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1937年のアメリカのアニメーション映画 ウィキペディアから
『白雪姫』(しらゆきひめ、原題:Snow White and the Seven Dwarfs(英語版))は、1937年のアメリカ合衆国のファンタジー映画。ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ製作で、世界初のカラー長編アニメーション映画である。
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白雪姫 | |
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Snow White and the Seven Dwarfs | |
監督 | デイヴィッド・ハンド |
脚本 |
テッド・シアーズ オットー・イングランダー アール・ハード ドロシー・アン・ブランク リチャード・クリードン メリル・デ・マリス ディック・リカード ウェッブ・スミス |
原作 | グリム兄弟 |
製作 |
ウォルト・ディズニー ロイ・O・ディズニー |
出演者 | アドリアナ・カセロッティ |
音楽 |
フランク・チャーチル レイ・ハーライン ポール・J・スミス |
撮影 | ボブ・ブロートン |
製作会社 | ウォルト・ディズニー・プロダクション |
配給 |
RKO 大映洋画部 |
公開 |
1937年12月21日 1938年 1950年9月26日[注釈 1] |
上映時間 | 83分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | $1,490,000 |
興行収入 | $418,200,000 |
配給収入 | 7323万円[1] |
前作 | (本作がシリーズ第1作) |
次作 | ピノキオ |
グリム兄弟による童話『白雪姫』が原作。 ディズニーの長編映画第1作目であり、歴史に残る名作にするべく、莫大な労力と金額が費やされた。公開前のウォルト・ディズニーは、400本を超える短編アニメーションのみを製作しており、ミッキーマウスが登場した『蒸気船ウィリー』など成功する作品も一時的にはあったが、ほぼ全てが赤字続きで多額の借金漬けの毎日であり、倒産間近であった[2]。
4年の歳月と170万ドル(当時の金額)の巨費を投じて制作された大作である。世界初[3]のカラー長編でありながらフルアニメであり、作成されたセル画の枚数は25万枚以上にも上る(白雪姫から遥か後の時代に緻密な描画で有名となったスタジオジブリ作品でも、『崖の上のポニョ』の17万枚が最多である)。結果として質感すらも感じさせるキャラクターの動きが実現されている。
まだアニメーションといえば実写映画の合間に子供向けに上映される短編を指していた時代であり、成功を危ぶむ声も多く、「ディズニーの道楽」と言われていたが、ふたを開けてみれば6,100万ドルの収益を上げる桁外れの大ヒットを記録した。これにより、ウォルトは借金を全て返済し、本社をバーバンクに引っ越すことにした[2]。
挿入歌の『いつか王子様が』(Someday My Prince Will Come)は、ジャズやポピュラー音楽のスタンダードナンバーとして多くのアーティストによってカバーされている。また、小人のマーチ『ハイ・ホー』(Heigh-Ho)も有名である。
むかしある城に白雪姫という美しい王女が住んでいた。幼い頃に両親を亡くしていた白雪姫は継母である女王とともに暮らしていた。しかし女王は大変恐ろしい魔女で、白雪姫を下働きのように扱っている。そして魔法の鏡に「この世で一番美しい女は誰?」と聞くのが日課になっており、魔法の鏡が女王だと答えるのを聞いて満足していた。
ある日、いつものように白雪姫が働いていると、偶然通りかかった王子と出会い恋に落ちる。同じ日に、女王がいつものように魔法の鏡に声を掛けると、魔法の鏡は「世界で一番美しいのは白雪姫です」と答えてしまう。怒り心頭の女王は、手下の狩人に白雪姫を殺し彼女の心臓を持ち帰るよう命令する。哀れに思った狩人は彼女に女王の陰謀を教えて森の奥へと逃し、代わりに豚の心臓を持ち帰って女王を欺く。
