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主にアニメ作品で使用される主題歌・挿入歌・イメージソングなどの歌曲、楽曲 ウィキペディアから
アニメソングは、主にアニメ作品で使用される主題歌・挿入歌・イメージソングなどの歌曲、楽曲の総称。アニソンと略される。後述の通り音楽技法による分類ではない。
アニメ (anime) と、歌、曲を意味するソング (song) を組み合わせた新語または造語の英語圏で使用されない和製英語。レコード、CDの販売や音楽配信において、主にアニメと分類されるジャンルの曲を指す。
アニメ作品で使用される主題歌・挿入歌・イメージソング以外にも、インスト曲やBGM、そしてゲーム・ラジオドラマ・ドラマCD・特撮などの曲、さらには声優のオリジナル曲もアニメソングと称されることがある。例えば、日本コロムビアの該当カテゴリは 「アニメ・特撮」 である。また、特撮に限定した「特撮ソング(特ソン)」という呼称もある[注釈 1]。
個別作品の楽曲に関しては、
を参照。
「アニソン界の帝王」[1]と呼ばれる水木一郎は、自身の公式サイトにおいて、「アニメソングは世界に誇ることのできる日本固有の文化だ」[2]と述べている。水木によれば、アニメソングは「色々なジャンルの音楽的要素は含まれているが何かの真似かとわれればそうではない、それでいてアニソン的な音というものが確実にありオリジナルなもの」と解釈している[3]。また、「子供向けの建前があるからこそ、手を抜かず最高に贅沢な音楽であるべき」と主張している[3]。タイアップなどによっては番組内容とは必ずしも関係ない主題歌が増えた事については「たとえ主人公や武器の名前を連呼せずとも、何を訴えたいかが伝わる魂のこもった歌であればアニソンと呼べる」と肯定している[1]。
音楽ディレクターの甲克裕は「乱暴なことを言ってしまうと、楽曲がアニメ・タイアップになれば、それはもうアニメ・ソングになるわけで、ジャンルは関係ないんですよね」[4]、アニメーション監督の水島精二は「アニソンはアニメの世界観が共有できていればジャンルは問わないんです」[5]と発言している。
編集者・ミステリー作家の日下三蔵は、決まった定形が無くその時時の流行が反映され呼名や曲調・歌手も時代毎に変わり「アニメの歌」という一つの共通点で括られているだけのジャンルのため様々な曲の多様性が大きな魅力となっていると述べている[6]。
かつてはアニメソングや特撮ソングを専門に歌う「アニメソング歌手」が表に出ることは少なかったが、「およげ!たいやきくん」のヒットで同曲を歌う子門真人が有名になり、子供番組の主題歌を歌う歌手が注目される頃から、少しずつテレビなどの露出も増えていった[7]。
アニメ作品の主役級の担当声優になると、その作品の主題歌・挿入歌・イメージソングも任されることがあり、年々増加傾向にある[8]。
主題歌やサウンドトラックなど音源制作は、大手レコード会社(ポニーキャニオン、NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン、ブシロードミュージック等)で一括して自前で行っている作品も多いが、他社と分担する作品も増えている。
また、アニプレックス・SACRA MUSIC(ソニー・ミュージックエンタテインメント)、flying DOG(JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)、エイベックス・ピクチャーズ(エイベックス)、KING AMUSEMENT CREATIVE(キングレコード)、ランティス(バンダイナムコミュージックライブ)などのアニメ専門のレーベルや、ポニーキャニオンなどのレコード会社で制作している。
1929年、同名の童謡をアニメ化したレコード・トーキーによる実験映画『黒ニャゴ』(1931年公開)が製作され、市販のレコードがサウンドトラックとして使用された[9]ことが始まりと言われている。
東映動画が本格的に長編まんが映画を制作し始める以前、および東映動画の初期の作品では、アニメソングは主に登場人物によって歌唱される劇中歌の扱いが多かった。それらのアニメソングはレコードとして発売されることは少なく、ほとんどの曲は未発売である。東映動画の総天然色長編漫画映画の劇中歌は後にCD-BOX『東映長編アニメ音楽大全集』(1996年発売)に収録された。なお、主題歌はテレビ・ラジオドラマで主に使用されていた。
