増岡弘

日本の声優、俳優、ナレーター (1936-2020) ウィキペディアから

増岡弘

増岡 弘(ますおか ひろし、1936年昭和11年〉8月7日[1][10][3] - 2020年令和2年〉3月21日[11])は、日本声優俳優ナレーター[6]埼玉県出身[1]。最終所属は東京俳優生活協同組合[7]

概要 ますおか ひろし増岡 弘, プロフィール ...
ますおか ひろし
増岡 弘
Thumb
1962年
プロフィール
本名 増岡 弘[1]
性別 男性
出身地 日本埼玉県南埼玉郡[1](現:さいたま市岩槻区[2]
生年月日 (1936-08-07) 1936年8月7日
没年月日 (2020-03-21) 2020年3月21日(83歳没)
血液型 B型[注 1][4][5]
職業 声優俳優ナレーター[6]
事務所 東京俳優生活協同組合(最終所属)[7]
配偶者 あり
公称サイズ(時期不明)[8]
身長 / 体重 167 cm / 77 kg
声優活動
活動期間 1960年代 - 2020年
ジャンル アニメゲーム吹き替えナレーション
デビュー作 大熊(『狼少年ケン』)アニメデビュー作[5][9]
俳優活動
活動期間 1950年代 - 不明
ジャンル テレビドラマ舞台特撮
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ
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生涯

要約
視点

生い立ち

埼玉県[1]南埼玉郡(現在のさいたま市岩槻区)出身[2]。実家は農家で、父親は農業に誇りを持っていたという。後年には、食料の大半が自給自足だったと明かしている[12]

中学時代、担任の教師が日本画の日展に出品するなど画家としても活動しており、その教師に魅せられて絵描きを志す[13]

中学卒業後、「絵だけでは食べていけないな」と思い直し埼玉県立大宮工業高等学校へ進学するも、諸事情で中退。その後は絵を学ぶため東京芸術大学美術学部に進学したが「自由な絵を描きたい」という理由から2年で再び中退[10]。最終的に、文化学院文化芸術科を卒業した[2]

大学在学時、東京都阿佐谷にあった中華料理店のアルバイトでサンドイッチマンをしていた際に、同僚の誘いで演劇の世界に入る[13]。当時の増岡は俳優活動に興味がなく「その場で終わってしまうお祭り騒ぎみたいなことをして喜んで、その後に何が残る?しかも演劇は集団でやるものだから、自分の個性を自由に発揮できるものじゃない。何でこんなことするんだ?」と演劇自体にも否定的であったが、美術が好きだったため舞台美術の仕事に参加するようになった[13]

キャリア

とある公演の舞台美術を担当した際、出演する人物が資金を持ち逃亡したため、急遽その人物の代役を担当。台詞を忘れるなど恥ずかしく悔しい思いをし、「もう一度やり直したい」と希望したことがきっかけで役者に転向する[2][14]

1957年、井上真樹夫ら仲間と共に劇団表現座を設立[15]。知り合った劇作家の寺山修司からは大きな影響を受けたといい、俳優活動を本格的に始めたのも寺山に誘われる形だったという[13]

1959年、友人を頼り名古屋へ移住し、中部日本放送放送劇団オーディションに応募し合格[10]。同劇団の専属となる[15]

1961年、中部日本放送の東京支社に出入りしていた際、近隣にあった喫茶店のマスターからマネージャーを紹介してもらったことで、東京俳優生活協同組合に所属[10]

1967年、寺山が主宰する劇団・天井桟敷の第一回公演『青森県のせむし男』ではせむし男を演じ、主演を務める(ただし、諸事情から同劇団員ではなかったため、外部出演であった)[13]

声優としては、テレビ草創期から活躍。活動を開始した時期に関して、本人は後のインタビューで「よく質問をされるんですけど、そう聞かれると頭をひねっちゃう。いつだったか、ほとんどわからないんですよ」と述べている[9]。ただし、テレビアニメの初出演は『狼少年ケン』の大熊役だった[5][9]

声優業以外にも、1986年からは若手俳優育成のために劇団「東京ルネッサンス」を主宰していた[2]。また、東京アニメーター学院で声優科の講師も務めていたほか、日本各地で講演活動も行なっていた。

晩年・死去

2018年、第12回声優アワードにて功労賞を受賞[16]

2019年8月、長年演じた『サザエさん』のフグ田マスオ役を同年8月18日放送分で、『それいけ!アンパンマン』のジャムおじさん役を同年8月9日放送分で卒業[17]。二作ともに、増岡本人から高齢による番組卒業の申し出があったという[17]。増岡は後に「(卒業は)とても辛かった」としながらも、高齢で体力が落ちていくことを実感するなか「(今後も視聴者に)勇気や元気など色んなものを伝えられるのか」と考えたことがきっかけで、作品の今後を思い持ち役をふさわしい人にバトンタッチするべきと決め、卒業に至ったと語っている[14]