一方の白雪姫は、森で迷った末に動物達に導かれて小さな家を発見し、中が汚れているのを見て掃除を始める。その家は七人の小人たちが住む家であった。やがて鉱山での仕事から戻って来た小人たちに挨拶をすると、小人たちは白雪姫を歓迎して家事全般を引き受けることを条件に匿い、白雪姫は小人たちと共に楽しい一夜を過ごす。
一方で、白雪姫が生きていることを知った女王は、白雪姫を自ら手にかけることを決心。魔法の薬を飲んで醜い老婆に変身し、毒リンゴを作って小人たちの家に向かう。その際、「毒リンゴの呪いは恋人の初めてのキスで解ける」ことを知ったが、「死んだと思い込んだ小人たちが生きたまま埋めるだろう」と本気にしなかった。
翌朝。小人たちが仕事に出た後、白雪姫は彼らに留守の間は誰も入れるなと忠告を受けていたが、家にやってきた怪しい物売りの老婆を家に招いてしまう。その老婆の正体は、白雪姫が生きていることを知り今度こそ亡きものにしようと魔法で化けた女王だった。異変を察知した動物たちの知らせで、白雪姫に危機が迫っていることを知った小人たちはすぐさま家に引き返し、老婆に化けた女王を追撃。崖に追い詰められた女王は巨石を落として小人たちを殺そうとするも、突然の落雷によって谷底へと落ちる。
しかし、時既に遅く、白雪姫は女王が与えた毒リンゴを口にし息絶えていた。物言わぬ白雪姫の前で涙にくれる小人たちは、彼女の美しさを惜しみ、埋葬することなくガラスの柩に安置して片時も傍を離れようとしなかった。
時は流れて翌年の春、白雪姫の恋人で、彼女の行方を探し続けていた王子が白雪姫の柩を見つけ出し、静かにくちづけを交わす。すると、息絶えたはずの白雪姫が息を吹き返した。女王がリンゴに浸した毒は、口にしたものを殺すのではなく永遠の眠りに落とすというものであり、真実の愛のキスを受けて毒の魔法が打ち消されたのだった。
平和の訪れと王子との再会の喜びを胸に、小人たちに別れを告げた白雪姫は王子と共に旅立ち、王子の国で末永く幸せに暮らす。
製作 | ウォルト・ディズニー、ロイ・O・ディズニー |
原作 | グリム兄弟 |
脚本 | テッド・シアーズ、オットー・イングランダー、アール・ハード、ドロシー・アン・ブランク、リチャード・クリードン メリル・デ・マリス、ディック・リカード、ウェッブ・スミス |
音楽 | フランク・チャーチル、リー・ハーライン、ポール・J・スミス |
キャラクター・デザイン | アルバート・ハーター、ジョー・グラント |
白雪姫担当作画監督 | ハミルトン・ラスク |
王子担当作画監督 | ビル・ティトラ |
7人の小人担当作画監督 | フレッド・ムーア |
魔女担当作画監督 | ノーム・ファーガソン |
レイアウトチャック | チャールズ・フィリッピ、ヒュー・ヘネシー、マクラーレン・スチュワート、テレル・スタップ、ケンドール・オコーナー、トム・コドリック |
白雪姫担当原画 | マーク・デイヴィス |
小人担当原画 | レス・クラーク |
鳥担当原画 | エリック・ラーソン |
王子担当原画 | ミルト・カール |
マジックミラー担当原画 | ウォルフガング・ライザーマン |
女王担当原画 | フランク・トーマス |
魔女担当原画 | ジョン・ラウンズベリー |
ハゲタカ担当原画 | ウォード・キンボール |
女王担当原画 | アート・バビット |
原画 | オリー・ジョンストン、ディック・ランディー、ロバート・ストークス ジェームズ・アルガー、アル・ユグスター、サイ・ヤング、ジョシュア・メダー、ウーゴ・ドルシ ジョージ・ローリー、フレッド・スペンサー、ビル・ロバーツ、バーナード・ガーバット、グリム・ナトウィック ジャック・キャンベル、マーヴィン・ウッドワード、ジェームズ・カルヘイン、スタン・クワッケンブッシュ、ライリー・トムソン ヒュー・フレイザー、ケン・オブライエン |
美術監督 | ハロルド マイルズ、グスタフ・テングレン、ケン・アンダーソン、ヘーゼル・セウェル、ジョン ヒューブレイ |
