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日本のプロレス団体 ウィキペディアから
プロレスリング・ノア(英: PRO-WRESTLING NOAH)は、日本のプロレス団体。
種類 | プロレス |
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所持会社 | CyberFight |
使用開始国 | 日本 |
使用開始 | 2000年6月16日 |
関連ブランド |
DDTプロレスリング 東京女子プロレス |
旧約聖書の創世記に登場する人物(詳しくは「ノア」を参照)。団体のロゴには創世記の中でオリーブの葉をくわえて戻り嵐が終わったことを知らせた鳩が使われていた[注 1]。
興行のタイトルには「Departure(出航)」「GREAT VOYAGE(偉大な航海)」、シリーズ名には「Navigation(航海)」(2008年から「Navig.」と略して表記)という名前が用いられ、団体の運営は航海に擬えられている。
ファンクラブ名は「ノアの方舟」を意味する「NOAH'S ARK」である。
1999年5月、1月31日に死去したジャイアント馬場の後を引き継ぎ全日本プロレスの代表取締役社長に就任した三沢光晴が、馬場の夫人である馬場元子と意見の衝突を繰り返し強い不満を抱いていた[1]。
2000年5月の臨時取締役会で代表取締役社長を解任されて、6月の定例役員会で役員を辞任して三沢を含む多数の選手、スタッフが全日本を退団。6月16日、ディファ有明で記者会見を行って新団体の設立を発表。8月5日、ディファ有明で旗揚げ戦を開催。旗揚げ戦を含む3会場でチケット6,000枚が1時間足らずで完売して注目度の高さを示した。
以前は、日本武道館大会を定期的に実施する唯一のプロレス団体であった。2007年12月2日に行われた小橋の復帰戦、2009年9月27日に行われた三沢の追悼興行では2階席の最上階まで立ち見指定席を設けて超満員(17,000人)の観衆を記録した。だが、観客動員の減少に伴って日本武道館の興行も減少したため、代わりに有明コロシアムが使用される頻度が増加していった。2017年にはその使用もなくなり、現在は横浜武道館がビッグマッチの試合会場として使用されている。
しかし、2022年より再び大箱興行を定期開催する運営方針に転換、その元年となった2022年は、日本プロレス界初となる元日日本武道館大会を含む、年2度の日本武道館大会(1月、7月)、両国国技館大会2Days(4月)、大田区総合体育館大会(5月)、プロレス初進出となる有明アリーナ大会(10月)を打ち出し、Cyberfight Festivalを含めると、年に6回のビッグマッチを開催。
他団体との交流については、活発化と断絶を繰り返す例が多く、2019年にリデットエンターテインメントが新たなオーナーとなってからは、新たな方針として基本的に他団体に所属選手の派遣を行わない部分的な鎖国体制にすることを公表していた。2020年よりサイバーエージェント社の連結子会社となってからは、鎖国体制を徐々に解除し、疎遠となっていた新日本プロレスとも交流を持つなど、他団体への興行にも参戦するようになっている。2022年の時点ではプロレスリングZERO1やDRAGONGATEや同じ連結子会社のDDTプロレスリングなどとの関係が良好となっている。
三沢が全日本の社長時代では実施できなかった大型のセット、ライトアップ、花道など華やかな演出を充実させた。しかしリング上の試合内容は全日本時代から大きな変化はなく、三沢が「スポーツライク」と表現する伝統的な駆け引きや受けの美学を中核とした試合を行っている。アングルは1シリーズ内で終わる程度の短期間である。各所属選手の素の属性に関連したものが多く、リング外での活動はあくまでも添え物程度である。
競技性以外の要素としては、セガのトレーディングカードアーケードゲーム「甲虫王者ムシキング」[注 2] とタイアップした覆面レスラーのムシキング・テリーとムシキング・ジョーカーを登場させてムシキングの主要対象の少年層に訴求したり、笑いの要素の強いコミカルな試合も興行の中に組み入れている。グッズ売り場では、1回500円で三沢の名刺が入ったケースなどの小物、選手のコスチュームなどの愛用品、直筆サイン色紙、ポスターや過去の大会のパンフレットなどがもらえる「のあのあクジ」を行っていた。
試合開始前、休憩中、試合終了後には所属選手によるサイン会や撮影会を日替わりで開催している。
2007年に入るまでは、好カードと呼ばれる組み合わせを乱発せずビッグマッチ用に温存することが特徴であった。大規模会場のメインイベント級のカードを大量消費してしまうリーグ戦は原則として行わなかった。カード温存の理由としては、選手への負担が高く、負傷の原因となる点が挙げられている。これは、過去の激しい消耗戦を体験している三沢社長の意思と言われているが、内部からも反対意見が出ることがある。また関東圏でのビッグマッチ、特に武道館におけるビッグマッチに力を注ぎ、地方ではビッグイベントが無いとの不満が特に地方都市在住のファンから指摘されている。2007年以降にジュニアヘビー級タッグリーグ、GHC王者挑戦権獲得リーグ、モーリシャス杯、グローバル・タッグリーグなど、多数のリーグ戦が行われたことからこの規制は解除されている。