上記の卒業発表の前後約1か月には、担当する『有吉くんの正直さんぽ』のナレーションを体調不良のため、一時降板していたが、9月から復帰[18]。以降、増岡の出演作は同番組のみとなっていた。

2020年(令和2年)3月21日午前2時53分、直腸がんのため死去。83歳没[11]。近親者のみで葬儀、告別式を済ませてから3月26日にメディアへの発表がなされた[19]

死去を受け、同年3月29日放送の『サザエさん』では追悼のテロップが流れ、増岡の後任でマスオ役を担当する田中秀幸も「増岡さんとは昔からたくさんの番組でご一緒させて頂きました。優しい笑顔、楽しいお話し、穏やかなお人柄。全部ずっと覚えています。どうぞ安らかにお眠り下さい」と追悼のコメントを発表した[20]。また『有吉くんの正直さんぽ』では、同年4月4日放送分にて序盤にテロップが流れた後、番組終了後には追悼のVTRを放映した[21]

特色・人物

声種ハイバリトン[7]

「声質が変わらない」と評されることが多く、これについて「きっと声というのは心が出すものだから、心さえ変わらなければ、いつまでも変わらないでできる…声というのは年を取らないという風に思ってますよね」と語っている[22]

特撮作品では悪役が多く、数々の怪人を演じ、俳優として出演した作品もある。

特技は落語[10]二代目柳家さん助の門下で、高座名は益々家ちゃん助(ますますや ちゃんすけ)であった[2]

趣味は味噌づくり(後述)。味噌の他にも漬物や野菜をはじめ、陶器もつくるなど自給自足の生活を続けた[23]。自宅は、西武鉄道から廃品の枕木を購入しログハウス風のものを自作したという。

健康は常に意識し、「健康を保ちながら、毎回アフレコに行くということ。実は声優の仕事なんて誰でもできるけど、それを長く続けることが大変なんだ、表現しているときよりも普段のときの自分が大事なんだ、とつくづく思います」と述べている。

健康、福祉、家庭教育などのテーマで講演活動も行っていた。

兄弟がたくさんいる。自身は次男で、兄、妹がいる[10]

味噌づくり

趣味の一つに味噌作りがあった[12]。自然団法人「みそひともんちゃく」の代表を1979年の設立から解散する2017年[24]まで務めたほか、味噌に関する著書もあった。

幼少期に農家の父親を手伝っていたことから作り方は自然と熟知していたといい、1970年代に子どもが小児ぜんそくを患った際に食生活の改善を考えたことで始めるようになったという[12]。自著では「僕が総理大臣だったら、みそは自給自足以外認めませんよ」と語っている。

増岡が主宰する「みそひともんちゃく」には声優仲間など多くの人が集い、大豆や麹を共同購入して毎年冬に味噌の品評会をしていたという。品評会では実績に応じて位が与えられ、それが上がっていく遊びを楽しんだといい、増岡は「位を超越した『開祖』」だったという[12]

自身の味噌のこだわりは、米麴でなく麦麴を使うことだった[23]。その一方、米麹と麦麹を混ぜたものを使用したこともあった[12]

味噌の出来栄えは、その年の気候や保管状況にも左右されるため「成功の『幅』は広めにとっておき、失敗も楽しんじゃう」ようにしており、声優としての心構えにも通じるものがあったという[12]

エピソード

要約
視点

仕事に対する姿勢

役作りをする際には、最初に不相応な芝居を考えたうえで、そこから演技方針を狭めていくという。これは、若手時代に出演した作品で黒人役となった際に“黒人”という先入観で声を潰して演技をしたところ、ディレクターから「その人物の置かれた立場を演じて欲しい」と言われた失敗談から、声優の仕事は「声を作ること」ではなく「人物を作ること」だと再認識したためだとしている[25]

後進の育成に積極的で、複数の専門学校や養成所で講師を務めた。教え子の松本祐一によると、増岡の厳しい指導は学生の間で有名だったといい、これに増岡は「やり過ぎちゃいけないかなと思う時もある」としつつ「私は嫌われてもいいから本当のことを言おうと決めています。指導者は指導してこそ指導者なのですから」「あたりさわりのないアドバイスをしていては、100年経っても声優になんかなれません。学生には、卒業するまでの間でたった一つでいいから、自分自身にバチッとハマる『この人にしかない魅力、この人でなければならない仕事』にめぐり会えるきっかけを見つけてほしいと思っています」と語っていた[26]