背景 | マイク・ネルソン、マール・コックス、クロード・コーツ、フィル・ダイク、レイ・ロックレム モーリス・ノーブル、サム・アームストロング |
色彩設計 | マーセリット・ガーナー |
撮影 | ボブ・ブロートン |
録音 | ウィリアム・E・ギャリティ |
音響効果 | ジム・マクドナルド |
演出 | パース・ピアース、ウィリアム・コトレル、ウィルフレッド・ジャクソン、ラリー・モーリー、ベン・シャープスティーン |
監督 | デイヴィッド・ハンド |
《1958年版》
製作指揮 | ジャック・カッティング |
台本翻訳 | 田村幸彦 |
演出・音楽監督 | 三木鶏郎 |
録音 | 国際ラジオセンター |
コーラス | ダークダックス 服部リズムシスターズ |
《1980年版》
総指揮 | ブレーク・トッド |
翻訳 | 金田文夫 |
訳詞 | 若谷和子 |
制作進行 | 松坂尚美 |
録音 | 東亜映像録音株式会社 |
小人のコーラス | ボニージャックス |
コーラス | 東京混声合唱団 |
LP、CD販売などのほか、各配信サイト、ダウンロード販売、サブスクリプション配信などがある。
白雪姫、王子、女王が登場するシーンのアニメーションを作成する際にはロトスコープというフライシャー・スタジオから採り入れた手法が用いられた。コマ送りで撮影した生身の人間の動きをベースにトレースして動画化するという手法だが、これにアニメーションならではの動きの誇張を加えることにより、写実的かつ自然な動きの表現に成功している。また、マルチプレーン・カメラを使用することで3次元的な奥行きを表現し、更にテクニカラーによって色彩を施した。なお、ディズニーでは1932年から既に短編アニメのカラー化が行われている。
マルチプレーン・カメラで生み出された白雪姫の立体感は、日本の草創期のアニメ界にも大きな影響を与え、瀬尾光世の下で持永只仁が多層式撮影台を開発。1941年に瀬尾の「アリチャン」が生み出された[10]。
日本での公開は第二次世界大戦の影響もあり、西ドイツ(当時)と並んで1950年と各国に比べて遅い方だが、第二次世界大戦以前にこれ程までに質の高いアニメーションを制作していた事実と、制作を実現したアメリカの圧倒的国力に、公開当時に本作品を見た若者の多くが驚愕したという。特にディズニーアニメーションから多大な影響を受けたことで知られている手塚治虫は「(公開時に映画館で)本作を50回は見た」と回想している(なお手塚治虫は個人的に劇場用フィルムの廃棄品を特殊なルートでアニメーション製作の研究のために買い入れて保有していた。これはbetaやVHS、LDやDVDなどが登場するはるか前のことである)。
1951年までに400万を超える児童が都市部の映画館で観たとされ、常設館での上映が一巡した後は、大映が地方の公共団体やPTAなどに1日1万5,000円でフィルムの貸し出しを行った[11]。このため映画館のない地方でも、「学校行事などで同級生と共に白雪姫を観た」、「初めて観た映画が白雪姫だった」という記憶を持つ者も多い[12]。
1993年にはコダックのシネオンというデジタル処理で映像修復が施されたデジタル・ニュー・バージョンが公開され(日本での公開は1994年)、興行収入4,000万ドル以上を記録するなど大ヒットした。なお、この時点でドルビーサラウンドによる音声のステレオ化が行われている[13]。
米国本公開時はRKOに映画配給を委託しており(ブエナ・ビスタ設立まで)、オープニングで「配給:R.K.O」というクレジットと、エンディングに「RKO RADIO PICTURES」の社名ロゴが背景の地紋に埋め込まれていたが、後のリバイバル上映時にRKOを省いたものに差し替えられた。このRKOが入った本来のオリジナル映像は、2001年版DVDに当該部分のカットが特典映像扱いで本編と別に収録された後、2009年版DVD/BDの本編映像に組み込まれ、本公開時のオリジナル版へ完全に復元された。
