東京ドーム
東京都文京区にある多目的ドーム球場 ウィキペディアから
東京都文京区にある多目的ドーム球場 ウィキペディアから
東京ドーム(とうきょうドーム)は、東京都文京区後楽にあるドーム球場。プロ野球・セントラル・リーグ(セ・リーグ)の読売ジャイアンツ(読売巨人軍)が専用球場(本拠地)としている。
東京ドーム | |
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フィールド全景(外野広告部分は2021年まで) | |
施設データ | |
所在地 | 東京都文京区後楽1丁目3-61 |
座標 | 北緯35度42分21秒 東経139度45分7秒 |
起工 | 1985年(昭和60年)5月16日 |
開場 | 1988年(昭和63年)3月18日[1] |
所有者 | 株式会社東京ドーム |
グラウンド | 人工芝(フィールドターフ) |
照明 |
照明灯 - 14ヶ所 照度 - バッテリー間:2800ルクス、内野:2500ルクス |
建設費 | 約350億円 |
設計者 | 竹中工務店、日建設計 |
建設者 | 竹中工務店 |
使用チーム • 開催試合 | |
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収容人員 | |
約43,500人[2](野球開催時、うち車椅子席30席) 約55,000人(コンサート開催時) | |
グラウンドデータ | |
球場規模 |
グラウンド面積:13,000 m2 両翼 - 100 m (約328.1 ft) 中堅 - 122 m (約400.3 ft) 左右中間 - 110 m (約360.9 ft) |
フェンス | 4.24 m(約13.9 ft) |
1988年(昭和63年)3月18日に開場した日本初の屋根付き球場で[3]、株式会社東京ドームが運営する東京ドームシティの中核施設。野球のほかに、格闘技・プロレスの興行やコンサート、商品の展示会なども行われている。建築面積は46,755m2。
日本初の全天候型多目的スタジアムで[4]、後楽園球場の実質的な代替球場として後楽園競輪場の跡地に開場[5]。1984年9月に「後楽園エアードーム」の仮称で建設計画が発表され[6][7]、1988年3月17日にオープニングセレモニーが開かれ、3月18日にこけら落としイベントとして巨人と阪神のオープン戦が行われた[4]。
4月8日に初の公式戦「巨人 - ヤクルト」(夜に「日本ハム - ロッテ」)が行われた。その日の関東地方は4月としては珍しく大雪で同じ関東地方の西武ライオンズ球場(当時はドームではなかった)での開幕戦は中止となったが、東京ドームの開幕戦は予定通り行われ、ドームの威力を早々と発揮した形になった。
愛称は「BIG EGG(ビッグエッグ)」で[3]、1986年の東京ドームの正式名決定とともに制定され「Big Entertainments & Golden Games」(大きな娯楽と輝かしい試合)の略や卵型のドームから新しい歴史を生むといった思いが込められた[8]。1998年まで東京ドームグループの旧称として「BIG EGGグループ」という社名が使われていたが、2000年1月1日に周辺エリアの「ビッグエッグシティ」の愛称を「東京ドームシティ」に改めたことにより公式に廃止されている[4][注 1]。
空気膜構造屋根を持つアメリカのメトロドームをモデルとして設計された[9]。特徴的な屋根は総重量400トンに達し、1987年6月28日の午前中にインフレート(空気入れ)が行われ[10][注 2]、以後、今日まで一度もしぼんだことがない。2002年からロングパイル人工芝を日本の野球場で初めて採用した。天然芝に近い感触の特殊な繊維とクッション材を採用し、選手の負担を軽減している。ドームの広さは約216メートル四方で建築面積は46,755m2、容積は約124万m3(東京ドーム (単位)も参照)。
2015年度の実績では、撤去・設営も含めた稼働実績は87.4%[11]。そのうち野球が占める割合は4割程度で、その他はコンサートなどの各種イベントが占める[11]。
フィールドは人工芝を採用。開業後は巻き取り式のショートパイル人工芝を使用していたが、2002年(平成14年)から試合会場としては日本で初めて、天然芝に近い性質を持つといわれるロングパイル人工芝「フィールドターフ」を導入した[12]。導入の背景としては、膝痛に苦しみながら中堅手として出場を続けていた当時の巨人の主力選手松井秀喜への配慮があったとされる。このフィールドターフは2007年(平成19年)3月、2014年(平成26年)3月[13]、2019年(平成31年)3月と[14]、3回張り替えが行われている。
外野フェンスは2010年(平成22年)から従来のラバーフェンス(高さ4.0m)にネットフェンス(高さ0.24m)を付け加えたものとなっている。ネットフェンスを付け加えた主目的はホームランを判定しやすくするため[15]。2018年(平成30年)からは、外野フェンスのクッション部分がそれまでのものよりも柔らかくなった。
ラバーフェンスのスタンド側上部には手すりがあり、開業当初はそれに打球が当たった場合はインプレーであった。しかし、1990年6月9日に落合博満がバックスクリーン手前の手すりに直撃してグラウンドに跳ね返ってくる打球を放った際、福井宏二塁塁審はフェンスを超えていたとして本塁打と判定した[16]。これを機に、同審判が手すりの紛らわしい部分の撤去を要望するなど、判定の難しさが指摘されていた[17]。その結果、藤田元司巨人監督と近藤貞雄日本ハム監督及び審判との協議によって、1991年から手すりに当たった場合は本塁打というルールに変更された(ほか、フェンス上端部を黄色に着色することも決定された)[18]。
外野からは十分な高さがあるフェンスは、客席の最前列からは低く、落下の危険性や観客がホームランにならないような打球に触れることも容易であるという欠点もある。2014年(平成26年)4月19日の対中日戦で坂本勇人が大野雄大から放った左中間への大飛球は、当初は本塁打と判定されたものの、のちビデオ判定の結果、最前列にいた観客が手すりを超えてインフィールド側まで手を出して直接捕球したことが確認されたため二塁打に変更された[19]。一方、2023年(令和5年)8月13日の対横浜DeNAベイスターズ戦で坂本勇人が上茶谷大河から放った左中間への大飛球は、2014年の事例と同様に最前列にいたファンが手すりを超えて捕球を試みたが(捕り損ねてボールはフィールドに落下した)、この時は二塁打と判定され、のちのビデオ判定による検証でも覆ることはなかった[20]。ただ、ビデオ判定直後の審判による説明では、観客の妨害により本塁打が二塁打に変更されたとも解釈できる説明がなされたこともあり、試合翌日の14日にNPBはこの件で詫びを入れるとともにファンに対し異例の「お願い」を出した[21]。
