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東京都豊島区の町名、または池袋駅の周辺地域を含む呼称 ウィキペディアから
池袋(いけぶくろ)は、東京都豊島区に所在する池袋駅を中心とする、東京屈指の繁華街・歓楽街。東京の副都心の一つであり、豊島区における交通・商業・行政の中心的な地域である。
行政地名としての池袋は池袋駅北西に位置する町名であり、一丁目から四丁目まで存在する。広域地名としての池袋は南池袋、東池袋、西池袋なども含む。
池袋は、新宿や渋谷と並ぶ山の手の3大副都心の一つ。池袋駅を中心に駅の東口及び西口には大規模な繁華街が広がり、巨大な百貨店や専門店、飲食店などが局在する。北口および東口サンシャイン通り裏手、同明治通北側一帯には大規模な歓楽街が広がり、サンシャイン60(サンシャインシティ)や豊島区役所などの超高層ビルが建ち並んでいる。東口にはビックカメラ池袋本店やヤマダデンキLABI1日本総本店池袋が位置し、家電量販店の激戦区になっている。他にもラーメンや書店、風俗店の激戦区としても知られる。2020年7月には旧豊島区役所跡地周辺に超高層ビルのHareza Tower と東京建物Brillia HALL をはじめ8つの劇場を含む文化にぎわい拠点「ハレザ池袋」が開業した。また池袋駅西口では三菱地所による「池袋駅西口地区再開発事業」が計画されており、超高層ビル3棟が駅前に建設される予定となっている。
東口方面には西武池袋本店、池袋パルコ(本店)、サンシャインシティ(サンシャイン60)、豊島区役所などが、西口方面には東武百貨店池袋店(本店)、ルミネ池袋(旧称メトロポリタンプラザ)、東京芸術劇場、池袋西口公園、などがある。
1885年に日本鉄道が赤羽駅 - 品川駅間に品川線(現在の山手線の一部・赤羽線〈埼京線の一部区間〉)を開業させたが、当時の池袋周辺は東京市郊外の田園地帯であり、品川線開業当時は駅すら設置されなかった。1903年に池袋駅が開業し、その後、東上鉄道(現在の東武東上線)や武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が乗り入れ、鉄道の結節点としての機能を高めていった。1923年に発生した関東大震災を契機に震災被害の大きかった下町から、武蔵野台地上で地盤の強い西武池袋線や東武東上線沿線の郊外エリアに転居する人が増加し、それに合わせて新宿駅や渋谷駅と同様に池袋駅の利用者数も増加の一途を辿ることとなった。戦後の高度経済成長に伴う東京都市圏の拡大で、東京西部や埼玉県の郊外人口はさらに増加した。
現在の池袋駅は4社8路線からなる巨大なターミナル駅であり、池袋駅の一日平均乗降者数は約265万人(2019年度)であり、新宿駅・渋谷駅に次いで世界3位である。池袋駅は埼玉県方面に伸びる路線が多数乗り入れ、埼玉県からのアクセスがよいため、通勤・通学・買い物で利用する埼玉県民が多い(「埼玉都民」も参照)[1]。また池袋駅の駅ビルが発達し、駅だけで買い物などが事足りてしまうため、新宿や渋谷と比較して面的な街の広がりが小さいことを揶揄して「駅袋(えきぶくろ)」と言われることもある[2]。池袋駅北側にある「いけふくろう」は池袋の待ち合わせ場所として知られている。
池袋駅西口(北)方面には観光地化されていない中華街が広がっており、中国から直輸入した食品・書籍や、本場同様の料理(ガチ中華)を提供する店が多数存在する。例えば、友誼商店、陽光城、海羽日光などの中華料理をメインにしたスーパーマーケットや、友誼食府などのフードコート、知音食堂、串串香麻辣湯、逸品火鍋、火焔山蘭州拉麺などの中華料理屋などが存在する。その他にも、旅行代理店、書店、不動産仲介店、美容院、自動車学校など、在日中国人が日常生活で利用する店が営業している。これらの店は、1980年代以降に来日した、中国東北地方や福建省出身の新華僑が経営する店がほとんどである[3]。また、在日中国人によるビラ配り等も散見される。
アニメイト池袋本店や乙女ロードを中心として東口には若い女性を対象にしたアニメグッズや同人誌などを扱う店舗が密集しており、秋葉原が男性を中心としたおたくの街なのに対し、池袋は女性おたくの街としても認知されている[4]。
