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ジェリー・ルイス
アメリカの俳優 (1926 - 2017) ウィキペディアから
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ジェリー・ルイス(Jerry Lewis、1926年3月16日[注 1] - 2017年8月20日)は、アメリカ合衆国の喜劇人、俳優、映画プロデューサー、脚本家、映画監督。本名:ジョーゼフ・レヴィッチ(Joseph Levitch)。スラップスティックなユーモアが持ち味で一時代を築く。筋ジストロフィー患者支援のために創設したテレソンチャリティ基金「レイバー・デイ・テレソン」は24時間テレビ 「愛は地球を救う」のモデルにもなった[1]。息子は『恋のダイアモンド・リング』で知られる60年代の人気バンド「ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ」のボーカルのゲイリー・ルイス。
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来歴・人物

ニュージャージー州ニューアーク出身。両親はロシア系ユダヤ人[2]。父親がヴォードヴィル芸人だったため[3][4]、5歳から舞台に立つ。
1946年にディーン・マーティンと「底抜けコンビ」を結成。人気ナイトクラブでの活動に加え、パラマウント映画製作によるコメディ映画の人気シリーズに出演する。コンビは結成10年後に解散した。
代表作の一つ『底抜け大学教授』(1962年)は、1996年にエディ・マーフィ主演で『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』としてリメイクされた(原題はともに『The Nutty Professor』である)。
また、筋ジストロフィー患者の社会参加と治療費捻出、ならびに筋ジストロフィー協会の活動の啓蒙を念頭において1966年から「レイバー・デイ・テレソン」と題したチャリティーコンサートを開催し、全米にテレビ中継。2010年まで45年間担当した。
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主な受賞歴
- 1998年 - アメリカン・コメディ賞特別功労賞
- 1999年 - ヴェネツィア国際映画祭功労金獅子賞
- 2005年 - ドイツ「金のカメラ賞」特別功労賞
- 2004年 - ロサンゼルス映画批評家協会賞特別功労賞
- 2004年 - ロサンゼルス映画批評家協会賞特別功労賞
- 2009年 - 第81回アカデミー賞特別賞(ジーン・ハーショルト友愛賞)
- そして、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに2つの星をもっている。
主なフィルモグラフィ
要約
視点
※クレジットのないものは出演のみ
- 1950年代
- My Friend Irma 1949年 監督ジョージ・マーシャル ※映画デビュー
- My Friend Irma Goes West 1950年 監督ハル・ウォーカー
- 底抜け右向け!左 At War with the Army 1950年 監督ハル・ウォーカー
- 底抜け艦隊 Sailor Beware 1952年 監督ハル・ウォーカー
- バリ島珍道中 Road to Bali 1952年 監督ハル・ウォーカー
- 底抜け落下傘部隊 Jumping Jacks 1952年 監督ノーマン・タウログ
- 底抜けやぶれかぶれ The Caddy 1953年 脚本・出演 監督ノーマン・タウログ
- 底抜けふんだりけったり Money from Home 1953年 監督ジョージ・マーシャル
- 底抜けびっくり仰天 Scared Stiff 1953年 監督ジョージ・マーシャル
- 底抜けニューヨークの休日 Living It Up 1954年 監督ノーマン・タウログ
- 底抜け最大のショウ 3 Ring Circus 1954年 監督ジョセフ・ペヴニー
- 画家とモデル Artists and Models 1955年 監督フランク・タシュリン
- お若いデス You're Never Too Young 1955年 監督ノーマン・タウログ
- 底抜け西部へ行く Pardners 1956年 監督ノーマン・タウログ
- 底抜けコンビのるかそるか Hollywood or Bust 1956年 監督フランク・タシュリン
- 紐育ウロチョロ族 The Delicate Delinquent 1957年 製作・出演 監督ドン・マクガイア
- 底抜け楽じゃないデス Rock-A-Bye Baby 1957年 製作・出演 監督フランク・タシュリン、原作プレストン・スタージェス