ホームランの出やすさの理由として、第一に、左中間・右中間の膨らみが小さく110mしかない(両翼からセンターの最深部までほぼ直線の構造である)ことが挙げられる。これは現在の12球団の本拠地球場の中で最も狭い(なお、福岡ドームもホームランテラスを設置後は同じ規格となっている)。第二に、屋内球場のため風の影響を受けない上に構造上湿度が低くなっているため打球が伸びやすいことが挙げられる。
もっとも、東京ドームは野球規則1.04に記載されている国際基準を満たすNPB初の本拠地球場であり、完成当時としては広い球場だった。実際に後楽園球場でなされた1987年(昭和62年)の公式戦は112試合で234本の本塁打(1試合平均2.09本)が出たが、東京ドームの1988年(昭和63年)の公式戦112試合は147本(1試合平均1.31本)が出たにとどまり、約4割減少している。さらに、コンピュータ分析では、王貞治の868本塁打のうち、東京ドームなら322本減るという結果も出ていた[22]。
他球場と比較しても、東京ドームの1試合当たりの平均本塁打数は、各球団の本拠地(巨人と日本ハムが本拠地としていたため、全12球団で全11球場)中、1988年10位、1989年10位、1990年11位であり[23]、数字の上でも本塁打の極めて出にくい球場であった。しかし、その後は、1991年7位[23]、1992年6位[24]、1993年6位[25]、1994年6位[26]、1995年7位[27]、1996年6位[28]、1997年3位[29]、1998年1位[30]、1999年2位[31]、2000年1位と[32]、他球団が広い球場に本拠地を移転したり球場を拡張したりする中で、東京ドームは相対的に本塁打の出やすい球場となっていった。
それに加えて、ボールの影響がいわれており、それまでのタマザワ製ボールだったのを1992年からミズノ製に変えたために、本塁打が増加したとされる[33]。それを裏付けるように、開業した1988年の1試合当たりの本塁打数は1.31本(112試合で147本)だったのに対して2004年は3.43本(76試合で261本)と2.6倍以上に増加し、統一球導入前後で、2010年は2.88本(73試合で210本)・2011年は1.42本(69試合で98本)と半数以下に激減している。
この最中、1998年(平成10年)には東京ドームで本塁打が急増したため、読売新聞で分析がなされ、左・右中間の膨らみが無いこととともに、スタンドにしか冷房が当たらない構造から「冷房によって外野席の気温が下がれば『風』がグラウンドから吹きつけることは考えられる」という仮説を挙げている[34]。
屋根は空気膜構造と呼ばれるもので、内部の空気圧を外部よりも0.3%(3ヘクトパスカル)高くして膨らませている。インフレートと呼ばれ、完成時に屋根を膨らます作業が行われた(この作業はメディア等でも取り上げられている)。圧力差を維持するために送風ファンを合計36台設置しており、ドア開閉がある場合は10台から18台、ドア閉鎖時は2台を動作させて気圧を維持する。出入り口は手動式回転ドアやエアロックが設置されており、全面的なドア開放は与圧が抜けて屋根が潰れる原因になるので出来ない。多数の観客が退場する際は通常のドアも開放されるが、気圧のため外向きに強い風が起こり注意を要する。この風は回転ドアのわずかな空間でも発生している。隣接する小石川後楽園の日照に配慮するため、屋根の高さが外野方面に向かって低くなっていくように設計されている。
屋根は28本のワイヤを8.5メートル間隔で縦横に並べ、その間に二重構造の膜を張ったものとなっている。膜はガラスクロス(織物)の表面をフッ素樹脂でコーティングしたもので、耐候性・耐熱性・非粘着性に優れた不燃材料である。内膜は音を吸収する特性もある。耐用年数は20年以上。総重量は400トン。太陽光の約5%を透過する。施工は太陽工業。ワイヤからテレビカメラ(中央部)、スピーカー(中央部1個、膜屋根周辺21個)、照明(14ヶ所)が吊るされている[35]。
中央部のテレビカメラ(通称『トップアイ』)からの映像は、野球中継だけでなくNHK・民放各局の夜のスポーツ速報番組などに使われていた。最近の巨人戦などの野球中継ではあまり頻繁に使用されないが、投手の投球練習を上から撮影する際などに使用されている[注 3]。巨人の優勝決定時に行われる胴上げの際は『トップアイ』からの映像が必ず使用される。
天井の高さ61.69mは1964年の後楽園球場開幕試合に巨人の王貞治が国鉄・金田正一から放った超特大の場外ホームラン(推定飛距離151m)から導き出された数字で[36]、それ以上の打球が来ても屋根に当たらないように高さが設定された。完成直前の東京ドームをテレビの収録で訪れた長嶋茂雄は「この天井にボールをぶつけることは無理でしょう」と述べていたが、実際は打球が天井や懸垂物に当たった例は多数ある(東京ドームの特別ルールの適用例を参照)。
東京ドームは打球が天井や懸垂物に当たった場合などに備えて特別ルールの「東京ドーム特別規約」が設けられている[37][38]。
東京ドーム特別規約(2016年現在)の内容は以下の通り。
— 東京ドーム特別規約[37][38]
- 打球が、フェア地域上の天井や懸垂物に当たった場合は、ボールインプレイとする。ファウル地域上の天井や懸垂物に当たったり、穴や隙間に入り込んだ場合は、ボールデッドとする[注 4]。
- 打球が、フェア地域内にある天井の穴または隙間に入り込んだ場合、あるいは懸垂物に挟まった場合は、ボールデッドとし、打者および走者には投球当時を基準にして二個の安全進塁権が与えられる。
- 内野から外野にかけてフェンス上にボールが留まった場合は、ボールデッドとする。ただし、バックネットの低いフェンス上にボールが留まった場合は、ボールインプレイとする。
- ボールボーイ用の椅子にボールが当たってプレイングフィールドに跳ね返った場合は、ボールインプレイとする。ただし、ダッグアウトの屋根の上に留まるか、ひさしに当たった場合は、ボールデッドとする。
- エキサイトシート内にボールが入った場合は、ボールデッドとする。ただちにプレイングフィールドに跳ね返った場合もボールデッドとする。
- ボールがカメラマン席に留まった場合は、ボールデッドとする。ただちにプレイングフィールドに跳ね返った場合もボールデッドとする。
開場当初から1990年代までは、デーゲームにおいて、白い天井とボールが同化して野手がフライを見失うケースが続発した(ナイターではほとんど起きない)[47]。
1995年4月22日の日本ハム対西武戦では、西崎幸広が7回終了時までノーヒットノーランだったものの、8回表のオレステス・デストラーデの放った飛球をセンターの大貝恭史が見失って三塁打となり、ノーヒットノーランが途切れた[48]。
第63回都市対抗野球大会(1992年)の準決勝では、4回表の日本生命の攻撃で、無死1塁から内匠政博の放ったライトへの飛球を日本石油の右翼手高林孝行が見失って三塁打となった[49]。また、7回表の日本生命の攻撃では、一死2、3塁でショート後方に上がった飛球を日本石油の遊撃手が見失って二塁打となった[49]。いずれも得点となり、結局1点差で日本生命が勝った[49]。
