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東京都千代田区の神社 ウィキペディアから
日枝神社(ひえじんじゃ)は、東京都千代田区永田町二丁目にある、山王信仰の神社。山王さま等とも呼ばれ[1]、江戸三大祭の一つ、山王祭が行われる。旧社格は准勅祭社(東京十社)、官幣大社。
大山咋神(おおやまくいのかみ)[注釈 2]を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る。
所在地は正確には千代田区永田町であり、社殿は東向き、表参道(山王坂)も国会議事堂方面の東方へと伸びているが、港区赤坂地区の北東に隣接しており、そちらの南西方面(外堀通り沿い)にも大きな鳥居と裏参道が2つ(南方はエスカレーター付きの山王橋)、更には南方に東京メトロ溜池山王駅が設けられていることや、近隣に赤坂氷川神社が鎮座していることもあって、総じて「赤坂」の印象が強いため、赤坂(の)日枝神社と通称されることが多い。
創建は、鎌倉時代に江戸氏が山王宮を祀ったことを起源とするが、直接的には文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である仙波日枝神社を勧請したことに始まる[2]。徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした[3]。
慶長9年(1604年)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。社地は家康により5石、元和3年(1617年)に秀忠により100石、そして寛永12年(1635年)に徳川家光からの寄付を加えて600石となった[4]。
明暦3年(1657年)、明暦の大火により社殿を焼失したため、万治2年(1659年)、将軍家綱が赤坂の溜池を望む松平忠房の邸地を官収して社地に当てる形で、現在地に遷座した。この地は江戸城から見て裏鬼門に位置する。
明治元年(1868年)11月の東京奠都の際に准勅祭社に指定された。その後明治3年(1871年)に神祇官直下から東京府管轄に移され、明治5年(1873年)の官国幣社の選定時にも漏れ、そのまま東京府の府社となった。1881年(明治14年)に、氷川神社宮司で日枝神社の祠官を兼ねていた平山省斎が、皇城鎮護の神社が府社であっていいはずがないので、官幣大社にしてほしいと願い出た。この時は官幣大社にならなかったが、東京府・内務省の賛成を得て1882年(明治15年)1月9日に官幣中社になった[5]。大正元年(1912年)には官幣大社に昇格した。
昭和20年(1945年)の東京大空襲で社殿が焼失し、昭和33年(1958年)に再建された。
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