池袋駅から少し離れると立教大学(西池袋)、帝京平成大学(東池袋)、重要文化財に指定されているフランク・ロイド・ライト設計の自由学園明日館、多くの著名人が眠る雑司ヶ谷霊園などの緑や文化財も多く、池袋演芸場などの寄席や小劇場もある。
現在の池袋駅西口のホテルメトロポリタン一帯(西池袋1丁目)に存在していた袋型の池が袋池(丸池)と呼ばれており、それが地名の直接の由来となったとされている。ただし当地は旧雑司ヶ谷村であり、池袋の元々の中心部だったといえる池袋本町(かつての本村)からは離れているため、この説には異論がある[注釈 1]。なお、丸池は時代を追って縮小され、1970年代中頃までは現在のホテルメトロポリタン北側に存在した「元池袋公園」内に空池(からいけ)の状態で残っていたが、現在は完全に埋め立てられ、地名由来とされる池を偲んで、元の場所より東側の隣接地に元池袋史跡公園が開設された[5]。
古くは武蔵国豊嶋郡池袋村といい、戦国時代の古文書である『小田原衆所領役帳』(永禄2年・1559年)には「太田新六郎 知行 三貫五百文 池袋」とあることから、中世には既に地名(長崎・雑司ヶ谷・巣鴨・高田など)とともに確立していたと考えられる。
明治の廃藩置県が行われると、東京府(一部は浦和県から編入)に属し、1889年の町村制施行で、巣鴨村の大字となる。池袋が栄えるきっかけとなったのは、鉄道の開業である。上野駅 - 前橋駅間に路線を開通させていた私鉄の日本鉄道が、1885年に官営鉄道(新橋駅 - 横浜駅)との接続を目的に、現在赤羽線(埼京線)・山手線となっている赤羽駅 - 品川駅間の路線を開業させた。だが、この時には池袋の地に駅は設けられなかった。
その後、1903年に田端駅への支線を建設することになった。当初は目白駅での分岐が想定されていたが、崖地がある地形などの難点が指摘され、将来の他線との接続も考えて、目白駅の北の広く平坦な台地上に新たに池袋駅を開設して、ここから分岐することになった[6]。
大正から昭和にかけ、東上鉄道(今の東武東上本線)や武蔵野鉄道(今の西武池袋線)なども池袋へ乗り入れるが、これらはどちらも当初繁華街とはいえなかった池袋は起点とせず、当時の繁華街であった神田や巣鴨(東京市電が1912年には乗り入れていた)への乗り入れを前提としていた。その過程において池袋は仮のターミナル駅として開設されたが、その後の事情でどちらも都心への延伸を断念し、結果として池袋起点となったものであった。この頃、東京市北部で栄えていたのは巣鴨のほか、白木屋があり王子電気軌道(今の都電荒川線、1911年に開業)と山手線が交差していた大塚駅辺りであった[6]。池袋は豊島師範(東京学芸大学の母体の一つ)や立教大学など、学校が置かれたことから文教地区となっていった。
1933年に白木屋と京浜急行電鉄が共同で設立した京浜百貨店が1930年代に菊屋デパートの名で池袋駅に開店。そして東京市電(1943年に東京都電となる)が1939年に池袋駅前に乗り入れ、この頃から交通の結節点として、賑わいを見せるようになる。菊屋は1940年に武蔵野鉄道(現:西武鉄道)に買収され、武蔵野食糧を開設。武蔵野デパートを経て1949年に西武百貨店と改称した。
太平洋戦争直後は池袋駅の東西に闇市#戦後の闇市が立ち並んだほか、国鉄の駅整備に民間出資を受ける代わりに商業施設を受け入れる民衆駅という手法で池袋駅の開発が進み、1958年に百貨店の東京丸物池袋店(後のパルコ)が開店した[6]。また、東武百貨店が1962年に本店を開店して、1964年に東横百貨店池袋店を買収した。池袋は新宿や渋谷と比べて駅すぐ近くで買い物や飲食を済ませたり、構内から出ずに他線へ乗り換えたりする人が多く「駅袋」とも言われたが、1980年にかけて東池袋にサンシャインシティが開業するなど広域での再開発も進んだ[6]。
近年は乙女ロードを中心に若い女性オタクの利用者が増加し、サブカルチャーの街として成長しつつある。高野之夫区長が文化事業や街の美化に取り組んだ結果、2013年の住みたい街ランキング3位になる程の人気スポットに変わりつつある[7](2018年は5位)。