朝日ソノラマの『まんがソノシート』のヒット、連続テレビまんがの放映開始、主題歌フォノシートの各社競作発売、日本コロムビアの専用規格での参入から「まんがの歌(=アニメソング)」はほぼ成立し[10][11]、「テレビまんが」「まんが映画」から「アニメ」と呼称の変化を経て、「アニメソング」はジャンルとして確立した。
物品税の時代は童謡と判定されれば非課税であったため、アニメソングを『童謡扱い』とするレコード会社もあった。
主題歌は映画音楽やテレビ映画で存在していたが、日本のアニメにおいては1963年元旦に放送開始された『鉄腕アトム』が最初期とされており、本作にて本編前後に主題歌を付けたことをきっかけにオープニング・エンディングからなるアニメソングの基本的なフォーマットが成立した[6]。童謡のように歌詞に主人公の活躍やストーリー展開を散りばめて作品イメージを連想させるスタイルは事実上のアニメソングの基本形となり、「トムとジェリー」など外国アニメの日本版主題歌や、2020年代の現代までの子供向けアニメや特撮作品で継承されている。
黎明期のアニメ主題歌は、方法論が確立されていないこともあり作詞では詩人の谷川俊太郎や放送作家の前田武彦などの著名な文筆家、作曲では三木鶏郎・小林亜星などの一般に知られる作曲家が手掛け童謡的な作風が中心となっており[6]、児童合唱団、あるいは成人歌手(コーラス・グループを含む)や俳優が歌ったものが多かった[6][12]。当時、アニメソング歌手と呼べる活躍をしていた歌手に、石川進[注釈 2]や前川陽子がいる[6]。またヒーロー・ロボット・スポーツ系アニメでは軍歌調の勇ましい楽曲が中心となった[6]。石川進が歌う「オバケのQ太郎」[13]、森本英世が歌う「行け!タイガーマスク」[14]が作品の人気から200万枚以上のレコード売上を達成した。
1960年代末〜1970年代に入ると日本コロムビアが東映動画・タツノコプロ・東京ムービー等の主要アニメスタジオと関係を構築しいち早くレコードの制作体制を強化し、水木一郎、堀江美都子、大杉久美子などアニメ主題歌を活動の主体とするアニメソング歌手が登場[6]。主題歌以外の挿入歌やキャラクターの声優が歌唱したイメージソングを収録したLPアルバムやシングルレコードが企画・発売されるようになる。ささきいさおが歌う「宇宙戦艦ヤマト」[15]が200万枚以上、『アルプスの少女ハイジ』の主題歌「おしえて(歌:伊集加代)」[16]、「キャンディ・キャンディ(歌:堀江美都子)」[16]などがそれぞれ100万枚以上のレコード売上を達成した。1970年代後半以後、ビクターエンタテインメント(タイムボカンシリーズなど)、キングレコード(機動戦士ガンダムなど)、キャニオンレコードなどの各レコード会社がアニメソングに注力するようになる[6]。
1960年代から1970年代頃までは、同じ作曲家が主題歌とBGMの作曲をまとめて担当するケースが多く[注釈 3]、BGMには主題歌のアレンジ曲も多く含まれていた。渡辺宙明によると、作曲家として名前を覚えてもらうためには、歌とBGMの両方を担当し、長年にわたって数作品を担当するのが良いが、近年の作曲家は飛び飛びにやっていると述べている[17]。なお、渡辺の場合、先に書かれた詞に曲を付ける[18]が、「バンバラ」「ダンダン」などのスキャットを付加することもある[19][注釈 4]。
製作会社の企画部(企画室)名義[注釈 5]、あるいは原作者か脚本担当者によって書かれたもの[注釈 6]も多く、主人公や技・武器の名称を連呼する歌詞が主流であり、番組名やキャラクター名がそのまま歌のタイトルになっていることが一般的だった。渡辺宙明は、特に主題歌は「番組の顔」として慎重に作る[18]が、「ハカイダーの歌」(『人造人間キカイダー』の挿入歌)などのように「キャラクターに助けられた」曲もあるという[18]。
1979年8月に公開されたアニメーション映画の主題歌であるゴダイゴ「銀河鉄道999」は、当時まだ珍しいニューミュージックな曲調やアーティストの人気もあり120万枚[16]のレコード売上を達成した。
1980年代からはOVA作品の登場に伴いアニメソングの製作数が一段と増すこととなる[6]。1981年10月から4年半放送された『うる星やつら』の主題歌「ラムのラブソング」は、作品の人気と当時流行していたテクノポップの曲調が相まってキャニオンレコードのアニメソングで初の50万枚を超えるレコード売上を達成。芸能事務所のキティグループがアニメーション製作も行い、作曲の小林泉美、歌手の松谷祐子ともにキティのアーティストであった。1983年にアニメの制作体制が変更してからはキティ主導で2クールごとにオープニング・エンディング曲と歌手の交代を行った。これによって同作の中心的な視聴者であるティーンエイジャーやおたく層に向けて、キティが手掛けたアイドルやバンドの認知度向上とレコードの購買につながることを見い出し、後の『みゆき』や『タッチ』などでキティレコードとポニーキャニオンが自社所属の新人歌手で踏襲するようになる。