第66回都市対抗野球大会(1995年)の決勝では、8回裏、2点を追う日本石油の攻撃で、二死2塁から高林孝行が放ったセンターの飛球をNKKの中堅手が見失った結果、同点のランニングホームランとなり、延長戦で日本石油が勝利するなど、天井が優勝を分ける結果となった[50]。高林は、3年前に打球を見失った当事者であり、全力で走っていたという[51]。
第69回都市対抗野球大会(1998年)では、東京ドームの天井で打球を見失ったためにヒットになったケースをカウントした結果、1大会(31試合)で20本との数字が出ている[52]。
しかし2000年代以降は、経年によって天井が黒ずんできたため、上記のようなケースはほとんど見られなくなっている。
オープンコンコースが採用されておりメインとなる内野2階コンコースから直接グラウンドが見える構造となっている。ただし内野側は下段席最上段に設置されたグループシートによる目隠し部分が増えた。当初の下段席最上段後方は内野寄りが車椅子席(12席)で、残りは安価な立見席となっていた。現在はグループシートよりも外野側の車椅子席が30席と増え、残りはカウンター席とカウンター立見席となり安価な立見席は外野席後方のみとなっている。内野席後方立見席の改装はコロナ禍による立見席の販売停止と重なっており、2024年の立見席販売再開時には名称が「立ち見」から「外野立ち見」に変更されている。他に内野は1階と4階、外野は1階にクローズドコンコースがあり、グラウンド面の高さは地下5.5m。
基本的に座席の色は青とシーズンシートのグレーで統一されている。敷地の関係上、日本の球場としては外野席の比率が低い。内野席は2層式で中間にバルコニー席があり、巨人戦は食事付き年間指定席となっている。バルコニー席の中央部分はVIP用スペースとなっており、イベントによってはバルコニー席全体が関係者用スペースにもなる。スタンドのファウルポール付近は可動席で、サッカー、アメフト等の開催時はフィールドを広げられるようになっている。かつてはスタンド下方への自動収納式のものもあったが現在は廃止されている。
巨人主催ゲームについては2009年から2010年まで、阪神戦を除く平日ナイターに限り内野C指定席の一部を学割チケットとして販売していた。また、2023年には平日ナイターに限りD指定席の一部を大学生や専門学校生向けに1000円で販売している[53]。
左翼スタンドのセンター寄りを巨人の応援席にした「レフト巨人応援席」、残りの座席の一部を「ビジターチーム応援席」と設定したため、巨人ファンとビジターファンとの外野の座席比率はおよそ6:4(実質見た目は7:3ぐらいに見える)になっている。元来ライト側に入れない巨人ファンがレフトのライト側寄りで応援していたことと、レフト側でビジターチームを応援する客が少なかったこと、2005年(平成17年)後半戦の阪神戦以外の全ての試合で、バックスクリーン周辺のレフトスタンドの客席の空席が目立ち過ぎたことなどから、設定された席種である。なお阪神戦は、阪神ファンの集客率が他球団のファンのそれと比較すると圧倒的に高い点や巨人と阪神のファン同士での争い事の発生を避けるため「レフト巨人応援席」は設定されておらず[注 6]、レフト外野席全てが事実上のビジター応援席となっていた。ただし、クライマックスシリーズ開催時は例外で、阪神戦の際も「レフト巨人応援席」が設定される。またコロナ禍で一旦ビジター席の設定が無くなった後に復活した後は阪神戦も他球団戦と同じ扱いになっている。
都市対抗、大学選手権、プロ野球のアジアシリーズが開催される期間中は、一・三塁側スタンド最前列に応援団の特設ステージが設けられる。[54][55]
2005年(平成17年)から内野一・三塁側のファウルゾーンにフィールドシート(エキサイトシート)を設置[12](228席)した。2009年(平成21年)からは座席列が2列から4列に増設されて420席(一塁・三塁各210席)となっている。2017年からは一塁、三塁側に合わせて154席増設され、合計574席となった。また38席分に頭上まで防球ネットエリアが新設され「エキサイトEASYシート」と名付けられた。
2019年から東京ドーム外野のレフトスタンド下に「シークレット パーティールーム」が設置された。外野フェンスに金網が張られた窓が設けられており、カウンター席から試合を観戦することができる。また大型モニター・ソファが設備された個室で、ホテルメイドのパーティー料理・ソフトドリンクが楽しめる。部屋数は2室で、収容定員は15-25名。
プロ野球の各球団は、2004年(平成16年)までその主催のシーズン公式戦の観客数を概数で数字で発表していた。東京ドームは収容人員を1988年から1994年まで56,000人、1995年から2004年まで55,000人とし、巨人戦の観客数を実際の入場者数に関わらず満員の55,000人(1994年まで56,000人)と発表していた。朝日新聞によると、設計段階は50,009人であり行政指導の結果46,314人に減ったが(後述)、満員で5万人と発表していた。
ただし、日本シリーズやオールスターゲームは、各球団ではなく日本野球機構の主催となり、同機構が公益法人(一般社団法人)のため実際の有料入場者数が記録されることになっている。日本野球機構主催ゲームの最多有料入場者数は、1994年日本シリーズ第2戦の46,342人[57]。
2005年(平成17年)からプロ野球全体で観客数発表を実数に近似させるため、通常は実際の入場者ではなくシーズンシートを含めたチケット購入者数を、プロ野球チームが本拠としている各球場でも収容人員の変更が行われているが、東京ドームは観客数発表の方法は変更したものの収容人員の変更はしばらくされていなかった。後に野球開催時の収容人数を約46,000人と公称するようになった。しかししばしば47,000人弱の動員が記録されている。また1998年のアメリカ横断ウルトラクイズでは、5万453人と発表されている[58]。
開場当初、小石川消防署に届けられていた定員は46,314人(そのうち立ち見2,976人)であった[59]。2005年(平成17年)4月13日の産経新聞は、改修を経て現在の数字である45,600人に落ち着いたとある。その後、エキサイトシート新設による増員が行われた。2023年時点で公式ホームページ上では(野球開催時)、約43,500人となっているが[2]、これはグループシートの増加と立見席がほぼ廃止された影響と思われる。
野球以外でのイベントは、2002年12月7日の「K-1 WORLD GP 2002 決勝戦」が主催者発表で74,500人[60]、1998年(平成10年)4月4日の新日本プロレス他主催の「燃える闘魂アントニオ猪木引退試合」が主催者発表で70,000人などの記録がある[61](コンサートや格闘技などはグラウンドにも座席を設けるため、野球開催時より多数の観客を収容できる)。