現在池袋と名の付く地区の大半は一時期は西巣鴨町に属していた。東池袋二丁目には西巣鴨橋という橋が現存する。また、サンシャインシティは巣鴨拘置所の跡地に建てられたものである。
池袋は日本有数の繁華街の一つであり、駅の東西に繁華街が広がっている。近年は駅ビルだけではなく、南口エリアにも繁華街が広がり、ビームスやアディダスジャパン、スターバックスなど路上店舗も増加傾向にある。
駅東口には西武池袋本店、パルコ、サンシャインシティ、ビックカメラ、ヤマダデンキなどがあり、東口一帯に繁華街が広がる。駅からグリーン大通りを進むと左手にサンシャイン60ビルが見えてくる。サンシャインシティ方面へ延びるサンシャイン60通りは、飲食店、映画館、ゲームセンター等も多く、休日は歩行者天国になっている。このサンシャイン60通り沿いや、ヤマダデンキLABI1日本総本店池袋の西側には歓楽街が広がり、2014年10月には結婚式場が入っている創業施設WACCAもオープンし、ますますの賑わいも見せている。
パルコ、P'パルコ、サンシャインシティアルパ&アルタなどがある。
池袋はジュンク堂書店池袋本店(本屋としては日本一の大きさを誇る)、リブロなどの都内屈指の書店激戦区でもあり、10店舗以上のCD店が競合する音楽激戦区、ラーメン、回転寿司などのグルメ激戦区でもある。書店については、神保町の神田古書店街や早稲田のように密集はしていないものの古書店も非常に多く、大型新刊書店の多さとあいまって東西池袋は神田新保町に次ぐ「本の街」の様相を呈していたが、その主力を担っていた東口の光芳書店チェーンが大幅に店舗整理したこともあり、かつての盛況には及ばない。またサブカルチャーの一部であるアニメのグッズや書籍などを販売しているアニメイト池袋本店やとらのあな、ゲーマーズ、メロンブックス、らしんばん等の店舗も東口の乙女ロードを中心に立地している。
駅西口には東武百貨店、メトロポリタンプラザ(東武百貨店プラザ館・ルミネ池袋)、東京芸術劇場、立教大学などがあり文化・芸術の香る街である。また居酒屋など飲食店が密集するロマンス通りや西一番街中央通りなどにライブハウスや映画館などがあるロサ会館や池袋演芸場などもある。メトロポリタンプラザの西南には、日本で最初にケーキブッフェを始めたことで有名なホテルクラウンプラザ・メトロポリタン東京がある。南西エリアは、木々の茂る西池袋公園や立教学院本部、中学校や小学校があり、西池袋2丁目 - 4丁目、目白3 - 5丁目にかけて閑静な住宅町が広がる。
南北に伸びる池袋駅が池袋の街を東西に分断しているため、東口・西口の区分に比べると西口(北・南)エリアの使用頻度は低い。2019年3月、東武鉄道によってそれぞれ「北口」「南口」から名称変更が行われた[9])。池袋駅が「特定都市再生緊急整備地域」に指定され、そのための協議会に東武鉄道が参加していることに伴う利便性向上対策の一環として改称された[9]。
池袋駅周辺では、現在複数の再開発計画が進行中である。
池袋は、新宿、下北沢、銀座に次いで劇場の数が多い演劇の街であり、演劇・ミュージカルの専門学校、舞台芸術学院もあり、多くの俳優を輩出している。
また、池袋は郊外のシネマコンプレックスに押され気味なものの豊島区屈指の映画館の集積地である。東口線路沿いの文芸坐は新文芸坐として、遊技場を加えた娯楽集積施設として新装営業している。
池袋にはかつてフクロウが生息していたといわれることもあって、池袋には先述の池袋駅の「いけふくろう」を始め、フクロウの像や装飾などが多い[17]。豊島区は2002年に区のPRキャラクターとして、フクロウの姿をした「としま ななまる」を登場させており[18]、これは東池袋にある池袋駅前郵便局前の郵便ポストのデザインのモチーフにもなった[19]。
同2002年[18]、池袋駅西口の商店主らにより[16]、民間団体「梟(ふくろう)の樹を創る会」が設立され、豊島区への愛着を深めてもらうことを目的として、区内の名所にフクロウの像を設置する活動が続けられている[18]。同会では、池袋に元々ある像、および同会により新たに設置された像が「第○号」と認定されており、池袋駅のいけふくろうは1号ではなく11号である[20]。同会は池袋育ちの演出家である星川葭夫が実行委員長を務めており[16]、星川によれば、同会にとって池袋駅のいけふくろうは「偉大なる大先輩」であり、それにどう敬意を払うかを決めかねている内に、次々に他の像ができてしまったという[20]。