米国に於いて本作は1965年にリニュー(著作権更新手続き)が行われたため、パブリックドメインとなるのは2033年1月である[14]。また、日本では日本国内での上映公開から50年間を経た時点で著作権の保護期間が終了した(現在は法律が改正されて国内公開後70年間保護される規定になったがこれは法律の改正前に保護期間が終了した)と考えられることから、現在パブリックドメインDVDで旧画質のものが発売されている。しかし、デジタル・ニュー・バージョンは、公開された1993年から新規の著作権が発生した。
2007年、映画公開70周年を迎え、それを記念してフロリダのディズニー・ワールドでは限定版フィギュアリンが販売された。(世界各国の公開年については、シンプル英文版「Snow White and the Seven Dwarfs (1937 movie)」も参照)
2008年にはアーティスト、学者、評論家、歴史家で構成される1,500人以上の審査員によって選定される「AFIアメリカ映画100年シリーズ」の『アメリカ映画アニメーション部門トップ10』で1位に輝いている[15]。白雪姫城のモデルとなったとされるセゴビアのアルカサルには多くの観光客が訪れる。
1980年のリバイバル公開時には、「東映まんがまつり」内の一本として公開された。「東映まんがまつり」で海外のアニメ映画が上映されるのは、1977年7月17日公開の『世界名作童話 せむしの仔馬』以来で、「ディズニー作品」は史上初。
同時上映作は次の3本。
『鬼太郎』のみTVブローアップ版で、あとの2作品は劇場用新作。
ディズニー作品が「東映まんがまつり」で公開されたのは以下の事情による。ディズニー作品は1970年代後半、日本であまりヒットせず[16]。1977年4月29日に公開された『星の国から来た仲間』を最後に1977年秋から[17]、日本での直接配給機構であるブエナ・ビスタ映画日本支社の解散・閉鎖をめぐって労使対立が続いて配給業務がストップし[17]、ディズニー作品は2年以上日本で公開されなかった[16][17][18]。1979年になって和解が成立して新たに(旧)ウォルト・ディズニー・ジャパンが設立され、1979年11月29日に帝国ホテルで記者会見があり、ハロルド・アーチナルブエナ・ビスタ・インターナショナル社長、松岡功東宝社長、金子操同副社長、岡田茂東映社長が出席[18]。東宝と東映と契約し二年ぶりにディズニー作品の日本マーケットへの再進出が決まり[18]、1980年からディズニー作品が日本で上映されると発表された[18]。松岡社長は「東宝は過去、ディズニー映画全作品を興画してきた。同社が映画を作る姿勢、観客に夢を与える姿勢に共鳴したからで今回も作品を配給することにした」と述べ、岡田社長は「東映はディズニー映画を追い越せと東映動画を育て、昨今はその時歩を国内外に築いている。今回はウチが『白雪姫』を公開することになった」などと話した[18]。
ディズニー側は新旧のアニメで年間2番組はブッキングしたいと希望したが、東宝の番線に空きがなく、そこで「1980年夏の東映まんがまつり」に入れてもらえないかと金子東宝副社長と岡田東映社長で話し合いがもたれ、「年間1番組なら引き受ける」との合意に至った[16]。岡田としては当時、東映洋画が角川映画や「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の興行を手掛けるようになってマーケットが拡大し、東急レクリエーションと共に洋画興行でSTチェーンを組む松竹との軋轢が起こり、STチェーン内で摩擦ができていた事情から、より東宝に近づいておいた方が得策と判断した[16]。また将来的なフリー・ブッキングを見据えての措置でもあった[16]。翌「1981年夏の東映まんがまつり」でも『101匹わんちゃん大行進』と『ミッキーマウスとドナルドダック』の2本が「東映まんがまつり」枠で公開されている。そのため、1980年のリバイバル公開時の『白雪姫』、1981年のリバイバル公開時の『101匹わんちゃん大行進』、『ミッキーマウスとドナルドダック』の3本は、いずれも東映洋画ではなく通常の邦画系として公開された。また、1992年4月25日公開の「夢のファンタジーワールド」で『シンデレラ』と『ミッキーのたつまき騒動』の2本は、東映とワーナー・ブラザースの共同配給という形で、テアトルやヒューマックスの系統にて小規模で公開された。