「ラムのラブソング」以降のハイティーン向けのアニメ作品では、物語やキャラクターを連想させる歌詞はありながら、キャラクターの名前は含まず現代的なニューミュージック調、後にいうJ-POP志向の楽曲へ変化を遂げていく。この傾向は「愛をとりもどせ!!」や『シティーハンター』シリーズなどキティ・ポニーキャニオン以外の作品にも広がっていった。
1990年代頃はアニメソングが「CDを売るためのプロモーション」に位置づけられることも多く、著名アーティストが担当した際に作品内容とリンクしない楽曲も多く見られた[20]。SPE・ビジュアルワークスの肥田光久取締役(当時)は、『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』のオープニングテーマに起用されたJUDY AND MARYの「そばかす」について、作品内容とのギャップから最初は視聴者のクレームが来たが、やがてそれが関心に変わり、CDを買うことに結びついたと述べている[21]。一方で、GLAYの『ヤマトタケル』主題歌や田村直美の『魔法騎士レイアース』主題歌など、作品のイメージに沿った楽曲もみられた[6]。
2000年代に入るとシングルや関連曲集などCD売上に占めるアニメソングの比重がより増加し、また物語の主題などを反映した曲が求められるようになった[22]。その後、アニメ全体のコンテンツパワーが世界的に高まったことや、アニメ好きを公言するJ-POPアーティストが増加したことも影響し、2010年代から2020年代時点では作品に寄り添った構成の楽曲が増加傾向にある。『チェンソーマン』オープニングテーマの米津玄師「KICK BACK」や『【推しの子】』第1期オープニングテーマのYOASOBI「アイドル」はその好例である[20]。
アニメソングを著名アーティストが担当することが増える一方で、1990年代後半頃からはアニメ・アニメソングファンの間で認知されていたアーティストが、メジャーな場に登場するケースも見られるようになった。冨田明宏はその特筆すべき例として菅野よう子を挙げている[23]。
朝日ソノラマの『まんがソノシート』のヒットから、「まんがの歌」の本格的な商品展開が始まり[10]、テレビまんがの登場、アニメブーム、声優ブームなどを経て、その規模を大きく広げている。
朝日ソノラマの『まんがソノシート』の安価で、ドラマや絵物語等の掲載された冊子が充実したフォノシート、音質に勝るが収録内容に劣るレコード、ともに子供たちに支持されて売り上げをのばす[11][注釈 7]。
当初の音源は、本編用・レコード用等に分けて[24] 作品の製作会社や朝日ソノラマが製作していたが、やがてレコード会社がオリジナル曲の独占使用を目的として原盤製作を行うようになった[10]。
1977年に日本コロムビアから『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』、1978年にキングレコードからオムニバス盤『ウルトラマン大百科』が発売され、ヒットした。『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』は以降のアニメ・特撮のサントラ盤『組曲シリーズ』の発売に、『ウルトラマン大百科』は『無敵超人ザンボット3』(1977年)のサントラ盤発売につながり、それらのヒットから以降の特撮・アニメサントラ盤の発売へと繋がった[25]。『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』などのヒットにより、購買層は中高生層まで広がり、多くのレコード会社がアニメソングに着目するようになったとされる[26][注釈 8](『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』を作った際に念頭にあったモデルは『子どものための交響詩 ジャングル大帝』であったといわれる)。木村英俊によると、1983年当時、アニメレコードの市場規模はざっと100億円とみられ、既に固定した市場が確立していた[28]。
