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国家作用の一つ ウィキペディアから
司法(しほう、英: Judiciary)とは、立法および行政と並ぶ国家作用の一つである。実質的意義においては法を適用し宣言することにより、具体的な訴訟について裁定することをいうが、形式的意義においては司法府に属する作用の総称である。この国家作用を行う権能を司法権といい、三権分立についての行政権・立法権と対比される。
国家作用が作用自体の性質という点に着目して立法・行政・司法に三分類されるときに、これらはそれぞれ実質的意義の立法、実質的意義の行政、実質的意義の司法と概念づけられる[1]。
司法とは実質的意義においては「具体的な争訟について、法を適用し、宣言することにより、これを裁定する国家作用」と定義される。これは近代以降の各国・各時代に通じる司法と司法権の共通項を示したものと言える。司法と司法権は、近代の権力分立制とともに生成してきた。そして、権力分立制の形態と内容が各国・各時代において異なるように、司法と司法権の形態と内容も各国・各時代において異なる。
国家作用が行政・立法・司法に分離独立するに至った歴史的経緯が各国により異なることもあり、司法という言葉で呼ばれる国家作用の内容は、各国・時代により当然異なる。特に行政と司法との理論的な区別の可能性については疑義も出されており、権限が与えられている官署の区別に対応しているに過ぎない(裁判所の職務が司法)との指摘もされている。
この点が典型的に現れるのは、行政事件の裁判に関する扱いである。
フランスやドイツなど、大陸法系の国々では、司法とは「民事事件・刑事事件の裁判作用」を指し、行政事件の裁判を含まない。この意味での司法権は、法治主義や権力分立制の確立により行政権から切り離され、独立した裁判所の権能とされるようになった。行政事件については、通常の裁判所とは別に行政裁判所が設けられ、そこで審理・裁判された。この行政裁判所は、行政権の一部を担うとされる。現在でもフランスでは、国務院(コンセイユ・デタ)と呼ばれる機関が最上級審の行政裁判所としての権能を有しており、国務院は行政機関とされる。また、大日本帝国憲法における体制も、行政事件の管轄は行政裁判所にあるとされた。
他方、英米法(コモン・ロー)系の国々では、行政事件の裁判も司法に含まれると解され、行政事件の裁判作用は通常の裁判所の権能に属する。日本国憲法における「司法」「司法権」は、英米法系の制度に倣い、行政事件も通常の裁判所が裁判する(日本国憲法第76条1項、2項)。
極論すれば、各国で司法又はそれと同視し得る言葉により把握される国家作用について最大公約数的な定義をするとなると、「いわゆる裁判所と呼ばれる機関が有している国家作用の中核部分」というあまり意味のない定義で満足せざるを得ない。そこで、多少の齟齬を取り捨てて、より内容のある定義として示されるのが頭書の「司法とは、具体的な争訟について、法を適用し、宣言することにより、これを裁定する国家作用」という一文である。
司法は形式的意義においては司法府に属する一切の作用を意味する。
国家作用は作用自体の性質という点から、実質的意義の立法、実質的意義の司法、実質的意義の行政とそれぞれ概念づけられるが、現実の個々の国家作用がいずれの機関に配当されるかは憲法の体制・個別の法律により異なる[1]。そこで、現実に配当されている機関という点に着目して国家作用を分類したものが形式的作用である[1]。
例えば日本国憲法における最高裁判所の規則制定権(日本国憲法第77条)は実質的には立法作用であるが、司法権の独立の観点から最高裁判所の権能とされており形式的意義の司法に含まれることになる[2]。
大日本帝国憲法において、司法権とは、民事事件・刑事事件の裁判作用を行う権能を指した。行政事件は、通常の裁判所とは別系統の行政裁判所の所管であった。このほか、軍人・軍属などの刑事事件を裁判する軍法会議や、皇族の民事事件を裁判する皇室裁判所などの特別裁判所も設置された。
司法権の帰属につき日本国憲法76条は、1項で、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属するとし、2項では、特別裁判所の設置を禁止し、行政機関は終審として裁判を行うことができない旨規定している。
