神田相生町 | |
外神田五丁目 | 1964年12月1日 | 1964年12月1日 | 神田旅籠町1〜3、神田仲町1・2、神田花房町、神田花田町、神田松住町、神田台所町、神田宮本町、神田同朋町、神田金沢町、神田末広町、神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田亀住町、神田栄町、神田元佐久間町、神田五軒町(以上全)、神田佐久間町1、神田花岡町、神田練塀町、神田相生町 | |
外神田六丁目 | 1964年12月1日 | 1964年12月1日 | 神田旅籠町1〜3、神田仲町1・2、神田花房町、神田花田町、神田松住町、神田台所町、神田宮本町、神田同朋町、神田金沢町、神田末広町、神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田亀住町、神田栄町、神田元佐久間町、神田五軒町(以上全)、神田佐久間町1、神田花岡町、神田練塀町、神田相生町 | |
町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
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1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 神田鍛冶町1・2(全) | ||
鍛冶町二丁目 | 1967年4月1日 | 1967年4月1日 | 神田鍛冶町1・2(全) | |
未実施 | ||||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 神田東今川町、神田材木町、神田東福田町、神田松枝町、神田元岩井町、神田大和町(以上全)、神田豊島町、神田東松下町、神田東紺屋町、神田岩本町 | ||
岩本町二丁目 | 1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 神田東今川町、神田材木町、神田東福田町、神田松枝町、神田元岩井町、神田大和町(以上全)、神田豊島町、神田東松下町、神田東紺屋町、神田岩本町 | |
岩本町三丁目 | 1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 神田東今川町、神田材木町、神田東福田町、神田松枝町、神田元岩井町、神田大和町(以上全)、神田豊島町、神田東松下町、神田東紺屋町、神田岩本町 | |
未実施 | ||||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
未実施 | 1965年の住居表示実施時に岩本町一〜三丁目に編入されなかった区域 | |||
1965年1月1日 | 1965年1月1日 | 東神田、神田元久右衛門町1・2、神田八名川町、神田向柳原町1、神田餌鳥町(以上全)、神田豊島町 | ||
東神田二丁目 | 1965年1月1日 | 1965年1月1日 | 東神田、神田元久右衛門町1・2、神田八名川町、神田向柳原町1、神田餌鳥町(以上全)、神田豊島町 | |
東神田三丁目 | 1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 東神田、神田元久右衛門町1・2、神田八名川町、神田向柳原町1、神田餌鳥町(以上全)、神田豊島町 | |
未実施 | ||||
未実施 | ||||
未実施(神田佐久間河岸nn号地と表記する。) | ||||
未実施 | ||||
神田佐久間町二丁目 | 未実施 | |||
神田佐久間町三丁目 | 未実施 | |||
神田佐久間町四丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
麹町地域は、江戸開府以来から東京山手の町として賑わいを見せている。皇居を中心に、高級住宅地としての色とオフィス街および官公庁街としての色が濃い地域である。
神田地域は、中央区日本橋や京橋とともに東京下町の一部として、江戸開府以来の中心的商業地として賑わいを見せている。
現在の千代田区の町名で旧神田区の区域にある街は「神田○○町、○神田」と称している(住居表示実施地区を除く)。これは戦後、旧麹町区と旧神田区が合併する際に「神田」の町名が消えることを避けるために、旧神田の町名に神田を冠したことによる。名称の経緯が似ている例として日本橋地域が挙げられる。
千代田区は日本の中枢であり、多くの政府機関が密集している。
過去には日本テレビ放送網(日テレ)の本社が二番町にあったが、2003年(平成15年)に港区東新橋(汐留シオサイト)に移転した。旧社屋は麹町分室として使用されていたが、2019年(平成31年/令和元年)に同じ二番町に番町スタジオに新築移転したのちに解体された。
朝日新聞東京本社・日刊スポーツ新聞社(いずれも中央区)、報知新聞社(スポーツ報知。港区)、スポーツニッポン新聞社、東京スポーツ新聞社(いずれも江東区)を除く全国紙・地方紙・スポーツ紙の本社が千代田区に所在している。なお朝日新聞は、千代田区内に東京総局を置いている。出版社は東京に集中して存在しており、大手から専門出版社まで、当区北部および文京区に数多く存在する。
東京運輸支局本庁舎の管轄エリアで、品川ナンバーを交付される。
指定地区外も公共の場所での歩きタバコをしないように努める義務がある。また、ゴミのポイ捨てに対しても禁止する規定がある。
今まで永田町・霞が関・内幸町はこの条例の適用除外地域であったが、2010年(平成22年)4月1日から皇居・皇居外苑・日比谷公園や中小の公園を除く千代田区全域の公道上で路上喫煙が禁止されている[14]。
現在、千代田区内の救急告示医療機関は3か所ある。
高速道路
放射道路(時計回りに表記)
環状道路(皇居側からの表記)
以下は、当区内を通過する路線と所在する駅を各路線別に記述している。新幹線で四国をのぞいた全地域とつながっている。
★は本店所在金融機関
区民1人あたりの区民図書館蔵書数は5.6冊で23区のトップである。23区の平均は区民1人あたり3.4冊である(2012年現在)。
秋葉原が舞台の作品は『秋葉原を題材・舞台とした作品』を参照。
旧麹町区、旧神田区の出身有名人については麹町区、神田区を参照
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