1980年代に入ると、第二次声優ブーム、青年層が中心のアニメブーム、レコード会社のタイアップ戦略などの結果、頻繁に交代する主題歌、キャラクター別CD、同人誌のようなセルフパロディCD、声優によるオリジナルCDの発売など、多数のオーディオビジュアルアイテムが発売されるようになった。また、限定盤を除いてレコード盤の製造・販売が終了した。以降、コレクターズアイテムとしてレコード盤は一部の作品のみの数量限定生産となった。
1980年代には、歌謡曲で活躍する歌手がアニメソングを歌うことも増えていった[6]。特に1983年に『キャッツ・アイ』のオープニングテーマを杏里が歌い、100万枚を超える大ヒットとなった後にはその傾向が強まっていく[6]。
『海のトリトン』(1972年)における南こうせつとかぐや姫など、歌手のプロモーションとしてアニメとのタイアップが行われた例は以前からみられたが、1985年10月から2年間放送された『ハイスクール!奇面組』ではそれをさらに徹底させ、おニャン子クラブの内部ユニットであるうしろゆびさされ組・うしろ髪ひかれ隊が主題歌を歌い、新曲の発売と連動してアニメの曲を変えるというスタイルを確立した[6]。
1987年、「絵の出るCD」としてCDビデオが発売された。アニメでは、音声トラックに既発売の曲を収録したほか、ビデオトラックにノンテロップOP、EDを収録した『きまぐれオレンジロード』、新作PVを収録した『バブルガムクライシス』のほか、ビデオトラックのみにPVと主題歌を収録した『毎日が日曜日』などが発売された。
1980年代まで主題歌の制作は、製作権を有するテレビ局・広告代理店やアニメ制作会社が懇意のレコード会社や音楽出版社に番組のイメージなどを共有し、配下のディレクターや作家が書き下ろすスタイルであったが、1993年にテレビ朝日ミュージックがテレビドラマの主題歌と同じ手法で『SLAM DUNK』の主題歌にビーイングがストックしていた「君が好きだと叫びたい」のタイアップを提案し採用された[29]結果、アーティストのファンと原作・アニメファン双方で支持されてヒットする。これ以降、放送局系の音楽出版社が番組制作会社とレコード会社を取り持ち、楽曲制作の出資や仲介を積極的に行うようになった。
2000年代前半頃から、音楽配信サイトでのダウンロード販売が増え始めた。また、音楽配信サイトだけではなく、一部のアニメ関連サイトでも専用のダウンロードコーナーが設置されるようになった。
2001年、俗に「限定版商法」または「同梱商法」と呼ばれる販売手法が始まる。初回生産分のみに何らかの特典が付く商品[注釈 9]とは違い、何らかの特典が付いた初回限定版と、特典が最初から付いていない通常版がそれぞれ販売される[注釈 10] もので、当初は音楽ソフトとは全く関係のないグッズが同梱されていた[注釈 11]が、後にミュージッククリップなどが収録されたDVDソフトやボーナスCDが同梱されることが多くなった。DVDソフトの「限定版商法」では、当初はフィギュアなどのグッズを同梱することが多かったが、後に主題歌CD、ドラマCD、サントラCDなどが同梱されることが多くなった[注釈 12]。
2002年、DVDオーディオ、DVD music[33]、DVDシングルなどのDVDを利用した音楽ソフトが発売された[注釈 13]。
2000年代後半からニコニコ動画やYouTubeといった動画サイトが登場し、2000年代末以降、インターネット上で歌ってみた出身者(いわゆる「歌い手」)やボーカロイドP(ボカロP)として活動する者がアニメソング提供や歌唱の提供に関わることが増えた。
2010年、一部新番組の宣伝用としてOP/EDのTVサイズとボイスメッセージ等を収録したレンタル専用のサンプラーCDの発売が開始された[注釈 14]。レンタル専用なので一般販売はしていないが、レンタル落ちCDとして入手可能。
2011年頃から、パッケージ販売化されていない音源の音楽ダウンロードサイトでの販売が始まる[注釈 15]。
2012年、パッケージ発売に先駆けてTVサイズ音源のダウンロード販売が始まる。
2010年代後半以降、Spotifyなどの音楽ストリーミングサービスの普及により、収益源が従来のCD販売やダウンロード販売に加え、ストリーミング再生数に基づく収入など、より多様になった。また、デジタル配信の発展によって海外展開が容易になり、アニメソングはJ-POPの主要ジャンルの一つとして世界的に注目を集めるようになった。
著名なアニメソングを(アニメソング以外でも活躍する)アーティストがカバーすることも多い。人気アニメの最新作の楽曲を担当した際にシリーズ旧作の楽曲をカバーするケース、ライブ映像作品のみにカバー曲が収録されるケースもみられる[163]。
テレビ番組やラジオ番組でも、アニメソングを軸にした番組が放送されている。