1988年(昭和63年)の完成時のスコアボードは、バックスクリーン側の三菱電機製白黒2色の「スコアボード」とフルカラー表示の「オーロラビジョン」、バックスタンド上部にある白黒2色のサブボード(スコア表示のみ)だった。打順のチーム名表示は開場初年のみ「巨人」「阪神」などの通称を使用していたが、翌年から「ジャイアンツ」「タイガース」といったニックネームに切り替わっている(文字はどちらも明朝体)。2003年に、後述するスコアボード部改修を機に再び通称表示(パ・リーグの場合は「大阪近鉄」「福岡ダイエー」「千葉ロッテ」など)に変更されたが、2004年にニックネームに戻された(2003年以降の文字はどちらもゴシック体)。
オーロラビジョンは1990年(平成2年)にハイビジョンサイズへ変更[62]、1999年(平成11年)に全面改修された。2001年(平成13年)にサブボードも三菱電機製のフルカラー表示の全面オーロラビジョンに全面改修された。
2003年(平成15年)にスコアボード部が改修され、ホームラン時の映像パフォーマンス(ホームチームのみ)が上半分の表示から全画面表示になった。各選手の打率(AV)、ホームラン(HR)表示に打点(RBI)が加わった。球速表示も単位が"km"から"km/h"に変更され、スコア部分のチーム名表示が普通のアルファベットから各球団の帽子のマークに変更された(2004年以降の西武と近鉄は帽子のマークがイラストのみのため、西武は胸マークの「L」の筆記体、近鉄は太字の「Bu」が使用された)。選手名に使用されていた文字の字体が多少変更された。2004年(平成16年)のシーズン途中からは、サブボードの球速表示部分にも打席の選手名、打率(AV)、ホームラン数(HR)が表示されるようになった。球速表示はその下に表示される。
2005年(平成17年)にバックスクリーン側のスコアボードとオーロラビジョンの全面改修が行われ、フルカラーLED表示の全面オーロラビジョンになった。フォントがCanonの角ゴシックCaに変わり、従来のものと違い両チームのメンバーを上から下へ縦表示になり、守備位置表示が数字から英語略称になった(投手=P、捕手=C、一塁手=1B、左翼手=LF、代打=PH、代走=PRなど)。
2006年(平成18年)から、バリアフリー対策の一環で選手名部分の字体の幅が太くなった(それ以外はこれまで通り)。その影響でペットマークを表示していた部分がなくなり、チーム名を選手名の上部に表示するようになったため、一列に入る選手名が9人分となった。このため指名打者制の試合時は、5番打者の名前の横(3塁側のチームは右側、1塁側のチームは左側)に投手名が表示されている。
2007年(平成19年)より、スコアボードをより見やすく、わかりやすくするため、守備位置表示が英語略称から日本人になじみのある数字に戻り、投球数表示が追加され、オーロラビジョン部分がハイビジョンサイズ(16:9)になる。打率・ホームラン・打点の表示も英語から日本語に変わった。枠の色が緑から文字の部分と同じ黒に変更されており、球速やヒット、エラーなどの記録は黄色で表示される。前年開催された2006 ワールド・ベースボール・クラシックアジアラウンドで投手の投球数制限をわかりやすくするために使用された投球数表示をこのシーズンから公式戦でも使用し始めた(巨人主催試合のみ、日本ハムをはじめとするパ・リーグやアマチュアでは表示されない)。
野球の試合で使用する場合、スコアの表示は開設当時は9回まで(10回以後は9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する)だった。2003年(平成15年)の改修に際して、延長戦の表示について、プロ野球のように延長が12回までしか行われない場合は1回から9回までのスコアの幅に1回から12回までのスコアを、幅を詰めて表示するようになった。都市対抗野球大会など、延長が13回以降も行われる可能性がある場合は、従来通り9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する(現在のスコアボードも同様)。2007年(平成19年)からスコア部分のチーム名表示がアルファベット1文字になった(2011年までは横浜とオリックスは共に「B」と表示されていた)。ただし、2文字以上表示することも可能であり、2008年のアジアシリーズはSKワイバーンズが「SK」・統一セブンイレブン・ライオンズが「U・L」・天津ライオンズが「T・L」と表示され、2012年に行われたMLB開幕戦ではシアトル・マリナーズが「SEA」・オークランド・アスレチックスが「OAK」と表示された。2012年からDeNAは「DB」と表示されている(オリックスは「B」のまま)。
2011年シーズンから国際慣習に基づき、ボールカウントを「SBO」から「BSO」表示に変更した。
2017年からは一軍での巨人主催ゲームのみにおいて右下のスペースに投手成績、打者成績が表示されるようになった。投手は登板数、投球回数、奪三振、防御率が表示されており、打者は打数、安打、四死球、得点、長打率、出塁率、盗塁数、得点圏打率が表示されている。
2021年のオフシーズンより、2年かけてメインビジョンとサブビジョンの大規模改修工事が予定されていたが[63]、予定を1年早めて2022年シーズン開幕までに完成させる方針を固めた。
当初の予定では、2021-22年のオフシーズンでは従来のオーロラビジョンが設置された箇所+レフト側で最もバックスクリーン寄りにあった広告パネルのうちの1枚+バックスクリーンの回転パネル型広告盤(プリズムビジョン)を一体化して、従来の2倍程度のサイズの大きさにする予定がなされていたが、これを1年前倒しにして、当初2022-23年のオフシーズンにかけて予定していた完成形のものにした。従来の約238m2からみて約4.4倍相当の約1050m2・横幅約125.6mのLED巨大フルカラーボードを旧来のセンターバックスクリーン付近から、広告パネル(11枚)が掲げられていた外野席のほぼ全体にかけて設置するもので、画質もプロ野球公式戦が行われる球場では最高峰のものとなった。ビジョンの拡大により、従来から看板広告を提供していた協賛各社のパネル(引き続き看板を掲示する左中間・右中間各1枚を除き、かつ初代オーロラビジョンが設置された箇所相当分を含め10枚相当)と、バックスクリーンに提供していたパネル広告は、リニューアルされた電光掲示板にも再現され、リボンビジョン(後述)と同じように様々なパターンの広告を掲示できるようになった[64]。また、それまで常設であった時計とボールカウンターについては、ビジョン内で表示する形式に変更された。
この新メインビジョンと連動する形で、音楽や照明との一体化した映像や静止画、アニメーションなどの映像演出を展開するほか、外野席のフェンス最前列に、ポール際から左中間・右中間に向かう形で設けられるリボンビジョン(縦1.28m×横53.76m、面積68.813m2、画素ピッチ10㎜×2面)を設置した。