『サザエさん』

サザエさん』では、近石真介の後任として2代目・フグ田マスオ役を、1978年6月11日放送分から2019年8月18日放送分まで約41年担当した。

引き継ぎに関して、オーディションは行われなかったという。ある日、ディレクターの岡本知から連絡を受けたことで収録スタジオを訪れたところ、突然台本を渡され、事情をよく把握しないまま声を収録。後日、2代目のマスオ役に決まったと連絡を受けたという。そのため、増岡は非常に驚いたといい「自分の姓が増岡(ますおか)だから選ばれたのだろう」と考えたという。

近石は先輩にあたるが、趣味の味噌づくりなどを通して交友があった。また、新人時代に増岡は近石から「増岡さん、役者というのは一つの会社に例えるとよくわかるよ。何を作るか、作ったものは今の世に必要か、宣伝して誰もが知っていることか、売れるものの確認、それらを行う社長や社員はみんな自分の中にあるんです。自分を一つの会社と思ってみてください。そうすると、おのずと皆で仲良く協力していいものを作れるし売れないはずはない」との言葉をかけられたといい、自身の役者人生に大きな影響を与えたという[27]

マスオ役の経験から、『ドラゴンボールZ』など他作品で役の引き継ぎをする際は、あえて前任の演技を意識しないようになったという[28]

演じる際は「えぇ〜!?」など何気ない台詞や感嘆詞に独特の台詞回しをすることで知られており[29]、これらは増岡のアドリブなのだという[30]

一番好きなマスオの台詞には、平凡だが温かい響きがそこにあるとの理由で「ただいま〜」「いってきま〜す」を挙げている[31]

『サザエさん』の収録については、日常生活のようなものになっていたため仕事をしたという実感がまったくしなかったが「そこが良さでもある」と語っている[32]。待遇面に関しては苦言を呈することもあったが[33]、番組自体については、さりげなく礼儀作法など大切なことを教えてくれる作品だとしている[14]

『それいけ!アンパンマン』

それいけ!アンパンマン』では、1988年10月3日の初回放送から2019年8月9日放送分まで、ジャムおじさん役を長年演じていた。

ジャムおじさんについて増岡は、子供たちに理解してもらえるよう、冷たい言い方をせず「言葉の温度」を意識し、演じていたという[32]。また「(共演者)みなさんの優しさがちゃんと言葉の温度になっていて、あれは子供たちに受け入れやすいと思うんですよね。」「だから『アンパンマン』は満足感があり、いい作品だなーって。いつまでも世界の子供達に見てもらいたいと思い続けている作品です」と語っている[32]

長年共演してきたスタッフやキャストとは交友があった。アンパンマン役の戸田恵子は増岡について「(レギュラー陣の中で)年長者なので、私達は「師匠」と呼んでいる」と話し[34]、カレーパンマン役の柳沢三千代は放送初期に思い悩んでいたころ、増岡からそっとお茶に誘われ励ましの言葉をもらったことを明かしている[35]。また、戸田によるとホラーマン役の肝付兼太が死去した際の増岡はかなり落ち込んでいたといい、戸田は「同世代ですものね。当然ですよね」と述べている[36]

番組を卒業した後もスタッフ・キャストとは引き続き交流があり、収録スタジオにもよく訪れたという[37]

『有吉くんの正直さんぽ』

『有吉くんの正直さんぽ』では、ナレーションを2012年の開始から担当。当番組が最後の仕事となるなど、最晩年を代表する出演作だった。

有吉弘行の毒舌をたしなめるナレーションが特徴だった。有吉によると、2019年に複数の作品を降板した後、『正直さんぽ』の続投に関しては不透明だったものの、「まぁ、さんぽぐらいやるかぁ」と増岡が続投を承諾したといい、有吉は「すごいよね。うれしいよ。愛着あるんだなぁって思って」「増岡さんが元気にやってくださってるみたいで、いいなぁって。うれしいなぁって思いました」と続投を喜ぶコメントをしていた[38]

2020年1月23日に収録された、同年1月25日放送分のナレーションが生前最後の仕事となった。関係者によると、スタジオ入りした際の増岡は体調が芳しくなく終始苦しげな表情を見せていたが、いざマイクを前にすると背筋がのび普段どおりの声を吹き込んだといい、スタッフが最後まで「これぞプロ!」と驚嘆する仕事ぶりを見せたという[37]

有吉は増岡が逝去した際、「正直さんぽを特別に可愛がってくださって感謝しかなかったです。一回ぐらい一緒に散歩しましょうという願いが叶わなかったのが残念です。本当にありがとうございました。」とコメントし、増岡を偲んだ[39]