豊島区西池袋の豊島区立元池袋史跡公園には、「梟の樹」と名付けられたモニュメントに、計13羽のフクロウがとまっており[16]、これも「梟の樹を創る会」が設置したものである[19]。
豊島区南池袋の池袋駅東口交番は、建物がフクロウをデザインしていることから、「フクロウ交番」の愛称で呼ばれる[21]。2005年4月の同交番の移転に伴い、豊島区が警視庁協力のもと、新しいデザインを豊島区内の小中学生から公募して、デザインが決定した[22]。東池袋公園もまた、老朽化が進んだことでのリニューアルする際に、警視庁が「地域の特性を生かしたデザインを検討した末に、2棟目のふくろうデザインの交番として完成した[22]。池袋警察署によれば、どちらの交番も好評であり、「かわいい」と写真を撮っていく女性の通行人もいるという[22]。
これらの他に、池袋周辺を走る電気バス「IKEBUS」のキャラクター「イケちゃん[23]」、西武池袋本店のローカルヒーロー「イケセイアウル[24]」などがある。
大手三大予備校(河合塾、駿台予備学校、代々木ゼミナール※2015年閉校)他、四谷学院、城南予備校、早稲田塾、早稲田アカデミー、武蔵高等予備校、お茶の水ゼミナール、看護医療専門の東京アカデミー、医学系を含む総合予備校早慶外語ゼミ、芸大・美大予備校のすいどーばた美術学院、また資格や社会人入試に特化した東京リーガルマインド(LEC)、TAC、大原学園(資格の大原)等、ありとあらゆる予備校や資格系学校などがひしめきあっており、さらに小中進学受験校を併せるとその数は日本一を誇ると見られている。サポート校なども存在する。
池袋は、豊島区における行政地名(町名)でもある。池袋一丁目から池袋四丁目まで存在する。池袋駅の北西部に位置している。
ちょうどJR線、川越街道、山手通り、要町通りに囲まれた地域であり、同区西池袋、上池袋、池袋本町、板橋区中丸町、南町、同区高松、要町と接している。
また、池袋駅(東京メトロ副都心線)、要町駅(東京メトロ有楽町線、副都心線)とも接していて、豊島清掃工場や東池袋へ繋がる池袋大橋の出入口でもあり、首都高速5号池袋線の北池袋出入口でもある。このように池袋の中心的な繁華街ではないが交通の要衝としては欠かせない地域である。しかし、西口五差路交差点の要町通りと劇場通りの交差する辺りは池袋西口の繁華街としても食い込んでいる。
2012年、東京都は池袋一丁目および二丁目を都迷惑防止条例に基づき、客引きやスカウトのみならず、それらを行うために待機する行為なども禁止する区域に指定した[31]。 さらに2019年には同区域を暴力団排除条例に基づき、暴力団排除特別強化地域に指定[32]。地域内では暴力団と飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科されることとなった[33]。
一般的に「池袋」と言われているのは、池袋駅を基点とした東口、西口に延びる繁華街の総称であり、行政地名としての豊島区池袋はそれより北西寄りの地域をさす。
住宅地の地価は、2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば、池袋3-9-2の地点で50万6000円/m2となっている[34]。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。なお、豊島区の小・中学校では学校選択制度を導入しており、以下の指定校に隣接している通学区域の学校も選択することが可能[35]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
池袋一丁目 | 全域 | 豊島区立池袋小学校 | 豊島区立西池袋中学校 |
池袋二丁目 | 全域 | ||
池袋三丁目 | 全域 | ||
池袋四丁目 | 全域 |
かつての池袋の商工業者は竹材商、メリヤス製造業、ラムネ・飲料水製造業、下駄商・履物商、文房具商などがいた[36][37]。
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