他団体と比較するとユニットの数が少なく、ユニット対抗戦などは活発ではない。各ユニットは敵対関係は薄い傾向があり、マッチメイクの目安程度として位置付けられていることが多い。そのため軍団を超越したタッグ編成もしばしば見受けられる。
なお、最近ではユニット抗争を積極的に行うケースも増えている。
試合の路線は、基本的に選手の自由にさせている。特に、地方の興行では試合中にコミカル路線の攻防も見られる。
王座には階級の区別があることを除き、試合はヘビー級とジュニアヘビー級を等しく扱っている。そのためヘビー級とジュニアヘビー級の混合試合は日常的に行われている。
混合が当たり前のように行われているノアにおいては、ヘビー級王座にジュニアヘビー級の選手が挑戦することも珍しくなくなっている。実際に2002年には小川良成、2006年には丸藤がジュニアヘビー級の選手ながらヘビーのベルトを手に入れている。日本のプロレス史上初めてヘビー級選手権試合を丸藤正道(王者)対KENTA(挑戦者)というジュニアヘビー級の選手同士で行ったこともある。
ジュニアヘビー級という階級が出来た後もプロレスの花形はヘビー級の対戦と考えられ、ジュニアヘビー級の選手がメインを飾るということは考えられなかったが、ノアでは金丸義信や丸藤、KENTA等のジュニアヘビー級の選手が全日本時代の「四天王プロレス」を髣髴とさせるような好試合をするようになる。彼らのうち、丸藤とKENTAが俗に言うイケメンであり、試合のスタイルも華やかな動きと緩急で魅せる丸藤、キックスタイルのKENTAと素人にも非常に分かり易いこともあってか彼らを目当てにした若い女性客が一時的に増えたが、これらの選手が結婚したこともあり、ノアの生命線とも言える女性ファンが減少してきていると、2009年当時ゼネラルマネージャーだった仲田龍が語った。三沢の急逝や小橋、田上の第一線離脱によって現在のノアは一線級でのヘビー級の人材が不足しており、丸藤、KENTAがそれぞれユニットのリーダーとして団体を牽引してヘビー級王座戦線に参戦するなどオープンウェイト化が進んだ。
2005年末に4人の新人がデビューして若手選手の出場機会の減少が危惧された。その対抗策として、丸藤やKENTAなど若手を中心にした興行「プロレスリング・セム」が発表された。初回興行は2006年3月21日。常設であるディファ有明を半分ほどに仕切り、300人から500人規模で行った。リングマットの色は、ノアで用いられる緑ではなくピンクと紫が使用される。サプライズとして他団体の選手やベテラン選手も参戦する場合がある。初の試みとして、これまでセムはディファ有明のみで行われてきたが、2007年8月には春日部市に於いて、入場無料で興行が行われた。その後はグローバルレスリング同盟加入の多団体交流戦の形で、ノア以外の団体が主催で開くこともあった。
2007年、summer navigation 07よりノア内初のリーグ戦、「日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦」が開催された。7月1日ディファ有明から7月15日日本武道館まで開催。このリーグ戦はその後若手のシングルで争われる「モーリシャス杯」、トップのヘビー選手がタッグで競う「グローバル・タッグリーグ戦」など少しずつ拡大してきている。
2008年には若手選手育成で、旧全日本プロレスでジャンボ鶴田、三沢(タイガーマスク時代)、小橋、秋山らがこなした「7番勝負」の復活版として「谷口周平の驀進10番勝負」、「青木篤志の閃光10番勝負」を開催。この両名は2007年11月に行われた「モーリシャス杯争奪リーグ戦」で上位2位に入った特典として与えられたもので、1年間をかけてベテラン選手を相手にそれぞれに10試合ずつの試合をこなした。1年以上かかったものの10番勝負は終了し、その結果は谷口が10戦全敗、青木が1勝9敗だった。
全日本プロレス時代からの慣習(馬場の指導)で、入門順に関わらず年長のプロレスラーは、「〜さん」を付けて名前を呼び、年齢に関わらず入門順の早いレスラーを同様に「~さん」付けで呼ぶ。このため、先輩後輩がお互いを「さん」付けで呼び合うケースがよく見られる。例を挙げると、力皇猛は森嶋猛や丸藤らよりプロレス界では後輩になるが、森嶋や丸藤らは「リキさん」と「さん付け」して敬語を使っている。杉浦貴も自衛隊でレスリングの実績を積んでいた関係上、入門が遅れているが、金丸らは「杉浦さん」と呼び、敬語を使う。その他、レスリング界で随一の実績を持つ本田多聞も入門が遅れているが、小橋は「本田」とは呼ばず、「本田選手」、「多聞ちゃん」などと呼んでいるほか、秋山準も「本田さん」、「多聞さん」などと呼ぶ。ただし、齋藤は自身より年下でデビューも遅い秋山に対して「秋山選手」と呼んで敬語を使うのだが、その秋山より先輩である井上雅央に対しては「マサオ」と怒鳴ったような口調で呼んでいる。