このほかスコアボードとの連動によるDMXというシステムを使い、各種映像演出と一体化した照明パターンを展開している[65]。
ネット裏の放送席の配置は、三塁側から順に東京ケーブルネットワーク、ニッポン放送、ラジオ日本、テレビ朝日、NHK、日本テレビ、文化放送、TBSラジオ、6局共用ブース(北海道放送、CBCラジオ、ラジオNIKKEI、RKB毎日放送、朝日放送ラジオ、MBSラジオ)となっている。
6社共同ブースは、ラジオNIKKEIは日本短波放送時代に後楽園球場からプロ野球中継を行っていた名残で使用権を持っているが、2021年現在は中継の制作を行っていない。北海道放送とRKB毎日放送は交流戦の巨人主催試合、あるいは日本ハム・ソフトバンクの主催またはビジターのパ・リーグ公式戦で(2017年以前はTBSラジオの、2018年以降の平日は文化放送の、週末はニッポン放送のブースを借りる場合もある)、CBCラジオは巨人主催試合を聴取率調査期間中や一部週末デーゲームに自社制作する時に使う程度である(後者の場合は2017年まではTBSラジオの、2018年以降はRFラジオ日本のブースを借りることもある)。
東京ケーブルネットワークの放送席は地上波のテレビ埼玉(過去に千葉テレビ放送も)、CS放送のGAORA(プロ野球・日本ハム主催試合と都市対抗社会人野球)、スカイ・エー(アメリカンフットボール社会人Xリーグ)、BS放送のJ SPORTS(プロ野球・楽天主管試合とアジアシリーズ)に使われるほか、ラジオの巨人主催試合を朝日放送ラジオとMBSラジオが並行して制作する場合に朝日放送ラジオが使用する(この場合、MBSラジオが前述の6局共用ブースを使用。2010年以降週末を挟む三連戦でRFラジオ日本や文化放送が中継を一切行わない場合、朝日放送ラジオはRFラジオ日本や文化放送のブースを使うこともある)。
TBSラジオが2017年を最後にDeNA主催試合の裏送り以外の野球中継から撤退したため、TBSラジオのブースは予備ブース扱いとなり、FM NACK5が東京ドームから西武が関与する試合を中継する時に同ブースを使用したことがある。2021年に行われた東京ドームでのDeNA主催試合におけるTBSラジオのビジター地元局への裏送りで、どのブースが使われたかは不明。
放送席に入るために一度コンコースを通らなければならず、観客が解説者などにサインをねだる光景がみられる。日本テレビの番組宣伝などで中継ゲストに有名芸能人が登場したときは試合終了後に放送席裏のコンコースが人だかりして混乱する。
21番ゲート右側に野球殿堂博物館が併設されている[66]。この施設も後楽園球場から「野球体育博物館」の名称で受け継がれてきたが、2013年4月1日に現在の名称に変更された[67]。
東京ドームは、野球開催時に以下のような規制を行っている。
応援幕・メッセージボード等の内容は、チームや選手を応援するものに限り、公序良俗に反する内容や誹謗中傷(球団への批判等)を含む内容のものは持込できない[69]。試合中に掲げても、掲げている内容が試合中でも厳しくチェックされているため、発見され次第係員に没収される。
巨人主催試合は1993年(平成5年)まで、日本ハム主催試合は2006年(平成18年)まで太鼓を使用できなかった。理由は一説によると、東京ドームの応援規制が緩和された1994年(平成6年)に巨人・日本ハム両応援団は「トランペット(トロンボーン)持込数増加」と「太鼓持込」のいずれかを選択することになり、巨人応援団は太鼓を、日本ハム応援団はトランペット(トロンボーン)を選択したといわれる。日本ハム主催試合で2007年(平成19年)以降太鼓が認められるようになったのは、巨人主催試合のビジター戦では太鼓が認められ(パ・リーグ他球団主催試合については不明)、ホーム戦で認められないことに対する矛盾を解消する事が理由であると言われる。
2016年12月が会社創立80周年に当たることから、同年1月から2019年1月の3年間にわたり、1988年の開業以来初となる大規模改修工事を行った。総事業費は約50億円で、一部休業期間を設けるが基本的に営業を継続しながら段階的に実施する。主なリニューアル内容は以下の通り[74][75][76][77]。
前述の通り2021 - 2023年のオフシーズンを利用し、2期に分けてスコアボードの大型化拡充のほか、エントランスや客席のホスピタリティーの改善を進めていく予定だったが、2021 - 2022年のオフシーズンに工期を短縮して展開することになった[65]。
2024年4月19日、東京都が中央区築地の旧築地市場周辺の跡地の再開発について、東京ドームの親会社である三井不動産グループを中心とした企業体が事業者となったと発表した。この中には、5万人収容可能な多目的スタジアムの建設が計画されており、一部報道では老朽化が進む東京ドームに代わる巨人軍の本拠地として使用することが想定されていると報じられた[78]。
後楽園球場から引き続き、セントラル・リーグの読売ジャイアンツ(以下、巨人と記す)とパシフィック・リーグの日本ハムファイターズ(当時)の2球団が専用球場(本拠地)とした。日本ハムは2004年度に北海道の札幌ドームに移転したため[79]、以降は巨人のみが専用球場としている。巨人は一軍だけでなく、二軍の公式戦でも年に数試合使用する。
開場以来、レギュラーシーズンに年間60試合強の主催試合を開催する。2024年までにクライマックスシリーズが10度、日本シリーズが11度開催されている[注 8]。
日本ハムの本拠地ではなくなった2004年以降は、日本ハムも地方開催という形で継続して主催試合を開催したほか、パシフィック・リーグの日本ハム以外の球団も東京ドームで主催試合を行うようになった。日本ハム以外では、2004年に初めてオリックスが2試合、ダイエーが1試合の主催試合を東京ドームで開催したのを皮切りに、2005年と2007年から2009年にかけてはオリックスが2試合を、2010年から2019年までは楽天が毎年1試合を、ソフトバンクが2012年以降毎年1試合(2018年と2019年は2試合)を、ロッテが2016年と2018年・2019年に1試合を、西武が2018年に1試合を、それぞれ東京ドームで開催した。このように、パ・リーグの現存する6球団は全球団が主催試合の開催実績を持つ。
一方、巨人以外のセ・リーグ各球団については2010年代まで開催実績はなかったが、東京オリンピック・パラリンピック開催の関係でヤクルトとDeNAが2021年に初の主催試合を行ったほか、シーズン日程消化の兼ね合いから同年の日本シリーズの第3戦から第5戦(ヤクルト主催試合)も行われた(経緯の詳細は後述)。
なお、1952年に日本プロフェッショナル野球協約第38条によって制定された「プロ野球地域保護権」により、東京都の同権利を持たない球団が主催試合を開催する場合、権利を持つ読売ジャイアンツと東京ヤクルトスワローズの両球団に予め承諾を得ることが前提条件となっている。