- 底抜け一等兵 The Sad Sack 1957年 監督ジョージ・マーシャル
- 底抜け慰問屋行ったり来たり The Geisha Boy 1958年 製作・出演 監督フランク・タシュリン
- 底抜け船を見棄てるナ Don't Give Up the Ship 1959年 監督ノーマン・タウログ
- 底抜け宇宙旅行 Visit to a Small Planet 1959年 監督ノーマン・タウログ
- 1960年代
- 底抜けてんやわんや The Bellboy 1960年 監督・製作・脚本・出演 ※監督デビュー作
- 底抜けシンデレラ野郎 Cinderfella 1960年 製作・出演 監督・脚本フランク・タシュリン
- 底抜けもててもてて The Ladies Man 1961年 監督・製作・脚本・出演 共同脚本ビル・リッチモンド
- 底抜け便利屋小僧 The Errand Boy 1961年 監督・脚本・音楽・出演 共同脚本ビル・リッチモンド
- 底抜け柵ボタ成金 It's Only Money 1962年 監督フランク・タシュリン
- 底抜け大学教授 The Nutty Professor 1962年 監督・脚本・出演 共同脚本ビル・リッチモンド
- 底抜けオットあぶない Who's Minding the Store? 1963年 監督・脚本フランク・タシュリン
- おかしなおかしなおかしな世界 It's a Mad, Mad, Mad, Mad World 1963年 製作・監督スタンリー・クレイマー
- 底抜け00の男 The Disorderly Orderly 1964年 製作・出演 監督・脚本フランク・タシュリン
- 底抜けいいカモ The Patsy 1964年 監督・脚本・出演 共同脚本ビル・リッチモンド
- ボーイング・ボーイング Boeing Boeing 1965年 監督ジョン・リッチ
- 底抜け男性No.1 The Family Jewels 1965年 監督・製作・脚本・出演 共同脚本ビル・リッチモンド
- 底抜け替え玉戦術 Three on a Couch 1966年 監督・製作・出演 脚本サミュエル・A・テイラー、ボブ・ロス
- 月世界宙がえり Way...Way Out 1966年 監督ゴードン・ダグラス
- 1970年代以降
- 罠にはまった二人・密輸ダイヤをひとり占め One More Time 1970年 監督 製作総指揮・主演、脚本マイケル・パートウィー
- Which Way to the Front? 1970年 監督・製作・出演
- 底抜け再就職も楽じゃない Hardly Working 1981年 監督・脚本・出演 共同脚本マイケル・ジャノーヴァー
- ジェリー・ルイスの双子の鶏フン大騒動 Slapstick of Another Kind 1983年 製作・監督・脚本スティーヴン・ポール、原作カート・ヴォネガット・ジュニア
- キング・オブ・コメディ The King of Comedy 1983年 監督マーティン・スコセッシ
- 私のパパはマフィアの首領(ドン) Cookie 1989年 製作総指揮・監督スーザン・シーデルマン、製作総指揮・脚本ノーラ・エフロン、アリス・アーレン
- アリゾナ・ドリーム Arizona Dream 1992年 監督・脚本エミール・クストリッツァ
- ミスター・サタデー・ナイト Mr. Saturday Night] 1992年 監督・脚本・製作・主演ビリー・クリスタル
- ファニー・ボーン/骨まで笑って Funny Bones 1994年 監督・脚本ピーター・チェルソム
- ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合 The Nutty Professor 1996年 製作総指揮・原案 監督トム・シャドヤック
- ナッティ・プロフェッサー2/クランプ家の面々 Nutty Professor II: The Klumps 2000年 製作総指揮 監督ピーター・シーガル
- ザ・シンプソンズ 2003年
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日本語吹き替え
- ほぼ専属で担当。ルイスの芝居はリズムが早いため、近石は予め大体の台詞を覚えてから収録に臨んでいたといい[7]、録音後は疲れる一方で「ジェリー・ルイスのあのリズムを俺は盗めたぞ」という何ともいい快感があったという。また、後年のインタビューでルイスの吹き替えについて「本当に好きだったなあ」と述べている。
ジェリー・ルイスに影響を受けた人物
脚注
関連項目
外部リンク
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