団体発足当時は、フリーの選手や他団体の選手がリングに上がることは少なかったが、2001年から開始されたプロレスリングZERO-ONEとの対抗戦で大谷晋二郎、田中将斗、高岩竜一らが継続参戦をしたあたりから他団体選手もよく上がるようになり、その後は国内外問わず頻繁に団体外の選手が上がっている。獣神サンダー・ライガーのGHCジュニアヘビー級王者時代には、他団体のヒールという自分の立場を最大限に利用して積極的に活動して大ブーイングを生み出して観客を大いに沸かせた。
常連フリー選手ともなると、「給与形態以外は全て所属選手と同じ」ということも多く(例としてSUWAや、フリー参戦時代の齋藤彰俊、石森太二など)、テーピングなどの会社の備品を使ったために本来は選手会興行に出場しないはずの選手が強制参加させられたことがあった。
1990年代以降、当時の全日本プロレスは鎖国体制を取っていたのと同時に、代表であったジャイアント馬場の、今の海外への武者修行は得るものがないという考えから、海外遠征に消極的だったため、田上、小橋以降の世代はノアに移籍するまで海外遠征の経験がない者がほとんどであったが、ノアでは提携団体を中心に積極的に海外への選手派遣を行っている。ただし、長期遠征に対しては慎重な態度を取っている。
2006年より、ノア名義でイギリスにアパートを借りていた。これはノアにも参戦しているダグ・ウィリアムスのコネクションでイギリスで行われる大会に若手選手を派遣するためだが、小橋や丸藤らがアメリカに遠征して試合を行ったり、三沢らがヨーロッパの大会に参戦する形とは違い、「イギリスに行く」以外は何も決まっていないまま、若手選手を派遣。通常、海外遠征には渉外部長である仲田GMや通訳が同行するが、このプランについては選手のみが派遣され、言葉も通じない、電車の切符も買えない状況となる。仲田GM曰く「かつてロッキー羽田さんたちが行っていた海外留学を再現させた」。選手達に一回り大きくなってもらおうという配慮であるが、非常に過酷である。現在は就労ビザの関係で欧州を中心にローテーションを組んで若手を派遣する形となっている。アメリカでは就労ビザが比較的高価なため、修行という形で若手選手を派遣するのは割に合わないそうであった。メキシコなどにも参戦している。
これまでは長期遠征に関しては慎重な態度を崩していなかったが、業務提携しているROH側からのオファーがあったことから、若手の潮崎を2008年の年明けから武者修行という形で一時ROHに派遣した。
その後は、単発での選手派遣は行われていたものの長期派遣は行われずにいたが、2017年7月に清宮海斗を無期限で海外へ武者修行という形で派遣している(5ヶ月後の12月に帰国)。清宮の帰国後は所属選手の武者修行として海外への派遣は行われていなかったが、ウルティモ・ドラゴンの協力でメキシコにて若手選手を受け入れられる体制が作られたのを受け、宮脇純太が本人の希望により2022年6月よりメキシコへ無期限の武者修行という形で派遣され、イギリスでも若手選手を受け入れられる体制が整ったため、2023年には稲村愛輝が、2024年には小澤大嗣が本人の希望により共にイギリスへ無期限の武者修行という形で派遣されている。
小橋や森嶋などがアメリカのWLWやROHに出場したり、ヨーロッパ各地を転戦するなど選手単位での海外進出は行われていた。2006年度より、本格的に海外進出を行うことが発表された。その第一段階としてアメリカに現地法人を設立し、物品の販売を行っていた。
2006年春に英語版の公式サイトを開設した。ヨーロッパ、ハワイ、台湾などでも試合中継が放送されている。
これまで他団体に選手を派遣する形のみであったノアは、ダグ・ウィリアムスらの協力を得て、2008年6月21日(現地時間)に、イギリス・コヴェントリーで初の海外興行を行った。会場には2,400人のファンが集まり、日本と同じく「コーバーシッ」、「ミッサーワ」のコールも起こり、紙テープも乱れ飛んだ。試合後、ファンから「プリーズ・カム・バック」コールが起こった。
タイトル | 保持者 | 歴代 |
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GHCヘビー級王座 | 清宮海斗 | 第45代 |
GHCナショナル王座 | 征矢学 | 第13代 |
GHCタッグ王座 | 丸藤正道 杉浦貴 |
第67代 |
GHCジュニアヘビー級王座 | ダガ | 第56代 |
GHCジュニアヘビー級タッグ王座 | HAYATA YO-HEY |
第61代 |
GHC女子王座 | 天麗皇希 | 初代 |
GHCハードコア王座 | 石川修司 | 第3代 |
タイトル | 覇者 | 年代 |
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Victory Challenge Tag League | 清宮海斗 大岩陵平 |
2024年 |
N-1 VICTORY | 清宮海斗 | 2024年 |
※2024年に参戦した選手のみ
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