すべて司法権は裁判所に帰属する(第76条1項)。ここでいう「司法権」とは実質的意義の司法作用を行う権能であり、日本では行政事件を含むすべての裁判作用を行う権能を指す(第76条1項)。つまり、司法権は、最高裁判所を頂点とする組織にのみ帰属し、それとは別系統の裁判所(特別裁判所)の設置を許されないことになる。日本では違憲審査権(第81条)について付随的審査制を採用していると考えられており、違憲審査権は具体的事件に付随して司法作用の一環として行使される。
また、行政機関による終審裁判は禁止される(第76条2項)。 ただし、行政機関が裁判を行うような制度が設置されたとしても、行政機関による裁判に対して更に76条1項に根拠を有する裁判所に訴えて争うことが許されるのであれば違憲ではない。つまり終審でなければ、行政機関が司法手続の一部を担うことも許される。例えば、公正取引委員会などの行政委員会(独立行政機関、独立行政委員会)による審決などの準司法的手続(行政審判)が挙げられる。
冒頭の司法の定義にある具体的な争訟は、事件性(具体的事件性)ともいわれ、裁判所法(昭和22年法律第59号)3条にいう「一切の法律上の争訟」と同じ意味であると解されている。ゆえに、「法律上の争訟」にあたらなければ、司法権の対象とならず、原則として裁判所の審査権は及ばない。
最高裁判所の判例によれば「法律上の争訟」とは、「法令を適用することによって解決し得べき権利義務に関する当事者間の紛争」をいう(最判昭和29年2月11日民集8巻2号419頁)。すなわち、「法律上の争訟」に当たるためには、次の2つの要件を満たすことが求められる。
紛争は具体的でなければならないので[3]、抽象的な審査はできない。法律関係の存否でなければならないので、事実の存否のみの審査はできない。刑事訴訟は、刑罰権の存否に関する紛争とされるため、「法律上の争訟」にあたる。法律を適用することで終局的に解決できなければならないので、宗教上の争いや学問的争い、政策論争などは審査できない。「法律上の争訟」にあたらない場合は次のように整理できる。
司法に該当しない国家作用であっても、法律により裁判所に権限を与えることは可能である。裁判所法3条1項が「裁判所は…その他法律において特に定める権限を有する。」としているのも、そのような趣旨と解されている。具体的事件性がなくとも、裁判所に審査権限を与える客観訴訟(客観的訴訟)の制度がこれにあたる。
客観訴訟とは、法の適用の客観的適正を保障して公益を保護するために認められる訴訟をいう。個人の権利利益の保護を目的とする主観訴訟と対比される。客観訴訟には、民衆訴訟(行政事件訴訟法5条)と機関訴訟(同法6条)の2種がある。民衆訴訟の例としては、住民訴訟(地方自治法242条の2)や選挙訴訟(公職選挙法203条、204条)などがある。
また、非訟事件、特に非争訟的非訟事件についてはその性質は行政であるが、その処理は沿革上の理由等により裁判所に権限がある。この非訟事件の審査権限も「特に定める権限」に含むと解される。
このような法律の定めが違憲であるという議論は特にされていない。しかし、無制約に法律で定めることが可能とも言い難く、本来的な司法に該当しない権能を裁判所に付与することがどこまで可能であるかは、制約があり得ると解される。
「具体的な争訟」にあたる事件であっても、憲法76条1項に規定する裁判所が審査できない事項がある。これを司法権の限界という。司法権の限界には、憲法が明文で定めた限界や国際法上認められた限界、憲法の解釈による限界がある。
憲法の明文に定めた限界による裁判に不服があっても、更に通常の裁判所に訴えることはできないと解されている。
なお、天皇は、日本国の象徴であることにかんがみ、民事裁判権が及ばないとされる[5]。天皇を被告、あるいは原告として訴訟を提起することはできない。訴訟の提起がなされた場合、当然に却下判決がなされることとなる。
裁判官及び裁判所が、政治的権力他のあらゆる権力からの干渉を受けずに独立して裁判を行う原則のことをいう。
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