移転前年の2003年11月に東京ドームで開催された東京時代最後のファンフェスティバルで、今村純二球団社長(当時)が「移転後も、東京ドームで12から15試合を引き続き開催します」とファンの前で宣言した。東京ドームでの開催を継続する理由として、東京都にも球団事務所があること、二軍施設は隣県の千葉県鎌ケ谷市のまま継続されていることに加え、旧来の東京のファンの存在を考慮したことなどが挙げられた。
2004年は東京ドームでの主催試合が12試合行われ、2005年は10試合、2006年から2019年までは毎年7〜9試合の主催試合が組まれた[注 9][注 10]。ただ、2020年以降は縮小され、2020年は当初の発表では東京オリンピック・東京パラリンピック開催に伴う他球団の主催試合との兼ね合いで4試合の開催予定に留まり[80]、その4試合も新型コロナウイルスの影響で開催されなかった。2021年は同年に延期となった東京オリンピック・パラリンピック開催に伴う他球団の主催試合との兼ね合いで5試合の開催となった。2022年は3試合のみとなり、2023年は全主催試合を新球場のエスコンフィールドHOKKAIDOで開催したため、東京ドームでの開催は35年で途絶えることとなった[81]。
オリックス・バファローズは親会社であるオリックスの本店機能が東京にある関係で(大阪府が発祥のため、本社は東京と大阪の2ヶ所体制)、ブルーウェーブ時代の2004年から2009年まで年間2試合の主催試合が組まれた[注 11]。2010年以降は開催していない。
福岡ダイエーホークス時代の2004年6月15日に1試合の主催試合を開催[注 12]。ソフトバンクが親会社となって以降では2012年から「鷹の祭典in東京ドーム」として2017年までは主催試合を毎年1試合を開催し、2018年は7月9日と10日に、2019年も4月22日[注 13]と7月8日にそれぞれ2試合ずつ開催。2020年・2021年は当初から開催日程に組まれなかったが[80]、2022年以降は「鷹の祭典in東京ドーム」として6月ないし7月に1試合が行われている[82][83]。
東北楽天ゴールデンイーグルスは2010年から「楽天グループデー」として主催試合を毎年1試合開催している。2020年から2022年までは開催していなかったが[80]、2023年より再開している[84]。
千葉ロッテマリーンズは2016年7月12日にマリーンズ誕生・本拠地千葉移転25周年の記念事業として39年ぶりの都内主管試合の会場として使用した[注 14][85][86](地方開催自体が11年ぶり)。2017年は開催しなかったが、2018年は8月21日に、2019年は8月22日に[注 15]、それぞれ開催された。2020年から2022年までは開催していなかったが、2023年に対埼玉西武戦が開催された[注 16][87]。
埼玉西武ライオンズは2018年4月17日に「ライオンズクラシック2018」として、初めて東京ドームでの主催試合を開催[88]。2020年4月21日にも主催試合が開催される予定だったが、新型コロナウイルスの影響でプロ野球の開幕が延期となり、中止となることが決定した[80]。2023年は5年ぶりに、4月18日に対ソフトバンク戦が開催された[89]。
東京ヤクルトスワローズは2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催期間中とその前後は、本拠地である明治神宮野球場が資材置き場・VIP待機場所として使用されるため7月6日から9月13日の2か月以上にわたり利用不能になることから、東京ドームでの主催試合を7月上旬から9月上旬にかけて11試合行う予定であったが[90][91][92]、新型コロナウイルスの影響で東京オリンピック・パラリンピックとも開催が延期されたため、東京ドームでの主催試合分はすべて明治神宮野球場での開催に変更になった[93]。2021年は延期となった東京オリンピック・パラリンピック開催期間中とその前後は、本拠地である明治神宮野球場が資材置き場・VIP待機場所として使用されるため7月中旬から9月上旬まで利用不能になることから、東京ドームでの主催試合が8月27日から29日(対DeNA・3試合)、および9月3日から5日(対広島・3試合)の計6試合が開催されている。
また同年の日本シリーズはヤクルトが進出したが、シーズン日程消化に伴うシリーズ延期に伴い神宮球場の使用日程が第52回明治神宮野球大会と重なったことから、11月23日 - 25日に行うホームゲームはすべて東京ドームで行われた[94]。
横浜DeNAベイスターズは2020年の東京オリンピックにおいて本拠地の横浜スタジアムが野球・ソフトボールの会場として使用することから準備を含め6月9日から8月23日までの約2か月半利用不能になることから、東京ドームでの主催試合を6月下旬から7月上旬にかけて6試合行う予定としていた[90][92][91]が、東京ヤクルトスワローズと同じく、東京オリンピックの開催が延期になったことを受けて、すべて横浜スタジアムでの開催に変更になった[93]。2021年は延期となった東京オリンピックの野球・ソフトボール競技の会場として横浜スタジアムが使用することから準備を含め6月中旬から8月中旬まで利用不能となることから、東京ドームでの主催試合が6月18日から20日(対広島・3試合)、および8月17日から19日(対阪神・3試合)の計6試合が開催された。
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、日本戦を中心とする試合が下記の日程で開催された。
大会 | ラウンド | 日程 | 出場国・地域と順位 (太字は上位ラウンド進出国) | 合計観客数 |
---|---|---|---|---|
2006年 (第1回) |
第1R - A組 (アジアラウンド) |
2006年3月3日 - 3月5日 | 韓国、日本、 チャイニーズタイペイ、中国 | 100,964人 |
2009年 (第2回) |
第1R - A組 (東京ラウンド) |
2009年3月5日 - 3月9日 | 韓国、日本、 中国、チャイニーズタイペイ | 170,112人 |
2013年 (第3回) |
第2R - 1組 (東京ラウンド) |
2013年3月8日 - 3月12日 | 日本、オランダ、 キューバ、チャイニーズタイペイ | 170,658人 |
2017年 (第4回) |
第1R - B組 (東京ラウンド) |
2017年3月7日 - 3月10日 | 日本、キューバ、 オーストラリア、中国 | 206,534人 |
第2R - E組 (東京ラウンド) |
同年3月12日 - 3月15日 | 日本、オランダ、 イスラエル、キューバ | 209,072人 | |