アニメソングのライブイベントとしては、特定の作品のイベントに付随する形でライブパートが設けられていたり、アニメソング歌手や声優によるライブ・コンサートが開催されるのがほとんどで、複数の作品ないし放送局や制作会社、レコードレーベルをまたがった形のイベントはアニメ紅白歌合戦などわずかに見られる程度であった。
2005年に始まったAnimelo Summer Live(アニサマ)が開催されると、アニメソングにおけるフェスティバル(アニソンフェス)が定着化、アニサマやそれ以前から開催しているANIME JAPAN FES(AJF)、アニサマ以後に開始したANIMAX MUSIX、リスアニ! LIVEなど、大規模なアニソンフェスが開催されるようになり、中にはランティス祭りやKING SUPER LIVEのようにレコード会社が単独開催するものも出ている。
また、アニメソングやアニメのBGMをオーケストラ編成に編曲し、実際に管弦楽団や交響楽団が演奏するコンサートイベントや、Re:animationなどのようにクラブで開催しアニメソングなどをリミックスした形でかけるダンスイベント(アニクラ)なども開催されている。
ウォルト・ディズニー・カンパニーのアニメーション作品で、楽譜として発売されたオリジナル曲の第一号は、1930年の「ミニーのユー・フー!(ミニーのヨー・ホー)」である[166]。この曲はミッキーマウスのテーマソングの一つである。
1931年にキャブ・キャロウェイが歌った「ミニー・ザ・ムーチャ」は、ラジオ放送によって全米で人気を呼び、さらに翌年の1932年にフライシャー兄弟によるベティ・ブープ主演のアニメーション「ベティの家出」の劇中歌として演奏されたこともあって、異例の大ヒットとなった。
1933年に公開された『三匹の子ぶた』の挿入歌「狼なんかこわくない」は大ヒットとなり[167]、ディズニー初のヒットソング[168] として知られる。続いて1934年公開の『アリとキリギリス』主題歌の「ザ・ワールド・オウズ・ミー・ア・リビング (The World Owes Me A Living)」も大ヒットした[169]。
1938年、前年公開の『白雪姫』のサウンドトラックアルバム『白雪姫 オリジナル・サウンドトラック』が発売された。映画用に録音されたサウンドトラックがレコードとして発売されるのはこれが初である[170]。
1940年代にザ・サティスファイアーズが歌ったフェイマス・スタジオ制作のアニメシリーズ『リトル・ルル』の同名主題歌は、ビル・エヴァンスが1964年発売のアルバム『トリオ'64』(旧邦題:『リトル・ルル』[171])でカバーし[172]人気を呼んだ[173]。
1960年代から放送された『ピーナッツ』のテレビアニメでは、当時のテレビ番組では珍しいジャズによるサウンドトラックが使用された[174]。また、1965年に放送されたテレビスペシャル『スヌーピーのメリークリスマス』のサウンドトラック盤『スヌーピーのメリークリスマス』は、2023年現在までに全米録音資料登録簿にジャズのジャンルで登録された唯一のクリスマスアルバムであり、アメリカレコード協会でクインタプル(5×)・プラチナ認定を獲得している[175]。
『アーチーでなくちゃ!』のキャラクターによって結成された架空のバンド「アーチーズ」が、モンキーズらを手がけたドン・カーシュナーのプロデュースによって現実世界でもデビューし(実際にはスタジオ・ミュージシャンらによる歌唱)、1969年に「シュガー・シュガー」が大ヒットした。
1994年に発売されたディズニーのアニメ映画『ライオン・キング』のサウンドトラック盤『ライオン・キング/オリジナルサウンドトラック』は、最も売れたアニメーション映画のサウンドトラックとしてギネス世界記録に認定されている[176]。
韓国のアニメソング(歌詞のある主題歌)の歴史は、1967年、日韓共同制作のテレビアニメ『黄金バット』が日本と同じ30分枠で放送され、日本版の主題歌を韓国語訳したものが流されたことが本格的な始まりとされる[177]。それまで韓国で放送されていた『ポパイ』や『ウッドペッカー』などのアメリカ製アニメでは、演奏のみのオープニングテーマが使用されていたこともあった[178]。同じく1967年に公開された韓国初の長編アニメーション『洪吉童』(ホンギルトン、邦題『少年勇者ギルドン』)にも主題歌があった[179]。
当初、韓国で放送される日本製アニメの主題歌は、日本版主題歌に韓国語歌詞を載せることもあれば、韓国独自に作曲した主題歌が使われることもあり様々であったが[注釈 28][180]、1980年代に入ると多くの作品で韓国独自に作曲した主題歌が使われるようになった。以前日本版主題歌を使用して放送した作品でも、後の再放送では独自の主題歌が使われる場合もあった[181]。