後任

増岡の高齢に伴う卒業・体調不良に伴う降板および死後、持ち役・ナレーションを引き継いだ人物は以下の通り。

さらに見る 後任, 役名 ...
後任役名作品後任の初担当作品
池田昌子ナレーションお坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺2019年8月12日放送分
バッキー木場諏訪部順一のとびだせ!!のみ仲間2020年3月7日放送分
玄田哲章有吉くんの正直さんぽ2020年10月31日放送分[注 2][40]
山寺宏一ジャムおじさんそれいけ!アンパンマン2019年8月16日放送分[注 3]
森田了介右大臣不明[注 4]
田中秀幸フグ田マスオサザエさん2019年8月25日放送分
高岡瓶々アル・パウエルダイ・ハード2テレビ朝日版スター・チャンネル追加録音
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出演(俳優)

テレビドラマ

特撮

舞台

  • セーヌ·エ·オワーズの陸橋(1962年、劇団表現座) - アルフォンソ[41]
  • 青森県のせむし男(1967年、天井桟敷) - 大正松吉[42]

出演(声優)

要約
視点

太字はメインキャラクター。

テレビアニメ

1964年
1965年
1966年
  • おそ松くん(時計屋、子分、おフランス軒の客、スモッグ一家の親分 他)
1967年
1968年
1969年
1970年
1971年
1972年
1973年
1974年
1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1994年
1995年
1996年
1998年
  • タッチ Miss Lonely Yesterday あれから君は…(浅倉俊夫〈浅倉南の父〉)
1999年
2000年
2001年
2002年
2011年
  • 日常(ナレーション)
2019年

劇場アニメ

1966年
1967年
1969年
1970年
  • 巨人の星 大リーグボール
1972年
1979年
1980年
1981年
1983年
1984年
  • 劇場版 名探偵ホームズ(宝石店の主人)
  • プロ野球を10倍楽しく見る方法 PART2(タブチ)
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年

OVA

1985年
1986年
1987年
1989年
1990年
1991年
1992年
2008年

ゲーム

2001年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2012年
2013年

吹き替え

映画

ドラマ

アニメ

海外人形劇

特撮

1966年
1967年
1968年
1972年
1973年
1974年
  • イナズマン(ホシバンバラの声)
  • がんばれ!!ロボコン(ロボリキの声、深川副市長の声〈第89話〉)
  • キカイダー01(宇宙人ロボットの声)
1975年
1976年
  • アクマイザー3(ゴルゴンの声、師団長ゲベルの声)
  • 秘密戦隊ゴレンジャー(電話仮面の声、妖貝仮面の声、時計仮面の声、カンキリ仮面の声、ピアノ仮面の声)
1978年
1979年
1985年
1986年
1993年
1996年
2001年

CD

CM

  • マルオ不動産(千葉県ローカルCM、1989年 - 1990年) - ナレーションおよび、不動産屋社員役として実写出演。
  • 西武開発
  • 大阪ガス
  • 浜食
  • 水戸証券(1979年)
  • カーズ2 Blu-ray
  • ヤクルト本社ミルミル
  • 安田のおでん種
  • ムヒ キズテープC(ジャムおじさん)
  • バンダイ ほんとうにたべられる 電子レンジでパン工場(ジャムおじさん)
  • バンダイ 歌って点太くん(1987年)持田香織らと実写出演。
  • 東芝ライテック メロウルックD(サザエさんとタイアップ時)(フグ田マスオ)
  • ケンタッキーフライドチキン「生姜母さんの新メニュー」篇(ナレーション、2012年)
  • アートネイチャーMRP MACH(ナレーション、2013年) 若本規夫と共演
  • JAバンク「マイカーローン」、「住宅ローン」(フグ田マスオ)
  • くるまのハヤシ(岡山県と香川県にある軽自動車の未使用車専門店)中古車屋で品定め中に自宅に店の感想を電話で家族に伝える人の役(出演者は一瞬映る家族役の人だけで本人は声だけの出演)2014年
  • ダイドー うまみブレンド
  • 森永製菓ペッツ
  • セイコーマート ホットシェフフライドチキン
  • 日本経済新聞社「日経電子版」

その他

著書

  • 『マスオさんの美味しい味噌づくり : 若さと健康のモトここにあり』じゃこめてい出版、1995年。ISBN 978-4880433431
  • 『陽だまりのマスオさん―マスオさんの“都会のなかの田舎ぐらし”』KIBA BOOK、1997年。ISBN 978-4916158123
  • 『マスオさんのみそづくり指南: つくろう食べよう手前みそ』家の光協会、2001年。ISBN 978-4259539962
  • 『マスオさんが教えてくれたこと : 自然派マスオさんに学ぶ幸福の見つけ方』廣済堂出版、2013年。ISBN 978-4331517239

脚注

外部リンク

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