2023年 (第5回) | 第1R - B組 (東京ラウンド) | 2023年3月9日 - 3月13日 | 日本、オーストラリア、 韓国、チェコ、中国 | 180,988人※ 日本戦以外は非公表 |
準々決勝 | 同年3月15日 - 3月16日 | 日本、キューバ、 オーストラリア、イタリア | 76,784人 |
MLBの公式戦(開幕シリーズ)が、下記の日程で行われた[95]。また、2003年3月25日・26日にもオークランド・アスレチックスVSシアトル・マリナーズが行われる予定だったが、米英によるイラクへの武力行使によりMLBとMLB選手会が選手などの渡航の安全を十分に確保できない恐れがあると判断し、中止となった[96]。
開催日 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 観客動員 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|
2000年3月29日 | シカゴ・カブス | 5 - 3 | ニューヨーク・メッツ | 55,000人 | [97] |
2000年3月30日 | ニューヨーク・メッツ | 5 - 1 | シカゴ・カブス | 55,000人 | [98] |
2004年3月30日 | ニューヨーク・ヤンキース | 3 - 8 | タンパベイ・デビルレイズ | 55,000人 | [99] |
2004年3月31日 | ニューヨーク・ヤンキース | 12 - 1 | タンパベイ・デビルレイズ | 55,000人 | [100] |
2008年3月25日 | ボストン・レッドソックス | 6 - 5 | オークランド・アスレチックス | 44,628人 | [101] |
2008年3月26日 | ボストン・レッドソックス | 1 - 5 | オークランド・アスレチックス | 44,735人 | [102] |
2012年3月28日 | シアトル・マリナーズ | 3 - 1 | オークランド・アスレチックス | 44,227人 | [103] |
2012年3月29日 | シアトル・マリナーズ | 1 - 4 | オークランド・アスレチックス | 43,391人 | [104] |
2019年3月20日 | シアトル・マリナーズ | 9 - 7 | オークランド・アスレチックス | 45,787人 | [105] |
2019年3月21日 | シアトル・マリナーズ | 5 - 4 | オークランド・アスレチックス | 46,451人 | [106] |
東京ドームでセントラル・リーグ優勝決定時に胴上げされた巨人の監督は、1990年の藤田元司、2000年の長嶋茂雄、2007年・2009年・2012年 - 2013年、2020年の原辰徳の3人。1990年と2000年の優勝決定は、ともに背番号7をつけた巨人の選手(1990年-吉村禎章、2000年-二岡智宏)がサヨナラホームランで優勝を決めている[注 17]。2007年もサヨナラ勝ち(宮本慎也のサヨナラエラーによるもの)による優勝決定で、相手選手を抑えた優勝決定は2009年と2012年・2013年の3回のみ(2020年は引き分け〈対戦相手はヤクルト〉[注 18])。日本シリーズで東京ドームで優勝を決めて胴上げされた巨人の監督は、1994年と2000年の長嶋、2012年の原の2人のみ。
巨人の監督の胴上げに比べて、巨人の対戦相手チームの胴上げは少ない。セ・リーグは2006年の中日ドラゴンズ(監督・落合博満)、2016年の広島東洋カープ(監督・緒方孝市)、日本シリーズは2008年の埼玉西武ライオンズ(監督・渡辺久信)、2019年の福岡ソフトバンクホークス(監督・工藤公康)の4例だけで、開場からこれらまでの期間が長く、その間は「巨人が東京ドームで敵将の胴上げを見ることはない」ジンクスとされていた。後楽園球場で最後に巨人が敵将の胴上げを見たのは、セ・リーグは1975年の広島東洋カープ(監督・古葉竹識)、日本シリーズは1977年の阪急ブレーブス(監督・上田利治)までさかのぼる。
対して日本ハムファイターズは、東京ドームを本拠地とする時代はリーグ優勝自体がなかった。本拠地移転後の2006年のアジアシリーズで優勝し、ようやく東京ドームでの胴上げを果たしている。
巨人以外で初めて日本シリーズの主催チームとなった東京ヤクルトスワローズは、2021年の第5戦で勝利すれば東京ドームでの優勝決定であったが、惜しくも敗戦している。
2024年現在、プロ野球チームとして東京ドームでの優勝を経験していないのは、セントラル・リーグのヤクルトと、パシフィック・リーグのオリックスと楽天の計3球団のみである。
アジアシリーズ
日本シリーズ
クライマックスシリーズ
パシフィックリーグ
セントラルリーグ
WBSCプレミア12
東京ドームは野球興行以外にも多目的利用ホールとして活用されている。多目的ホールとして1990年代半ばまでは首都圏最大級の規模であり、東京都心部のランドマークとしても非常に存在感があったことから、主に関東域外の地方自治体や観光協会が開催する地方物産展などの物販催事、富士通をはじめとした大手企業の新製品展示会など、いわゆる見本市会場的な用途としてもコンスタントな需要があった。
東京ドームでコンサートをする場合、音がかなりこもるため、スピーカーの設置などには注意を要する。年々、残響音対策や騒音対策のノウハウが蓄積されていき、現在はドーム内全体を黒いカーテンで覆うようにしている(1階席のみ)。
コンサートで利用する場合、消防法と警視庁からの指導、および観客の転落防止のため、2階席と外野席の最前列(1列目)は緩衝地域となり、原則として客席としては利用できない。ただし、近年は一部の公演で客席として使用する場合がある[注 19]。
演奏は近隣住民の騒音への配慮により、原則として午後9時30分(年末のカウントダウン公演は、午前0時30分)以降は音を出さない。ただし、終演が規定時刻を超過した公演もある。
東京ドームは後楽園競輪場跡地に建てられており、将来の後楽園競輪復活も視野に入れているため、グラウンド地下には一周400メートルのバンク(競走路)が格納されている[109]。かつては「サイクルスポーツフェスティバル」と題して、模擬競輪など競輪・自転車競技に関するイベントが行われた[109]が、同イベントは2008年を最後に開催が途絶えている。
世界選手権自転車競技大会とオリンピックは走路の周長と設備面から、現状は国際自転車競技連盟の特別承認を得ないと開催できない[110]。東京オリンピックの自転車競技トラックレースは伊豆ベロドロームにて行われた。
バックネットのフェンス広告は2004年(平成16年)から電動により広告パターンを複数出せるようになっている。オールスターゲームが開催される場合は、オールスターゲームの冠スポンサーの広告を掲出している。日本シリーズが開催される場合もオールスター同様に冠スポンサーの広告を出している。