韓国製劇場版アニメーションにおいて、オリジナル・サウンドトラックがレコードとして発売されるのは1976年公開の『テコンV宇宙作戦』が初である[178]。
1997年放送の韓国製テレビアニメ『霊魂騎兵ラジェンカー(ラゼンカ)』ではロックバンドのN.EX.Tが主題歌を担当した。アニメ自体は興行的に失敗したが、主題歌を収録したサウンドトラック盤は30万本を売り上げるヒットとなった[182]。この頃になると、日本製アニメの主題歌にも、韓国の人気歌手が歌う独自の主題歌が使われる例が現れる一方で、日本版主題歌に韓国語歌詞を載せたものも存在した。ビデオ販売やケーブルテレビでの放送では日本版主題歌を使用し、地上波の放送では独自の主題歌が使われた例もあった[183]。
2006年には、OVA『Re:キューティーハニー』の主題歌として使われた倖田來未の「キューティーハニー」[注釈 29]が、韓国においてアユミが日本語原詞に忠実な韓国語訳詞でカバーしヒットする[184][注釈 30]。
フランスで放送される日本製アニメの主題歌は、日本版の主題歌にそのままフランス語歌詞を載せて歌う例が多く、『キャンディ・キャンディ』や『UFOロボ グレンダイザー』などが挙げられる。『UFOロボ グレンダイザー』は、後年の再放送では同じ菊池俊輔のメロディをもとに、シンセサイザーによる独自のアレンジを施した版も使われている。
イタリアではいくつかの日本製アニメにおいて、日本版の主題歌がそのまま使われている。高い視聴率を得て今も多くのイタリア人が知る代表的なものは『鋼鉄ジーグ』である。一方で多くの主題歌はイタリア独自に作曲したものに差し替えられている。劇中のBGMはほとんどが日本のオリジナルのまま使われているが、『アルプスの少女ハイジ』は例外的にBGMもドイツ版が用いられており、近年ではアメリカ経由で配信された『スマイルプリキュア!』がBGMを差し替えている。劇中で流れる挿入歌は、1990年代までの作品は日本語のまま流れることが少なからずある。
『魔法の天使クリィミーマミ』は、オープニング曲こそ独自の楽曲が使用されているが、挿入歌として日本版の主題歌「デリケートに好きして」(イタリア語: Dimmi che mi ami teneramente)が、そのままのメロディかつタイトルもほぼそのままの訳で、イタリアのアニメソング歌手クリスティーナ・ダヴェーナによって歌われている。エンディング曲2種も同様に日本版の楽曲が使用されている。
クリスティーナ・ダヴェーナはイタリアのいわゆる「アニソン女王」であり、500曲以上のアニメ主題歌を歌っている。日本以外で制作されたアニメも若干含まれるが、ほとんどは日本製アニメである。多くはイタリア独自に作曲した主題歌であるが、中には日本版の主題歌をそのまま歌った例もある。『愛してナイト』でダヴェーナは主役やっこちゃん(リチアと改名)の声優を務め、またイタリアで独自に実写ドラマ化してその主役も演じ、大ブレイクした。これに端を発するダヴェーナの人気の高さから、以前別の主題歌で放送した番組でも、1980年代後半以降ダヴェーナが別の楽曲を歌ってそれに差し替えて再放送する例も多く見られる。(『ベルサイユのばら』、『おはよう! スパンク』、『キャプテン翼』など)。2020年現在55歳のダヴェーナは、1990年代(『美少女戦士セーラームーン』など)、2000年代(『東京ミュウミュウ』など)、2010年代(『ドラえもん』新版など)、現在にかけても多くのアニメソングを担当し、精力的に活動している。
2010年代以降のイタリアでの日本製アニメの放送は、オリジナルを重視して日本版の主題歌をそのままイタリア語訳して歌う傾向に回帰してきた。『美少女戦士セーラームーンCrystal』では女性歌手ユニット「ラッジ・フォトーニチ」(マジンガーZの必殺技「光子力ビーム」の意味)によって歌われ、ダヴェーナの次世代であるアニソン専門のユニットが頭角を表してきたことをイタリアのアニメファンに知らしめた。また同作品の「月虹」をはじめとするエンディング曲は全て日本語のままで放送された。他にも『遊戯王』、『妖怪ウォッチ』、『イナズマイレブン』などが、日本版の主題歌をそのままイタリア語訳で歌っている。『魔法少女まどか☆マギカ』はオープニング、エンディングとも日本語のままで放送された。
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