ウォルト・ディズニー・ジャパンは、2024年5月13日にハピネットの子会社であるハピネット・メディアマーケティングとライセンス契約を締結し、同年10月1日より、ビデオソフト(映像作品)の製造・販売事業をハピネット・メディアマーケティングに移管。これに伴い、ポニーキャニオンは2024年9月30日までに販売を担当となり[19][20]、ハピネット・メディアマーケティングがディズニー関連作品、東映作品、東映アニメーション作品によるビデオソフト(映像作品)の製造・販売事業を担当するようになったのは、1992年4月25日公開の「夢のファンタジーワールド」以来、32年ぶりとなる。
ディズニー社は家庭用ビデオテープレコーダーが登場してきた当時、テレビやケーブルテレビ等で放送されている同社作品がテープ録画されることにより、繰り返し視聴され、映画館やテレビでの売り上げに被害をもたらすものと、ソニー社を訴え、両者は長らく裁判で争い続けたという有名な経緯がある。そのような事情から、ディズニー社の方針が変わって映像作品がVHSビデオテープに収録されて販売されるようになったのは比較的遅かった。
この節の加筆が望まれています。 |
1993年に映像修復が施されたデジタル・ニュー・バージョンのセルビデオ(VHS)出荷本数はアメリカで2700万本、日本では1994年10月28日に「ウォルト・ディズニー・クラシック」レーベルとして期間限定生産で発売、180万本を記録[21][22]している。
2001年12月1日にウォルトの生誕100周年を記念し、ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメントが「プラチナ・エディション」シリーズの最初のソフトタイトルとして、1993年のデジタル・ニュー・バージョンを基にドルビーデジタル5.1chサラウンドにリマスター(英語のみ)などを施し、本編ディスクのみの通常版と特典映像を収録した2枚組の「デラックス・エディション(デラックス版)」が全世界同時発売となった。
日本では独自企画で、発売時に当時絶頂期にあった浜崎あゆみとタイアップし、このプロモーション用に制作された「いつか王子様が」のカバーがCMソングに使われ、フルコーラスのミュージックビデオが収録されたDVDビデオが購入者対象のキャンペーンにより抽選でプレゼントされた(他のCDやDVDには未収録)。また、糸井重里プロデュースのミッキーマウスデザインのDVDプレイヤー同梱版も若干数発売された。
(☆印は本編ディスクに/2001年デラックス版のみ、★はVHSにも収録)
日本では2009年11月4日にウォルト ディズニー スタジオ ホーム エンターテイメントからBlu-ray Disc2枚と本編DVDの計3枚組の「ダイヤモンド・エディション」、DVDビデオ2枚組の「プラチナ・エディション」、DVDビデオ1枚の「スペシャル・エディション」が発売された。「ダイヤモンド・エディション」のBDMVでは更なる映像のデジタルリマスターによりHD化、DTS-HDマスターオーディオ7.1Chサラウンドにリマスタリングした音声を収録。また、2001年デラックス版の映像特典の殆どを再収録している。
日本では2007年頃からパブリックドメインDVDとして複数のメーカーから廉価で発売されている。
日本では2016年5月18日にウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパンからBlu-ray DiscとDVD、デジタルコピー(スマートフォンやタブレット端末で、本編映像を見ることができるサービス)、MovieNEXワールドがセットになったMovieNEXが発売された[24]。
★印 新収録
実写リメイク映画が2025年3月21日に公開予定である[25][26]。
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