外野に12枚(左翼6枚、右翼6枚〈開設当初は9枚:左翼5枚、右翼4枚〉)の巨大看板が設置されている。プロ野球開催時にこの巨大看板に直撃するホームランを打った選手に対して「東京ドーム・ビッグボードホームラン賞」として100万円の賞金[128] かそれに相当するスポンサー商品が贈呈される[129]。
かつてはライト側の柱広告に直撃するホームランを打った選手に300万円の賞金が贈呈されていたが、契約終了により2006年(平成18年)に廃止されて広告が撤去された。
東京ドームは、消費者金融の会社の広告を一切出していない。以前に大阪近鉄バファローズが消費者金融のアコムとスポンサー契約を新たに結び、ヘルメットに同社名を記したことを、巨人の渡邉恒雄オーナーが「プロ野球の品位を汚す。消費者金融の広告など、子供に見せられない。東京ドームは、消費者金融の広告は一切ない」と痛罵したが、その発言時は東京ドームでも同業のプロミスの広告が出されていた。その後シーズンオフに、次年度の広告掲載の契約更新の際、東京ドームがプロミスに「来年の広告掲載の更新は見送って欲しい。状況を理解して欲しい」と更新を行なわない旨を通達し、プロミスも了承し、消費者金融の広告は一切排除された。
バックスクリーンは開場当時は両サイドの広告(同一企業のもの2枚)を貼るのみだったが、その後中央部分に「プリズマビジョン」と呼ばれる回転板が張られるようになった。
かつては室内広告として、試合約40分前、3回裏、5回裏、7回裏のグランド整備の間、ゲームセットコールの直後と客出しの間の15 - 20分間に、ビッグヴィジョンへ生中継できるカメラとサンプル商品などを投下する3つの小型気球、それぞれを装備可能[130]な無人飛行船が飛行しており、巨人勝利の際はヒーローインタビューのTVのカメラフレームに入り込むように飛行していた。
先述の通り、2022年の映像装置の大型化により、従来の看板型のものから電光掲示板へのサイネージ表示[64][131]を採用したことで様々な広告パターンを表示できるようになったが、ビジョンに打球を当てた場合の賞については原則として巨人主催の公式戦のみとなった[132]。
東京ドームの球場使用料は、2023年4月現在は7時から24時までの1日で観客数に関係なく税抜きで平日1,980万円、休日2,200万円[149]。(2023年3月までは1700万円)ただし、観客を入れない場合は準備日料金となり1日825万円である[149]。この高い使用料が日本ハムの札幌移転の理由の1つとなった[注 24]。
この金額は照明、アナウンス、ゴミ掃除など観客を入れるための各種オプションも含まれた金額である[要出典]。オフシーズン、平日、昼間、草野球(2時間程度)、オプション無し、などの条件であれば50万程度で貸し切ることができる[150]。使用に関しては22時以降0時20分までや23時30分から深夜5時までという深夜の使用も認められている。ただし、12月~2月までの間については草野球の貸出を行っていない[151]。
1980年に後楽園MVP賞として制定された球場独自の表彰で、1988年の東京ドーム開場時に東京ドームMVP賞に改称された[152]。東京ドームを本拠地とする球団に属する選手(創設当初は巨人・日本ハム、2004年以降は巨人のみ[注 25])で、同球場で最も活躍した選手1名を表彰し、記念プレートを球場内コンコースに永久展示する[153]。賞金は300万円[152]。年度によって「特別賞」や「新人特別賞」などが贈られる場合がある[154][155]。
2022年シーズン終了時点で最多受賞者は打者は小笠原道大の6回、投手は菅野智之の4回[156]。
2003年まで | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | MVP賞 | MVP特別賞 | 出典 | |
読売ジャイアンツ | 日本ハムファイターズ | |||
1980 | 江川卓 | 木田勇 | ||
1981 | 角三男 | 柏原純一 | ||
1982 | 松本匡史 | 工藤幹夫 | ||
1983 | 原辰徳 | 島田誠 | ||
1984 | 篠塚利夫 | T.クルーズ | ||
1985 | 吉村禎章 | 古屋英夫 | ||
1986 | W.クロマティ | 田村藤夫 | ||
1987 | 原辰徳(2) | 白井一幸 | ||
1988 | B.ガリクソン | 佐藤誠一 | ||
1989 | W.クロマティ(2) | 西崎幸広 | 藤田元司 | |
1990 | 吉村禎章(2) | 松浦宏明 | ||
1991 | 川相昌弘 | 柴田保光 | ||
1992 | 石毛博史 | 五十嵐信一 | ||
1993 | 川相昌弘(2) | M.ウインタース | ||
1994 | 斎藤雅樹 | 田中幸雄 | ||
1995 | 木田優夫 | K.グロス | 原辰徳 | |
1996 | 松井秀喜 | 片岡篤史 | ||
1997 | 松井秀喜(2) | 金子誠 | ||
1998 | 高橋由伸 | 片岡篤史(2) | ||
1999 | 上原浩治 | 小笠原道大 | ||
2000 | 仁志敏久 | 小笠原道大(2) | ||
2001 | 清原和博 | 小笠原道大(3) | ||
2002 | 松井秀喜(3) | 小笠原道大(4) | ||
2003 | 二岡智宏 | 小笠原道大(5) | ||
2004年以降 | ||||
年度 | MVP賞 | MVP特別賞 | 出典 | |
2004 | 小久保裕紀 | |||
2005 | 阿部慎之助 | |||
2006 | 李承燁 | |||
2007 | 上原浩治(2) | |||
2008 | 小笠原道大(6) | 山口鉄也 坂本勇人 | [158] | |
2009 | 坂本勇人 | 松本哲也(新人特別賞) | [159] | |
2010 | アレックス・ラミレス | 長野久義(新人特別賞) | [160] | |
2011 | 阿部慎之助(2) | 澤村拓一(新人特別賞) | [161] | |
2012 | 阿部慎之助(3) | 山口鉄也 | [162] | |
2013 | 西村健太朗 | 菅野智之(新人特別賞) | [163] | |
2014 | 菅野智之 | 原辰徳 | [164] | |
2015 | マイルズ・マイコラス | 立岡宗一郎(敢闘賞) 高木勇人(新人特別賞) | [154] | |
2016 | 坂本勇人(2) | |||
2017 | 菅野智之(2) | |||
2018 | 菅野智之(3) | 岡本和真 | [155] | |
2019 | 坂本勇人(3) | |||
2020 | 菅野智之(4) | |||
2021 | 岡本和真 | |||
2022 | 大勢 | |||
2023 | 岡本和真(2) |
※1980年から1987年までは、「後楽園MVP賞」。1988年以降は、「東京ドームMVP賞」。
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